呪われた王子様の花嫁になりました【コミカライズ】
「ルティアナ、あなた今日からヴィクトル王太子殿下の婚約者ね」
まさかの言葉に絶句した。その言葉を発した一歳上の姉、ユリウェナは上機嫌に笑みを浮かべている。
「もうこれは王家と我が家の決まりよ。あなたはすぐに荷物をまとめて王城に行ってちょうだい」
「そ、そんな、王太子殿下って……」
「口答えしないでちょーだい!」
お姉様がヒステリックに喚く。私は思わず口をつぐんだ。
「我がルーディール伯爵家が次期王妃を輩出したなんて本当に光栄なことだわ。まさか断るなんて言わないわよね?」
高飛車に言うお姉様に口答えなんてできるわけない。私はただただ謝罪の言葉を口にする。
「も、申し訳ご、ございません」
「謝罪が聞きたいんじゃなくってよ!」
バンッ。
お姉様が持っていた扇子を勢いよく閉じる。
「あなた、わかってる? 伯爵家に産まれながら王太子殿下の婚約者になれるだなんて幸運以外の何物でもないと」
「わ、わかっております」
あの王太子殿下じゃなければ、ね。
しかし、そんなこと言えるわけがない。私に許されているのは肯定の言葉だけ。
「わかっているならあなたがするべきことはただ一つよね?」
「……」
わかっている、わかっているけれど言葉にできなかった。
はぁ、とお姉様がため息をつく。そしてずいっと顔を私に近づける。息がかかる距離。香水の匂いが鼻につく。
「ねぇ、あんたのような出来損ないが既に決まった縁談を断るだなんて、身の程知らずだと思わないの?」
「……」
「そうやってすぐだんまりするのもほんと、気に入らないのよねぇ」
凄みのある低い声。きらびやかなドレスをまとい、派手な化粧をしているお姉様は十人すれ違えば十人ともが振り返るであろう美貌を持つ。笑えば大抵の男性を虜にする顔が、今は不愉快そうに歪められていた。
「とにかく、早く荷物をまとめて王城に行ってちょうだい。あぁ、そんなみすぼらしい格好じゃダメよ。お父様がお前のためにドレスを買ってくれたからそれを着ていくように」
自分の格好なんて見なくてもわかる。お姉様のお古を仕立て直して何年も使っているボロボロのドレス。さすがにこの格好で王城に行けば我が家の地位を貶めてしまう。だから珍しく私にドレスを買ったのだろう。
建前を気にする両親らしい、と内心で思わず苦笑する。
「あと、お父様もお母様もあなたの顔なんて見たくないそうだから、挨拶は不要よ。さっさと行っちゃってね〜」
「……わかりました」
これ以上抵抗してもしょうがない。いつだって私に選択肢はないのだから。
私の答えにお姉様は口元を歪めて笑った。
「せいぜい我が家のために犠牲になってちょうだい、この出来損ないちゃん」
耳元で囁かれた言葉は鋭い刃物のように私の心に突き刺さった。
***
お姉様がいなくなると、私は自分の物をカバンに詰めた。と言ってもほとんど物を持っていないから準備はすぐ終わった。
メイドが届けてくれた新品のドレスは三着。派手好きなお母様が選んだのだろう、ゴテゴテな派手なドレスばかりで正直着る気が起きない。だが、今の手持ちのドレスで王城に行くわけにもいかないから、その中でも一番落ち着いた色合いーーそれでも十分派手だがーーの物に袖を通す。
「なんて顔をしているのかしら」
鏡に映った自分を見て笑おうとしたが失敗した。まっすぐ下ろしているだけの黒髪、しているのかわからないくらい薄いメイク、私が着られているように見える派手なドレス。
片頬だけ笑っているいびつな表情は、全体的に不釣り合いな自分の姿に妙にあっていた。
「王太子殿下の婚約者……」
その言葉は私に絶望をもたらす。
「まだ死にたくない……」
