#018「甘い蜜」
#018「甘い蜜」
@シュエットの家、屋根裏部屋
――正月のカルタ取りよろしく、床の上には大学のパンフレットが散らばっている。パンフレットの下には、更に雑多な物が散らばっているんだけど、今そこは無視することにする。ミルフィーユに言及すると限がない。ボーリング調査が必要になってくる。
フィッシャー「州立高校の卒業資格を持ってれば、州立大学なら、どの学校でも入学できるんだよ」
東海林「へー。卒業試験が、そのまま入学試験も兼ねてるんですね」
フィッシャー「日本では違うの?」
東海林「日本では、そこまで卒業試験を重要視せず、入学試験に高いハードルが課されます。大学ごとに出願しないといけませんから、一つの試験を受ければ、どこでも入れるという訳でもありません」
フィッシャー「フーン。無駄な労力が多いシステムだね」
――もっと無駄なことを強いられる就職活動が、そのあとに控えてるんだけどね。手書きの写真付きの履歴書に、エントリーシートに、幾度も繰り返される面接。実際に職場で役立つかどうかより、見た目と愛想の良さと精神力が問われる理不尽極まりない登竜門。
東海林「合理化が進まないのは、選ぶ側に、自分たちと同じ苦渋を味わわせようという底意地の悪さがあるからでしょうね。閉鎖的な島国根性ですよ」
フィッシャー「されて嫌なことを押し付ける連鎖を断ち切れたら良いのにね」
――本当、フィッシャーの言う通りだよ。バブル崩壊以降、悪しき雇用慣行が蔓延しすぎだ。かつての企業戦士を馬鹿にする気はサラサラ無いけど、いつまでも体力勝負と根性論で片付けていては、国が丸ごと疲弊してしまう。シロアリやキクイムシに食い尽くされる前に対策を講じて果樹を守らなければ、やがて独りでに倒れてしまうように。
フィッシャー、床からパンフレットを一枚取り上げる。
フィッシャー「ここから直線距離で一番近いのは、このホワイトチェスナット校でさ。今のところ、第一候補なんだ」
東海林、パンフレットを受け取り、精読。
――雁福州立大学白栗校。和語読みは、しろのくり。漢語読みは、バイリー。大学街は若者の活気で溢れ、進歩的で反体制的な気風が醸成されている。我々は、世界に先駆けて何かを成し遂げたい君の来校を望んでいる、か。
フィッシャー「ここからは東の対岸にあたるんだけど、直行する船便は無いから、一度ムルベリーハーバーに寄って、そこから陸路で行くことになるんだ。もっと近ければ、遠泳で渡るなり、筏を作るなりするところなんだけどなぁ」
東海林「大海原を泳いで横断しようとするなんて無茶ですよ。一日や二日だけならまだしも、四年間通う訳でしょう?」
フィッシャー「毎日は厳しいけど、週に一度くらいなら」
東海林「良い子は大人しく連絡船に乗るものですよ、アドルフ」
フィッシャー「アリーの真似はやめてくれよ、ショージ」
東海林「ハハハ。それにしても、色んな学部がありますね。アッ」
フィッシャー「ン? 何か面白い学部でもあったか? その辺は、芸術とは関係ない学部だけど」
東海林「アッ、いえ。何でもありません」
――東アジア言語文化学部、漢字文化研究学科で研究されてるのか、石黒教授。チュンリーの言う通り、見た目は極々一般的な日本人だな。四十歳くらいにしか見えないけど、これでも二百歳を超えてるだよね?
東海林「アジア系の教授も多いですね」
フィッシャー「中華街があるくらいだから、東洋人に対する偏見や差別意識は皆無に等しいよ。ただ日本人は珍しいから、目立つし、好奇に晒されやすいかな。それにショージは亜人じゃないから、余計にね。悪気は無いんだけど」
東海林「ここに来てから、日本では考えられないくらい数多くのカルチャーショックを受けましたけど、悪意を感じたことは一度もありませんよ」
フィッシャー「良かった」
フィッシャー、東海林を抱きしめる。
東海林「ノワッ」
フィッシャー「何があっても、俺はショージの味方だから。嫌なことをされたり言われたりしたら、すぐに俺に言ってくれよ」
東海林「わかりました。早速ですが、フィッシャー」
フィッシャー「何? 何でも聞くよ」
東海林「ハグを解いてください。息苦しくて」
フィッシャー、東海林を放す。
フィッシャー「ごめんごめん。この癖も改めるよ。――だけど、この学校には難点があるんだよなぁ」
東海林「何が気に食わないんですか?」
フィッシャー「ソーダ税っていうんだけどさ。肥満や糖尿病を防ぐことを目的として、炭酸飲料に課税されてるんだ。おかげで、コーラが割高になってるらしくてさ」
――どれほど高尚な議論も、最終的に行き着く到達点は、割合に身近な問題である。まして、男子高校生の悩みをや。




