六話
直葉は快眠できたことに驚きを隠せなかった。魔力多寡症の苦痛から逃れる為に昼間も寝ていた為に夜にぐっすり眠れることは無かったのである。
前世の病院勤務は激務であったために休日以外でこれほど心地よく寝れたのは数年ぶりであった。
リーファに転生してからは寝たら目が覚めないんでないかと言う思いが頭を離れなかったのと同時に元の体に戻れるのではないかという幻想を抱いていたが、その幻想も同時に砕け散ったのである。
何故が握らされていた石から体内の力が抜かれていることに気付いた。お世辞にも裕福であるとは言えない今世の家計事情ではこの石を手に入れるだけで相当な負担になったのだろうと直葉は思った。
あれだけ重かった体が軽くなっているということは魔力が暴走する原因の根本的な解決が出来たのだろうと予測する一方でアレクがどれだけの対価を払ったのかと考えると頭を悩ませることになる。
外部要因として魔力とらしき力を吸い続けているこの石の存在も気になるが粗末なベットの傍らで満足そうに寝ている今世の両親のことも気になるのだ。
果たして前世の記憶があると説明しても納得されるだろうか。直葉が生きていた時代であったのなら親は子を精神科へ連れて行こうとするだろう。
もし近代以前であったのであれば悪魔祓いをしようと考えるかも知れない。魔女狩りとなるかどうかは両親次第であるだろうが、良い方向に行くとは思えない。
自力で魔力操作を習得し症状を改善しようとしていたのでアレクがその手段を持ち帰ったこと自体は喜ばしいことだったが楽観も出来ないのである。
前世の直葉は右利きであり、リーファとなった今でも右利きであるが左手の違和感が拭えず確認されたところ以前にはなかったタトゥーに見える紋様が浮かび上がっていた。
この世界の一般常識はまだ怪しいところが多いが少なくとも寝ていて突然、浮かび上がる様なものではないと理解している。
ただ、自身の体の状態を知る為に便利なゲーム的システム【ステータス】はどうやっても表示されることは無かったのだ。そして、村の中で生活魔法を除いたスキルを使うものはほとんどいない。それは開拓村であるココナシ村でも変わらない。
体の様子を観察していると左手からは魔力を石に吸われる感覚はあるが右手ではない。
心臓がポンプとなり、血流に乗せて魔力を循環させるイメージで魔闘術の纏体が出来る様になる前段階まで来ているのは驚異的なことであった。
スキルを習得するのには恐ろしく時間がかかる。そしていくら努力したとしても才能がなければ剣を振っていたとしても得られないのが【剣術】である。
まだ十歳の時に行われる聖別の儀を受けていない為に初期職もギフトも与えられていない。
ギフトはその者に一番あったスキルを与えるもので等級な職と同じで初級から神級まである。当たりギフトと呼ばれるものは上級からであり、初級でも鍛冶師の家系に生まれたのであれば鍛治は重宝されるが将来なりたい職と全く関係のないジョブとスキルが与えられた場合は悩むことになる。
転職の神官が与える最初の祝福が初期職とスキルであるが、ジョブとスキルには相関関係があるとされている。
弓士に罠解除や罠設置のスキルが与えられたとしても、弓士に剣術のスキルが与えられることはほとんどない。
弓士でも近接戦を行う場面があるために全く有り得ないという訳ではないがその場合、初期職として与えられるのは剣士である場合が殆どである。
そして、上級神官が与えられるのは上級スキルまでであるというのが通説である。実際の所は上級神官が与えたスキルを理解できるのは上級までであるということだ。
スキルも等級が上がるほどに強力なものになっていく。もし初級【気配察知】と初級【気配遮断】が全く同じタイミングで発動された場合、隠れた姿を看破できるかはスキル発動者の経験とスキル熟練度次第である。
中級気配察知と初級気配遮断であれば高確率で発見できるだろうが、他の環境条件もあるために必ず発見できるとは断言できないのである。
本来の直葉のスキルであれば葉の数はもっと多いはずであった。地球の神とミッドガルドの神が関与しているのだ。