王子様の婚約者なんて本当であればおとぎ話のようだ。女の子なら誰もが一度は夢見るだろう。
だが、ここは現実。おとぎ話のような、そんな夢物語は起こりっこない。
ヴィクトル・ファル・アイベリー王太子殿下……彼は冷たい無機質な白い仮面を被り、温度を感じさせない声音から多くの人に恐れられていた。
白い仮面を被っている理由は知られていない。醜い傷があるから、瞳が真っ赤で怪物のようだから、顔が醜いから。色々な噂が囁かれているが、確かな事実が一つだけあった。
ヴィクトル殿下の婚約者は皆死ぬ。
それだけは確かだった。殿下は私より八歳年上の二十三歳。王族、特に王太子ともなれば幼い頃から婚約者がいるのが当たり前だが、殿下には今まで婚約者がいなかった。正確には、いたが皆亡くなってしまったのだ。
政治的な争いに巻き込まれ命を狙われた者、馬車の事故に遭った者、流行病に罹った者。過去に三人の婚約者がいたが、どの令嬢も今や亡き人となっていた。
三人目の婚約者がなくなった頃から殿下が仮面をつけ始めたことも相まって広まった「ヴィクトル殿下の婚約者は皆死ぬ」という噂は国中に広まり、今や彼の婚約者に名乗りをあげる女性はいなくなっていた。
「だから私が婚約者になったのでしょうね」
乾いた笑い声が漏れる。お姉様も言った通り、伯爵家である我が家ーー正確には成金の我が家が王太子の婚約者になんて、普通であればなれるわけないのだ。
だが、王家からすれば婚約者がいない王太子なんて外聞が悪いから婚約者が欲しい。
我が家は王家との繋がりを強くしたいし、私であれば死んでもなんとも思わない、むしろ体のいい厄介払いになる。
双方の利益があった縁談であることは疑いようもなかった。
「でも、せっかくこの家から自由になったのだから最後まであがいてみせる」
私はそう決めて、馬車に乗り込んだ。
***
「す、すごい……」
王城につき、案内された部屋を見て驚く。何人入るのかわからないくらい大きい。狭い小さな部屋で過ごしてきた私からすると別世界だ。
しかも、ふかふかの赤い絨毯、手触りの良いクッションが置かれている大きなソファ、天蓋付きのベッドなど、センスの良い可愛らしい装飾がなされている。
クローゼットの中には驚くほどドレスやアクセサリーが入っていて、正直持って来る必要はなかった。
コンコン。
完全に部屋に意識を奪われていた私は、ノックの音にハッとする。
「私だ。入るぞ」
こちらの返事も聞かずに入ってきた人物を見て、心臓が止まりそうになった。
銀髪に白い仮面をかぶった男性。
ヴィクトル殿下だ。
「私の婚約者になったというのはそなたか」
「は、はい。ルティアナ・フォン・ルー……」
「良い。そなたのことに興味などない」
「なっ」
冷たい声に思わず黙る。
「そなたは婚約者のフリだけしてくれれば良い。それ以外は好きにしてくれ。妃教育も受けなくて良い」
「な、なぜですか?」
「そなたもわかっているだろう?」
あぁ、と納得する。この人の中で私はいずれ死ぬ人間なのだろう。
だから、何もしなくていいと言っているのだ。
「そなたには本当に申し訳ないと思っている」
静かに呟く。仮面の奥から覗く目は憐れみの色を浮かべていた。
苛立ちが沸き起こる。なぜこの人の中で私は死ぬ人になっているのだろうか。まだわからないのに。
噂はただの噂。
「お気遣いありがとうございます。ですが、そのような配慮は必要ありませんわ」
思った以上に冷たい言葉が出たことに驚く。
「何?」
「私は死ぬつもりは毛頭ありませんもの。妃教育も受けます」
殿下が目を見開く。驚いている気配が伝わってくる。ずっと自分のペースで話していた彼を動揺させられたことにかすかな優越感を抱く。
「……そうか。先生は手配しておこう。やめたくなったらすぐ言うように」
