ずっと隣にいる
「ルード様!」
その日は早朝に王宮から呼び出しがあり、聖女として祈りの間に出向くことになった。ルーディウスの四度目の訪問日に重なってしまって、アミナは気落ちを隠せなかった。
それでも、ルーディウスには断りの使者をすぐに送って、朝食をごく簡単に摂ってから、王宮へ向かうために玄関を出ると、ちょうど馬に乗ったルーディウスが馬車寄せに降り立つところで。
つい、大きな声で呼んでしまった。
ドレスの裾をまとめて急ぎ足で向かう。
その三倍ほどの速さでルーディウスも歩み寄って来る。
自然と伸ばし合った手が触れて、アミナの細い指先に、ルーディウスがそっと口付けるふりをした。
二度目の訪問以降、少しずつぎこちなさが取れてきた挨拶。けれど今日は、目線の高さで手を取り合った時に、一度きゅっと握られた気がした。気のせいだろうか。
気のせいで、なければいいのに。
「アミナ」
「ルード様、お会いできて嬉しいです。ですが、私は今から王宮へ上がるところなのです。使者をお送りしたのですけど。行き違いになってしまったのでしょうか」
遠い他国では、魔法というものがあって、離れたところにいる相手に思念を送ったり、手紙を飛ばせたりと、驚くようなことができるというが。
この国とその周辺には、建国以来、魔法はない。
聖女の祈りだけが、唯一、魔法のような存在だ。
だから、使者はきっと誠実に仕事をこなしてくれただろうけれど、急な知らせは行き違いというものがよく起こる。もし、アミナの急な予定変更を知らずに来てくれたのなら、申し訳なかった。
けれどルーディウスは、取り合ったままだった手を宥めるように親指でとんとんと優しく叩いた。
「使者は来た。問題はない。だが、アミナが祈りのために王宮に行くなら、付き添いたい」
「え、ご一緒に?」
思ってもみなかった提案に、目を丸くする。
「急にすまない。何か支障があるなら…」
「嬉しいです。嬉しい。それなら、今日も少しはお話ができますね。実は今日はお会いできると思って昨日から楽しみにしていたので、自分でもびっくりするくらい気持ちが落ち込んでしまって。なので、なので、嬉しいです。ご一緒してくださるなんて。あ、待って、今馬車の席を整えて」
「アミナ」
「っはい」
手綱を引くように、ルーディウスはアミナの手を引いた。
「落ち着いて。場所さえあれば、私はどこでもいいから。御者台でもいい」
「……でもそれだと、お話ができません。では、狭いかもしれませんが、クッションを寄せて二人で座りましょう。どうぞ乗ってください」
アミナにすれば自然と、先に乗るように勧めて。
そのまま二人で、馬車の扉の前で向かい合ったまま。
「……あっ、私が乗るのが先ですわね。今乗りますね」
「アミナ」
ルーディウスの手を振りほどくようにして馬車の踏み台に足を乗せ、そして案の定、アミナはよろめいて馬車に体当たりをしそうになった。それを見越していたように、ルーディウスが後ろから掬い上げて、ふう、と息をつく。
腰を支えられたまま、アミナは両手で顔を覆った。
まだ二ヶ月弱の付き合いなのに、こうして危ないことを予見されてしまうほどに、アミナは醜態ばかり見せている。
呆れられても、仕方がない。
「ゆっくりでいい。支えているから、先に乗って」
涙が出そうなほど優しい声で、ルーディウスが促してくれて、馬車に乗り込んだ。後ろに続くはずのルーディウスのためにクッションをよけて。
そしてまた、アミナは固まってしまっている。
馬車は少人数用の小型のものとはいえ、侍女と四人で乗ってもゆとりがあるのに。
アミナの隣にルーディウスが乗ると、肩がしっかりと触れてしまった。ルーディウスが大きいのだ。恥ずかしくて固まっていると、察してくれたのか、すぐにルーディウスはアミナの対面に座り直してくれた。
ほっとしたのは一瞬で。
今度は、ルーディウスの長い足がアミナの膝を挟む形になった。もちろんアミナは再び赤面したが、今度はルーディウスは、知らんふりだ。
なんとなく、目が合わないから、きっとそう。
「今日は、祈りのために陛下に招かれたと」
「は、はい。近衛軍の一隊が、辺境の害獣討伐に向かうから、と聞いております」
「辺境」
知らんふりのルーディウスが、話題を振ってくれたので、答えることに集中した。おかげで、走り出した馬車の振動で何度も触れてしまう膝から、なんとか意識を逸らすことができた。
「はい、具体的な場所はいつも陛下から伺います」
アミナが答えると、ルーディウスはわずかに青い目を見張った。
最近の国王は、いよいよ自宮に籠り、政務もあらかた他の者に任せきりになっていると、アミナの耳にも入っている。けれどおそらく、祈りの前の謁見はなくならないだろうと思う。国王にとっては何より大事な確認の時間だと、アミナにも感じられるからだ。
きっと国王の宮は、以前より一層、近衛兵が我が者顔をしていることだろう。さすがに、少し憂鬱になった。自分自身の危険も感じるが、侍女を連れていくのがより気が進まない。御者台に乗ると言い張って外にいる侍女は、まもなく結婚を控えている。万が一のことがあってはならない。護衛だって、公爵家の護衛のもつ権限で、どこまで近衛兵の無体に遭わずにすむだろうか。
「アミナ」
「はい」
最近、ルーディウスはとてもよく名を呼んでくれる。
回数が増すごとに嬉しくて、いつも何も考えずに、反射的に返事をしてしまう。
「今日はずっと隣にいる」
けれどこういう不意打ちの時には、返事はできなくなるのだな、とアミナは思った。
陛下がお許しになるかわかりません、とか、近衛兵とルード様を会わせていいのか不安です、とか、頭の中ではいろんな声が出たけれど。
どんなに色々考えても、どうしても、嬉しさが勝ってしまう。
何度か口を開けて、でも唇が震えてしまって、声が出なかった。はく、はくと、息を求めるようなアミナを、ルーディウスはただ、じっと待ってくれていた。
青灰の目が、真剣にこちらを見ている。
「……はい」
ようやく出た声は、まるで初めて名前を呼んでもらった時のように、ひどく掠れて、風のようだった。でもすぐに大きな手が伸びてきて、膝の上の手を握ってくれたので、今回の返事はきちんと届いたに違いない。
握られた手だけでなくて、心の真ん中まで温かくなった気がして、アミナはその心をもう一度ルーディウスに明け渡すように、その目に見入っていた。
しばらく優しい日々。
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