3話目
「えー、風邪ひいたぁ?」
『ごめんねえ。休みだと思ったら気が抜けたのか、高熱出しました~』
「声へろへろだなぁ。大丈夫?」
『だーいじょぶ、だいじょぶ。で、今日行けなくなっちゃった~行きたかった~ぁぁぁ』
後半が泣きべそみたいになっている由利。ああ泣くな泣くな、と私は電話越しに慰めた。
「また3月行こうよ。それまで特別展、やってるんでしょ?」
『うん~いこぉぉぉ』
「じゃあこの前売り券、どうする?」
『わたし、今度ちゃんとお金払うからぁ。詩織の分も』
「由利のはともかく、私のはいいって! どうせだから今日行ってくるよ。前売り券は期限あるからね」
『ごめんねぇ、ひとりにさせて。どうせなら誰か誘って行ってきなよぉ~。券がもったいない』
「じゃあ誰かに売りつけるかなぁ。まあいいや、また連絡する。お大事にね。図鑑とか見てちゃダメだからね! 寝るのよ!」
『はーい。ごめんねぇ』
「もういいっていいって、じゃあね! お大事にね!」
『ばいばーい』
というわけで、一週間ある入試休み初日、いきなり予定が崩れた。
もともとは由利が持ってきた話で。魚が好きな由利は水族館の特別展の存在を聞きつけ、私に提案してきた。
『くらげ展、行かない?』と。
都市でも有名な海に隣接する水族館で、くらげを集めた特別展をするらしい。由利があまりにも楽しそうだし、私もそういうのを見るのが嫌いじゃないので、2人で行こうと予定を立てていた。
で、その由利が風邪をひいたと。
休みに入った途端風邪をひくなんて、お前はおっさんか、と思う。だって会社勤めの人って休みに入った途端寝込むんでしょ? うちの父がそうだ。
まあそんな偏見はどうでもいい。とりあえず、ひとりになってしまった、ということだ。
「どうしようかな……」
ここから水族館は1時間かかる。今の時刻は朝の9時。思いつく友達は、私以上に水族館から遠い家に住む子ばかりで、今から誘っても迷惑だな、と考える。
ひとりで行くかなぁ。
ぼんやりとそう思った。
別に私は、ひとりでどこかへ出かけるのが嫌いじゃない。人と話さずゆったりと何かを見るのは好きだし、十分に楽しめる。
じゃあいいか、と思った。
ひとりで行こう。
一応持っている前売り券2枚(由利の代わりに買っておいたものだ)を財布に入れて、ICカードを持って、あとは適当に、いくらか。
気軽な気持ちで最寄りの駅から電車に乗る。30分かけて乗り換え駅までたどり着いた。よし、これで乗り換えて5駅先で下りれば、目の前は水族館がある公園だ。
と思ったんだけど。
「あれ?」
4駅揺られてようやく気が付いた。間違えて反対行きの電車に乗ったみたいだ。
たまにやらかす私のポカミスが、ここで出た。だから親にいつまでも馬鹿にされるんだよなぁ。
自分に苦笑いをしながらその駅で降りた。何もない場所なのか、降りたのは私だけ。水族館行きの電車、すぐ来るかな。無事たどり着ければいいんだけど。
取り敢えず待つか、と錆びたベンチに座ろうとする。先客がひとり。私と同じくらいの年っぽい。
と、そこで気が付いた。
「あれ、七瀬?」
昨日教室で会った七瀬が、ベンチに座っていた。黒いコートから見えるのはカーキのジーパン。手袋もせずスマホを握っている。今まで電車に乗っていた私はそうでもないけど、今日結構寒いよ?
声をかけると、反射的に、とでもいうような速さで七瀬が顔をあげた。あげて、あ、と固まる。微妙に隈が浮いているその目が私を凝視した。
「……あのー、七瀬? だよね?」
「……俺だけど。また会った」
「ね。家、この近くなの?」
「ここが最寄り」
「そうなんだ。駅にいるってことは、七瀬もどっか行くの?」
聞くと七瀬は目を逸らし、明らかにどもった。
「い、いや、えーっと、えーとね」
「い、言いたくないことなら別にいいから」
「いや、別に、うん、何もなく、いただけ」
にこ、と笑い七瀬がスマホを仕舞う。話してもいいってことだろう。私は隣に座った。
「こんな寒い中、ただ駅にいるの? 酔狂だなあ」
「そういう遠宮さんは?」
「私? 私は水族館に行こうとして、電車乗り間違えたの」
「水族館」
にこやかに話を聞いていた七瀬の顔が、ぴたりと止まった。水族館の何にそんなに反応してるのか。私はそれを横目で見ながら照れ笑いする。
「友達が行けなくなってね。でも特別展のチケット、使わないともったいないし。ひとりだけど、行くことにしたの」
「……」
「七瀬?」
あんまりぼーっとしてるから、私は七瀬の前で手を振った。はっと我に返った七瀬は、眠い時の人がやるように、頭を振る。
「ごめん、なんでもない。へえ、水族館ね」
「七瀬は水族館とか、行く?」
「いや、最近は、全然……」
「ふぅん……」
あ、待てよ?
七瀬を誘うってのも、アリじゃない?
確かに今までは接点なかったけど、ナナハルが彼だと知って、もっと話してみたいって思うし。七瀬、普通に話してても穏やかだから楽しいし。別に気まずくはならないでしょ。
「ねえ、七瀬が良かったらなんだけど、一緒に水族館行かない?」
「え?」
言った途端、七瀬は困惑というより、恐ろしいものでも見たような表情をした。あまりの表情の変わりように驚いて、私も言葉が止まる。
「え、水族館嫌い?」
「いや、そうじゃないけど」
「友達が行けなくなったって言ったでしょ? その子の分のチケットも持ってるのよ、私。このままじゃ、チケットただの紙切れになっちゃうから。暇ならどうかなって思ったんだけど……」
途中から意図せず声が沈んでしまった。七瀬が地面を睨みつけているからだ。
あの温厚な七瀬からは想像がつかないくらい、厳しい表情。思わず私も黙ってしまった。
七瀬って普段優しいのになぁ、と思う反面、彼も人間だもんなぁ、と思った。
そりゃ、しかめっ面もするか。
「……止めとく?」
遠慮がちに声をかけると、七瀬がぼそりと、
「……いか、これも」
「え、なに?」
「なんでもない。行くよ、お邪魔します」
何を言ったのかは聞き取れなかったけど、七瀬が顔をあげて朗らかに笑った。
しんどそうな、笑みだった。




