ほら、おなじ高さです
本日二話目です
三日後、ルーディウスは約束通りにやって来た。先触れを寄越して、指定の時間に馬車で乗り付けるのを、アミナは玄関前に出て、母の隣で大人しく出迎えた。
侯爵家の重厚な馬車の扉が開き、ルーディウスが降りてくる。
その足音に耳を澄ませて俯いていたアミナは、母にぐいと前に押されて、我にかえった。
目の前に、貴族らしい装いのルーディウスが立っていた。
タイは白だ。首が意外にしっかり太い。
ついそんなところを見てぼんやりしていたので、手を取られて驚いた。
「あっ」
「え?」
取られた手が離された。その勢いがあまりによかったので、ますます驚いて見上げると、青い目がこちらをじっと見ていた。
「失礼、急に手を取ったりして申し訳ない」
緊張しているのだろうか、頬の線が固くて、あまり動かない。唇も、引き結ばれて、厳しい顔つきに見える。
「……その、挨拶をさせていただいても?」
ようやく、ルーディウスが何か言っているのが耳に入ってくる。
挨拶。挨拶をしなければ。
「ルード様。あ、い、いらっしゃいませ」
ふと、青い目がわずかに細められた。
「や、やだ私、いまぼんやりしていて」
慌てたアミナは目の前に差し出されていたルーディウスの手に気がつくと、それをわしっと両手で掴んだ。大きい。両手で2本ずつ指を握って、ちょうどいい。すごい、とアミナは内心、感嘆の声をあげた。
「ごきげんよう、ルード様。お待ちしておりました。あの、お手紙も、嬉しかったです」
それから。それから何だっただろう。いろいろ準備していたのに、すっかり忘れてしまって、アミナは俯いて思案した。
手を握ったまま。
だってなぜだか、この前会った時よりも鮮やかなのだ。狼の目も、黒髪も。
この数日何度か思い浮かべていたルーディウスの顔が、アミナの心の中でも、少しその色味を増した。
もじもじとするアミナと、それにじっと付き合うルーディウス。呆れたアミナの母が、居間へ案内するように促さなければ、その日の面会はそこで立ち尽くして終わっていたかもしれない。
「先ほどは、申し訳ありません。私、その、いろいろと世事に疎くて。家族以外の男性とこうしてお茶をするのも、初めてなのです。……あ、こんなこと言わない方がいいのですよね」
居間のソファに二人、赤みの強い茶と小さな菓子たち、そして赤い薔薇が一輪飾られたテーブルを挟んで座っていた。
ルーディウスは口数が少ないようだ。
ちらちらと目が合うので、きっと聞いてくれているのだろうけれど。
アミナは自分の口が勝手に動いているような錯覚をする。
どうして。友人たちとお茶をしているのと、何が違うのだろう。
「あの、薔薇。薔薇は、ルード様が選んで下さったのですか? すごく綺麗な深い赤。私、花をいただいたのも初めてで……」
また言ってしまった。
初めてだと強調しすぎると、相手も緊張したり、逆に軽んじ始めるかもしれない。だから自分の経験値は、伏せるのです、と年上の友人が言ってくれたのに。
アミナにとって、ここまで緊張する席は、生まれて初めてだったかもしれない。
「……私も、初めて花を誰かに贈りました」
掠れ気味の静かな声が、ぽつりと返してくれたので、アミナは顔を上げることができた。
「花を贈れと人に言われたのですが、花と言われても何もわからなくて、庭で見て、一番目を引いたので」
青い目が、真剣にアミナを見ている。
同じように真剣に、花も選んでくれたのだろう。
ゆるゆると、アミナの唇が綻んだ。
「嬉しいです。とっても嬉しい。こんな気持ちになったのも、初めてです」
一呼吸置いて、ルーディウスも僅かに、口元を緩めた。
「よかった」
笑ってくれた!
