7
リリアが寝込んでいた間に始まっていた、男爵令嬢シンシア・レーモンへの虐め。
それはリリアが参加を拒否したところで収まることはなかった。
むしろ徐々にエスカレートしているようだった。
リリアから積極的に苛めをやめるように働きかけることはなかった。そんな情、シンシアに持ってはいなかった。
だから放って置いた。
女子の集団とこれ以上対立するのも怖かった。
まぁもうほぼ孤立状態なのだが。
シンシアが居なかったら、リリアが虐めの対象になっていただろう空気だ。
それでもエドワードとシンシアは相変わらず仲良くて。
エドワード以外の、シンシアが中を深めていく男性陣も増えるばかり。
反発した女子からの彼女へ向けられる敵意はあきらかに増えているようだった。
その流れは冬に転入してきたシンシアが来て半月たち、春が訪れようする頃になっても変わらなかった。
――――春は、学年の終わりと始まりの季節でもある。
植物の芽吹きを祝う日、春の祭日に学年が上がる前の節目として生徒会主催でパーティーが開かれる。
リリアのエスコート役は、もちろんエドワードに決まっている。
婚約者という立場柄、他の令嬢を隣につけるはずがないのだ。
(私は正式な、エドワードのご両親にも認められた婚約者なの! 公なパーティーで隣に付けられないはずがないわ……!)
彼のパートナーとして堂々と出る立場にリリアはある。
エドワードを独り占めできる権利が嬉しくて、日が近づくにつれてリリアは美容にも普段以上に手を掛けるようになっていた。
(ドレスはどうしようかしら。仕立屋に急がせるとしてももうギリギリなのよね。だからといって妥協はしたくないし)
当日はめいっぱいオシャレをしたい。
ドレスも、髪型も、自分自身も最高の状態で臨みたいのだ。
流行りから外れず、しかし少しくらいは目立つアレンジも必要だと思い悩む。
「あ」
うんうん悩みながら移動教室の為に廊下を歩いていると、ちょうど向こうからエドワードが歩いてくるところだった。
どうやら彼は一人らしい。
シンシアがいないのなら、何も躊躇することはない。
さらに周囲に人気は少なく、邪魔も入りそうになさそうだとリリアは口元をほころばせて、彼に寄って行く。
「エドワード様!」
「……? あぁ、リリアか」
「はい!」
リリアはずいぶん手前から彼の存在を認識していたのだが、エドワードの方はリリアが彼の目の前に立って声をかけてからやっと気づいたようだった。
少しだけ残念に思いつつ、でも笑顔で彼を見上げる。
その時までのリリアは、完全に恋する乙女のごとくとろけるような目で彼を見つめていただろう。
「あの、エドワード様、今度の生徒会主催のパーティーのドレスについて、ご相談したいのです」
「…………」
「隣に立つのですし、なにか……エドワード様の身に着けるチーフかタイかと同じ色のドレスで合わせてみれば素敵なのではと思って、……? あの、エドワード様?」
久しぶりに思い切りエドワードと二人きりで離せることが嬉しくて、リリアは夢中で話してしまっていた。
彼からの反応が無い事を不思議に思って、やっと首を傾げつつ見上げて。
――ギクリと、肩を揺らす。
「エ、ドワード……さま……?」
「…………」
エドワードは、今まで見たことのないような鋭利な視線をリリアに向けていた。
冷え切った青い瞳が細められる。
睨まれている―――と理解したリリアは、訳がわからなくて血の気が引いた。
「リリア」
「は、はいっ」
「シンシアが、嫌がらせを受けていると知っているか」
「え……」
リリアは瞬きを繰り返しつつ、視線を逸らす。
「存じては、おります……」
シンシアが女子たちに目の敵にされていることは、部外者であっても分かるくらいあからさまになっていた。
ここで誤魔化しても無駄だと思い、リリアは頷いたのだが。
そのとたん、エドワードの纏う空気がさらに冷たくなって、リリアは混乱した。
どうしてリリアに向かって彼が怒っているのか、分からない。
慌てるばかりのリリアに、エドワードは低い声で口を開く。こんな唸るような怒りに満ちた彼の声色、初めて聞いた。
「嫌がらせをしているのは複数いるようだが、中心になってそう命じている者がリリアだと報告が入っている」
「な、にを……そんなはずありませんわ……! 濡れ衣です!」
勢いよく首を降って否定したけれど、彼には響かなかったようだ。
ふん、と鼻を鳴らして躱された。
「直接手をくだしていないだけで、お前が命令しているんだろうが。それはお前がしたというのと同じことだと分からないのか? ただのやきもちであんな陰湿な嫌がらせを繰り返すなんて、そんな意地の悪い女だとは思わなかった。この間なんて階段から突き落とされて膝をすりむいていた!」
「っ……ちがっ……ちがいます。私ではありませんっ」
「言い訳なんていらない。―――さっき言っていたパーティーは僕は、シンシアと出る。何人もの男たちと決闘までして彼女のパートナー役を手に入れたんだ! それに……まだ噂くらいで、君がしているなんて証拠はないが、ほぼ間違いないだろうしな。卑劣な行いをするような女を連れてあるく趣味は、僕にないんだ」
「そんな! パーティーに婚約者を伴わないなんて……! しかも私ではなく男爵家の女を連れるなんて、エドワード様のお父上だってお許しになるはずがありません!」
「親に無理矢理決められた婚約者などよりも、守らなくてはならないものが出来たんだ」
「え……?」
リリアの黒い瞳が、驚愕に見開かれる。
彼がシンシアに惹かれているのは分かっていたが、こんなに堂々とはっきりと、父親の決めたことに異を唱えるなんて初めてだ。
「リリアとの婚約は解消させてもらうよう、父上にもどうにか掛け合うつもりだ」
「なっ……そんな……」
――――婚約の解消?
