二話
直葉はリーファとしての意識の同調に戸惑っていた。頭の中では直葉という体は既に死して失われたものだと理解できていても、直葉であることを捨てられない。
かと言ってリーファが自分でない他の魂を有した存在でないことも理解している。精神科が専門ではなかったが、解離性同一性障害いわゆる多重人格者というわけではない。
ただリーファとして生活していた記憶に突如として直葉としての記憶が思い出された為に混乱しているだけであった。
思い出した切っ掛けは風邪などでは無かった。潜在的に魔力が多い魔法適性の高い極わずかな者と逆に少な過ぎる者のみがかかる【魔力多寡症】の典型的な症状であった。
魔力が少な過ぎる場合、身体の強化に使われる魔力が無いために病弱な者が多い。魔物という直接的な脅威があり、また戦争なども行われ奴隷制度も完全に廃止されておらず地球の平和な日本で育つのと環境そのものに違いがあり過ぎ、現代日本よりも体格の良くなくては生き残れない。
魔力が体に馴染み始めるのは十歳前後であると言われ殆どの人が使える生活魔法も善悪の判断ができる歳にならないと大人達は子供に教えることは無いのだ。
神の奇跡によって一部の人類種に授けられた魔力は最も身近にある神の恩寵であった。大は小を兼ねると言うが多すぎるのもまた弊害を生む。
生活魔法を使うことで体内から体外へ魔力を放出する【魔力孔】が出来るがこの魔力孔の大きさは魔力量と同等に魔法使いの生命線である重要な役割を持っている。
しかも魔力孔は最初の魔力行使によって出来た大きさで固定され、拡大するには多大な苦痛を伴うと言うのが魔法学者達の通説となっている為に早すぎる魔力の行使は将来の可能性を潰してしまう為に忌避されている。
逆に魔力量については、若い時の方が成長するとされているために魔力量と魔力放出量は二律背反の関係であるとされている。
そのため、魔法使いの名家は魔力測定装置と経験を用いて我が子に最適な魔法教育を施すのである。時には魔力の強い庶子を本家へと招いて養子にするのは魔力量の多い者同士の子もまた生まれつきの保有魔力量が多いとされるからである。
直葉の場合は体内の魔力量が多く、体外に放出する術を持たないが故の弊害であった。
幼い子供に魔法を使わせないのは単純に魔法が危険であるからだ。未熟な魔法師は魔力を暴走させやすく、暴走した魔法は術者の魔力で力の限り暴れようとする。
十五歳以下の未熟な魔法師の魔力でも一軒家を消失させることは可能である。その賠償金が支払える能力がなけれは、借金奴隷となることも十分に有りうるので親は教えたがらないのだ。生活魔法の着火でもボヤが起こるくらいの火力はある。
そして、村社会は外部の者にも冷たいが問題を起こした村人には更に冷たい。コミュニティを守る為に必死であることは理解できるが技能を持った狩人や元冒険者すら有事以外は疎外する閉塞性を持っている。
ココナシ村はまだマシな方だが、それは出来たばかりであり、好んで辺境にやってくる物好きも少なく助け合わねば生き残ることが難しい環境に晒されて生きて来たからである。
大人の精神に子供の肉体。学者からしてみれば格好の研究資料となりうる絶好の機会かも知れないが直葉からしてみれば記憶など思い出さない方が良かったのかも知れない。
アレクとナタニアが親であると言う実感もない。リーファの記憶の中では良き父であり良き母であるのだが、今はもう会うことの出来ない地球の両親が直葉にとっての両親であった。
直葉は体の中で暴れる魔力を制御する術を知らない。知識層である薬師もまた書物と自身の経験でしか、病を判断することが出来ないのだ。
【診断】のスキルは治癒師に現れる一般的なスキルであるが、やはり経験の無い若い治癒師とベテラン治癒師が得られる情報量には大きな差があるのだ。毒などの状態異常を治療するのは得意でも病そのものには効果の薄い治癒師。
熟練の魔法師が見れば、直葉の症状を看破することも可能だろが、ココナシ村には初級魔法師を名乗れても体系的に魔法を学んだ魔法師がそもそもいないのである。
ココナシ村の薬師が下した決断も対症療法であり、あとは体力が持つのを祈るだけだとアレクに告げたのである。どちらにしろ有効な治療法が直葉が魔力孔を開け魔力を制御するというものであるから薬師の判断は見当違いではない。
殺傷能力は低いがそれでも【ウォーター】は辺りを水浸しにする可能性をはらんでいる。殆どの者が水が辛うじて出せるくらいであるが、油断した故の事故も起きるのである。
後期研修を終え専門医としての道を歩き始めたばかりの直葉であっても科学文明の知識と技術はこの世界にはありえないものである。
直葉は発熱は恐らく体内にある異分子に対する行動の副産物であると考えていた。レベルが高くなれば魔法職ほどでなくとも魔力量は多くなる。
生活魔法が不便なく使えるくらいにはアレクは冒険者としての経験を積んでいた。勉強ばかりしてきた直葉と言えど漫画や小説くらいは読むし、読書感想文の題材となった魔法使いの物語を真面目に考察したりなど魔法を使用する事に関しては無知だが、一定の知識はあった。
そして導き出された答えは魔力を体外に出すという結論であったが、とにかく体が怠く頭も重い、そして一番の理由は突然、病が治ったことに対する村人の反応である。
アレクが手に入れて来るという薬草で出来た魔法薬の服用してからそのおかげで完治したと誤認させる必要があると判断した。現地の人が服用する薬だとは言え抵抗感がないと言えば嘘になる。
だが、仮にも服用して生きている人が居る以上は効能があるのは間違いないと信じ込むことにしたのだ。
