#031「母危篤」
#031「母危篤」
@桑港市、中華街
東海林「フィッシャー。それ、幾つ目ですか?」
フィッシャー、親指で口の端に付いたクリームを拭い、舌で舐め取る。
フィッシャー「覚えてない。エッグタルトも、胡麻団子も、月餅も、どれも三つ以上は食べたと思うけど」
春麗「清々しいくらい見事な食べっぷりだね。健啖で結構だよ」
シュエット「相変わらず、よく食べますね。夕食が入らなくなりますよ?」
――フィッシャーの胃袋は、どこか異次元に繋がっているのでは無かろうか? 体内にブラックホールがあったとしても、全然おかしくない。あるいは、腸の中で食欲旺盛な寄生虫を飼ってるのかも。いや、コバンザメが引っ付いてるのかな。
フィッシャー「ン? 俺の顔に何か付いてるか?」
東海林「いえ。何でもありません。――誰だろう?」
♪スマートフォンのバイブ音。
東海林、ポケットからスマートフォンを出す。
東海林「叔父さんからだ。どうしたんだろう?」
シュエット「電話ですか?」
春麗「出たまえ。我たちのことは気にしなくて良い」
東海林「すみません。それでは、失礼して」
東海林、スマートフォンをタップし、耳に当てる。
東海林「もしもし?」
東海林の叔父『樹か? 修だ。今、話しても大丈夫か?』
東海林「えぇ。何かあったんですか?」
東海林の叔父『義姉さんが急に畑で体調を崩して、病院に搬送されたそうだ』
東海林「エエッ。母さんが?」
東海林の叔父『やっぱり驚くよな。兄さんなら、前々から肝臓が悪かったから理解できるところなんだが。……とにかく、一時的で構わないんだが、すぐにコッチヘ来れないだろうか?』
東海林「聞いてみます。ちょっと待っててください」
東海林、スマートフォンの通話口を手で覆う。
シュエット「叔父さんは、何と言っているのですか?」
東海林「母の容態が思わしくないとのことです。それで、出来れば今すぐにでも一時帰国したいんですけど」
春麗「それは一大事だ。すぐに帰って安心させたまえ。旅券は持ってるのかい?」
東海林「はい。鞄に入ってます」
フィッシャー「それじゃあ、決まりだね。急いで空港に行けば、明日には日本に着くんじゃないかな」
シュエット「そうですね。霧が出る季節でもありませんから、遅くても明日の昼までには帰国できるでしょう。航空券は、僕が手配します」
春麗「それなら我は、車を出そう。この近くの駐車場にあるんだ」
東海林「ありがとうございます、皆さん」
東海林、通話口を覆う手を外す。
東海林「すぐ、そちらに向かえそうです。明日の午前中には、何とか帰国できるかと」
東海林の叔父『わかった。それなら一旦、上野で合流するとしよう。大学の入学祝のときに立ち寄った洋食屋を覚えてるか?』
東海林「はい。老舗フランス料理店の系列店でしたね。たしか、ビルの出入り口の前に西郷隆盛の銅像があったような」
東海林の叔父『そのビルで間違いない。新青森までの切符は、俺が二人分買っておくから、そこで腹拵えしてから行こう。向こうに着いたら、ゆっくり食事してる場合じゃないだろうからな』
東海林「そうですね。わかりました。それでは、そういうことにしましょう」
東海林の叔父『何かあったら、この番号に掛けてくれ。それじゃあ』
東海林、スマートフォンをタップし、ポケットにしまう。
――ごく普通に手紙を書けるくらい、何の不自由もなかったはずなのに。平穏な日常は、いとも簡単に崩れ去ってしまうものなんだな。盤石な土台の上に堅牢な城を建てたはずが、実は砂上の楼閣に過ぎなかったということなのだろうか?




