四話
アレクは急いで村へと移動した。警戒は最小限に。食糧も手元に一日分を残して聖竜に渡してしまった。荷物は少ない方が疲労も抑えられるし、聖竜も人の食事に興味があるみたいであった。
アレクは気付かなかったが、聖竜はアレクが寝ている間、結界を張って守護していた。これは破格の待遇でもあった。
盟約により、属性竜達は人の遭難者を無事に麓まで届けてくれることもあったが、それは竜の気まぐれによるものだ。
遭遇の時点では知性ある属性竜なのかは分からないし、人に害を与える竜であれば冒険者によって討伐されることもある。
竜騎士が派遣されることもあるが、互いを尊敬し共存していくことを国是としている聖竜王国で討伐されるのは大抵がワイバーンであり群れに街が襲われるくらいでないと中々、竜騎士団に出撃許可が下りることはないのだ。
アレクは聖竜に託された石を見つめているが、魔力は込めない。これがもし竜の卵であるなら主人となる者以外の魔力は極力さけるべきであるからだ。
図鑑にも卵の絵が残っているが、これはただの石と言われてしまえば納得してしまうくらいには何処にでも有りそうなありふれたものであった。
【鑑定士】や鑑定の魔法が込められた魔導具であれば詳細を知ることが出来たかも知れないが他人の魔力が込められてしまうという点は解決されておらず、何故これを託されたのかも不明だった。
アレクが知る限りでは血縁者に貴族に連なる者はいないごく普通の農民の家系であった筈だ。妻ナタニアの家系も幼なじみであり、過去を調べたことがないために居たとしても商人くらいだろう。
身分制度があるこの世界では貴族であると騙るだけでかなりの重罪である。御用商人になれるだけの財力のある大商人であれば没落した貴族の当主に娘を送り込んで姻戚関係を結ぶこともあるだろう。
それだけの財力があれば辺境の開拓村などで農作業を両親がする必要はなかっただろう。
アレクが生かされたのも娘リーファが居たからだろうと推測していた。ごく普通の村娘でしか無いはずだが、聖竜が関心を抱いたのはリーファのことであった。
何故か容姿も知っていたことからアレクは自分の記憶が覗かれた可能性を感じていた。どれほどの力があればその様なことが出来るのかはアレクには分からない。
少なくともそんな能力は人の限界を超えてしまっている。アレクは直接、戦争に参加した経験はないが、護衛依頼で盗賊と戦ったことはある。
盗賊達を根絶やしする為に拷問を行ったこともあるが、聖竜の能力があればその必要すらない。魔力か気かは判断が出来なかったが、あの聖竜は個人の認識にも利用しているらしい。
懐かしい気配がしたのが聖竜がアレクが夜営したあの洞窟を訪れた理由であり、結界を張ってまで起きるのを待った理由であるらしかった。
【調教師】は竜騎士と異なり竜以外とも契約できる職であり、契約紋が体に刻まれるのも同様である。
力を認めさせることで従属させる【調伏】、触れ合うことによって親和性を高める【同調】、一定の条件の元で助力を得られる【契約】。テイマーと従魔の力関係を示しているが、竜騎士達が行うのは同調または契約である。
調伏は属性竜に行うには難易度が高すぎるだろう。単騎同士で戦い認められなければ竜を調伏することは出来ない。
ワイバーンであれば可能な者もいるだろうが自分で戦った方が強いためにわざわざ竜騎士に転職する必要がないのだ。戦士→騎士→竜騎士と至るのが転職の神官がいう職ツリーなるものの正統派系らしい。
竜騎士が上位職であることは間違いなく。万能ではあるが、器用貧乏な戦士になるのは騎士を目指す平民くらいである。
貴族には平民には秘匿されている転職方法があるらしく中級職である騎士に他の初級職からも転職することが出来るらしいがそれもあくまでも噂である。職について公開されていることは少ない。
十歳の時に与えられるギフトによって初期職が決まるらしいがそれも無意識下で選択しているのではないかとされているが不明だ。初期職も必ずしも初級職でないと言うのが学者間での議論になっているのだ。
神職者の中でも様々な議論が行われているが、神の為すことであり、人智の及ばないことがあるのは仕方がないことであるとされている。
大半の人はそれまでの経験に則したスキルと職が与えられる。例外があるとすれば鍛冶師の家系であれば家業にしている【鍛治】のスキルが与えられやすい傾向にあるということだろうか。
かと言って本人がいくら望んでも剣士の才能がないものに剣術が与えられることはない。特徴的な白い鱗からアレクが出会った竜は聖竜であることを疑ってはいない。
だが、何故リーファに聖竜が興味を示したのかはアレクも気になるところである。娘には平凡でも幸せな人生を歩んで欲しいと願うのは親として当然のことである。
アレクも竜騎士として激動の人生を望んだこともあったが、今の猟師としての生活を気に入っている。アレクはリーファの体調が悪くならなければ距離のある竜峰を訪れることはなかっただろう。
また時期が冬でなければ普段、狩りをしている森でグリーンリーフを採取して村の薬師に調剤を頼んでいただろう。
世の中には逆らうことの出来ない大きな流れがあり、人一人の小さな運命はその激流に簡単に飲み込まれてしまうのだ。ただ親として出来ることならなるべくしてやりたいともアレクは思った。
娘リーファが過酷な運命を歩むなら親として自立するまでの防波堤くらいにはなってやるのが親の使命だろう。決意を胸に家族の元まで急ぐのであった。