だが、それだけ言うとすっと部屋から出ていってしまった。
「王子様ってみんなあんな感じなのかしら……」
そうだとするならば、おとぎ話って残酷だなと思う。
そんな失礼なことを考えてしまった。
ああいう頓着しないところが冷酷無理と言われる所以なのだろうか。
「冷たいとは感じなかったけど。ただ、達観してる方だったわね……」
彼の態度を見て決めたことがある。
「絶対生きてやる」
家にいた時は死んでもいいと何回思ったかわからない。家族はみんな金髪碧眼なのに、私だけ黒髪に金の瞳だった。黒髪に金の瞳、それは両親が嫌っている亡き叔母と同じらしい。叔母にそっくりな私が疎ましいのか、気がつけば一人になっていた。
どうして。
どうして。
どうして。
何度そう思ったかわからない。気がつけば、それすら考えなくなっていた。
諦め。
こういうものだと、一生疎まれる人生なのだと思っていた。婚約者もできず、きっとずっと家で使用人同然に扱われて。
でも、こうして家族と離れて一時の自由を得たのだから。それがたとえ死ぬと言われている王太子殿下の婚約者であっても。
私は生きたい。
殿下の婚約者として、精一杯生きて家族を見返すんだ。
***
一週間後。
「王子様の婚約者ってこんなに大変なのね……」
私は早々に疲れていた。
朝早くに起こされて湯浴みをして、マッサージされて、メイクをされて、髪をセットされて、ドレスを着せられて……。
身支度だけで毎日相当な時間がかかる。いつも手早く準備をしていた私からすると考えられないことだった。
その後朝食を食べるとすぐに授業が始まる。姿勢やマナー、また貴族の家柄や王国の歴史などを習うのだが……
「背筋はまっすぐ!」
「笑顔で!」
「フラフラしない!」
姿勢やマナーの時点でダメ出しの嵐だ。まともな教育を受けてこなかったから当たり前である。
「あなたは未来の王妃なのです! しゃんとしてくださいませ!」
「は、はい!」
ヘトヘトになるに決まっていた。
今までは使用人のように扱われていたが、それでもここまで疲れたことはない。慣れぬことに精神はもうボロボロだった。
「こんなに大変だったのね……」
王太子殿下の婚約者ということをやっと実感した。
「そういえば、殿下はどうしていらっしゃるのかしら」
ここ一週間殿下と会っていないことを思い出す。私自身部屋から出ないからばったり会うということもない。
「きっと私のことなんて忘れていらっしゃるわね」
そう思うと婚約者であるということが悲しくなってくる。
「あーもう! そんなこと考えてもしょうがないでしょ!」
切り替える。昔から切り替えは早かった。早くないと生きていけなかったから。
「せっかく時間があるのだし庭園にでも行ってみようかしら」
窓から見える庭園は花が咲き乱れていて美しい。私は上着を着ると誘われるようにして庭園に出た。
初めて来る庭園には名も知らぬ花たちが美しく咲き乱れていた。
「とっても綺麗……」
庭園の奥に行くと、風で散ってしまったのだろうか、寒そうな見た目をした大木があった。地面にはその大木が散らしたのであろう花びらが敷き詰められ、ピンク色の絨毯が広がっている。
「花をつけている姿、見たかったな……」
そんな物思いにふけっていた時だった。
「おい、そこで何してる」
冷たい声が響く。ハッとして振り返ると殿下がいた。
「ご機嫌よう、殿下」
慌ててドレスの裾をもって頭をさげる。
「いいから答えろ」
射殺さんばかりの目が見つめてきて、体の芯が震える。私は頭を下げたまま声を絞り出した。
「き、綺麗だな、と見惚れておりました……」
「それだけか?」
「は、はい」
「桜の木を傷つけてはいないな?」
サクラ……? この木の名前だろうか?
