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異世界保健所  作者: hybrid
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1章 娼館「ダーク・ミクスチャー」10

ルーセット氏は観念したのか、先ほどから表情は変わらないものの、地下のその部屋の存在を明かしてくれた。排水の浄化をしているのだから浄水室とでも言うべきだろうか。呼び方は何であれ、わざわざ偽の配管図を渡してまで隠したかった部屋なのだ。今回の調査に役立つ部屋である可能性は高い。


「それじゃあ大人しく地下6号室とやらに案内してくれる?ルーセットさん」


ネイザーは鬼の首を取ったかのような口調でルーセット氏に返した。自分と同様、地下6号室に何かしらの手がかりがあると踏んでいるのだろう。

ネイザーも自分も調査が徒労に終わるのが免れるばかりか、むしろ新たな調査対象ができたことにより、ある種の僅かな興奮が生じていた。しかしその興奮はルーセット氏の不気味さによってかき消されることになる。

ルーセット氏は暗い瞳に微笑をたたえて、今度はこちらを見つめている。睨視は睨視で恐ろしかったが、腹の底のわからない人物に見つめられるのも中々恐怖を感じる。その微笑を伴いつつ、


「もちろんよ保健所さん。勘違いしないで欲しいのだけれど、私が部下に偽の配管図を持ってくるよう指示した訳ではないわ。きっと部下が取り違えたんでしょうね、ウフフ」


と繕うのだから尚更だ。


「どうせあの従業員と念話をしていた時にそう指示したクセによく言うわ。ま、念話の中身なんて確認のしようがないから従業員の取り違い、ってことにしてもいいけど。その代わり今から地下6号室に向かう間は念話禁止よ。テイク、ルーセットさんが念話しないように見張っといて」


「念話なんてもう出来ないのに、用心深いのね、保健所さんは。それじゃあ地下6号室に案内しましょうか。もっとも、来た道を戻るだけなんだけど」


そう言ってルーセット氏は103号室の扉を開けた。自身が隠していた部屋に案内するというのに、なぜかルーセット氏からは余裕を感じる。それに自分、ネイザーが続き、廊下に出たところでネイザーが自分に聞いてきた。


「テイクって確か、技師よね?」


いきなり調査とは無関係の質問をされて、面食らってしまった。しかも、自分が主任技師ではなく技師止まりなのは自分の悩みの種でもある。なので、返答と同時に相談をすることにしてみた。


「そうなんですよ、実は。手っ取り早く主任技師に昇進するにはどうすればいいと思います?」


だが自分の相談には一切答えず、ネイザーは黙って何か考え事をしている。確かにルーセット氏は少し対応に苦慮する部分もあるが、技師である自分だって多少は調査に貢献できていると自負してはいる。ネイザーの中でもし”テイクじゃなく、他の主任技師級を連れてくるんだったわ”とか思われていたら少し悲しい。ネイザーの質問の意義を質そうと口を開いた時、ルーセット氏が遮るように発した。


「ところで、私の部下は何をしているのかしら?この階の掃除を頼んだのに、姿が見えないわねぇ。念話にも出ないし」


自分にとってはなんでもないこの一言が、ネイザーの雰囲気を変えたように感じた。事実、ルーセット氏のこの言葉に一間も二間も置いてから、ネイザーは絞り出すように答えた。しかもその表情からはルーセット氏より優位に立っていた先ほどの余裕が消え失せている。


「どうせどこかでサボってるんでしょ。私はトイレの前で偽の配管図を受け取ってからは姿を見てないわ」


「ふ~ん。勤勉な従業員だったのに、どこでサボってるのかしらねぇ」


…何だろう、このピリピリした雰囲気は。明らかにネイザーとルーセット氏の間で嫌な沈黙が流れている。しかし、この雰囲気の正体を今この場でネイザーに聞く訳にもいくまい。当の本人が目の前を歩いている所で”ルーセットさんと何かあったんですか?”と聞くようなものである。ネイザーがルーセット氏について何かの弱みを握っていたと仮定して、”私はあなたについてこの弱みを握っています”と大っぴらに言うはずがない。逆にネイザーがルーセット氏に弱みを握られていると仮定しても、”私はあなたが私に関する弱みを握っていることを知っています”と言ってしまえばルーセット氏を警戒させてしまう恐れがある。


