青い彫像
10年の服役を終え、懐かしの故郷へと辿り着いた。
あの時と何も変わらない。冷たく、寒く、凍てついた世界。手に残る痣を作った、今はもう無い手枷を思い出させる。しかし手枷にはない温かさがあちこちに灯り、確かに人の営みを感じさせてくれる。
行くアテは一つしかない、真っ直ぐに我が家へと向かう。待ち人なぞいるはずもない我が家へと、遠い記憶にある道を辿る。
暗い雪道の端を歩き、よそ者への視線を受けつつ自宅へと急ぐ。道は何も変わっていない。ここに住む人々が、私を置いていっただけだ。ならばよそ者への視線を受けるのも仕方はない。
何か聞き取れないが、肩を掴まれ言葉を浴びる。潰された耳には全て雑音にしか聞こえない。ボロボロの体で力無く振り払い歩みを急ぐ。私の灯火が消える前に、最後にすべき事がある。
10年ぶりに使う鍵を、10年ぶりに使われる鍵穴へと差し込む。ドアは重く、錆び付いた音で私を迎え入れる。部屋の中は何も変わっていない、連行された時のままだ。明り取りの窓とそこから薄っすらと照らされる、私の最期の作品。
服役中には自身の罪を知る事はできなかったが、今目にすれば自然と解る。思えば、この像こそが罪の証だったのだろう。幼馴染みとは言え、道ならざる恋だった。彼女を想い作ってしまった、この像が。
凡作ばかりを生み出してきた我が手が、あの時だけは何かに取り憑かれていた。そうとしか思えない程の出来栄えである。潤った唇、凛とした耳、控え目な鼻、強い意思の瞳。獄中で擦り切れた記憶は清流に癒され、過ぎ去りし日のあの人を思い出させてくれる。
わがままで、強気で、それでいて泣き虫。余りに身分の違う私にも、分け隔てなく接してくれていた想い人。彼女から受け取ったものは余りにも多い。思えば私が返せたものは、好きだと言ってくれた動物の像と、不出来な指環。
しかし10年の歳月は、白く美しい像を劣化させ、変色させてしまっていた。くすんだ青と緑に包まれ、彼女の白さは微塵もない。せめて残された時間で、あの時の白さを取り戻させたい。
道具は何も無い。
歳月は部屋を荒れさせ、道具は干からび風化してしまっている。
今持ちうるもの。
纏うぼろきれを千切り取り、凍える骨ばった手で必死に像を磨き上げる。
他にできる事は何も無い。どうせ時間は残り少ない。
ならばせめて、最期は彼女に触れたままに―――
―――何か柔らかな物に、頭が乗っている。
温かな水の粒が、干からびた顔に落ちる。
懐かしい面影のある顔が、泣き腫らしてのぞき込んでいた。
泣きじゃくり必死な声と、それを諌める男達の声。
微かに聞こえた女性の名は、私の知らないものだ。
あぁ、そうか。結婚したのか……。
喉が潰れていないならば言祝ぎの言葉を謳いたい。声にならないまでも、せめて最後の力で口を動かす。
そんなに悲しまないで欲しい。悪を成した覚えはないが、罪が増えるような気持ちになる。地獄へ行く大罪人が、最後に想い人に抱かれたままというのは可笑しいだろう。
はっきりとは聞き取れない、しかし聞き覚えを感じる涙声。走馬灯の様に記憶が巡り、過ぎ去った日々を思い出させてくれる。四季を通して変わらぬ笑顔とおてんばに、苦笑混じりでついて行く事ができた、暖かな日々を。
気持ちが通じたのか、思いを察したのか、のぞき込む顔は少し柔らかくなる。
解ったのならばさっさと、目端に映る指から不出来な指環を外して欲しい。
最期に未練が残ってしまいそうだ。
無意識に伸ばされた、涙を拭おうとする手。
それは届かぬままに、冷たい床へと落ち―――
―――咄嗟に、彼女はその手を取った。
干からびて、皸て、かじかんだ冷たい手を。
何かを必死に叫んでいるが、もう男の目は閉じている。
耳は最初から開いてはいない。
しかし男は最期にしっかりと、その手から伝わる温かい優しさを感じながら、
冷たい彫像の様になった。
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