「やだ。そんなの、嫌です!」
エドワードの台詞が悲しすぎて、胸が詰まって、息が出来なかった。
心臓がありえないほどバクバクとなっていて、痛くてたまらない。
あまりのことにじわりと黒い瞳に涙をにじませたリリアに、彼は一秒も動揺することない。
むしろ面倒くさいから早く離れたいかというように、ため息を吐いて立ち去っていった。
* * * * *
「リリア様。今度のパーティー、お休みされてはいかがですか?」
部屋で一緒にもう一週間後に迫っているパーティーでのヘアアレンジをどうするか話していた侍女のメイが、やや切羽詰まった様子でリリアにそう提案した。
リリアは笑顔で首をかたむける。
「どうして? 私が毎年とても楽しみにしているの、知っているでしょう?」
「はい……でも今回はその……エドワード様のエスコートが無いのでしょう? 生徒会主催の、生徒の為の会場内にはお付きの者であっても生徒でないゼンは入れません」
学園のパーティーホールを借りて生徒のみで執り行われるパーティーだ。
これは社交界での立ち居振る舞いを学ぶ場としての意味もある。
つまり授業中の教室に部外者が入れないのと一緒で、学生で無い人……侍女やメイド、護衛などはホールの外での待機となるのだ。
「何かあっても、守ることが出来ませんわ」
「何ってなによ! ……あ」
思わずきつい言い方になってしまって、リリアは直後に眉を下げた。
心配してくれている人にする態度ではなかった。
「ごめんなさい」
「いいえ。私こそ、出しゃばりすぎてしまいましたわ。リリア様の味方がほとんどいない場所に一人で送り出すのは、どうしても心配になってしまって。申し訳ありません」
「メイ……」
メイには、リリアが虐めの主導犯の疑いをもたれているなんて知らせていない。
それでもエドワードにエスコートは受けないために、彼の意見を聞いたドレスは必要なくなったと伝えたし、先日に熱をだした時のエドワードの態度も見ているからら、薄々でもリリアとエドワードの間にある溝には気づいているのだろう。
リリアはちらりと部屋の隅で直立不動・無表情で立っているジンを見たけれど、彼からの意見は特に内無いようで無表情のままだった。
(護衛の方はメイみたいに心配してくれてるのかどうかも分からないけどね!)
もしかするとサボれる時間が出来ると喜んでいるのかもしれない。
ゼンはどうでもいい。
メイに心配をかけているのは申し訳ない。
それでもとにかくリリアは出席すると言い張った。
(だって、ここで逃げて欠席してしまうと、やっぱりお前がって、周囲に言ってるようなものだわ)
後ろ暗いことなんてしていないと、胸を張ってパーティーに出なくては。
「別に、学生同士のお遊びのパーティーだもの。パートナーを連れなければならない決まりもないわ」
友人同士で出席したり、一人で出席して食事や楽団の音楽を大いに楽しんだりする人も普通にいる。
もちろん、去年までずっとエドワードと連れ立っていたリリアが一人で出ればとてもとても目立つだろうが。
エドワードがシンシアにほれ込んでいることなんてもう学園内の誰の目から見ても明らかなのだから、意外でもなんでもないだろう。
少し嘲笑されるくらいだ。きっと。