第165話「魂を選びし者(1)」
――…………さま………起きて、勇者様!
不意に響き渡ったのは、誰かの必死な呼び声だった。
ぼんやり意識が戻った瞬間、拓斗の目に飛び込んできたのは。
澄み渡る、黒の闇夜。
静かに輝く、白の満月。
寂しそうに佇む1人の少女――
「り、リィルさん?!」
瞬時にして拓斗の頭が冴え渡り、高速で回転し始めた。
――リィル・ヴェーラ。
彼女を初めて拓斗が目にしたのは、この世界に呼ばれる前のことだった。
夢にしては妙に鮮明すぎる。
しかし現実にしてはリアリティが無さすぎる。
過去の彼女との出会いは、拓斗にとって何がなんだか分からないまま終わってしまっていたのだ。
「……よかった…………ようやくお話できそうね、勇者様」
リィルは儚く微笑んだ。
相変わらずか細くはあるが、やたらしっかり聞こえる声。
「えっと……リィルさんとお会いするのは、これで3回目ですよね」
「いいえ。4度目よ」
「へ? ――いやだって、この世界に来た時が1回目で、2回目が小鬼の洞穴で敗北した直後で、それで今回だと思うんですが」
「あら。小鬼の洞穴と今回の間に、もう1度会ったわ」
「ちょっと待ってください! いつですか、それ?」
「毒鼬の穴蔵よ。あ、でも、そういえば、あの時の勇者様はずいぶん取り乱していて、私のことも気に留めてすらなかったようだったから……記憶になくても当然かもしれないわね」
「なんかすみません……」
懸命に思い出そうとした拓斗だが、全くもって心当たりがなかったのである。
だが1つだけ気づいたことがあった。
――これまでとは何かが違う。
今までリィルと、こんな風に喋ることなどできなかった。
しいて言うなら小鬼の洞穴でかろうじて初めて名前を聞けたぐらいだろうか。
ならば今のうちに色々確認しておかねば!
そう直感した拓斗が慌てて聞いた。
「あの、そもそも俺、状況がよく分かってないんですが……今って夢なんですか? それとも――」
「夢……ではないわね」
リィルはゆっくり口を開く。
それから1つ1つ単語を選ぶかのように、慎重に言葉を発し始めた。
「だったら現実ですか?」
「ええ。そうなのだけれど……“勇者様の考える現実”とは、別物かもしれないわ」
「というと?」
「私は今、勇者様の魂に直接、語りかけているの」
「魂? ――あっ」
彼の脳裏に蘇ったのは、かつて魂として呼ばれた初日の出来事。
そういやあの時も夢と現実の狭間みたいな感覚だったなと。
「……もしかしてリィルさんも神様だったり?」
「恐れ多いわ! 滅相なことを言わないで!」
「すっ、すいませんッ!!」
顔をぷるぷる横に振り全否定するリィル。
拓斗は即座に謝った。
「じゃあいったい何者なんですか? 普通の人なら魂に語りかけるとかできませんよね?」
「そうねぇ……私はあなたを勇者に選んだ者……とでも言っておこうかしら」
「ってことはリィルさんが『選定者』?」
「ええ……神様は、そうおっしゃってたわ」
拓斗が呼ばれた初日、確かに神は言った。
勇者を選んだのは神自身ではなく『選定者』だと。
「でもどうして俺を選んだんですか? あのゲームを遊ぶプレイヤーは俺だけじゃなくて、誰よりもスキルを使いこなして戦える人とか、先陣を切って魔物の倒し方を発見した人とか、正直、俺なんかより凄い人も数えきれないぐらいいたはずです……なのにどうして俺だったんでしょう?」
神は言った。
拓斗を勇者にと選んだ『選定者』は、太鼓判を押していたと。
確かに拓斗は発売日に『Brave Rebirth』を買ってから、寝る間も惜しんでプレイし続けていたし、それなりには詳しいほうだと思う。だが有志プレイヤーが情報を交換し合う攻略サイト内では、そこまで目立つ存在ではなかった。
さらにこの世界に来てからは、さんざん「勇者っぽくない」と言われまくる日々が続いた。
今のところは割と確実に各地を浄化できてはいるし、テオをはじめ勇者として信頼してくれる仲間もできたものの、「俺よりもっと適任がいたんじゃ?」との疑問がぬぐい切れてはいない。これもまた本心である。
リィルは少し考えこんでから、口を開いた。
「…………あのね、私、未来が見えるの」
「そりゃまたすごいですね」
「あら。そうでもないわ……だって未来って1つに決まってるわけじゃないんだもの。私が見えるのはあくまで可能性にすぎないのよ」
「可能性というと?」
「未来にはね、無数の可能性があるの。私は見ようと思えば全ての可能性を見ることができる。だけどそれには膨大な時間が必要で、それは現実的じゃないわ。だから実質、私は限られた可能性だけしか見ることができないの……私は出来うる限りの可能性を観察し、そして今回の魔王を倒すために必要な条件を導き出したわ…………その条件を満たすのが、他でもないあなただったの」
「俺が? その条件っていったい――」
「――な~いしょ! うふふ……」
拓斗の言葉を遮ると、リィルは自由な小鳥みたいに楽しげな笑い声を響かせた。
「いや、すごく気になるんですけど」
「ダメなものはダメ……そのかわりに教えてあげる。魔王は勇者様を殺せないわ」
「……へ?」
思わぬリィルの発言に、拓斗はぽかんと硬直してしまったのだった。