「もちろんです」
「そうか。それならいい」
ホッとしたような雰囲気。目つきが和らぐ。
私はまだ震えていたが、意を決して尋ねた。
「この木はサクラの木、なのですか?」
「ああ」
彼はぶっきらぼうにそう言うと、どさっとサクラの木の下に座った。大木に寄りかかって上を眺めている様子は、仮面をつけているにも関わらず、なぜか恐ろしさを感じなかった。
だからだろうか、普段の自分ならありえないような行動に出たのは。
「隣に座ってもよろしいでしょうか」
「っ!? 勝手にしろ」
こちらにちらりとも視線をよこさない。だが、声音から微かに驚いたことが伝わってくる。
今まで、こうやって隣に座る人はいなかったのだろうか?
「殿下はこの場所によく来られるんですか?」
「時々な」
「サクラの木がお好きなのですか?」
「……」
黙り込んでしまう。
もしかして失言だったかしら……?
謝ろうとした時だった。
「そなたは私のことをどのくらい知っている?」
「えっ?」
急に投げかけられた質問に驚く。
しかも答えづらい質問……だが、これに答えなければ会話は繋がらない。この機会を逃せば二度と彼と話せなくなる気がした。
だから、恐る恐る告げる。
「噂のことは……少々」
「やっぱり知っているよな」
殿下が苦笑する。怒っている様子はなく、ホッと胸をなでおろした。
「以前婚約者がいたことも知っているか?」
「はい」
「最初の婚約者がこの木が好きでな。だから私もよくここに来るようになった」
思いもよらぬことに言葉に詰まる。
「そう、なんですね……」
それしか言えなかった。彼の苦労を私は知らないから。
「そなたは私のことが怖くないのか?」
不意に殿下がこちらを向く。まっすぐな瞳。白い仮面には木の影がちらついている。
「怖い、と思う時もあります」
「そうだよな」
「ですが、知りたいとも思います」
「知りたい?」
怪訝そうな眼差し。その眼を真剣に見つめ返す。
「はい。私は殿下のことが知りたいです」
「なぜ?」
「なぜかほっとけない、そう思ってしまったので」
私は思わず苦笑する。理由になっていない。
でも、これが本心だった。
なぜ彼が仮面をつけるようになったのか。
なぜ達観しているのか。
なぜそこまでこの木を大切に思っているのか。
知りたいことはいっぱいある。たった二回しか会ってないのに、彼のことが知りたくてたまらない。
「そなたは変わってるな」
「そうですか?」
「ああ。変人だ」
「女性にいう言葉じゃないですね」
「俺は思ったことを言っただけだ」
俺……もしかしたら今の姿が彼の本当の姿なのかしら。さっきまでずっと力が入っている様子だったのに、今は力を抜いてサクラの木に寄りかかっていた。
「そなたはなんでそう……」
「何か言いましたか?」
何か言われた気がして聞き返すが返事はなかった。
「もう……身勝手な方ね」
無意識に溢れる言葉。だが自分でも驚くほど明るかった。
って、なに本人の前で言ってるの私は!
まさかの失言。ようやく話せたのにこれで怒りを買ってしまえば……ぶるっと体が震える。
「で、殿下? 今のは別に他意はなくてですね……」
あわあわと言い訳しようとするがいい言い訳が思いつかない。
しかも殿下からは返事がない。もしかして本当に怒らせてしまった……?