直葉に出来ることは体力の消耗を抑えつつも魔力操作の感覚を掴むことだ。魔法の発動には発動する意思と魔力操作が必要になる。
不安定な未熟な魔法師でも寝言で魔法を発動させる可能性は限りなく低い。寧ろ熟練した魔法師の方が可能性はあるが、その領域まで達した魔法師が魔法を暴発させるとしたら身の丈に合わない高度な魔法を発動しようとしたときのみであり、ほぼ起こりえないことである。
魔力操作よりも深刻な問題で直葉には不満があった。それは飯マズなことだ。飽食の時代に生まれ基本的に飢えとは疎遠の生活を日本ではしてきた。
麦飯は健康に良いからと食べるのは良いが、それは選択肢があったうえでのことだ。開拓村ココナシ村に潤沢な食糧があるわけもなく、パンも製粉技術が発達していないのか真っ白なパンと言うのを直葉はリーファの記憶の中でも見た事がない。
贅沢なことだとは分かってはいるけれどもやはり飯は不味いより美味い方が良いだろう。
衣食住と言うがこの世界の物は地球よりも遥かに劣っていると言える。直葉が知っているのはリーファの記憶を通した知識でしか無いために貴族であれば良い暮らしをしている可能性もあるが、劣悪であることを否定は出来ないだろう。
地球でもアフリカなどでは水問題があったが正直な感想は遠い世界の話であり、蛇口を捻れば飲食に適した水が出てくる日本を知っていることがここまで辛いことだとは思わなかったのだ。
海外の生水は飲むなと警告されることがあるが、この世界の場合、運が悪いと煮沸した水さえも危険なのだ。そのために人より多くの魔力を有している魔法師が水屋として商売をしていたりもする。
生活魔法又は水魔法によって生み出された水は本来であれば水分補給には向かない。
本人が飲むには問題はないが、他人の魔力を体に入れることで不調に陥る者もいるからで、本来であれば適さないのであるが、手に入る水が汚染されているか飲んでみないと分からないともなれば需要が発生するのである。
体も胃も地球の現代人と比べれば頑丈であるために井戸の水でも腹痛を起こさないが出来れば遠慮したいところである。
聖竜王国は比較的に平民でも魔法の恩恵を受けられる国である。魔法と言う力は鉄製の武器以上に支配者階級からは警戒されるものである。
被支配者階級である平民や奴隷に厳しい国ほど魔法後進国であり、初代竜王が聖竜の加護を受けて建国された聖竜王国では特に竜騎士と光魔法の使い手は優遇される。
その為に十歳で行われるギフト神授の儀は一生を左右するほどの影響力があるのだ。
食べなければ失われた体力は戻らない。直葉は食材の発見と調味料の調達、料理法の確立を固く決心する。まだこの世界に異世界人が居た痕跡は発見していないが、自分だけが特別であると過信するほど直葉は自信家ではなかった。
異世界転生ものにありがちな神との遭遇はなかったが何かしらの意思が働いてこの世界で生きることになったのだと考察していた。
魔力を生成・貯蔵する器官【魔臓】があるかは分からない。それこそ死した体を切り刻み地球との差異を確認してみなければ確実なことは言えない。
問題なのは外科手術及び解剖が異端とされていないかであった。人は自分と異なる者を排除しコミュニティを守るものだ。小さな単位なら家族、大きな単位なら国家となって外部の敵と戦うのだ。
地球では魔女狩りに代表されるように人と違った思想を持つ者が宗教裁判にかけられ無実の人々が虐殺されてきた歴史がある。
魔法は市民権を得て生活に根付いているようだが、手術に関しては要調査だろう。治癒魔法が外科手術と同様の役割を果たしているのであれば発達はしていないだろう。
地球でも宗教的理由から禁止もしくは拒否されている場合は厄介な事になるだろう。
人を救うために行った外科手術が原因で宗教裁判にかけられ処刑されるなど笑い話にもならない。それならば技術を持っていたとしても秘匿し秘密を守れる者のみにこっそりも施すしかなくなる。
宗教とは厄介なものだと直葉は個人的には思っている。信じる者の中には本当に救われた者もいるかもしれないが宗教は政治利用され戦争の理由になった経緯が地球世界ではあった。
見た目が違うというだけで差別される人種差別も根本的には変わらないのかもしれない。どんな極悪な犯罪者にも家族はいる。
犯罪自体は憎まれるべきものであるが、人の命は等しく救われるべきなのだ。直葉は死刑反対派でもないが命は選別されるべきではないと考えていた。
犯罪者であったとしても医師としての直葉は救命に全力を出すだろう。それが、結果的に死刑と宣告されるべき犯罪者であったとしても。救命後については犯罪者については深く関与するべきでもないと考えていたが。
不味くとも体力を回復させるためだと自分に言い聞かせて直葉は食事を平らげた。精神的疲労が大き過ぎるのもまた原因かと思ったが精神科はほぼ学んでおらず気のせいだったと信じることにした。
もし魔石を燃料に動く【魔道具】があれば、もし自身の魔力を元に動く【魔導具】があれば直葉は既にこの苦痛から解放されていたかもしれないが食事だけはどうにもならなかっただろう。
アレクが捕まえてくる新鮮な肉は冬には手に入らない。極力、外に出ないようにし、ナタニアも家で出来る内職をするだけだ。
仕事がないからこそアレクがグリーンリーフを手に入れる為に竜峰に赴いたとも言えるし時期が悪かったからこそ赴かなくてはならなかったとも言えた。
だが、神が決めたものかもしれないがそれが運命だったのだろう。直葉には転生した理由は分からないでも何かしらの理由はあるだろうと思った。
その頃、確かにアレクは運命と出会っていた。