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体の中を暴れ回る魔力を制御する術をまだ習得していない直葉であったが、リーファであることを徐々に受け入れ始めていた。
直葉としての人生を歩みたくとも既に肉体は失われている。そしてあくまでもリーファの体を直葉が乗っ取ったわけではないこともこの四日間で理解したのである。
まだリーファとして生きていくことに納得できた訳では無いがごねたからといって現状が良くなるわけが無い。
それならば徐々に受け入れていき生きていくしかないのだと考えただけである。
地球の知識は完全ではないものの直葉の頭の中にある。研修医になる前に少し読んだことがあった異世界転生物にありがちな知識チートはできなくとも医学の知識に関しては経験が生きることになるだろう。
魔力操作まではいかないが魔力が心臓を経由して全身へと巡っているイメージをすることによってリーファの体に馴染んできていることを実感している。
人は心臓がポンプの役割を果たし、活動するのに失われてはならない重要な器官である。そして人が死亡したときに遺体を回収する余裕がない時には心臓から【魂石】なる魔力のかたまりを回収して故人を偲ぶらしい。
魔臓があるかはまだ定かではないが、地球世界なら人が亡くなって魂石が出来るなど聞いたこともない。この世界ミッドガルドは魔法がある世界でそういうものなのだと納得するしかない。
体が自由に動かせる訳でない為に様々な実験をしたくとも自由にできないのが直葉を少し苛立たせていた。直葉、自身は食にこだわりはないほうだった。
体に悪いと理解しつつも簡単に食べられるコンビニで購入したおにぎりなどを主食にしていた。収入は人並みにはあったために病院そばにあるクリーニング店で洗濯を済ませ家事をなるべくしないで済む環境にあった。
激務で疲れた体で自分で食事を作る気にはなれず外食で済ますことが多かったが調理自体は嫌いでなかった。ただ時間が無かっただけなのである。
そして、遂にアレクが帰って来た。手にしている石を見てナタニアはがっかりしたようだった。
薬師の作る回復薬が作れないと悟ったからである。狩人をし、気休め程度の畑を耕して生活する村人ではBランク以上の冒険者に依頼を出す事など出来ない。
冬の竜峰はただでさえ危険で金銭的な余裕があるBランク冒険者は冬に依頼を受ける必要がない。Eランク以下であれば冬でも街中で雑用の仕事をしなくては生きていけないが、ベテランの域に達したBランク冒険者には必要がないからだ。
アレクも現在は獣相手の狩りとはいえ、元Cランク冒険者である。比較的安全に狩りを出来るのは魔物を倒してきたことで身体能力が上がっているからである。
普通の狩人であれば持って帰れない巨体な獲物もアレクであれば持ち帰れるのである。
様々な理由で魔物の肉を食べない者が多い聖竜王国ではあるが、アレクが狩ってくる肉はココナシ村では貴重なタンパク質であった。本来では向かないが野鳥の羽も弓矢の貴重な道具になる。
鏃が弓の攻撃力を左右するために村の鍛冶師に依頼しているが、肉を渡せば格安で引き受けてくれるのである。鍛冶場を借りれば鏃をアレクも作れたがどうしても本職には劣ってしまうのだ。
ナタニアは夫アレクの無事を喜びはしたが、リーファは救えないのだと勘違いをした。アレクも実際に聖竜と出会って話をしていなければ信じられず、それはまさに聖竜王国初代国王の逸話の再現であった。
リーファの症状を緩和させるためとは言え属性竜は強者である。一回に産む卵の量も生態系の頂上にいるほど少なく学者の中でも意見は分かれるが十個以下であるとされている。
産卵時期の竜は専用の竜舎に移されるが、普段よりも気性は荒い。竜騎士も距離を取りながら最低限の世話だけをする。
周りには他の竜も居て竜騎士だけでなく、王国騎士も駐在しているために安全は確保されている。竜舎は貴族街の端に建設されており、貴族街には貴族の従者以外は御用商人くらいしか平民が立ち入ることが出来ない為に卵を盗まれるということは滅多に起こらない。
竜の卵の窃盗は貴族から盗む事になるために例外なく死罪となる。中には親竜に割られてしまう卵あり、数も多い為にそのくらいでないかと推測されているのだ。
アレクが聖竜に託された卵は殻が石の様に硬いというよりは石そのものにしか見えなかった。魔力を通しにくくする【魔断布】を持って来ていたのは英断だった。
魔物の中には体温だけでなく、魔力で獲物を察知するタイプも居る。寝る際に安全を確保するためにソロ時代によく使っていたものでぶっちゃけるとただの高い毛布である。
魔工師が作っている為に品質はあまり良くない。魔工師は魔具師や錬金術師に至る初級職であり、魔力を操作して素材を作る者達である。
目に魔力を集中させると色で属性が分かるようになるらしい。オーラブレードを使えるほど気闘術に精通すれば魔力が少ない者で感知できるようになるらしいが、対魔法師の基本は魔法言語を聞き取り避けることにある。
土魔法師であれば熟練の域に達さない魔法師は地面に手をつく為に予備動作から察して攻撃範囲外へと退避するのである。
因みに熟練していると足の裏からも魔力を放出することができるようになるので手のひらを敵に向けて詠唱する魔法師は大半が駆け出しという事になる。
「ナタニア、何とか目的は達した。信じられないかも知れないが俺を信じて欲しい。荷物は任せた。俺はリーファの所に行く」
グリーンリーフを手に入れるのは手段であって目的では無いのだ。症状を緩和することが出来るのなら必須ではない。
そして直葉はリーファとして初めてアレクと対面をすることになった。