と、その時だった。
すぅ……。
「うん?」
絶対に聞こえるはずのないものが聞こえてきて目をみはる。
「もしかして……」
殿下の眼の前に行って顔を覗き込む。すると……。
「本当に寝てた……」
びっくりする。殿下が寝息を立てて寝ていた。
その様子はリラックスしていて、見ているこちらが微笑ましくなる。
「お疲れだったのかしら」
仮面から覗く目の下には隈ができていた。
「しっかり寝ないとい体調崩してしまいますよ」
囁き声は届かない。
「このままここで寝たら風邪を引いてしまうわ」
夕方になっていて風も冷たくなっていた。私は考えた末に自分が持っていた上着をかけてあげる。
「誰かに言って部屋まで運んでもらいましょう」
私はそっとその場を離れた。
***
それから数日間、彼とは会わなかった。私自身、授業で忙しくしていて部屋から出ることがなかったからだ。
そんなある日のこと。
私は心身ともにボロボロになっていた。
「もう無理……」
思わず弱音がとびだず。次から次へと新しいことを習うために夜遅くまで復習する日々が続いて寝不足になっていたし、ダメ出しの嵐でもしかして自分は令嬢に相応しくないのではないかと思い悩んでいた。
「とりあえず着替えてもいいかしら……」
本当はダメだろうけど、ドレスが重くて辛い。久々に身軽になりたくて、持ってきていたお古のドレスを取り出した。
恐々着ているドレスを脱ぐ。
「これ破いたらまずいわよね……絶対高いもの……」
ここでまた疲れながらなんとか脱ぐことに成功すると、着慣れたお古のドレスにパパッと着替えた。
そしてふかふかのソファにダイブする。貴族令嬢にあるまじき姿だが、このソファを一目見た時からしたくてしょうがなかったのだ。
そんな絶対に人に見られるわけにいかない時に限って人は来る。
コンコン。
ノックの音に飛び起きる。
「ど、どうしよう、この格好で人に会うわけには……」
「入るぞ」
オロオロしていると相手は返事を待たずに入ってきた。声音から誰かわかる。最悪だ。
「……」
入ってきた殿下は思わずと言ったように黙り込んだ。
「あ、この格好は、えと……」
「その格好はどうしたんだ?」
強い口調に思わず黙り込む。本当のことを言うわけにはいかない、自分が出来損ないと虐げられていただなんて。
「答えられないのか?」
「……はい」
「そうか」
彼の声音は冷たい。あのリラックスしていた様子が嘘みたいだ。
「まぁいい、調べればすぐにわかるしな」
「それだけは!」
思わず大きな声が出る。彼が驚いたように目を見開いた。
「調べられたらまずいのか?」
「っ……はい」
「何故だ?」
「私のせいで家が調べられたりしたら、私は、私はっ……」
殺されるだろう。その言葉は声にならかった。
言えるわけがない。後ろ暗いところが多い我が家のことだ。調べられればきっとタダでは済まない。それなのに、私のせいで調べられたなんてわかったらきっと殺される。
そんなこと、言えるわけがなかった。
「はぁ、わかったから泣くな」
「えっ……」
彼がぶっきらぼうにハンカチを差し出してくる。その時初めて、私は自分が泣いていることに気がついた。
「あ、ありがとうございます……」
ハンカチを受け取って涙を拭く。彼の心遣いにじんわりと心が温かくなった。
「とりあえず家のことは聞かなかったことにしてやる。だから、そんなに不安そうな顔をするな」
「はい……」
ホッとする。涙が収まるまで彼はそばにいてくれた。
しかし、私は彼が何か考え事をしていたことに気づいていなかった。
3日後。
私は私は謁見の間の扉の前にいた。
なぜなら……。
「ルティアナ様、王太子殿下がお呼びです。朝食後、すぐに謁見の間に来るようにと」
朝起きて一番に告げられた言葉。初めての経験に心臓が潰れそうだ。
「何を言われるのかしら……」
震える両手を握りしめて、謁見の間に入る。と、そこには……。
「ルティアナ、よく来たね」
「で、殿下……なぜお父様達が……」
そう、そこにはもう絶対に会いたくないと思っていた家族がいた。
殿下が呼ぶのに従い近くまで行くと家族の向かい側、殿下の隣の席を引いて座らせてくれる。本当はエスコートしてくれたことに喜ぶべきなのだろうがそれどころではなかった。
「せっかく君が婚約者となってくれたことだし、伯爵にも仲睦まじくやっていることを伝えておくべきだと思ってね」
殿下が何を言っているかわからない。仲睦まじく? まだ三回しか会ったことないのに?
