プロローグ
青木直葉はその日、転生した。大学を優秀な成績で卒業したが、就職先には恵まれなかったのだ。やりがい搾取とも言えるブラック企業に入社してしまったのが運の尽きだった。
通常の業務時間で終わらない量の業務を押し付けられ、慣れて来たと思ったら業務量も何時の間にか増えていた。なまじ優秀であった為に他の新入医師よりも的確にこなしていたのが仇となったのだ。
残業代が誤魔化され無かっただけまだましなのかも知れないが、成果が違うのに責任だけを負わされて給料は変わらない。
転職も考え始めていたが、日々の仕事に追われていてそれ所で無かったのだ。そしてその日、居眠り運転をしてしまい、トラックと正面衝突して亡くなったのであった。
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聖竜王国の最北端にココナシ村の猟師であるアレクは危険を冒してまで竜が住むと言われている竜峰へと訪れていた。多年草であるグリーンリーフを求めての事である。
冬であるこの時期に竜峰を訪れるのは自殺行為であった。野生動物はこの時期には冬眠するが、竜は冬眠しないとされているからである。
だが、普段なら狩りに行く北の森にはグリーンリーフは生えて居なかった。魔力の多い所に自生するが冬になれば植物の数も動物の数も減ってしまうし、なにより北の冬は寒い。
アレクも十分な食糧と薪を備蓄しており、冬の間は家に引きこもりざるおえなかったが五歳になる娘リーファが風邪を引き熱が下がらないともなれば父親として何としても薬の材料となるグリーンリーフを手に入れなければ家に帰らないと妻ナタニアに告げ装備を調え歩いて来たのだ。
元冒険者であり、Cランクであったアレクだが、Bランクの壁は高く厚いものであり、登録料さえ支払えば簡単になれる冒険者と言えど限界を感じて引退し故郷の開拓村へと出戻ったのである。
Cランクと言えばベテランであり、魔物の被害に悩まされるココナシ村では貴重な戦力である。どこにでも現れ瞬く間に増えると言われるゴブリンですら力の無い村人にとっては脅威となり得る厳しい環境だ。
農家に生まれたが親から引き継げる畑のない次男・三男は税金の支払いに苦慮し、職業選択の自由は無いからで危険を承知で移り住んだ二世にアレクは該当する。
長男が重んじられる風習が色濃く残り、女性蔑視の風潮も残る聖竜王国であったが、才能さえあれば立身出世も可能である。
十歳になると行われる聖別の儀式で竜紋が現れれば王立竜騎士学校へと特待生待遇で入学でき、将来安泰であるが、殆どの者は基本職であり、特殊職の証であり国民の憧れである竜騎士の証である竜紋が出る子供は竜に親和性の高いと言われる聖竜王国の国民と言えど稀である。
アレクも子供時代には竜騎士になることに憧れを持って居たが貴族の生まれでもない庶民であったアレクは竜紋が出なかった時点で夢を諦めたのである。
王立竜騎士学校の入学資格は竜紋を持つか竜と契約することである。竜の種類は問わないが、地竜よりも飛竜の方が格が高いとされている。親に財力さえあれば竜の卵と契約し、育てることで竜騎士への道も開けるが、竜の卵を手に入れるのは困難である。
個体や種類によっても異なるが竜は冒険者ギルドの定めた脅威度は最低でもB-であり、金貨を出しても依頼を受けてくれる冒険者すら見つからないと言うこともざらである。
産卵後の竜は気が立っており、ただでさえ縄張り意識の強い生物である。街や村へ卵を奪還しにきた竜による被害も馬鹿には出来ず、また襲撃の原因となった冒険者はギルド資格を失い補償の為に奴隷落ちするリスクもあるのだ。
竜騎士になることはこの国の子供なら一度は夢見ることであるが、現実を知って各々の人生を送っていく。平民で例え竜騎士になれたとしても貴族階級の道具として政争に使われるだけだ。
それでも一般的な平民よりは良い暮らしが出来るのは事実であったが、親としては平凡な人生を歩んで行くことを望むものである。
アレクがグリーンリーフを手にすることが出来なければ娘リーファは冬を越すことは出来ないだろう。治癒魔法は存在しているが、治癒師に十分な報酬を渡せる平民など数が知れており、外傷に強くても病には効果が低いのは調べれば簡単に分かることだった。
獣の内臓には薬になるものもあり、薬師になら伝手はある。だが、薬師とて万能ではない。薬の元となる材料が無ければ無力であるし、症状にあった薬を調合するためには患者の症状を的確に診断する能力がなくては意味がないのだ。
リーファの発熱は既に三日、続いており、体力を奪われている。回復薬も万能ではなく、専用の容器に容れて保管しても効果は時が経つと共に劣化するのだ。
最下級回復薬を常備する家もあるが、適宜購入した方がお金に余裕がない庶民にとっては得なのだ。回復を促進すると言う意味では魔法薬であるが、最下級であれば自製するものも多い。