上級スキルに目覚めたとしても不思議でなく、現状の直葉の能力が一つ葉分しか解放されていない事を示している。竜紋であるが直葉のスキルの本質は竜騎士やテイマーではないのだ。
人と竜の絆を分かりやすくするための紋であるが竜紋自体も竜騎士やテイマーのスキルの一部でしかない。
剣士が剣術スキルを発揮する度にスキル紋が浮かび上がることもないしスキル紋で戦闘能力が推測されてしまうのは大きなデメリットである。
スキル紋は特定職で自然と刻まれてしまうものであり、手のひらや肩、胸などに刻まれることが多いがなぜその場所に刻まれるのかは良くは分かっていないのだ。
転職の神官ですら場所は選べないし、聖竜王国では誇示すべき竜紋が普段は見えにくいところに刻まれてしまうことも良くあることだ。
スキル紋は魔力や気を源にして構成されている為に熟練した使い手であれば完全に隠すことは不可能だが、見えにくくくることは可能である。
そもそも見えにくい場所に刻まれることもあり、服や装飾品で隠しているものもいる。ジョブ【盗賊】は所有者が犯罪者でない場合の方が多い。
しかし、ジョブによっては差別の対象となり得る。冒険者なら索敵から罠の解除まで冒険に役立つスキルを持つが、それが商店の店員だった場合、印象は変わるだろう。
余程の信頼がない限りは勤め先を探すのも困難で初期職を変更するのにも大金がかかる。
転職の神官が与える初期職は神の選んだ神聖な職という認識が強い為に、他の基本職への転職は上級職への転職より高いのだ。
スキル紋は平民にも広く認識されているために直葉の左手を見られた場合、厄介な事になる可能性は高い。聖別の儀で最初のスキルに覚醒する場合が大半であるが、中には十歳より先に取得する者もいる。
自分の名前すら書くのが覚束無い農民がいる一方で商家に生まれれば読み書き計算、そして規模によっては貴族の儀礼に精通してなければならないため生まれによって得られる知識の差というのが大きい世界なのだ。
支配者階級からしてみれば学がない方が支配がし易いのだ。領民は貴族の資産という考えもあるために領地の外に出たこともなく生まれては死んでいく農民は多い。
唯一の例外は商人と冒険者だろうか。生産地からあまり離れた距離に生鮮食品を輸送する技術は栄えていないとは言え、産地産消にも限界はある。
パンや燃料となる薪や魔石にはその国独自で決めた公定価格が存在するが商売の基本は安く仕入れ高く売ることにあるのだ。
冒険者に関しては国に属さない機関、冒険者ギルドの意向も強く反映されている。
国軍や領主軍で全ての魔物を排除する実力があり、実行できるのであれば良いが現実は民間戦力である冒険者の力を借りなければ難しいのである。
国と冒険者ギルド本部が取り決めた通行に関する規定だと領外への通行に関してはCランク以上、国外への通行に関してはBランク以上という制約はあるが犯罪者でもない限り通行を制限することが出来ないのだ。
元Cランク冒険者が行商となって成功することもある。数は力ではあるが移動に困難が付きまとい護衛依頼の経費が商品価格に反映するために価格が高い。
元冒険者であれば有力パーティやクランに伝手がある場合もあるし護衛依頼専任のパーティもいる。盗賊など質より数で対抗した方が良い場合もあるために全く護衛が必要なくなるわけではないが現役時代に高価なアイテムボックスを手に入れていれば身一つで逃げることも可能であるために商機はいくらでもあるのだ。
ただ国内の商売に関しては商人ギルドに加入する必要があるために確実に儲かると言うものでもない。
直下の問題はこのスキル紋をどう隠すかと尚、継続して吸われ続けている魔力をどう止めるかである。
小説だと魔力は体を維持する為に必要なもので失い過ぎると気絶するものや体に不調を起こすというものである。そして、魔力を吸うこの石の存在が分からなければ対処がし辛い性質のものだ。
石が魔力を保存もしくは過剰な魔力を体外に放出するだけなら問題解決策は手を離せば良いだけだ。
