#002「狼の女」
#002「狼の女」
@シュエットの家、ダイニング
ビクトリア「気分は、どうだ?」
東海林「さっきより、だいぶ良くなりました。十段階で言えば、三から八です」
ビクトリア「そっか。シュエットも、もう少ししたら追っ掛けファンを撒いてココへ来るだろう」
東海林「そうですか」
――説明しよう。飛び去ったシュエットに代わってやってきたのは、今、自分の横に居るビクトリアという女性だった。そして自分が東海林という者だと分かるやいなや、華奢な見た目に反した怪力で軽々と抱え挙げられ、拉致同然にバンに乗せられたのである。
ビクトリア「しかし、あの程度のことで気を失うとは情けないな。神経が細すぎるぞ、ショージ」
東海林「いきなり強制連行されて、カーレースに巻き込まれる身にもなってくださいよ」
ビクトリア「嫌なこった。自分の身は自分で守りな」
――マイクを持たせたり、舞台に立ったりした瞬間に人格が豹変する人がいるように、ハンドルを握るとスピード狂になる人もいるもの。それは重々承知していたが、信号が青になった途端に急発進して隣の車とデットヒートを繰り広げられるとは思わなかった。そして人間は、理解できない出来事に遭遇すると、パニックになって気を失うものである。自分も、それに従ったまでのこと。
東海林「ところで、ビクト……、ビッキー?」
――何故かしらないが、彼女は愛称のビッキーと呼ばないと不機嫌になる。イライラすると、ご自慢の怪力で放たれる鉄拳や豪脚でアレやコレやが破壊されてしまうので、細心の注意が必要だ。狼の亜人、恐るべし。そういえば、会ってすぐの握手も万力のように強かった。右手の骨が粉砕されたかと思ったね。漫画家人生、最大の危機だったよ。
ビクトリア「何だ、ショージ?」
東海林「ここでは有名なんですか、シュエットは?」
ビクトリア「今は作家としてココに引き篭もってることが多いけど、若い頃はモデルとして相当な人気だったらしい。まぁ、あのルックスだからな」
東海林「なるほど。人気者も大変ですね」
――良くも悪くも平均的日本人である自分からすれば、モテモテで羨ましい限りだけど、見た目に惚れられるというのも、それはそれで苦労が絶えないんだろうな。
ビクトリア「人気者の辛さは、私も共感できるところだけど」
東海林「何か身に覚えがあるんですか?」
ビクトリア「今の私からは想像できないだろうけど、五年くらい前までは清純派アイドル歌手だったんだ。二人組で、相方の結婚を期に解散したんだけどさ。正直、観客が望む物に合わせ続けて自分を見失いかけてたから、ちょうど良かったよ」
東海林「へー」
――たしかに、黙っていれば可憐な乙女と言えなくもないもんな。運送屋のツナギでなく、フリッフリのワンピースでも着てればの話だけど。何でも、さっきまで自分が乗せられていたたバンは商用車で、昼間はビールやコーラを山積みにして配達してるそうな。そして夜は。
東海林「百八十度違いますね。元アイドル歌手が、ヘビーメタルのドラマーに転身するなんて」
ビクトリア「無理したって、いずれ祟って身を持ち崩すだけだ。周囲の期待に応えるのも大事だけど、自分を偽っちゃいけないよ」
――月の光を浴びると首から上が狼の姿になってしまうというし、シャウトする姿が似合いそうなのは確かだな。魂の叫びというより、遠吠えに思えてしまうけど。