しかし、そんな疑問は呑み込まざるを得なかった。
なぜなら、殿下の目が余計なことを言うな、と訴えかけていたからだ。
「そ、そうなのですね」
「あぁ。ほら、この通り仲良くやっている。妃教育も順調らしい。そうだよな?」
「は、はい」
なぜこんなやり取りをしているのかわからない。動揺した表情を見せないよう必死だった。
「それは良かったです。この出来損な……いや、この娘は昔から要領が悪かったので、しっかり出来ているか心配だったのです」
お父様がにこやかに告げる。思わず鳥肌が立った。
「この子が殿下のところでうまくやっているようで良かったですわ」
お母様も他の人が見れば絶対にそんなこと思っていないとわかる笑みを浮かべている。
そんな気持ち悪い笑みを浮かべている両親と対照的に、お姉様はイラついているようだった。
殿下は気づいているようだがあえてスルーして両親に話しかける。
「それで、すぐに挙式をしようと思っているんだが、そなたらも賛成してくれるかな?」
「ええ! もちろんですとも!」
「この子が早く結婚できるなんて幸運なことですわ!」
お父様もお母様も即答する。でもちょっと待って。そんなこと聞いてないのだけど……!
「で、殿下……?」
こわばった笑みを浮かべて問いかけると、殿下が肩を抱いてくる。
「もう少しだけ待ってくれ」
耳元で家族には聞こえないように囁かれる。私はかすかに頷くしかない。
「結婚すればもうあまり会えなくなってしまうだろう。だから今のうちに親子水入らずで話して欲しくてな」
「おお! 粋な計らいをありがとうございます!」
ま、待って……私をこの場においていかないで……!
「私は席をはずす。ゆっくりしていってくれ」
「で、殿下っ……!」
「ルティアナもまた後でな」
私の意思も聞かずに殿下は出て行ってしまった。まさかのことに呆然とするしかない。
殿下が出て行った途端、両親はいつもの笑みを浮かべる。見下すような笑み。急に家にいた時の自分に戻ってしまったような心地がした。
「うまくやっているようだな」
「は、はい……」
「出来損ないのあなたが殿下にあんなに気に入られるなんて予想外だったわぁ」
お母様の言葉に俯くしかない。
「家だとあんなに使えなかったのに、ね」
家だといつもミスばかりしてしまっていた。お茶を入れる時も掃除する時も。
そう、本当に出来損ないだったのだ。
「いつ殿下に愛想尽かされるかしらね?」
「そ、そんなこと……」
お姉様の言葉に息がつまる。反論しようとしても言葉が出てこない。
「出来損ないってバレたら殿下も愛想尽かすと思うけど? あ、その前に死んじゃうか」
「ほらほら、やめなさいユリウェナ。いくら出来損ないでも死んだらかわいそうだろう?」
お姉様が軽口を叩くように言い、お父様がなんとも思っていないような口調でたしなめる。イラついた様子から一転、楽しそうな笑みを浮かべていた。
「そ、そんなのわからな……っ!?」
「あんたみたいな出来損ない、早く死んじゃえばいいのよ」
急に顔を近づけてきたお姉さまに胸元を掴まれて引き寄せられる。家を追い出された時よりも低く暗い声に恐怖を覚える。
だがそれ以前に、首が締まり意識が遠のき始めていた
く、苦しい……。
意識を失いそうになったその時。
バタンっ。
大きな音が響く。その音ともにパッと手が離されて私は放り出された。
「キャァ! 何するの!?」
「やめろっ、離せ!」
「嫌! お父様、お母様、助けて!」
大量の足音が謁見の間になだれ込んでくるとともに、家族の悲鳴が聞こえた。何が起こっているのだろうか? 目の前を光がちらついてよく見えない。
「ゲホッゲホッ」
咳き込みながらも混乱していると、誰かが駆け寄ってくる気配がした。
「大丈夫か!?」
咳き込みながらも頷く。
ーーこんな切羽詰まった殿下の声、初めて聞いた。
そんな関係ないことを考えていると、そうっと抱き上げられた。
「で、殿下……!?」
「いいから、黙って寝てろ」
「で、ですが……」
「伯爵たちは捕縛した。もう安心していい」
ようやく見えるようになった目で周りを見ると、多くの騎士に取り囲まれて両腕を縛られている家族の姿が目に入った。
「な、何が……」
私のその問いには答えず、殿下は家族をーー主にお姉様をーー睨みつける。
「そなたたちを私の婚約者に対する侮辱罪、および殺人未遂の罪で逮捕する!」
