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異世界保健所  作者: hybrid
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2章 診療所「イーレトレン・クリニック」2

戦勝国が得ることのできる戦争の”うまみ”の一つに、領土の拡大がある。

領土の拡大はすなわち顕在的及び潜在的な資源の獲得にもつながり、長期的に見れば人民の増加にも貢献することもある。しかし国家にとっては利益をもたらす半面、増えた領土、人民の管理や監視にも注力せざるを得なくなる。


ある領土では何を事業として利益が生まれているか。その金から政府はどれくらい税金を巻き上げることが可能か。増えた人民は男か女か。せっかく増えた人民の間で病気が流行していないか。


元来王都はさほど広大ではなく、こういった情報を集積する行政機関も、王城の位置する中心街に集約されていた。しかし領土の拡大に伴って、中心街の1か所のみでは広大な王都の全ての情報をカバーすることが困難となった。


その結果王都の各地に設置されたのが、行政機関の一部機能をまとめてコンパクトにした「出張所」である。


ここ「異世界保健所 北部出張所」には異世界保健所の各課の職員数名が派遣される形で、王都北部における各種手続き、調査、情報収集を行っている。中心街の保健所よりも少人数で仕事を回す必要があるため、ある程度経験を持った職員が派遣されることが多い。


アンバー・トラウンは異世界保健所 北部出張所 医薬務課勤務4年目の技師である。診療所や病院に関する手続きと調査が主な業務で、それらに関するクレームもたまに受けたりする。だが中心街の保健所本所と比較すると残業も少なく、緊急対応が必要な案件もほぼ皆無である出張所の仕事を気に入っている。


だが仕事が少ないイコール雑用を頼まれる余地が大きいという事も事実で、今日も雑用を引き受けている様子である。


「んじゃあ本所行ってきますけど皆さん何か用事あります?」


アンバーは少々小振りで、しかも人口密度のいやに高い執務室を見渡しながら呼びかけた。あくまで本所を「コンパクト」に収めた施設が出張所であるので、建物もコンパクトであれば執務室もやはり「コンパクト」なのである。そんな執務室の中に保健所各課の人員が詰めている訳なので、必然的に密度も高まってしまう。


「アンバーさん、本所行った時にこの書類提出しといてくれる?」


「あ、総務課寄ってサンプルチューブもらってきてよ」


等と、様々な依頼が帰ってくる。


本所に行くときの雑用のほとんどは、物品か書類を返却するかもらってくるかのどちらかなので、雑用自体は大して難しくはない。


「わかりました。多分夕方までには戻ってくると思うんで」


皆の依頼を雑に書き記しておいた紙をポケットに入れて、アンバーは出発の支度を終えた。あとは事前に呼んでおいた馬車に乗り込むだけだが、異世界保健所においては外出する際は2人組が原則である。


アンバーも原則から外れず、玄関口で同行者を待つこととした。同行者を待つまでの間の暇つぶしに、彼は自身の現在について、


(しかしまあ、出張所は雑用は多いけど時間にゆとりがあるってのは最高だよなぁ………。本所勤務の時はカツカツのタイムスケジュールで仕事してたし。多分あのまま本所勤務が続いてたら、玄関口で後輩を待って時間を浪費するなんて我慢できない性格になってたんじゃなかろうか)


と考えているようだ。


しかし実のところ、このアンバーの自己分析は誤りだ。


彼が北部出張所に派遣されていなければ、性格が変化するどころか、むしろ性格が破壊されてメンタルを病み、休職さえしていただろう。アンバーが本所に在籍していたころは残業に次ぐ残業、及び上司のパワハラ等でアンバーの精神はすり減る一方だったのだ。


元々多数のメンヘラや休職者を輩出していた本所にとって、更なる休職者が生まれるのは不都合だ。そんな思惑もあって、人事課はアンバーをメンタルストレスの少ない北部出張所に派遣させたのである。つまり、北部出張所は行政機関であるとともに、メンタルがすり切れる直前の保健所職員のための保養所のような側面も持っていた。


もっとも、アンバーのように幸運にも北部出張所へ派遣されるには、①人事異動の時期に人事課に「メンヘラ予備軍」として目をつけられること、②北部出張所の人員が空くこと、③当人が本所を抜けても仕事が回ること、といった条件をクリアする必要がある。


上記の条件を無自覚にもクリアできたアンバーは、やっとメンタル改善の道が開けたという訳である。


しかし、道が開けたと言ってもその道は険しい。アンバーが北部出張所に派遣されてからは別の種類の心労がストレスになっていて、その悩みの種は仕事ではなく人間関係だ。とりわけ後輩との。


「アンバーさーん、遅くなりました~」


アンバーの背後からドタドタと足音を鳴らしてやってきたのはアンバーの後輩で、アンバーと同じく医薬務課に属するアロイ・マコーネルだ。なぜかその腕には多数の雑誌や本の入った箱を抱えている。


「…今日は本所以外には行かないぞ?結構雑用が多いからな」


「えーそんなー。だって”これ”、読み終わっちゃいましたよ?」


箱を持つのに手を使っているので、「これ」と指で差すことなく、箱をガサガサと揺らしてアンバーに示している。


箱と一緒に揺れる胸には目を遣らずにアンバーはため息をついた。


「お前こんな本読む暇あったら俺の仕事も手伝えよな…。1週間そこらでこんな量の本が読み終わったのも仕事サボってるからだろ?」


「サボってなんかいませんよ?アンバーさんが雑用している時間を読書に充ててるだけで」


「はぁ…何かアロイが本所勤務最短で出張所に来た理由が日に日にわかってきたわ…」


アロイは北部出張所には珍しく、メンタルのすり減っていない職員だった。にも関わらず北部出張所に派遣されたのはそのサボり癖故である。昼休み、休憩時間は当然のこと、行うべき業務が無いときはひたすらに自分の関心のある書籍や文献を読み漁っているのだ。


しかも保健所職員の権限を濫用してか、王都にある病院の勉強会資料やら珍しい文献まで借りている始末である。仕事はそつなくこなすものの、こういった狼藉によりアロイは「無能」の烙印を押されて北部出張所に派遣、もとい左遷されたということだ。


雑用を業務の一つと見てアロイに遂行を命令するか、それとも保健所職員に足る医学的な知識を吸収する姿勢を見習うべきか、アンバーは答えが煮え切らないまま仕方なく歩き出した。


「とにかく、今日は中心街の病院とかは寄らないからな。その本は次の機会にでも返却すりゃいい」


「うーん、長引いたら出張所に戻るのも遅れちゃうし、仕方ないかー」


つかみどころのない雰囲気を保持したまま、アロイはアンバーに従った。


「んじゃあ出発するぞー」


文書や物品をまとめて荷台に乗せ終えた馬車は中心街に向かい、歩を進め始めた。


「ところで、今回はどんな雑用ですか?」


「いつもとそう変わらん。こっちで受理した申請書とか届け出の引き渡しと、本所が作った文書の回収」


「ですよねー。でも今回は、この前と違って私が真っ先に目を通したい文書があるんですよ。文書の回収は私がやっとくので、他の雑用はアンバーさんがやるってことでどうでしょう?」


アンバーはアロイが何に関心を持っているのかについて興味はない。だが前回とは違い、アロイがこの雑用にやる気を出させる文書が何なのか知りたくなった。


「先輩にいけしゃあしゃあと雑用割り振んなよ…。そんで、何の文書に目を通したい訳?」


「今回は四半期報が回収できるはずなんですよ。それに載ってる死者数と死因の内訳に興味がありまして」

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