2章 診療所「イーレトレン・クリニック」1
はるか遠くに見える王城の尖塔には雲間から陽光が差し、輝いて見える。上空に雲が立ち込めているせいで、尖塔以外の建物群はまるで水面下に没してしまったかのように暗く、その境界が曖昧だ。
かといって、王都の中心街より高度があり建物の少ないこことても水面下に没していない訳ではない。農業がしやすくなるように切り開き、開墾してはいるが、この土地が山の一部であることに変わりないのだから。
山の空模様は曇天で、陽光の差す棚田は一つもない。
幼い頃に聞かされた話では、一帯の山々の裾野から山頂に至るまで、元々は国軍の所有する土地だったそうだ。だが戦争終結の折に国軍は解体され、この土地は用済みとなった。不要な土地の管理にまで手の追い付かない国は高祖父にこの土地の購入と管理を半ば強引に迫り、そして自分は顔さえ知らない不幸な高祖父は渋々応じたのだった。
山を購入した後に最初に始めた仕事は木こりか猟師だったかもしれない。どちらにしろ、最初の事業は長続きせず頓挫したようだ。高祖父は最初の事業の失敗を受けて稼ぎの当てを中心街への出稼ぎに定めたらしく、一旦は山を離れた。戦後の王都では仕事に困ることもなく、都市の拡張や建設に、文字通り身を粉にして励んだ。そして戦後の肉体労働者の例に漏れず、早くに体を壊すこととなった。
片腕の肘から先を事故により失った高祖父はもはや建設作業に従事できず、あまり学のなかった彼にとって、王都での仕事のほとんどが失われた。残された道は乞食になるか、暴力組織の鉄砲玉になるか、山に戻るか、くらいだった。当時、妻も、そして子どももいた彼は、山に戻る道を選んだ。
だが山に戻ったところで金が稼げる訳ではない。事故に会う前までに多少の貯蓄はあったと思うが、きっと山に戻った最初期は貧しい生活を送っていただろう。高祖父達家族は貧しい生活を送りつつ、なんとか自活の道を模索していた。そして選んだのが農業だった。
十分に成長した彼の子ども(自分にとっては曽祖父だ)と共に高祖父は山の開墾を始めた。元々国軍の土地であったためか、開墾するに伴って、投棄された武器や物品そのもの、あるいはその部品が見つかることもあったらしい。開墾を妨げる憎きものであった反面、そういった品々は希少な物質を含んでいることもあり、高祖母は時たまそれらを持って中心街まで売りに出かけ、家計の足しとしていた。いくらか家計が改善すると、夫婦は新たな子を設け、家族はさらに華やかになった。
高祖父達家族の家計が転機したのは、開墾を終え、棚田を作り始めた頃だろう。高祖父がこの世を去る数年前のことであった。この頃には曽祖父も3人の子どもを設け、人手が増えたことで棚田の拡張と農業の進行を並行できた。やがて曽祖父が亡くなる頃には、今自分が見ている棚田の景色が既に出来上がっていたらしい。
こうして出来上がった棚田を管理、改良していくのが祖父母と父母の仕事だった。棚田の改良というのは、開墾や作成とは違った種類の難しさがある。土や水の性質、日差しのムラ、気流の受けやすさ等によって変化する稲の味や生産効率を最良のものに保たなければならない苦労は大きいものだったに違いない。
農業で忙しかったにも関わらず、幼い自分に対して祖父母はいつも目をかけてくれ、棚田の由来をいつも話してくれた。そのおかげもあって、自分は高祖父が棚田を作るまでの経緯をここまで思い出せるのだろう。父母はと言えば、祖父母程話好きではないものの、自分に愛情をもって接してくれていることは実感している。研究のために家を一旦離れたいと相談しても嫌な顔一つしなかった。
母に至っては、いくら自分が不要と固辞しても仕送りを止めず、研究に励めるよう様々な取り計らいをしてくれていた。たまに家に戻ると研究の進み具合をそれとなく尋ねてきて、実のところ進捗があまり芳しくない自分にとってはそれがチクチクと痛いような、あるいは痒いような感覚を起こさせたのであった。
こうして家族のことを思うと、自分が彼らの愛情や恩恵を受けていて、そしてまた、自分が彼らを愛しているということもわかる。
だが、今自分に愛情をかけてくれる家族はもう父だけだ。母がつい先日亡くなったばかりである。
祖父母、そして父母から聞かされた話は棚田のことだけではない。自分の一族が概して短命であるという話も何度も聞かされていた。
曰く、一族の人間は、年を取るとある日突然血を吐いてカゼのような症状に苦しむ。一時症状は治まるが、それに安心していると、次の晩にはまた苦しみぬいて斃死するというのだ。
祖父母はこれを遺伝病だと言っていた。高祖父の代から続く遺伝病であると。そして最寄りの診療所「イーレトレン・クリニック」の医師、ルイ・イーレトレン先生も同意見だった。
「先祖代々似た症状を示し、嫁や婿には発症が見られない。急性の経過をたどることから発症の状況も詳細にはわからず、これが遺伝病であるということ以外、原因の追究が難しい」
というのがルイ先生の補足だった。
遺伝病である以上、自分もいつかは母と同じ経過をたどるのだと思う。涙を見せなかった父が泣きはらした顔を自分に向けると、途端にその目に涙を浮かべるのは、それを知ってのことだろう。
自分も家族もルイ先生も、これは遺伝病だと思っている。だが、自分の研究はまだ半ばだし、結婚さえしていない。遺伝病ではあるが子どもを残したいと思う意思は確かにあるし、目の前の棚田を後世に残すことが一族の一員である自分の義務であるはずだ。
だから、まだ死にたくない。




