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 狭くて質素な部屋に、リリアは閉じ込められていた。

 一応貴族の令嬢でまだ毒を盛った犯罪者と確定したわけではないから、牢屋ではないらしい。

 それでも簡易なベッドとテーブルしかない部屋では心細くなる。

 景色を見て気を紛らわそうにも窓には鉄柵がはめられていて、見るたびに悲しくなった。


 そこへ、来客があった。

 

「エドワード様!」


 監視の兵に鍵を開けられ部屋に入ってきたエドワードに、リリアはソファから立ち上がって駆け寄った。

 助けに来てくれたのか。


 それとも―――。


 不安と期待がない交ぜになった気持ちで、エドワードを見上げたリリア。

 しかしエドワードの瞳は暗く、憎しみを携えたものだった。

 リリアはきゅっと唇を引き結んでから、はっきりと声にだして訴えた。


「……私は、何もしていません」


 嘲笑するように、彼は唇から息を吐く。


「はっ、白々しい。幸いシンシアは一命をとりとめたが、死んでいたらお前を殺していたところだった」

「……なにも、していません。なにも」


 好きな人に向けられる、侮蔑と嫌悪。

 それにリリアの胸とお腹の奥を蹴り傷つけられているみたいだった。

 じんじんと身体の内側全部が痛くて仕方がない。

 どうにか泣かないように耐えるリリアに、エドワードは目を剣呑に細める。


「シンシアの飲み物に薬を入れていたという目撃情報がでてきてな、実行犯はすぐに捕えられた」

「っ! ではもう私の無実は証明されたのでしょう!?」

「はぁ? 何を言っている、その者がお前に指示をされたと吐いたんだ」

「え……?」


 呆けて唇を開いたままエドワードを見上げるリリアを、彼はもう一度鼻で笑う。


「シンシアのいじめに対しても、女性徒たちがまとめてリリアに命令されて断り切れなくてと泣きついて来たぞ」

「なっ!?」

「足掻いても無駄だ。一人の証言ならともかく、相当な人数が揃ってお前がシンシアへ危害を加えた首謀犯だと証言している。ここまでの証言が集まれば、罪は確定的なんだよ」

「そん、な……うそ…」


 一人だけの言うことなら証拠不十分だったのに。

 

 

 ……おそらくシンシアの苛めに少しでも加担していた子たちが、自分達に容疑の疑いが掛かるのを恐れて、結託してすべてをリリアへ擦り付けようとしたのだろう。

 苛めをしたなんて、公になれば家の評判も傷つくし将来に響くから。

 だから全部、何もかもの後ろめたい行いを皆でリリアに押し付けた。

 積極的に虐めをしていた人は片手に数える程度だけど、雰囲気に流されて嫌味を言ったり仲間外れにしたりしたのは相当な数だ。

 それだけの数の人の声がそろえば、さすがに物的証拠がなくても罪は確定してしまう。


 ショックで何も言えないリリアに、エドワードは憎々しげに恨み言を吐き捨てる。 


「ふん。元々、リリアとは気が合わないと思っていたんだ」

「…………」

「シンシアのように愛らしく甘えてくれるでもなく、シンシアのように無邪気さも可憐さもなく、お高く止まって見下ろされている感じが本当に嫌だった」

「………」

「君が罪人になったことで、もちろんあっさりと婚約解消は承諾されたよ。それだけはまぁ良かったかな。あとは父上にシンシアの素晴らしさを話して認めてもらい、男爵家に縁談を申し込めばいいだけだ。公爵家からの申し込みが断られるはずもない」


 それからも、エドワードの口からはリリアへの文句とシンシアへの愛が次から次へと溢れだす。

 よっぽどリリアへの不満をつのらせていたのだろう。

 大好きな人から突き付けられる台詞に、リリアはもう唇を震わせ涙を落とす。

 すり減り続けてきた心が、エドワードの言葉の暴力によって粉々に崩れて壊れていく。

 もう、限界だった。

 耳を塞いで「もうやめて」と泣き叫んでしまいそうになった――その一瞬だけ手前で。


 

 息継ぎのためか一拍の間を置いたあと、思わずといったふうに彼がポロリと声を落とした。



「……どうせ、僕たちは続かなかった」


 

 それまでの怒りばかりの表情とは違う、泣き笑いのような顔を見せたのだ。



「エドワード様?」



 まるで拗ねた子供のように、エドワードがふいっと顔を背ける。


「……こんな嫉妬の仕方しなくても、元々リリアは完璧な令嬢に成長していたよ。本当に完璧だった。でも僕は……全然だめだった」

「エドワード様が駄目なんてこと、絶対ありません」

「いいや。公爵になるための勉強が僕は苦痛で苦痛で仕方がなかった。逃げたかった。それくらい僕にとっては苦しくて窮屈で嫌なことだったのに、リリアにとっての勉強はやりがいがある楽しい事だった。その時点でもう、足並みはそろってない。僕には、シンシアが丁度いいんだ。隣に居て安心できる。しかも楽しい。彼女となら同じ場所を見てやっていける!」

「同じ場所……?」



 リリアは茫然と目を見開いたまま固まってしまった。




(私は、エドワード様と同じ位置に、立ったことがあった……?)


