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【完結】孤独な狼は愛を返す:たとえ惨めに打ち捨てられても、貴方のために祈ります  作者: 日室千種
 

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婚約を破棄する

「アミナ・ラ・ラーナ、婚約を破棄する。お前のことが嫌いになった。二度と、話しかけるな。顔も見たくない」


 大好きな婚約者、ルーディウスにそう言われて、アミナは棒立ちになった。何と、言われたのだろう。


「申し訳ありません、聞き取れませんでしたので、もう一度おっしゃってください」


 アミナは丁寧にお願いし、ルーディウスもまた、丁寧に、同じ言葉を繰り返した。


「アミナ・ラ・ラーナ、婚約を破棄する。お前のことが嫌いになった。二度と、話しかけるな。顔も見たくない」


 生真面目な表情は、いつも通りだ。


 ルーディウスは黒髪青眼、顔立ちと体格に恵まれ、剣士として騎士として、天才とまで言われる腕を持つため、建国神話になぞらえて狼騎士と呼ばれている。侯爵家の次男として、王子たちの最側近として、少年の頃から共に学び、遊び、信頼を勝ち得てきた、将来を確約された男だ。


 アミナがルーディウスと出会ったのは一年前だ。出会った時にはすでに婚約はほぼ決まっていた。ラ・ラーナ公爵家息女であり聖女であるアミナに、騎士として名を上げたルーディウスを結び付けたのは国王であり、どちらも国に忠実でよい家臣となるだろうと、国中が賛成して祝った婚約だった。

 完全に政略で結ばれた婚約の行く末を、勝手に期待したり悲観したりする周囲をよそに、二人は順調に関係を深め、互いに憎からず、いや、かなり好ましく思うようになっていた。


 そう思っていたのは、アミナだけだったのだろうか。


「ルード様、それは本当ですか?」


 尋ねたが、返事はない。ルーディウスは、押し黙っている。

 そうやって黙して立っていると、鍛え上げられた体と鋭く削り出したような風貌とで、戦神のようだ。アミナは何度見ても、惚れ惚れしてしまう。その硬質な空気が、時に柔らかく溶ける瞬間も、とても好きなのに。


「ルード様、どうか、考え直してください」


 率直にお願いしてみたが、やはり、答えはなかった。


「本当に、もう話しかけてはいけないのですか? 会うことも? でもそうすると、もう手も繋げないですし、一緒に散歩も行けなくなってしまいます」


 ぐぐ、とルーディウスの眉間に皺が寄ったので、アミナは期待した。きっと、ルーディウスもそこまでのつもりはなかったに違いない。何か、アミナのためを考えてのことか、必要があっての一時的な話だろう、と。


 しかし、そっと伸ばした手は、鋭い音を立てて弾かれた。

 衝撃で、アミナの手首に嵌っていたブレスレットが飛んで、運悪く二人で話していた王宮のバルコニーから下へと落ち、そこにいた今日の夜会の出席者の注目を集めてしまったようだ。下の庭園にいるのは、宮廷貴族の子息子女たちだ。上にいるのがアミナだと見て取ると、くすくすと意味深に笑い合った。近衛隊の礼服を着た子息たちは、短く口笛で揶揄までしてきた。

 慌てて視線を外し、なんでもないように振る舞うが、背中に視線が刺さる気がする。


 窓寄りに立っていたルーディウスには、きっと見えない角度だ。

 彼らに見せつける話ではない、と制止しようとしたが。


「悪かった。……だが、触れるな。そして、くどい。そういうおもねるような振る舞い、虫唾が走る。婚約を破棄すれば、お前とは当然、まるで無関係となるに決まっているではないか」

「嫌です!」


 ルーディウスの本気を感じ取って、アミナの頭の中には、絶対に嫌だ、ということしかなくなった。


「嫌です。なんで。何が悪かったんですか? だって、これまでは」

「アミナ」


 今度人目を気にしたのは、ルーディウスの方だった。窓からいくつもの顔が覗いている。バルコニーが繋がる煌びやかな夜会会場には、世襲貴族たちが社交に勤しんでいる。だが今や、誰もがこのバルコニーの様子が気になるようだ。皆がどことなく案じる顔をして、今にも声をかけてきそうだった。

