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……――――婚約者のとろけるような笑顔をあっさりと向けられる女の子が現れてしまった。
動揺しながらも一日の授業をなんとか終えたリリアは、友人たちとお喋りする事もなければ、どこかへ寄り道もせず。
すぐに教室を飛び出して、学園の敷地内にある寮の部屋に閉じこもってしまった。
制服を着替える元気さえない。
頭の中にエドワードとシンシアが楽しそうに笑いあっている場面が繰り返し浮かぶ。
リリアは制服姿で靴を床に放り出しソファの上に三角座りをして、クッションを抱えて小さくなる。
纏めていた黒髪をぐしゃぐしゃに解いてしまって、勢いよくクッションに顔をうずめた。
「うー……」
「リリア様?」
「…………」
今、部屋にいるのは子供のころから仕えてくれている侍女のメイと、学園に入学するのと同時につけられた護衛騎士のゼンの二人だ。
ゼンは護衛なので学園内でも授業中以外はたいてい後ろに付いているけれど、寡黙な性格の上、護衛以外の役目をするつもりは無いらしい。
休み時間のリリアとシンシアとエドワードのやりとりの間もゼンは控えていたが、身体的な危害を加えられないと動かない彼は案の定何も言わなければ何もしなかった。
学生同士のいざこざ程度で動かないようにと最初から言いつけてもいる。
今も、部屋の扉近くに直立不動で立っているだけだ。
対して侍女のメイは、親身になってシンシアと関わってくれる。
しかし侍女なので、基本的には学園の寮内にあるシンシアに設けられた部屋に控えているのだ。
シンシアが授業を受けている間は掃除や洗濯などしてくれているようだった。
部屋で一緒にいるときはお喋りにも付き合ってくれる、気心の知れた昔馴染みだった。
そんな侍女のメイは気落ちした様子のリリアに、眉を下げる。
気づかわしげ傍にかがみ込み、乱れた髪を手すきで整えてくれながら顔を覗き込んでくる。
「リリア様。なにか嫌なことでもございましたか?」
「別に」
「何もなかったのですか? 本当に」
「……。無くは…なかったわ……」
「さようでございますか。……誰にも言いませんから、ここだけの話に留めておきますから。吐きだしてみませんか?」
「メイ……」
「大丈夫ですよ」
メイに優しく頭を撫でながら促され、シンシアは目の奥がジンと熱くなった。
それでも泣き顔は見られたくなかったから、クッションに顔をうずめたままで愚痴を吐く。
「エ、エドワード様に、仲の良い女の子のご友人が出来たみたいなの」
「まぁ。それは……寂しいですね」
「そう。寂しいのよ、とっても」
「リリア様はエドワード様が大好きですものね。婚約が決まった四歳の頃からずっと」
「そうよ。なのにエドワード様は、優しいけれど……私だけに特別に構ってはくださらないわ」
「エドワード様は公爵の地位を継がれるお方。人脈を広げていくことはお仕事のうちですわ。学生であっても将来の為に忙しくされているのでしょう」
「そう。そうなのっ。文句を言ったらいけないことなの! 他の子と仲良くするのも立場上、仕方のないことなの。でも、今回はなんだか……嫌な予感がするわ……」
今までだってエドワードは、リリアを含めたどの女性にだって優しかった。
でも、今日シンシアと一緒にいる彼を見て分かった。
リリアと他の女性は、エドワードの中でまったく同じ位置にいる。
婚約者という立場上一緒に居る時間は長いし手は掛けてもらっているけれど、気持ち的にはどの女性もまったく同じなのだ。
(でも、シンシア様だけは違う位置に入ってしまったのよ)
きっとエドワードの一番奥に、シンシアは潜り込めたのだ。
リリアがいつかそこにと、ずっとずっと願っていた場所にあっさりと。
「……あんな子、きらい」
思わずつぶやいてしまった台詞に、メイは苦笑をもらした。
「リリア様。でも、何かされたわけではないのでしょう?」
「…………そうね。ごめんなさい。挨拶しただけだものね。こんな言い方駄目だわ……私は公爵の妻になるのですもの。気高く賢く慈悲深い女性に、なるの。人を悪く言うような女にはなってはいけないの」
「それ、ずっと言ってらっしゃいますね」
「ふさわしくなりたいだけよ」
目指す公爵家の妻としての理想像があって、それを頑なに追いかけてきた。
それに、子どもみたいにどこでも誰にでも我儘を言える歳はもうとうに過ぎている。
(そうよ。私にはー――あんな風に何も考えずに、ただ楽しいからと婚約者のいる人と仲良くするようなこと出来ないわ。だっていけないことなのよ。あの人、最低限のマナーもなってないじゃない!)