 確か幼い頃は一緒に対等に遊んでいたけれど、でも婚約が決まってからは変わってしまった。

 

 たとえば歩くときは、一歩下がって着いて行くこと。

 彼が失敗をすれば、さりげなくフォローすること。

 公爵夫人になる者としてふさわしい言動と行動をいつも意識するようにすること。

 正しい公爵家の婚約者としての行動が完璧に出来るたび、リリアは達成感を満たされて嬉しかった。

 これで目指す大人に一歩近づけたと思えたのだ。



(でもエドワード様にとっては違った? 次期公爵になるための努力は苦しい事だったの?)


 


 ―――あぁ、そうか。と妙に納得してしまった。


 シンシアがどうしてエドワードとあんなにあっさり打ち解けられたのかと言う疑問が、解けてしまった。

 彼女は庶子の生まれだからこそ貴族の立ち位置に無頓着だ。

 だから何も頑張らない、公爵らしくない素のままの彼でもそのまま受け入れて、同じ位置で話せるのだ。

 リリアはもっと先の方、未来の結婚した後のことを考えて先ばかりをみて何もかもを行動してきたけれど、シンシアは今のエドワードと視線を合わせてきた。苦しんでいたエドワードと、並んでくれた。



(私はたぶん、間違ってないわ。だってエドワードさまの言うことはただの甘えだもの。公爵家夫人になる者として私の行動は正しかった。でも、エドワード様は別に間違っていてもいいから、周囲に笑われてもいいから、自分と同じ目線でものを見れる人が良かったと)



 リリアは同年代の子達よりも厳しい勉強が結構好きだった。

 やりがいがあって、結果が出るのが嬉しかった。

 頑張ることが苦ではなかった。


 でもエドワードはそうではなかった。

 彼にとって勉強を頑張ることは苦しいことだった。

 父親の言いつけ通りに勉強する彼をただ誇らしいなと思っいたリリアは息抜きをするべきなんて……考えもしなかった。

 でもきっとシンシアなら、「したくないならいいじゃない」なんて言って。ピクニックに誘ったりしてしまうのだろう。


(私には出来ないわ。責務を放り出すことを勧めるなんて。……この間、学校の授業を一人でこっそり一度ずるやすみしただけでもう罪悪感でいっぱいだったのに。巻き込むなんて)


 シンシアが他のたくさんの男子に人気なのが分かった気がした。

 貴族の男子は重い責務を持っている。

 その重みを貴族社会に入ってきたばかりの彼女は充分に理解できていないがゆえに、素の顔を見せてしまえるのだ。


(私、間違えたのね)



 公爵夫人という名にふさわしい大人になりたくて、未来ばかりを気にかけて、今隣にいるエドワードを見ていなかった。

 婚約者らしく(・・・)してくれていた彼は無理をして作った彼だったのに、ときめいて素敵だと思って憧れていた。


 そして素のエドワードを受け入れてくれたシンシアを毒殺ようとした相手として、リリアは今思い切り恨まれている。


 やっと見つけたシンシアという光を奪おうとしたリリアを、憎んでいるのだ。



「――――逃がさないように見張って置けよ」


 エドワードが扉へ向かいながら監視の兵に言い捨てた台詞は、もう完全に婚約者に対してではない。


(ううん。もう元婚約者か……)


 そんなふうに逃げる心配なんてしなくなって、もうリリアにそんな気力は残っていないのに。




 リリアはエドワードが好きだった。

 シンシアが現れるまでは本当に理想的な婚約者だった。

 それが無理をして保っている姿だなんて想像もしていなかった。

 

 これから頑張って必死に罪を否定しても、たとえ今回の無罪を証明できたとしても、もう婚約解消は決定してしまっている。

 いくら容疑を晴らしたって、エドワードが自分を愛してくれる日は、きっと来ない。


(私は、エドワード様の妻になるにふさわしい大人になることだけを目標に、生きて来た)

 

 それが間違いだったのならどうしたらいいのか。

 彼の妻になれないのなら、何をすればいいのか。

 これからどんなふうに生きて行けばいいのか、リリアには分からない。

 それくらい、リリアはまっすぐに公爵となった彼の隣の席を目指していた。

  