「な、なぜですか!?」
お父様が叫ぶ。
「わからないのか? ルティアナは私の婚約者だ。彼女を侮辱することは私を侮辱することに他ならない」
全て聞かれていたことに驚くしかない。お父様とお母様は黙ってしまった。全て聞かれていたならどんな言い訳も通用しないとわかっているからだろう。
だが、お姉様はわかっていないのか殿下を力一杯睨みつける。
「出来損ないに出来損ないといって何が悪いんですの!」
「彼女は出来損ないじゃない。それにそなたの場合殺人未遂の罪も追加されるからな」
「その出来損ないはどうせ死ぬ身じゃありませんか!」
その場が凍る。
しかし、殿下は気にした様子もなくいった。
「彼女は死なない」
「嘘ですそんなの! 殿下の婚約者は皆死ぬと噂されていますわ!」
「噂は噂だ。それにこれから裁かれるお前には関係ない話だ」
「くっ……なんで!」
お姉様の言葉に殿下が怪訝な顔をする。
「なんでその出来損ないを庇われるのです!?」
「彼女は出来損ないなんかじゃない。そなたらに虐げられても彼女はまっすぐだ。家族を虐げて笑みを浮かべるようなそなたらと一緒にするな」
お姉様は殿下の言葉にぐっと唇を噛む。口のはしから血が流れた。
「やっと静かになったな」
殿下は呆れたように首を振る。その言葉が癪に触ったのだろうか、お姉さまが私をぐっと睨みつけた。
「出来損ないは出来損ないらしく野垂れ死ねばいいのよ! あんたは私の引き立て役であればいいのよ! 私より目立つなんて許さない!」
ヒステリックに叫ぶ。あぁそうか、と気づく。
お姉様にとって私は、
ーー家族ですらなかったんだな。
傷つくかと思ったが、その事実はむしろ私を安心させた。
ーー憎んでもいいんだ。
家族だから、そう思って憎まないようにしてきた。どんなにひどいことされても家族だから、そう思って我慢してきた。憎んでしまいそうになる度にぐっと堪えていた。
でも、家族じゃないなら、家族と思われてなかったら心置き無く憎むことができる。
「何をいっても無駄か。その女を連れて……」
「待ってください!」
私は思わず止めていた。殿下が見つめてくる。降ろして欲しいという思いを込めて殿下を見ると一瞬ためらった表情を浮かべるが、やがてそっと降ろしてくれた。
支えてくれようとするが首を振って自分の力でまっすぐ立つ。
「お姉様。いいえ、ユリウェナ嬢」
「な、何よ」
私の気迫に押されたのか、少し顔を引きつらせる。
「私は出来損ないでも、あなたの引き立て役でもありませんわ。ヴィクトル殿下の婚約者です。口を慎みなさい」
「なっ……!」
「私はあなたを姉だと思っていました。でも、そうではなかったようなので、私ももう我慢するのはやめます」
「調子に乗るのもいい加減に……」
「それはあなたですよ」
彼女の目を見つめる。
「私はあなたのせいで死ぬところだったのです。だから、あなたには正当な裁きを受けてもらいますわ」
「あ、あぁ……」
私の言葉に彼女は絶望の表情を浮かべる。自分より下だと思っていた私に言われたことが相当苦痛だったようだ。
私は静かに告げる。
「連れていってください」
『はっ』
騎士達が三人を連れて行く様子を見守る。
やっと終わった。そんな感慨とともに気が抜けたのか倒れそうになる。
「大丈夫か? すまない、彼らが何か罪を犯しているのはそなたの様子からわかったのだが、こういう方法を取らないとそなたに危険が及びそうで……」
優しく抱きとめてくれたのは殿下だった。彼にはあの時動揺した理由が見抜かれていたらしい。心配そうな瞳に向かって私は笑みを浮かべた。
「大丈夫ですわ。だいたい察していましたし。むしろ、ありがとうございます」
「それならいいんだが……」
そんなことよりも聞きたいことがある。
「それより、さっきのお話はなんだったのですか? 結婚とは……?」
「嫌か……?」
「そ、そんなことありませんが……」
悲しそうな表情を浮かべてくる彼に首を振るしかない。
な、なんでそんな目で見るの……? 私のことなんて興味ないと言っていたのに……。
「な、なぜ唐突にそんな話に……?」
「なぜ? それは俺がそなたのことを好きになってしまったからに決まっているだろう?」
「はい!?」
思いもよらぬ言葉に変な声が出る。ちょ、ちょっと待って、一体、何があったの……!?