とすれば、自分はこの沈黙中に何ができるのか。自分でこの雰囲気の正体を考えるしかない。地下6号室に到着すれば、ルーセット氏から離れたところでネイザーと会話できるタイミングもあるだろう。だがこの雰囲気の正体は今考えなければならない気がした。ネイザーが(見たところ)うろたえている時こそ自分が頭脳労働する必要がある。片方が使い物にならない時は片方がよく働く、というのが二人組の調査での原則だ。


まずはネイザーの雰囲気が一変したルーセット氏の発言を考える。

”私の部下は何をしているのかしら?この階の掃除を頼んだのに、姿が見えないわねぇ。念話にも出ないし”

この発言からネイザーは何をくみ取って雰囲気が変わったのか?ルーセット氏が部下の所在をわからないことか?いや、ネイザーはその理由を「サボっている」で済ませたが、恐らくそれはない。ルーセット氏とあの従業員の間の念話は、偽の配管図を持ってくるよう指示し、その指示を間違うことなく聞き取ることができる程度に確立されている。もしいつでも上司と連絡ができるツールがあって、それが常時起動している間にサボることができるだろうか?しかも今日は保健所なんて面倒な連中が職場に足を踏み入れている。そんな時こそ上司と密に連絡を取って都合の悪いことが起きないよう画策するのでは?

つまりあの従業員は、サボってはいないがルーセット氏と念話ができない状況にあると考えることができる。それはどういう状況だろう。念話は声帯ではなく、脳を使って行う会話だ。脳を使えない状況というのはいくつでも考えられるが、ありうるのは睡眠、昏睡、死亡ぐらいだ。

一見健康には見えないが、重病を患っている風ではないあの従業員が都合よく睡眠だの昏睡だの死亡するとは思えない。だが、ネイザーは自分に”技師よね?”と聞いた。その真意がやっとわかった気がする。”技師よね?”と聞いたのは”重病人不動化シリンジ”を持っていないか?”と聞きたかったのではないか?あのシリンジは、主任技師以上の階級にしか携行が許可されていない。が、一たび使えば、怪力の発狂者だろうが暴れる感染者だろうが、ものの数分で不動化できる代物だ。きっとネイザーはあの従業員にシリンジを使用したのだ。配管図が偽物であることに気づいたネイザーが機会を見て従業員にシリンジを使用し、ルーセット氏の事務室で本物の配管図を見つけた、ということか。それでネイザーは手持ちのシリンジが無くなったので自分に聞いた…。

ここまで考えてきて、マズイ事態にようやく気が付いた。今の自分たちには自衛手段が無い。もしこの館に入る前に自分がネイザーにシリンジを打たれそうになっていた場面をルーセット氏が見ていたら?もしルーセット氏がシリンジの携行が許可されている階級を知っていたら?そしてあの、底の見えない余裕は?

ネイザーが自分に階級を聞いたのは手持ちが無くなったから、という暢気な理由ではない。自分を守る手段が無くなったからだ。そもそも温厚な相手であればシリンジを使う必要すらない。あの従業員はシリンジを使わざるを得ない相手だったのだろうが、目の前のルーセット氏はどうか。正直、全くわからない。この娼館の従業員はそう多くはないが、全員に地下6号室に待ち構えられては、無事にこの館を出られるかわからない。身の危険を感じてまでネイザーが地下6号室に向かっているのは、きっと一旦保健所にシリンジの補充をしに戻ると、その間に重要な書類、サンプル、物品諸々が廃棄される恐れがあると考えてのことだろう。

だが、予想通り地下6号室に娼館の従業員たる暴漢の類が会していたら、どうすればよいのだろう。非力な自分には見当もつかない。

そして残念なことに、そのことをさらに考える時間すら自分たちには残されていなかった。


あの見覚えのある鉄扉が、そしてその向かい側には、いくつかの鍵穴が穿たれた扉が待ち受けていた。


「さぁさぁ、こちらが地下6号室、詰まるところ、浄水室よ。少し待ってて下さる?」


ルーセット氏は浄水室の中を自分たちに見せることに何の躊躇も感じない様子で、どこからか取り出した鍵束の鍵を吟味しながら、一つ二つと開錠していった。開錠の音が廊下に響く度に自分の心臓は大きく跳ね上がっている。脇にいるネイザーは顔色こそいつも通りだが、目には警戒の色が隠せていない。従業員にシリンジを打ち込む度胸があるのだから、ここでも度胸を見せてほしいが、こちらには自衛手段が無いのだから、あまりわがままも言えないだろう。


最後の開錠が済み、ルーセット氏は扉を開けた。


だが、部屋の中に見えたのは、屯する暴漢ではなく、目を覆いたくなる虐待の光景であった。

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