薬草をすり潰し、薬効がある成分を無駄なく水に溶かせば完成するからだ。薬草と毒草を見分けることは冒険者として最低限の能力であり、討伐系の依頼を受けられない下級冒険者が糊口を凌ぐために必死に覚えるのだ。
同じ冒険者でも瞬く間に昇級する者もいれば魔物の胃の中に収まる者もいる。
そういう意味ではアレクは才能はなくとも無事に引退できているのだから最低限の実力と運はあった。アレクは竜峰の麓へと辿り着き、薬草を探すのであった。
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体が熱い直葉は事故で重傷を負い傷口が熱を持っているのかと考えたがどうもそれも違うと体感していた。木造の建物であるが、見た事のない内装をしている。
病院に運ばれたと考えれば有り得なくも無いが周囲は暗いと言うのに天井ははっきりと見えていた。天井にはLED照明でもなく、電球すら見当たらない。
ランプみたいな器具はあったが、部屋全体を照らすものではなく、物が大きく見えた。
事故の記憶も有しており衝突の弾みで電信柱に追突しており、エアバッグは作動した筈だったが、胸に痛みを感じたと思ったら意識を失ったのだ。
医師免許を取得していたから理解できるが、例え救急車が直ぐに来て病院に搬送されたとしても生存率はかなり低くなる筈だ。一番近い病院は勤めていた西湘厚生年金病院だったが、今日の当直医は内科医である内藤先生であった。
もし、海外派遣された経験を持つ葛西先生であったのなら助かったかも知れないが、予定手術で消耗しているはずであり、病院のすぐ側に住んでいてもドクターコールに応じてくれるとは限らないのだ。
それに医師だけいても麻酔科医やオペ看がいなくては大手術を滞りなく終えることは困難だった。ということは私は死んだのだろう。
だが、不可解な事に私には意識がある。そして、ここは地球の何処でもないことを感じているからこその混乱である。
発熱しているということは体内の抗体が何かしらの病原体と戦っているのだろう。この世界には魔法があるらしいが、科学技術はそれほど発達していないと感じた。
母であるナタニアは専業主婦であったが、化学繊維など使われていない粗末な服を身に纏っていたし、家はお世辞でも広いとは言えない。
医師免許を取得するには膨大なお金がかかる。幸運な事に青木家は裕福な家庭であり、お金に困った記憶は無かったが、それでも父や母は若い頃には苦労したらしい。
父の会社が成功するまでは自転車操業も良いところだったらしく、特許を大企業に奪われそうになったこともある。
それでもついて来てくれた妻と社員の為に奮起して働いたことが自分の誇りであると父は大して高くもないお酒を飲みながら語ってくれた。
この世界の体にも同期してきたのか、今までの記憶といっぺんに情報が頭に入ってくるのを感じたが、発熱によってまだ意識は朦朧としていた。
それもこの世界の体に馴染む為に必要な事なのだろうとリーファとなった直葉は感じていた。スキルの内容が頭の中に浮かんでは消えていったが、体内に魔力という異分子があってもそれを活用できる技術が無ければ意味がなかった。
そして、直葉はまた意識を失った。
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「これで四人の魂は送り終えた。賭け事は懲り懲りじゃ」
全く反省していないその姿は少年の様にも見えるし老成した賢人の様にも見えた。無限とも言える命を持ち、この世界を見守り続けた存在と言えど全ての命の望みを叶えるほど暇ではないし、都合の良い時だけ頼られてもこちらからお断りしていた。
熱心な信者の前で奇跡を起こしたこともあったが、信仰心は薄れ、神に祈る者は減っている。まして神と交信できるほどの器を持つ人間も皆無に近い。
暇を潰す為に異世界の様子を見ることは交流のある神々の中では当たり前のことであった。
地球ほと発達していない神に頼まれても断り続けていたのは、異世界人と言うのは混乱をもたらす存在にしかなり得ないと考えていたからだ。
そして相手がポーカーでイカサマをしていても見逃したのは、神自身も退屈しており、異世界に送った魂を介して暇つぶしをするためであった。波乱があることは既に確定している様なものだ。
徳の高い魂を選んだつもりであるが、平凡な人生を送るのを見るだけでは異世界に魂を送った意味が無くなる為に悪人でもないが善人でもない魂を一つ混ぜて送ったのだ。
「これで少しは退屈が凌げれば良いんじゃがな」
転生者三名の中、一人だけわざわざ、勇者召喚の儀に合わせて送ったのだ。
異世界の神も条件をつけないからこそであったが、それだけ異世界ミッドガルドの神も暇を持て余していたのだろうと考え、執務に戻る事にした。