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「去年までのパーティーとは比べ物にならないわね」
完全に壁の花となって、賑やかなパーティーホールを遠い目で流れるリリアはため息を吐きながらそう漏らした。
ずっと独りぼっちだ。つまらない。ほとんどの女子生徒たちとは先日のシンシアを虐める側に入らなかった件で、虐められている程ではないけれど距離を置かれているからお喋りする相手もいなかった。
シンシアにもリリアにもついていない中立派の平和主義な生徒は、リリアのようなキツそうな性格に見える子には元々あまり近づかない。
「まぁ、これくらいでヒビの入る友情しか育んでこなかった私も私だけど。あーあ、まったくつまらないパーティだわ」
去年まではパーティーの開始から終わりまで、ほとんどずっとエドワードが傍にいてくれた。
華やかな容姿の彼はパーティー用の装いでいつも以上にキラキラ輝いて見えたし、リリアも負けないように思い切り着飾って、楽しんでいた。
でも今年は、興味津々といった人の目にさらされまくりの居心地の悪いパーティーだ。
「楽しそうだこと」
ジュースの入ったグラスを傾けながら、ややささくれだった気分で、ワルツに合わせて踊る人々をぼんやりと眺める。
「あ」
曲の変わり目、それまでダンスに興じていた一組のカップルがダンスの輪から外れてこちらにやってきた。
リリアのいる一画はテーブルがいくつも用意された食事スペースだ。
ダンスをして喉が渇いたのだろう、二人で勢いよくミネラルウォーターらしきものをあおっていた。
「いくら喉が渇いていると言ったって、もう少し上品に飲むべきですわ。エドワードさまもシンシア様も、みっともない」
唇を突き出して、つい嫌味を吐いてしまった。
はっと我に返って口元を押さえたが、幸いにも誰にも聞かれなかったようで肩を撫でおろした。
……壁際にいるリリアと彼らの距離は三、四メートルほどだろうか。
(こんな近い距離にいるのに、気づかない)
お互いを見つめ合うことと話すことによっぽど夢中らしい。
周りの人たちの方が、リリアとエドワード達を交互に見て困惑している。
中には修羅場が起こるのではと期待に満ちたキラキラした視線も感じた。
「あら? シンシア様の様子が……」
視線の先で、シンシアの身体が少し傾いたかと思った瞬間。
「シンシア!?」
エドワードから悲鳴のような声があがった。
同時に、シンシアが口元を押さえて床の上にへたり込む。
間を置かずに二人の持っていたグラスの割れる音が甲高く響いた。
「どうした!」
「シンシア! 平気か!?」
「何があった……!」
口元を押さえて床に膝を付いているシンシアを、周りの男子たちが青い顔で取り囲む。
エドワードに支えられてどうにか腰を起こしている状態のリリアが、抑えた指の隙間からか弱い声で言葉をもらした。
「なにか、飲み物に……」
「飲み物!?」
「毒か……!」
「なんということだ……!!!」
飲み物に毒が混ぜられていた、リリアの周囲の男たちによりそう結論づけられ、周囲でグラスをもって歓談していた者たちが顔を凍らせた。
想像は波紋のように広がっていき、ダンスを踊っていた人も動きも、楽団の音楽もとまり、ザワザワと空気の張りつめた騒がしさが広間を締めていく。
「あ」
その時――――――リリアとエドワードの視線が交差した。
次の瞬間、エドワードの瞳は憎しみの色へとすさまじい勢で染まっていった。
「お前か! お前がやったのか……!」
シンシアを抱きしめながらエドワードが叫びに釣られ、彼の睨む先にいたリリアをみんなが揃って振り返る。
囲む疑いの目の数の威圧に、リリアは思わず後ずさりしてしまった。
リリアはもちろん何もしていない。
疑われる筋合い何てまったくない。
「な、なにを馬鹿なこと……」
「シンシアを虐めていただろう」
「してません!」
「シンシアに、敵意を向けていただろう!」
「っ……」
否定が出来なかった。だってリリアは、彼の言う通りシンシアを嫌いなのだ。
「やはりな」
「こ、婚約者に手をだした女を好きになれるわけないでしょう!? でも私は何もしていません!!」
それにいくら嫌いだからって毒なんて盛らないし、そんな考えさえ起こさない。
リリアは見た目はきつくみられるけれど、いたって平和主義者なのだ。
そう、必死に訴えたけれど、
誰もが疑いの目を緩めることはなく、更にぐっと腕を掴まれ後ろにひねりあげられた。
「痛っ‼ 何するよ!」
「貴方を拘束させていただきます」
「は?」
「シンシア様になんてことを。可哀想に、今日は綺麗なドレスを着られて嬉しいと無邪気にはしゃいでいたのに」
