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「……あ」
ある日、昼休みの食堂にリリアが足を踏み入れた時。
良く知っている顔を見つけてしまって、息をのんだ。
(エドワード様がこの時間にいるなんて、珍しいわね)
リリアは午前中の授業の復習を少しだけしてから、食堂に昼食を食べに行くことが多かった。
昼休みが始まってすぐの混雑を避けられ、ゆっくり食事ができるから都合が良かったのだ。
その為にタイミングがずれるのか、食堂でシンシアとエドワードに会うことはなかったのだが、今日はちょうど噛み合ってしまった。
(婚約者がいるのに、無視していいはずが無いわ)
あの親密そうに顔を寄せ合ってクスクス笑っている幸せそうな空気の中に入るのは、胃がキリキリいたんだ。
それでも知った人……それも婚約者に会って挨拶もしないなんてことは出来ない。
リリアは食事の乗ったトレイをもつと、胸を張って彼らの元へと足を向けた。
「まぁ、エドワード様。シンシア様ではないですか」
「ん? あぁ、……リリアか」
ちょっと嫌そうな顔をされたのはきっと気のせいだろう。
「わぁ! こんにちはリリア様。食堂でお会いするのは珍しいですね。あ、良かったらここどうぞ!」
「有り難う。失礼しますね」
リリアは笑顔で、シンシアとエドワードが座る席の正面に腰かけた。
そうするとすぐにシンシアがリリアの方に身を乗り出してくる。
キラキラと輝く緑色の瞳がとても綺麗で、ひとつひとつの仕草が少女めいていて可愛らしい。
「あの。リリア様、私聞いてみたかったんですけど、エド君の子どものころってどんなふうだったんですか?」
「エドワード様の子供のころ?」
「はい!」
「やめてくれよシンシア。恥ずかしいじゃないか、リリア。言わなくていいからな」
「え、えぇ」
いつの間にか、エドワードは彼女のことを呼び捨てにし始めたらしい。
「ねぇ、だったらエド君が話せることでいいから教えて? 聞きたいなぁ」
「仕方ないな」
二人が楽しそうに話す前で、リリアはとりあえず食事を始めた。
でも一口食べただけで、眉をひそめてしまう。
(……? 味がしないわ)
薄味だとかではなく、全く味がしない。
それに舌触りがとても悪くて、まるで砂を食べているみたいに喉に通らなかった。
(とろとろに煮込まれた野菜スープなはずなのに)
ごはんが美味しく食べられない。
その原因は分かってる。
視線をそらしても耳に入って来る楽しそうな話し声が、食事をまずくさせているのだろう。
「えー、エド君ってそんなにやんちゃだったんだ! 今は紳士的だから何だか以外! ですよね、リリア様」
「え、そ、そうね……。でも、確かに木登りなんかもお上手だったわ。運動が得意で、お勉強よりも剣の稽古に張り切ってらしたわね」
「わぁ。可愛いー。見たかったなぁ」
そう言って、シンシアはキラキラに瞳を輝かせてうっとりとエドワードを見つめた。
エドワードも嬉し恥ずかしそうに彼女を見つめ返す。
もう完全に二人の世界だ。舞っているハートマークがたくさん見える。
(あ)
机の上に置かれていたエドワードの手に、シンシアが自らの手をそっと重ねた。
エドワードが、それを払うそぶりはない。
(ごく自然に触れられるくらいの仲ということね。それにこの状況は……もう私に隠すつもりも無いのかしら……)
じっと見ていると、シンシアの白い指がエドワードの手の甲を撫で摩っていく。
もう少しで指と指が絡まり合いそうな……いや、この状態でももうまるで恋人同士のような触れ合い方だ。
そんな光景だけでも傷つくのに、さらに食堂内で自分達の様子を好奇心に満ちた顔で見てくる周りの生徒達の目が痛い。
リリアの胃にぐさぐさ刺さった。泣きそうだった。
……それでも、どこからどうみても想い合っているのはシンシアとエドワードだとしても。
リリアはエドワードの正式な婚約者だ。
怒っていい場面だし、怒らずにはいられない光景を今思い切り見せつけられている。
リリアはスプーンをトレイに置くと顔を上げ、真っ直ぐにシンシアを見据えて口を開いた。
「っ、あの!」
「え?」
「婚約者のいる異性にそういうふうに触れるのはどうかと思うのですが。シンシア様はご自分がとても見苦しい行為をしていると分かっておりますの?」
「あ、あ……‼ ごめんなさい! ついっ……」
はっとした顔でシンシアは手を引いた。
そして恥ずかしそうに顔を赤くしつつ、頬を両手で挟んで上目遣いでエドワードに視線を送る。
「エド君、ごめんね?」
可愛い仕草に、可愛い容姿。
ふわふわの桃色の髪と大きなグリーンの瞳のこんな女の子に見つめられれば、男として守りたくなるものなのかもしれない。
現にエドワードはシンシアにデレッと眉をさげた後、リリアの方を向いて眦を吊り上げ尖った声を吐きだす。
「リリア、たまたま、つい机の上で触れ合ってしまっただけだ。そんな風に怒るな」
「なっ‼ たまたま!? つい!? 今のが!?」
どう考えてもシンシアから触れにいったのに。
それを完全にエドワードも受け入れていたのに。たまたまなんてありえない。
「たまたまだ。まったく、こんなことでシンシアを責めないでくれ。怖がっているだろう、可哀想に」
しかも眉を寄せて、まるでリリアが悪いみたいに睨みつけて来る。
隣で涙目になっているシンシアの背中に手を添えて撫でて、慰めまでしていた。
(私の、婚約者なのに。どうして私の味方になってくださらないの!? 叱られる意味がわからないわっ)
「わ、私は、婚約者として当たり前の注意をしただけですわ」
納得できなくて、リリアは抗議した。
でも――、エドワードの眦は更にきつくなるだけだった。
「いきすぎだ。大体お前はいつも言葉がきつい。もっと考えてから物を言え」
「つっ……」
息をのんで固まってしまったリリアからシンシアに視線を移したエドワードは、彼女の背を撫でつつ、労わる様に手を取って一緒に立ち上がる。
「行こう。シンシア。ここでは気分が悪い。そろそろ授業が始まるしな」
「で、でも……」
「リリアには反省させるべきだ、放っておけ」
そうしてエドワードはリリアを青い瞳で一睨みして、シンシアの手を取りながら去って行った。
取り残されたリリアは、しばらく呆けていた。
どう考えても、マナー違反はあちらなのに。
リリアは、正式なエドワードの婚約者なのに。
エドワードに叱られたショックからの放心状態から、時間をかけてゆっくりと溶けたリリアは、わなわなと身体を震わせた。
「反省、ですって?」
唸る様に呟くなり、勢いよくテーブルを手の平で叩いて立ち上がる。
ガシャン―――ほとんど中身の減っていない食器が大きく音を立てて、周囲の生徒が息をのんだ。
集まった視線なんて、もう気にかけていられない。
リリアは感情のまかせるままに、影も形も見えなくなった彼らの消えた方向を睨みつけ、叫ぶのだった。
「そんなの、するわけないじゃない……!!」
(エドワード様は、一体どうしてしまったの!?)
リリアの知っているエドワードは、自分の立場をきちんと知っている人だった。
なのにシンシアが現れて以降、どんどんおかしな方向へといってしまっている。
婚約者より他所の女性を優先することも、人前でなんでもない女性と手を触れ合わせることも、するべきではないことなのに。
どうして、なぜ、こんなことになっているのか。
リリアは本当に訳が分からなかった。