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異世界保健所  作者: hybrid
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2章 診療所「イーレトレン・クリニック」4

「”原因不明の遺伝性疾患”?確かにあんまり見かけない死因だな。というより初めて見たぞ」


「そりゃあ前回この単語が四半期報に出てきたのは10年以上前ですからね。アンバーさんは見たことなくて当然です」


アンバーはテキパキと出発の準備を進めることにしたが、アロイはこの言葉を発してからしばらくの間、口を開くことはなかった。荷台で体を脱力させ、虚空を見つめるばかりのアロイに、アンバーは仕方なく話を振ることにした。


「アロイ、さっきから何黙りこくってんだ?遺伝性疾患がそんなにショックだったか?」


荷台にはきまずい雰囲気が流れていたが、ようやくアロイは言葉を発した。


「ただの遺伝性疾患ならショックでもなんでもないですよ。でも四半期報に載ってたのは”原因不明の遺伝性疾患”ですから。遺伝性疾患ってことはわかってるのに原因不明何てそうはありませんよ」


遺伝性疾患は遺伝子や染色体に生じた変異によって起こる疾患の総称であり、その多くが親から子に引き継がれる。何世代も以前から発症者がいたり、その発症の頻度や偏りから、原因について推定することが可能なものも含まれている為、全くの原因不明である遺伝性疾患と言うのは珍しい。


「確かにな。まあでも原因が完全に判明している疾患こそこの世じゃ少数派じゃないか。にも関わらずアロイがこの”原因不明の遺伝性疾患”を気にする理由は何だ?この”1名”が知り合いか親戚とかか?」


「…さあ、どうでしょうね。知り合いだろうが親戚だろうが、私達の仕事にもアンバーさんにも関係ないことです」


先程までの脱力感から一転、”これ以上詮索するな”と冷たく釘を刺された気がして、アンバーはその後遺伝性疾患に関する話はしなかった。


「出張所には終業時間直前に着きそうですね」


「ああ。文書の配布が終わって特に仕事が残ってなければ上がっていいと思うぞ」


「言われなくても上がりますよっと」


上体を起こしたアロイは緩慢な動きで自身の荷物をまとめ始めた。


程なくして一行は出張所に到着、本庁で回収してきた文書を各担当者に配り終えた頃には既に終業時刻をわずかに超えていた。ようやく自分の執務室に戻ったアンバーは人心地着きながら、改めて四半期報を読み始めた。


(こんなしっかりと目を通すのは初めてだな…。まあ、四半期報の中身なんて物好きしか知りたがらないしな。しかし、この”原因不明の遺伝性疾患”は言われてみると確かに気になる。”原因不明”で終わらせればいいのにわざわざ”遺伝性疾患”と続ける意味はあるんだろうか?)


アンバーはメンタルこそ弱く、それこそ本庁からメンタルストレスの少ない出張所に飛ばされる程であったものの、医学薬学への好奇心が弱い訳ではない。むしろ、他の職員と比較するとその好奇心は強いと言ってもよい程であり、アンバーが”原因不明の遺伝性疾患”に対して関心が生まれるのは当然の成り行きであった。


「アロイは…もう帰ってるか、定時過ぎてるし」


アンバーは誰もいない執務室を後にして、北部出張所の地下にある書庫に向かった。出張所地下書庫には今までに出張所に提出された届出や申請書の他に、大昔の文書も保管している。もちろん大昔の四半期報も保管しており、アンバーはそれを目当てに地下書庫の扉を開いた。


出張所はただの出張所であって、博物館ではない。文書の保管に重要なファクターはせいぜい温度と湿度程度だろう、という素人考えで書庫が設計された結果、文書の可読性が失われてしまった行政施設は多々ある。北部出張所の地下書庫もそんな施設の1つであり、一部の区画に収められている文書や資料はボロボロに崩れているか虫に食われているか、あるいはゴッソリ盗まれてしまっているものすらある。シミが付いている程度で済んでいるのはまだマシな方である。


アンバーは書棚を1つずつ確認しながら、四半期報を探していった。


「四半期報は盗まれてなきゃいいけど。それにしても、いい加減ここの修繕費に予算充ててもらわなきゃこういう時に困るんだよな」


文書保管庫で発生してはいけないはずであるクモの巣を払いながら、アンバーは書庫の奥に進む。地下だけあって温度管理は適切にされているらしいが、クモの存在はそのエサの存在を示唆している。


適当な本を開いてみると、紙の上をワラワラと這う奇妙な虫がいたり、小さな甲虫がコロコロと紙から転がり落ちたりする。アンバーはその本が虫に食われていなければ価値は如何ばかりかと想像を巡らせていた。


「お、ここらへんの棚が四半期報か。ずいぶん前のも置いてあるな」


地下書庫に入ってから約10分程度経過して、ようやく目当ての資料がアンバーの前に現れた。とりあえず、去年の四半期報から遡る形で四半期報をめくっていく。確認するのはもちろん、四半期ごとの死者数と死因の内訳の章だ。アンバーは時間短縮のために該当の章の後ろのページから目を通していった。


(アロイの言う通り、ここ十数年間の四半期報に”原因不明の遺伝性疾患”は出ていない。かなり希少な死因らしいな)


何十冊もめくっていると、四半期報には”原因不明の遺伝性疾患”程ではないにしろ、アンバーがあまり聞いたことの無い疾患が出ていた。気になる名前の疾患については後で調べるためにメモしていたところで、ようやく目当ての疾患が現れた。


「今日もらった四半期報から遡って12年前の四半期報だ…。12年前も”原因不明の遺伝性疾患:1名”か」


アンバーは前回”原因不明の遺伝性疾患”が発生した年度を頭の中で反芻し、四半期報の書棚から離れて今度は12年前の届出の棚に移動した。


(12年前に”原因不明の遺伝性疾患:1名”の届出を出したのはどこの診療所なのか気になるな)


12年前ともなれば、現在よりもはるかに行政機関の文書の取扱いが適当であった。出張所に提出された届出は種類や様式ごとに分類されることもなく、書棚に「届出一式」と銘打って乱雑に置かれていた。


アンバーは医学成書の数倍は厚い文書の束を引っ張り出し、1枚ずつめくり、当該の届出を探し始める。


10分程度探してようやく見つかったその届出は「イーレトレン・クリニック」なる診療所から提出されたものであった。

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