 エドワードが部屋を出て行ったあと。

 くしゃりと、リリアの顔がゆがむ。

 涙が止まらない。みっともなくも鼻水まで溢れてきた。


 自分ではだめなのだと理解してしまった。

 公爵家の妻としては十分かもしれない。でもエドワードという一人の男の人と人生を歩むことは自分には出来ないのだ。


「っ、ゃ……や。だあぁぁぁぁーーー」


 そう零したのを皮切りに泣いて、わんわん泣いて。嘆いて―――。

 

 リリアはもう、なにもかもを諦めた。


 もう、全部が嫌になった。

 愛した人と結ばれないどころか、憎まれ蔑まれるなんて。

 頑張ったこと全部がエドワードが離れていく原因だったなんて。


 もう頑張れない。


 自棄になってしまったリリアはまともな反論さえしなかった。

 そのまま醜い嫉妬にかられて毒殺を企てた殺人未遂犯へと仕立てられ、ひと月の牢獄生活の後に、国外追放となったのだった。



* * * *






 ――――罪人の集められる収容所の裏手。

 まだ夜も明けきらない早朝に、ひっそりと一人の令嬢が外へ出された。

 裏門の脇に付けられたのは、国外追放となった彼女をこれから国境まで送り届けるための馬車だ。


 兵に手縄をひかれ馬車に乗り込もうとするリリアに、そこで待ち伏せしていた女性が駆け寄ってきて縋る。


「リリア様! 私もリリア様に着いて行きます!」

「まぁ、メイ」


 侍女のメイの顔に、リリアは久し振りに口元をほころばせた。


「リリア様、お願いします。私も一緒に」

「駄目よ。連れて行かないわ」

「嫌です! リリア様のお世話をするのは私です!」

「もう……、貴方は私付きの侍女ではないのよ。お父さまに言われたのでしょう?」

「いいえ! 侯爵様の命なんて関係ありませんわ! 給金だって必要ありません!」

「メイ……」


 リリアは頑なな侍女に眉をさげて困惑しつつも、嬉しくて口元はずっとほほ笑んでいた。


(メイまで共犯なんて言われなくてよかった)


 一番リリアの手として動きやすかった侍女という立場のメイだが、事件のあった前後はパーティの準備を手伝い、忙しく立ち回っていたらしい。

 人目のある場所にずっといたから手伝いは不可能だと、無罪放免となっていた。


(でも、絶対に連れて行けないわ。だって――)


「……貴方には護らなくてはならない家族があるでしょう。それに、子どももね。大切にしなくては」

 

 少し膨らみはじめているメイのお腹に、リリアは視線をやった。

 最後にそこを撫でてみたかったけれど、手縄で拘束されているから見るだけだ。

 もう三ヶ月ほど後に生まれる新しい命を宿しているメイを、連れてなんていけない。 

 それに彼女の大切な夫に申し訳なさすぎる。

 これ以上心配かけないように、リリアは明るい笑顔を作った。


「大丈夫よ。私が案外しぶといの、メイは知っているでしょう? それに落ち着き先はもう当てがあるから心配いらないのよ。贅沢は出来ないけれど普通に暮らす分に不自由はないの」

「あて……? お世話になれる場所がきちんとあるのですか? 本当に?」

「そう。だから平気よ。落ち着いたら手紙をだすわ」


 当てがあるという台詞に、メイは少し安心したようだった。

 大丈夫、何も心配はないと、繰り返して彼女を留める。

 しぶしぶだがなんとか引き下がってくれたメイは、拘束されたままの手をきつく握って別れをおしんでくれた。


「きっと、きっとですよ! きっと手紙、くださいね! 何年後になるか分からなくても、私

絶対会いに行きますから! 必ず! 約束です!!」

「えぇ。ありがとう、大好きよ。メイは私の一番の侍女で、一番のお友達だわ」

「リリアさまぁ……」


 ぽろぽろと泣くメイを慰めたかったけれど、リリアは繋がれた縄を引かれて馬車に乗せられてしまう。



「……?」



 腰を落ち着けてから首を傾げた。

 

(囚人の護送用馬車にしては、ずいぶん普通ね? もっと窓や扉部分に柵とかあるのを想像していたのだけど。目立たないようにあえて普通にしているのかしら)


 今まで使ってきた公爵家の高級馬車ほどの乗り心地ではないけれど、椅子にはそこそこクッションも効いていた。


 リリアの手首で拘束されていた手縄の先は、兵から御者へと渡されたようだ。

 馬車の側面に結び付けられたのが見えた。

 おそらく国境で放り出されるまではこの縄が解かれることはないのだろう。


「リリア様、どうかお身体に気を付けてください! きっと連絡をくださいよ! きっと!」

「メイ、メイ。ありがとう。大好きよ」

「お元気で……!」


 顔をくしゃくしゃにするメイに見送られ、男爵家令嬢に陰湿な嫌がらせを繰り返し、毒殺まで企てた罪を背負わされたリリアを輸送する馬車は走り出した。

 



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