憎まれねばならない
オルヴェルト王子がアミナを連れて立ち去った後、夜会の会場には落ち着きがなかった。
話の内容がわからずとも、みっともないほど男に縋りつき、突き放されたアミナに、皆が薄々事情を悟る。
アミナの姿に嫌悪や蔑みを表す者は確かにいたが、ワインに塗れて引きずって連れて行かれてからは、その視線も少なくなった。それより多くの者が、むしろ憐れみを感じているようだった。
とはいえ、王命の婚約であるからには、どうせただの痴話喧嘩で終わるだろうと、老貴族たちはすぐに興味を移した。子女たちは、かなりアミナに同情的だ。二人が歩き去った方角に向け、祈る令嬢もいるほどだ。
幾人かの男が、さりげなく合図を送ってくる。それ以外からは冷えた視線や値踏みをする視線が寄越されたが、多くの関心がアミナとオルヴェルト王子へと向けられている間に、ルーディウスは早々に会場を抜け出した。
庭の方から品のない笑い声が響くのは、無視をした。彼らは国王がいる時は国王に阿り、国王が退席すれば、我が物顔で王宮を荒らす。近衛隊は、もはや国王の私兵と化し、王家や王宮の守護者ではなくなって久しい。
あらかじめ待ち合わせた控え室に入れば、そこには物憂げにソファに座る青年がひとり、グラスを傾けていた。
柔らかな淡茶の髪と兄によく似た青い目。オルヴェルトと一つ違いの第二王子、ケルヴィンだ。
「お疲れ」
気安く声をかけられたが、返事などできない。
そのまま奥の壁際までずかずかと進んで、壁に頭を打ちつけた。
「……いや本当に、お疲れ」
聞こえてくるのんびりした声が変わらないことに、少し冷静になる。あまり時間はない。切り替えねばならない。
「よい見せ物だったよ。君が血反吐を吐く思いで演出したんだ。あれくらい効果的でないとね。あと兄上!本当によい仕事をしてくれるよね」
「それで、最後の選別は終わりましたか」
「ああ、それはばっちり。ほんと気を使ったね。僕ら側近も共通だから、兄上に秘密を持てる奴は少ない。逆はあるんだろうか。気になってくるな。常々おかしな制度だと思ってたけど、クーデターを防ぐには効果的かもね」
この国は、王太子を定めない。歳の近い兄弟が生まれれば、必ず、両者は等しく扱われ、育てられる。オルヴェルト王子とケルヴィン王子もまた例外ではなかったが、それでも、二人の王子はまるで違った。
ゆったりとした話し方をするケルヴィンは、その容貌も柔らかい。兄王子の美貌と似ている箇所はいくつもあるが、全体としては一枚ベールを被ったように、印象が弱まる。それが親しみやすい雰囲気を作り出していて、王子としての人気も高い。
「ただ、兄上が動かない限りは応じる、っていう条件付きの奴はそれなりにいるから、ルードは気をつけておいてくれるかな。兄上は相変わらず孤高の人だからね。誰も兄上が何を考えてるか、わからない。期待が高い分、彼らも歯痒いんだろうね。あー、意外と、さっきのが駄目押しになるかもな。兄上の聖女アミナに対する態度は、異様だからね」
準備が整っているならよいのです、と言うルーディウスの目は澱んで暗い。
「参ってるね。まあでも、君は決めたことはやり抜くと信じてるよ。今回の計画も、聖女のこともね」
飲むかい、と尋ねられたが、今は何も体に入れたくなかった。
体の中は、黒い海のような底のない感情で一杯だ。ワインに汚されたアミナの姿を思い出すと、その海が波立ち、泡立って、煮え立って、今にもどこかへ走り出しそうになる。
「今回のこと、君の提案通り、テセウにも話はしてある。こちらの立場にはかなり理解を示してくれたが、君とアミナの破談には納得してないみたいだった。彼が作戦の裏の要とも言えるわけだし、今から君自身が行って、最後の話をつけてきてくれ。君も、後戻り、できないようにね」
ルーディウスに否やはない。アミナの兄テセウは耳の速い男だから、きっとアミナにした酷い行いを聞きつけて、三発くらいは殴られるかもしれないが。その後でなら、少しは聞く耳を持ってもらえるかもしれない。理解してもらえる自信はないが、それでも説き伏さねばならないなら、――最終的には脅すほかはないだろう。
作戦のことではない。作戦には、すでに全面的な強力の約束を得ている。おそらく争点は、アミナのことになる。
「承知しました。では、のちほど王都の正門にてお会いしましょう」
「待って、ルード。テセウのところには、女を一人連れて行って。事情を知っていて、演技をしてくれる」
「はあ!?」
目を剥くルーディウスに、ケルヴィン王子はグラスを掲げて、琥珀色の香酒を一気に煽った。
「関係良好だった聖女アミナを突然捨てる理由が、嫌いになった、だけじゃね。もうちょっと何か捻り出すと思ってた。でも、君に期待することではなかったね。それで、代わりに筋書きを足してあげようと思って。――君は、浮気相手に溺れて、しかもそれを隠して、彼女をまんまと捨てたんだ」
空のグラスを透かすと、ルーディウスを見据える青い目は、氷を落としたように冷たく見えた。
「これから隣国との戦いに赴く君は、聖女には徹底的に憎まれねばならない。周囲にそう見せるだけではなくて、ね。聖女が、祈る気を無くすほどに。そうだろう? ……ああ、その女を連れて、ラ・ラーナ公爵家へ直に行ってもらっても」
最後まで聞かずに、ルーディウスは部屋を出て行った。
ケルヴィンも、そこまでさせるのはかえってボロが出ると思っている。浮気話がアミナに伝われば、十分だろう。
ただ、ルーディウスには何度でも言い聞かせなければならない。彼らは、二度と結ばれることはない、と。
「辛いね」
ルーディウスを見送った目には、不憫な恋人たちへの憐れみがわずかに宿っていたが、それもすぐにかき消えた。強い酒も、今日は一向に酔いをもたらさないが、これ以上は控えておくべきだろう。
夜が更ければ、出陣の命が下される。
全体を見直して、あまりに説明が乏しかった前半に、説明を追加しました。
エピソードも話の流れも変更はありません




