第138話「ザーリダーリ火山の、初見殺し(3)」
無言のまま数分歩いたところで、ふいに、1人先を行くムトトが立ち止まった。
彼は何も言わず、ただじっと前方を見つめている。
つられて立ち止まった俺とテオも、その視線の方向へと目をやった。
だが目の前に広がるのは、何の変哲もない岩場のみ。
ムトトはなぜ、他と変わりなく見えるその場所を注視しているのか?
それが分からない俺達は、再び顔を見合わせる。
理由を知るには直接ムトト本人に聞きさえすればよいのだろうが……彼の後ろ姿は変わらず重苦しく、自分達から話しかけることなど到底できそうになかったのだ。
「……あと僅かで……ほんの僅かで……我々全員、無事に逃げ切る事ができたはずなのであル」
程なくして、ムトトがつぶやく。
口調はいつも通り物静かではあるものの、どことなく悔しさや怒りなどをにじませるような彼の言葉。
揃って気付く俺とテオ。
ひと呼吸おいてから、恐る恐るムトトへと近付いてたずねてみる。
「……あのムトトさん」
「もしかして、ここって……」
「うム……恐らくは察しの通りダ。我がニルルクの民が1名、命を落としたのは……丁度、この場所なのであル」
3年前、世界各地で魔物の動きが活発になり始めた頃。
突然ザーリダーリ火山の山頂付近から霧があふれ出てきて、同時に火山中腹にあるニルルク村を含めた一帯は、全域が魔物だらけのダンジョンへと変貌。ニルルク村の中にも急に魔物が現れたことから、村人達の多くは慌てて逃げ出した。
大半は何とか逃げることができたが、それが全員というわけにはいかず……道中で村人1名が犠牲となってしまったのだ。
事前に、俺とテオが聞いていたのはここまで。
逃げる途中のこと、特に「なぜ村人が命を落としてしまったのか?」という詳しい原因について、ムトトは多くを語ろうとしなかったし……ル・カラジャに住む他のニルルク村の人々に尋ねるのもはばかられた。
ニルルクは、人口2桁前半のみの小さな村で、住民は獣人のみ。
獣人族特有の温和で暖かい空気が村中にあふれていることもあって、村人達は全員家族のように仲がよく、お互いを思い合って生きている。
彼らにとって、村人1人を亡くすということは、いったいどのような意味を持つのか……考えるまでもないだろう。
諸々ふまえた結果。
俺達は「犠牲者に関しては、当事者が話そうと思うまで、こちらから触れないでおくのがよい」と判断し、そっとしておいたのだ。
「……村に突如魔物が満ちたあの日。我々ニルルクの民の多くは恐れ戦き……逃げ出す事を選んだのであル。村を捨てるというのは不本意であり、苦渋の決断。それもこれも、我々が生き抜くにはこの道より他に無いと感じたからこその選択。持てる財産も故郷の地も全て諦め、願うはただ我ら全員の無事のみ……それさえあれば他には何もいらヌ。その思いだけを胸に、我々は火山を下り始めたのであるが……」
ムトトは正面を向いたまま、ぽつり、ぽつりと、かつての記憶を語り出した。
彼によれば、村の人々と共にザーリダーリ火山から逃げ出す道中で、見たことも無い魔物にたびたび襲われたらしい。
数十名の村人のうち、それなりに戦える者は半数程度。
残りの半数は、ステータスやスキルが戦闘向きでない者や子供達。
とにかく何よりも“人命”を優先すべく、ムトトをはじめとする戦える者がそうでない者を守る形で、慎重に登山道を下って行った。
度重なる狂暴な魔物との戦闘を潜り抜け、ようやく麓近くまでたどり着いたところでヒートゴーレムが出現、一同へと襲い掛かってきたのだという。
ゴーレム族には、獣人たちが得意とする【火魔術】が全く効かないことから、なかなかに苦戦したものの、かろうじて倒すことが出来たのだが……。
「……その瞬間。先陣を切り、魔物と刃を交えていた我々の背後から、あの……忌々しき風切り音が聞こえてきたのダ……振り向いた際には既に手遅れであり、彼女は……彼女の体には…………」
言い淀みながらも何とか説明しようとするムトトだが、それ以上言葉を続けることはできなかったようだ。
たぶん“彼女”は、火鴉にやられてしまったんだろう。
さっき自分達がヒートゴーレムと戦った時も、戦闘を無事に終えようとした瞬間のテオを狙い、赤い鳥型の魔物・ファイアレイヴンが空高くから襲い掛かってきた。
降下時に聞こえたビュウッという音は、少し離れたところで戦っていた自分の耳にも背筋にも寒気が走るほど大きくて……あれはファイアレイヴンが恐ろしい勢いで空気を切り裂いている様の象徴と言っても過言ではない。
テオの場合は事前に綿密な作戦をたてたり、スキルを駆使しつつ回避する練習を行ったりしていたこともあって、何とか避けることができた。
対してムトトらニルルク村の人々が襲われた時はと言えば、対策も何も、正真正銘の初見状態。で、あんな勢いの初見殺しの不意打ちを食らってしまったら……普通に考えて、避け切るのは無理に近い。
攻撃を受けた“彼女”は、おそらく、その急襲で…………。
考えをまとめた俺が隣を見ると、神妙な面持ちのテオと目が合った。
うなずくテオを見る限り、きっと俺と同じような想像をしているに違いない。
ここでムトトが片膝をつく。
そして腰に付けた魔法鞄から、可愛らしい小ぶりな紙包みを取り出し岩場へと置くと、おもむろに口を開いた。
「……彼女は、甘い菓子が大好物でナ……他の街に出かけた帰りなど、珍しい菓子を土産として渡すと、毎度毎度、飛び上がるかのごとく喜んで包みを開けていたのであル。菓子をほおばる彼女の顔は、まさに“幸せの塊”……あの笑顔は3年経過した今でも鮮明で、忘れる事など到底不可能…………それは我々ニルルクの民に共通の思いなのであル。だからこそ、火山を浄化し我が村が復興した暁には……改めて、真のニルルクの地で、彼女の弔いを執り行いたいと考えているのダ」
遠い昔に思いを馳せるかのような表情で、紙包みを見つめるムトト。
ただただ黙って彼の気持ちを汲み取り続ける俺とテオ。
そんな時間がしばらく流れたところで、すくっとムトトが立ち上がった。
「……時間を取らせたナ。我が村へは、まだかなり距離があル。魔物と戦いながらという点を考慮すると、日のあるうちに着きたいのなら先を急がねばなるまイ」
再び先導するように歩き始めるムトト。
彼の背中からは、先程までの重苦しさが消え去っていた。
耳もしっぽも凛と美しく立っていて、俺からは、いつも通りの頼もしい後ろ姿に戻ったように見えたのだった。