私の反応に殿下が恥ずかしそうにそっぽを向く。仮面をつけている殿下の気持ちがわかるなんて、私も慣れたものね……。
「桜の木の下で『知りたい』と言ってくれたのが嬉しかったんだ……それにそなたが泣いた時、どうしてもそなたの泣き顔は見たくないと思った。そなたを守りたいって」
まっすぐな言葉に頬が熱を持つ。
「う、嬉しいですが……最初はあんなにも私が死ぬような話し方をなさったではありませんか」
「あぁ、それは……」
殿下は躊躇したが、一瞬後、意を決したように告げた。
「俺は呪われている。俺の婚約者は皆死んでしまう。だから、諦めていたんだ。きっとそなたも死んでしまう、と」
「そんな……」
「愛するのが怖かったんだ。また死んでしまったら俺は立ち直れないから。この仮面だって誰かが俺を好きになることがないようにつけているんだ。幼い頃から女性から好かれやすかったから、万が一俺のことを好きになってしまう者がいないように。万が一好きになって婚約者になろうとしないように」
殿下の言葉に胸が痛くなる。今まで彼はどのような気持ちで婚約者の死と向き合ってきたのだろうか。
でも、と続ける。同時に彼は仮面を外していた。
整った彫りの深い顔立ちが露わになる。大きくて力をたたえた緑色の瞳が私を射抜いた。
「でも、そなたを愛してしまった。だから」
ーー絶対守り抜くよ。
その言葉に私は頷くしかない。初めて見た彼の顔に満面の笑みが浮かぶ。その笑みに心臓が高鳴った。
なんか自分ばかりドキドキさせられて悔しくなってしまった。だから仕返しに背伸びをして彼の耳に囁く。
「大丈夫ですよ、殿下。さっきだって危なかったけれど、殿下のおかげでこうやって生きています」
ーーだから、きっと私は死にません。
私の言葉にハッとした表情になる。
「ずっと殿下のお側にいますね」
「あぁ。俺も絶対そなたを守り抜いてみせる」
もしかしたらこの先、たくさんの危険が待ち受けているかもしれない。
でも、私はずっと彼と一緒にいたい。彼が私を家族から救ってくれたように、私も彼の助けになりたい。
新たな決意を胸に、私は今までで一番の笑みを浮かべたのだった。
みなさんお久しぶりです、そして初めまして、美原風香です。読んでくださりありがとうございました!
前回に引き続き異世界恋愛に挑戦しました。二回目、ということでまだまだ悪戦苦闘しながらの挑戦になりましたが、自信持ってお勧めできる一作になったかな、と思います。
「面白かった」「続きが読みたい」そう思ってくださったら☆☆☆☆☆を★★★★★にしてくださると嬉しいです!
感想、お待ちしています!
また、1月24日から異世界ファンタジーの投稿を始めました。ぜひそちらも読んでいただけると嬉しいです!
「元最強執事の迷宮攻略記〈ダンジョン・ノート〉〜転職したら悠々自適な冒険者ライフを……迎えられなかった!?〜」
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