2章 診療所「イーレトレン・クリニック」7
”母子感染する遺伝病と言えば?”―――こう聞かれてアンバーが回答に迷ったのは当然だった。なぜならば、アンバーが読破し、その頭に内容を叩きこんだ「遺伝医学」には該当すような章が一つも無かったためだ。
「遺伝医学」はあくまで遺伝性疾患についてまとめた成書であり、決して感染症をまとめた成書ではない。遺伝性疾患の6個の要因が書かれてあっても、感染症の遺伝様式など書かれているはずもないのだ。
「遺伝医学」漬けであったために脳が「遺伝性疾患」に特化していたアンバーにとって、アロイの繰り出した第二問はまさに奇問だった。遺伝性疾患に関わる知識の中でも、一部のマニアや研究者しか知らないような事柄を問う、言わば難問であれば「わからない」という回答で済むが、奇問に対しては「”問題の意味が”わからない」と答える他はない。
それはアンバーも同様で、やはり
「問題の意味がわからん」
と熟考する間もなくアロイに伝えた。
「そもそも感染症と遺伝病は別物だろ?母子感染する感染症はあくまで感染症の1つであって、遺伝病じゃない。今のアロイの問題は破綻してる」
しかし当のアロイはアンバーのもっともな正論には耳を貸さない様子で、至って真面目な風で反論した。第一問目の時とは比べられない程真面目な顔であった。
「いえ、破綻していません。アンバーさんが答えられないのは頭が固いからですよ。私の問題は絶対に破綻していないです」
半ば強情に言い張るアロイをこれ以上追及しても、更に態度を硬化させるだけかもしれない。それに、せっかく遺伝性疾患について勉強したにもかかわらず”原因不明の遺伝性疾患”の詳細を聞けず終いでは元も子もない。そこまで考えたアンバーは仕方なく降参を続けるしかなかった。
「わかった、降参だよアンバー。第二問の答えは何なんだ?」
「それは私も分かりません」
二人の間に暫しの沈黙が流れた。若干の怒気を含んだアンバーの雰囲気を感じ取ったのか、アロイは自身を弁護した。
「答えはわかりませんが、感染性の遺伝性疾患は確実に存在するんです。それが第二問の正答。にもかかわらずアンバーさんは”問題の意味がわからん”と答えた。答えが存在する質問に対する回答としては、不正解とするしかありません」
ここまで聞いて、アンバーは憤慨するのも馬鹿らしくなってきていた。”わかりません”が正答になる問題など普通は考えられない。加えて、「遺伝医学」に費やした時間が徒労に終わるのだ、という実感がアンバーの怒気を弛緩させていった。これに伴ってアロイの態度も軟化したようで、
「あ、でも二問目はちょっと難しすぎたかもですし、サービス問題をあげますよ。えーと、それじゃあ母子感染する感染症を挙げて下さい」
と、かなり簡単な問題を出題した。
「エイズとかブルセラ症とかだろ。簡単な問題だな」
「ブルセラ症とは渋い感染症を選びますねぇ。まあでも正解ですから、”原因不明の遺伝性疾患”のこと教えてあげますよ」
アロイはそう言うと、机上の文献の山に指を突っ込んでは紙やら本やらを山から引き抜いていった。だが目的の資料は一向に見当たらないようで、引き抜いた資料を一瞥して山の頂上に積んでいる。勿論、雑に積み上げるほどに文献の山はグラグラとバランスを崩しているのだがアロイはそれを意に介していない。
アンバーは仕方なく山を手で支え、雪崩が起きないようハラハラしながらも声をかけた。
「第二問には不正解だったのに結構あっさりと教えてくれるんだな」
「気分ですよ気分。それと、…あーこれも違うなぁ。どこにしまったんだっけ、アレ」
”アレ”探しに夢中なアロイは特に答えず、相変わらず山を崩している。そんな作業が続き、そろそろアンバーの手が疲労してきたところで、アロイはようやく目を”アレ”を見つけたようだ。
「お、やっと見つかりました。アンバーさん、これを見て下さい」
そう言ってアンバーの目の前に突き付けられたのは、粗末な紙に書かれた家系図であった。
「これはイーレトレン・クリニックを主治医としていた、ある患者家族の家系図です。少し簡略化してはいますが、大事な情報は網羅できているはずです」
「大事な情報?」
するとアロイは家系図の中の数人を指差しながら説明を加えた。
「この家系図にメモしてある情報は、名前、性別、享年、発症の有無、発症年月日です」
「”原因不明の遺伝性疾患”の発症の有無と発症年月日」
「その通り。で、この家系図は…」
「サングラド家の家系図って訳か」
アンバーの口から「サングラド家」の単語が出ると、アロイは落ち着いた、というよりも落ち込んだ口調で更に言葉を紡いだ。
「死亡届まで調べていたんですね。確かにこれはサングラド家の家系図です。もっとも、私は死亡届を見ずにこれをまとめたんですけどね」
「サングラド家はアロイの親戚か何かなのか?」
アロイの口調変化にあまり良くないものを感じ、アンバーは言葉を選びつつ聞いたのだったが、アロイは答えなかった。代わりに
「それはどうでしょう。ところでアンバーさん、今度イーレトレン・クリニックに行ってみましょうよ」
と提案し、アンバーを困惑させたのだった。