 だが、ルーディウスの目を見て、アミナは悟ったのだ。ここで話を打ち切ってしまったら、もう二度と、この話をさせてもらえないと。いや、もう会ってももらえないかもしれない。

 この時を逃すべきではないと、奮い立った。


「嫌です。嘘です。嫌いになったなんて、嘘」

「嘘でもなんでも、思いたいように思うがいい。だが、婚約は破棄し、我々は、無関係になる」

「どうしてです?」

「嫌いに、なったからだ」

「嘘です!」


 最初に戻ったな、と耳をそば立てていた誰かが呟いた。男の方が一度引いて、どこかで静かに話し合えば良いのでは、と生温い目で囁く声もする。


 だが、ルーディウスは視線を険しくすると、敵を前にしたような気迫で、一喝した。


「いい加減にしろ! 受け入れろ! 俺は、二度とお前の元には戻らん!」


 その苛烈な声に、アミナは体の芯が抜けてしまったように、バルコニーの床にへたり込んだ。美しいドレスがぐしゃりと皺になり、白い手袋が床をあてどなく撫でさすった。

 今日のために、ルーディウスが贈ってくれたドレスと手袋だった。


 アミナは俯いた顔の前にゆっくりと両手を引き寄せると、ぎゅっと握った。


「嘘つき! ルード様の嘘なんて、すぐにわかるんだから!」


 と叫ぶや、ドレスを着た令嬢には有り得ない素早さで立ち上がり、目の前の逞しい体に、がばりと抱きついた。ドレスと共布のタイに、顔をぐいぐいと押し付けながら、しがみつく。


「絶対、離さない。絶対、離れない。絶対、ぜったい……あっ」


 顔を顰めたルーディウスが細い腕を持てば、いとも容易くアミナは剥がされた。


「や、やだ、いやいや。どうして。いやよ!」


 両手を上に持ち上げられたまま体を揺するので、髪飾りが落ち、美しい金の髪が乱れておちた。ドレスも乱れ、涙で化粧は落ち、惨憺たる有様だ。それに、ルーディウスは大きくため息をついた。


「アミナ。聞き分けてくれ。人の気持ちは、泣いて騒いでも変えられない。俺は、婚約を破棄する。これは、覆らない。——憎んでくれていい」


 アミナの体から力が抜けた。

 そっと解放された手が、座り込んだアミナの膝に、ポトリと落ちた。涙も。ぼとりぼとりと、大きな粒が頬から転げて、ドレスに玉の模様を作る。


「今日は公爵家まで送ろう。それでお別れだ」


 ルーディウスが手を差し伸べようとした時だ。


「その必要はない、ルード」


 そう言って、この夜会で一番身分の高い人物が、豪奢な金髪を揺らしてふらりとバルコニーに出てきた。


「オルヴェルト殿下」

「それにしても」


 そこに立つだけで、夜が明るくなるかのような美貌と存在感。ルーディウスと並んで武勇の誉れ高い第一王子は、長い腕を伸ばし、手に持っていたグラスを、アミナの上で傾けた。

 はっと、ルーディウスが息を呑んだ。


「無様だな、アミナ。王子の一の騎士と婚約までして、少しは女ぶりをあげたかと期待したのに」


 言葉と一緒に、悪意と、ワインが、アミナに降り掛かった。金の髪も、気に入っていた夕焼け色のドレスも、白い手袋も、ワインで汚されていく。

 アミナは何が起こっているのかわからず、呆然とするしかない。


「いい女は引き際がいいはずだが、さすが、ものわかりの悪さは、聖女様というところか」


 そう言って、オルヴェルトはうっそりとした美しい笑みを浮かべた。

 冷淡な王子の、滅多に見ることのできない笑みではあったが、さすがにどの令嬢も反応ができない。

 静まり返った会場と庭に向かって、オルヴェルトは冷たい一瞥を与え、つと従者を呼ぶとグラスを渡し、自らはアミナの腕を掴んで立ち上がらせた。


「オルヴェルト殿下、私が」

「せっかく解放されたのだ、お前は夜会を楽しんでいけば良い。なに、丁重に家に帰すさ。なにしろ聖女様だ」


 そのまま抱えるようにして、その場からアミナを連れ去ったのだった。



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