アミナは突き上げる衝動のまま、がばっと立ち上がった。
今が贈り物を渡すのに一番良い時だと思ったのだ。
サイドテーブルから、丁寧に仕上げて畳んであったタイを手に取って、テーブルを回って近寄ると、青い目が先ほどより近くにあった。
そこで急に、青い色が気になってしまった。
選ぶときは、同じ色だと自信があった。
けれど今日、ルーディウスの色は思い出よりもっと強くて濃い、気がする。室内だからだろうか。
絹布に刺したのは、青い系だけ。金の糸は、どうしても恥ずかしくなってしまって、今回は裁縫箱で眠ってもらっている。
選んだ図案も良くなかった。小さな狼にしていたら、きっとその毛並みに金の糸を紛れさせても違和感はなかっただろう。
けれど、普段から使って欲しいと考えて、蔦模様をアレンジした縫い取りにしたのだ。そこに金を入れるとしたら、二色の蔦を絡ませることしか思いつかなくて。それはやっぱり、まだ早い気がした。なぜだかわからないけれど。
でもそうすると、黒い布に青い糸は、思いがけず落ち着いた雰囲気になった。ルーディウスの目の青はもっと透き通る色で、わずかに灰色が瞳孔を取り巻いて、綺麗で——。
「アミナ」
「……はい」
もう少し、明るい色にするか、銀を混ぜればよかった。
そう思いながら返事をすると、もう一度名を呼ばれた。
「アミナ、近いです」
一つ瞬くと、青以外のものが見えてくる。視界いっぱいの、ルーディウスの目元が、少し赤い。
「あ、あっ、も、申し訳」
「なくない。大丈夫です。落ち着いて」
咄嗟に両手を突き出したら、ものすごく硬いものにぶつかった。
そこがルーディウスの胸だと気がつく前に、屈んでいた体勢のまま膝が抜けた。
何がなんだかわからないまま視界がぐるりと回って、気がつくと、座っていた。
目の前に、ルーディウス。ルーディウスの片手が、アミナの両手をひとまとめに捕まえている。もう片手は、アミナの顔の横へと伸ばされている。肩、いや、ソファの背を押さえている。覗き込んで来ていた青い目が、少し細められて、それからゆっくりと、離れていった。
まるで野生の動物を前にしているように、ゆっくりと、慎重に。
アミナはソファに座っていた。先程まで座っていた席ではなく。客側の、ルーディウスが座っていた席だ。
なぜこうなっているのか、アミナはぼんやりと両手を見て、そこにタイがないことに気がついた。
慌てかけて、けれどすぐに目の前に差し出された黒い布に、もう一度ソファに深く座ることになった。
「私の服に引っかかったようです。どうぞ」
どことなく、様子を伺うような声だ。
それはそうだ。これだけ大騒ぎする令嬢など、きっと他にはいない。どう扱っていいか、わからないのだろう。嫌な気持ちになったかもしれない。
アミナは、顔が燃え上がるかと思った。
「……あの、それは、贈り物です」
「贈り物。それは、私に、ですか?」
「はい、あの、男性には布のものを贈るのがよいと聞きまして。あの、狼だと大袈裟な時もあるかと思って、蔦模様にしたのですが、今、その糸の色が、ルード様の目の色とは違ったかもしれないと思って」
返事はなかったが、視界からタイが消えた。今ルーディウスがそれをまじまじと見ている気がして、顔を見られない。植物画を刺繍で再現した時よりは線は遥かに単純だが、誤魔化しのきかない図案だ。
沙汰を待つ気持ちでいると、ふと衣擦れがして、視界に膝が映った。
膝。
膝が意味することを少し考えて、はっと顔を上げたアミナの前に、ルーディウスの生真面目な顔があった。上背のあるルーディウスは、床に膝をつくと、顔の高さが座るアミナと近くなる。
「その、贈り物をありがとうございます。目の色をご覧になりたいのなら、これでどうぞ」
そう言って、膝をついたまま、ルーディウスは後ろ手に両手を組もうと。
「膝なんかつかないでください」
組もうとしたところで、アミナが立ち上がって両肩に飛びついてきたので、両手は咄嗟にアミナを支えることになった。
「座って。座ってください。私、良い考えがありますわ」
朗らかに言われるがまま、ルーディウスはくるりと入れ替わるように再度一人がけのソファに座り、願われるままに、一度は上着の隠しに仕舞った黒いタイを取り出した。
それを見届けると、アミナは部屋の隅に置いてあった、脚の長いスツールを引っ張ってきた。それを、ルーディウスの座るソファにピタリと寄せて置く。
「これなら、私も座って、ルード様の目を見ることができます」
そう言って、ソファの背もたれ側に膝をむけてスツールに座ると、確かに、目の高さがほぼ同じだ。
「ほら、同じ高さです、ね」
そう言って得意げだったアミナは、その日その後の数時間、ルーディウスが一層無口になったことには、まるで気付かなかった。
同じ部屋にいるはずの侍女たちが徹底して見守るスタンスなのがすごいラ・ラーナ家。