ギリッと肩の骨が軋む音がして、リリアは痛みに眉を顰めた。
「痛いってば……おやめなさい!」
「逃げるつもりだろう! そうはいかないからな!」
リリアを捻り上げているこの男、いずれ騎士になるだろうと言われている男だ。
相当の腕っぷしをもつ男に、鞄より重いものを持ったことがない生活をしてきたリリアが叶うはずがない。
痛くて、疑いの周りの目も辛くて泣きそうだったけれど、ここで泣き顔を見せれば負けな気がした。だからリリアは唇をかみしめて耐え、男を睨みつけた。
(そういえば、この人の婚約者の令嬢も学園にいたはず。シンシアに骨抜きにされて親の承諾もなく婚約解消を迫られて困っていると聞いたわ)
自分の腕をひねりあげる男は、躊躇なくシンシアに敵意を向けてくる。
リリアには何故たくさんの男たちがシンシアにほれ込んでいるのかが分からない。
確かに守ってあげたいくらいに儚く可愛らしい少女だけど、でもどうしてここまでと不思議で仕方がないのだ。男にしかわからない魅力というやつだろうか。
「シンシアを、シンシアになんてことを……もし取り返しのつかないようにことになったら、お前を殺してやる……!」
引き絞るかのように耳元で吐き出された男の台詞に、ゾッとした。
今、冗談でも虚勢でもない、本気の殺意を初めて向けられているのだ。
ずっと守られる立ち場だったリリアには恐怖でしかない。
そしてリリアが男の殺意に気圧されている間に、エドワードは他の男子生徒たちとともにシンシアを運んでいく。
「医師に見せなければ」「早くベッドに」という声がいくつも聴こえた。
リリアはこの恐怖から助け出して欲して、エドワードの背に必死に声を上げる。
「エドワード様‼ エドワード様待ってください! 私は無実です!」
「うるさい! お前などもういらない……!!!」
「そんなっ」
言い捨てたエドワードは、そのまま焦った様子でシンシアを支えて会場を出て行ってしまった。
「な…んで……?」
後ろ手を男子生徒に拘束されたまま、放心したリリアはぐらりと足元から崩れ落ちる。
「うそ……。こんなの、うそよ……」
『いらない』なんて、聞きたくなかった。
こんな状況に嵌められている状況を、信じたくなかった。
自分が放り捨てられたなんて、認めたくなかった。
でもどう振り返ってみても――――これはもう、駄目なのだ。エドワードはリリアを憎んでいる。
(婚約者なんて、全然安定した立場でなかったのね……)
遠からず、リリアは婚約を解消されるだろう。
エドワードに、捨てられてしまう。
彼の妻にふさわしくなる為だけに生きてきたのに。
放心状態だったリリアだが、視界の端で動いたそれに気が付いて、はっと顔を上げた。
「だめっ……やめなさい!!!!」
力なく項垂れるばかりだったリリアが大きな声を張り上げた。
「なんだ?」
「いまさら悪あがきかよ」
どうやら拘束しようとする男に発したものだと思われたらしい。
最後の抵抗かと、にやにやと勝ち誇ったような目をシンシアの周囲のとりまきの男たちから向けられた。
しかしリリアの視線の先は、彼らを通り越してその向こう側にいる給仕の恰好をした男に向けられていた。
(ゼンの馬鹿っ‼ どうしてここにいるの! これ以上問題を増やさないで!)
給仕に変装をした、護衛騎士のゼンの姿があったのだ。
さらにゼンが懐に手をやる動作をみて、そこから短剣を取り出そうとしているのだと察してリリアは思わず制止する声を出したというわけだ。
生徒同士のいざこざで手を出さないように言っていたし、事実いままでそうしてくれていた。
でも彼が手を出さない範疇を越えたという判断だったのだろう。
しかしリリアは、首を降って拒絶する。
助けなんていらないと。
誰かの手を借りたくはないと、突っぱねた。
そうやって突っぱねるわりに、身体は恐怖と混乱でガタガタ震えているのだけれど、それでも意地を張っていらないと拒絶する。
(ただの強がりと言われればそれまでだけど、だって私は、無実だもの……‼)
ここで学生だけの入場という規則を破って騎士を入れたうえに刃傷沙汰の事件まで起こしてしまえば、もう堂々と何もしていないと言えなくなってしまう。
―――だから引きなさい。
誰にも知らないように立ち去りなさい。
そうこっそりと、視線だけで訴えるリリアにゼンは珍しく表情を崩し、悔しそうに歯噛みしているみたいだった。
ほとんど会話さえない主従関係だったけれど、多少の信頼は得ていたのかもしれない。
リリアの必死の拒絶をきいてくてらのか、ゼンが懐から手を抜いてくれた。
(良かった)
ほっと安堵したリリアだったが、すぐに男の手で拘束されていた後ろ手が縄でしばられる。
そうしてたくさんの生徒たちの注目を浴びる中、彼女は乱暴に引っ立てられていくのだった。