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結局、リリアの熱が平温に戻るまでに一週間もかかってしまった。
大事をとった日も入れて学園を十日休んだあと。
久しぶりに学園へでてきたリリアは、周囲の空気が少し変わっているのに首を傾げた。
(なんだか、暗い、というか重い?)
不思議に思いながらもとりあえず席につくと、とたんに学友たちが集まって来て体調を尋ねてくれる。
「リリア様、ずいぶん長い間お休みなさって、心配しておりましたわ」
「もう平気ですの? ご無理はなさらないでね」
「ありがとう。体調は完全に戻しましたから、もう心配ございませんわ」
「良かった。そうだわ、授業のノートを取っておりますから、使ってくださいませね」
笑顔でお礼を言い、そのままお喋りを続けた。
最初は、ごくごく普通の貴族の令嬢同士の会話だったはず。
髪飾りが可愛いとか、香水の趣味が素敵とか、あの本が面白かったとか。
しかしなぜか途中から、話題がどんどん不穏な方向へと流れて行ったのだ。
「聞いてくださいな、リリア様。わたくしシンシア様の挨拶を無視してやりましたわ!」
「……え? 無視?」
「ええ! だって苛々するのですもの! 庶子の生まれなうえ、のろまなくせに。公爵家のご子息であるエドワード様になれなれしく! 話す価値もございませんわ!」
「そう、ですの……?」
困惑してどうしようかと思っていると、教室内で聞きつけた女性徒たちが更に何人も集まって来た。
なんだかとてもやる気に満ちた表情だ。
「あの子についての話? まったく、本当に気に障る行動ばかりするのよねぇ」
「髪型は時代遅れ。言葉使いも下品ではなくて? あまり交流したくありませんわ」
「わたくしは先日、城下で彼女を見かけたのですが、ドレスの趣味もいいとは言えませんでしたわ」
そして、シンシアにわざと肩を当てて文句を言ってやった。
机の上に置いていた筆記用具を隠してみた。
口調を真似してからかってやった……というようなことを、自慢げに教えられてしまった。
(これは、もしかして虐め?)
どうやらリリアが休んでいる間に、シンシアへ対する虐めが始まっていたようだ。
(シンシア様と違うクラスの子まで加担しているということは、同じクラスの女子がしていないわけないわよねぇ。まぁ、虐めって伝染するから当然と言えば当然かしら)
周りの空気に反することを訴えると、次に自分がターゲットにされかねないから。
だからたいていの人は遠巻きに見ているか、ほんの少し加担するか。
そしてどんどん周囲の流れにのらなくてはならない空気になっていく。
その流れに逆らう勇気をだすことは、簡単ではないだろう。
(でも、どうしてかしら?)
確かにエドワードへの接近はいきすぎだけれど、これほどに結託してシンシアを標的に動くのはどうしてだろう。
そう思ったリリアの疑問は、直ぐに解けた。
一人の少女が、唇を尖らせながら告白してくれたのだ。
「あの子、私の婚約者とも親しくしているようなのです」
「まぁ、貴方の婚約者といえば宰相のご子息でしょう?」
「えぇ」
そうすると、別の人も手を上げて主張する。
おさげの髪をした大人しそうな少女は目に涙を浮かべてしゃくりあげていた。
「じ、じつは、私の恋人とも最近よく城下へ遊びに行っているらしくて」
「まぁ……」
「最近は私との時間も取ってくれず、ずっとシンシア様の後を追いかけまわしてるのですよ。もう、終わりかもしれません……」
「お可哀想に」
「なんてひどいこと!」
「本当に、あのシンシアという子は最低ですわ!」
(……いじめの標的になった理由って、エドワード様のことだけではなかったのね)
リリアにはエドワードしか見えていなかったから、他の男子生徒とも親しくなっているなんて知らなかった。
しかし彼女たちの話を聞いていると、本当に手広く男性陣に声をかけているそうだ。
被害者の女性徒達が、リリアに口々に情報をくれる。
いくつかは嘘や噂程度の話も含まれているのだろうが、それでもシンシアがとにかく男性に色目を使いまわっていることは確かな用だった。
そして被害者たちは、この中で相手の男性の地位が一番高いのがリリアだから、リリアを中心に集まってくるのだろう。どうにかして欲しいとの訴えもこめて。
そうしてシンシアへの愚痴大会をしていた最中、はたと一人の女性徒が気が付いた。
「ねぇ、シンシア様が近づいてらっしゃる殿方たちって、有力貴族のご子息ばかりではなくって?」
「たしかに。これだけの男性と浮名を流してらっしゃるのに、一般の爵位を持たない家の子息の名はでてきておりませんわね」
「公爵家子息に宰相子息、噂によると研究塔に度々出入りされている第二王子殿下にも声をかけているとか?」
「…………」
「…………」
重い沈黙のなか、集まっていた令嬢たちの視線がまじわる。
ただの男好きというだけでもどうかと思うのに、シンシアはさらに上玉の男を選んでいるのだ。
集まった彼女たちの瞳は、怒りに燃えた。
「もう我慢ならないわ! リリア様! あんな子、退学に追い詰めてやりましょうよ!」
真っ赤な髪をした、派手な容姿の女生徒がそう意気込み、周りが同意して「そうよそうよ」とはやし立てる。
(これは…)
……平穏をもとめるのなら、リリアは同意べきなのだ。
シンシアについての悪口に頷いているだけでいい。
それだけで周りは自分に同情の声をかけてくれるし、シンシアをさらに敵として攻撃してくれるだろう。
彼女たちの望んでいることは、この中で一番地位の高いリリアが先頭になってシンシアを追い詰めること。
もっとひどい、苛めを先陣切ってしろということか。
リリアはシンシアが嫌いだ。
この学園からいなくなってくれれば、それはもうとてもとても嬉しい。
(でもそれは、私が理想にする公爵夫人ではないのよ)
「…………ごめんなさい」
「「「「え?」」」」
周りを囲む女生徒たちが、目を丸くする。
「私は、参加出来ないわ」
きっぱりと、彼女たちの『シンシアを追い詰めてやる』との意見を拒絶したリリアに、場の空気はきまずいものへと変化した。
ついさっきまでシンシアという同じ敵を持つ者同士で団結していたのに、その中心となっていた人が手のひらを返した形なのだ。
リリアの容姿から性格のキツイ攻撃的な女として見ていたのか、あからさまに期待外れだといった顔をしている人も多い。
「まぁ……」
「……さすが、リリア様。寛容ですのねぇ」
「もういいですわ」
「行きましょう」
白けたという顔で、彼女たちは散って行った。
―――これでリリアは、シンシアの味方をする側の人たちからは敵として睨まれて。
シンシアを敵とする人たちからも、婚約者を取られようとしているのにいい人ぶっている空気の読めない奴、になった。
(シンシア様、社交的でお喋り好きで髪の色も珍しい桃色で目立つから、色々と注目を浴びてるのよねぇ)
こんなに敵がいる子だなんて知らなかった。
(……彼女が転入してきた日から、すさまじい勢いで色々なものが塗り替えられて行っている気がする)
平穏な日々が、消えていく。
それに、こんなふうにあからさまな虐めが行われる学風でもなかったはずなのだ。
騒動の中心の目となっているシンシアはいったい何を考えているのか、二度ほど会話しただけのリリアには、あの子の心理はさっぱりわからなかった。