だが、完全に無視しているが、頭の中に響く様な声は魔力をもっと欲しいと訴えている。
この石の存在と声は無関係ではないだろうし、スキル紋と直感で理解したタトゥー。この事実が実に厄介事の匂いをぷんぷんさせているのだ。
貴族の庇護下という都合の良い言い訳で使い潰される未来や未だ本心からは親だと思えないが症状改善の為に奔走してくれた今世の両親。
まだリーファとして生きていく自信はない。だが、この世界にも父アレクが居て母ナタニアが居る。もし、二人に何かあったときには直葉は禁忌とされていても自分が前世で得た外科手術と薬学の知識を総動員してでも二人を救う為に奔走するだろう。
いまなお、頭の中に直接、声をかけてくる謎の生物とも良きパートナーになれるように努力しよう。
その為にもスキルとこの魔力と言う力を理解し使いこなす努力をしようと。この日、本当の意味で直葉は生まれ変わったのだ。しかしそれには困難が付きまとうことはこの時点では知らない。
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娘の様子がおかしいことに母ナタニアは気付いていた。原因不明の高熱で普段とは異なる状況とはいえ、お腹を痛めて産んだ子だ。
そして、この世界では安定期とされる五歳を過ぎたとは言え幼児死亡率が高い為に普通であれば予備として最低でも三人位の子を産むのが一般的であった。子は生活がきつくなれば奴隷商に売るものだと考えている農民は多い。
特に働き手とならない女の子は家督を継げないし、男の子に比べると労働力にもならないからだ。
奴隷商と言っても国家公認であり、十五になれば平民としての地位を取り戻すために賃金の前払いの性質が強い。
最低二食の食事を与える必要と最低限の賃金と寝床さえ用意すれば扱いは酷いものである。本人が了承しない限りは性交渉はないが、粗末な食事で重労働につかされることになる。
奴隷を購入したのが貴族であった場合、教育を受けられる機会もあるが、領内の警察権・司法権は貴族家当主が握っているために生きて奴隷解放されない可能性も高くなるのだ。
領民にとって見た事もない国王よりも自分達の生活に直接影響がある貴族家当主とその継嗣への関心が高い。
貴族の子弟に気に入られたが故に婚約者や夫と家族から引き離されて貴族の妾としての生活を強いられることもあるのだ。
王家の力が強くまた賢王が施政を行っていれば悲劇も減るが、この国の基本は長子が家督を引き継ぐ。王家も貴族家も人の子であるために資質が高い名君もいれば自堕落に生き国内を混乱させる暴君も生まれてしまうのだ。
王位継承権は王家の長子の順につけられるが継承権は男児にしか与えられない。王家の血を残す為に四公家に降嫁した元女王の男児に認められることもあるが継承順位は低く基本的に公爵家の当主として王家を補佐する臣民となる。
夫アレクが狩人をしている為に家を残そうという意思は夫妻には殆どなかった。
農家の中には次女以降を性別が判明した時点で殺してしまうこともあったが、二人にはそのつもりはない。ただ、リーファに弟か妹が居ても良いかなとは思っている。
アレク以外にも狩人は居るが身体能力が低い分だけ獲物が捕れない日もある。アレクは自分達が貧しくとも狩人仲間に獲物を譲ることもあるために狩人の纏め役となっている。
ナタニアが望むのは家族が飢えずに生活できるだけの収入であって高望みなどしていない。ナタニアは過去に奴隷として働いた経験があるのだ。
宿屋の主人は安価な労働力を探しており、条件が一致した。街での生活は辛いことも多かったが街で生活するのは農民であれば誰もが一度は望むことであった。
人頭税は村よりも高く他にも多くの税金が取られるが街は村よりも安全であった。
今の生活が気に入っているために村から出るつもりはなかったがやはり夫アレクが狩りに出る日は無事を主神と聖竜に祈るのだ。
アレクも無事に帰ってきた。そしてリーファも危機を脱した。
ナタニアはリーファの看病をしながら祈っていた為に疲れて遅くまで寝てしまったが、娘リーファの元気そうな姿を見たことで笑顔になった。