リリアはそれを当たり前のようにするシンシアを心から軽蔑したし、心から羨ましいとも思った。
甘え慣れていて、優しくされ慣れていて、当然のように好意を受け取って育ってきた苦労知らずの子のような気がした。真実かどうかは知らないけれど、リリアはそう感じた。
そしてそんな、本当なら相手のいる身だからと距離を置かなければならない彼女との近すぎる接近を受け入れてしまうエドワードにも、ほんの少しだけがっかりした。
* * *
「リリア様、聞きまして?」
「何をですの?」
「貴方の婚約者のエドワード様についてですわ! 最近転入してらっしゃった目立つ桃色の髪のシンシアとかいう子が、ずいぶん図々しくすり寄っているそうではないですの!」
「私も見ましたわ! 図書館で並んで同じ本を覗きこんでましたの。友人の距離とは思えませんでした」
「婚約者のいらっしゃる相手に近づくなんていやらしい! そもそも、たとえお相手がいなくても、淑女らしく慎ましやかとは言い難い行為ですわよね」
「ねぇ? 私、シンシア様とはお友達になれそうにありませんわ」
「わたくしもっ」
休み時間、席にクラスメイトの女子たちが近づいてきたと思ったら、彼女たちは眉を吊り上げてそう捲し上げた。
――――初めてエドワードにシンシアを紹介された日から、すでに半月がたっている。
リリアは二人と違うクラスだから直接見ることはあまりないけれど、こうして他の女性徒たちが色々とシンシアとエドワードのことを知らせてくれていた。
つまり誰の目から見ても、二人の距離の近さは片方に婚約者がいるにしては行き過ぎているということだ。
「リリア様はこのままでいいのですか!」
「転入生なんかに負けるなんて!」
「あの子、男爵家の後妻の連れ子なのでしょう? 男爵様と婚姻される前の奥方は町の靴屋だったとか! 町の靴屋の子にエドワード様がたぶらかされるなんて有り得ませんわ!」
「リリア様のように、完璧な家柄と教養を兼ね備えた方だから、納得できたのに」
リリアは「うーん」と悩むふりをしつつ、少し考えて口を開く。
「そう……シンシア様は庶子の育ちなのね だったら婚約者がいる異性と親しくするのがマナー違反だということは、貴族の生まれの者にとっては暗黙の了解ですが、彼女は知らなかったのかもしれませんわ」
「そうかしら?」
「可能性がなくは無いですが……」
勢いの弱まった彼女たちに、微笑みをもって頷いて見せた。
「でも人目はどんどん厳しくなっているようですし、そろそろご自分でお気づきになるのではないかしら」
「なるほど……そうですわよね。さすがリリア様。彼女が自分で気づいて行いを正すのを待つなんて、お心が広いですわ。尊敬します」
「私も。リリア様を見習ってあまり自分の婚約者の行いに目くじらたてないようにしたいものです」
「まぁ、うふふふ」と笑いをこぼしながら、リリアは自分で言ったことに自分で納得していた。
(そうよ。これだけ目くじらを立てる方が増えれば、婚約者のいる男性に近づくということは叱られる行為だと、きっともうシンシア様も理解したはずよね。最近まで庶子だったから、今までそういうマナーを知らなかったのよ。えぇ、きっとそうだわ)
してはいけないことだと知ったのだから、もうエドワードに近づくはずがない。きっと。
でも、そう思い気分が持ち直したのは本当につかの間だけだった。
どれだけ経ってもシンシアがエドワードから離れる様子はなかったのだ。
そしてエドワード本人も、リリアという婚約者がいるにかかわらずシンシアを遠ざけない。
二人のマナー知らずなふるまいに注意をしてくれた人もいるらしいのだが、エドワードの公爵家という後ろ盾もあって厳しく言うことは難しいらしい。
チクチクと指摘される程度の注意は、エドワードとシンシアの耳にはもう効かないようで。
互いが互いに溺れていくように、彼らは目に見えて近づいていく。
そうして暫くの日々が過ぎ……。
手を繋いでいるのを見た。
木陰でもたれ合って昼寝しているのを見た。
口づけをしているのまで見た―――という話が、度々聞こえるようになってしまった。
どこまで本当なのかはあやふやだけれど、でももう親に決められた婚約者のリリアを交えた三角関係が出来上がっていると、皆が認識しているようだった。
そして彼らの仲の良さが深まるのに比例するかのように、婚約者のリリアにエドワードが頻繁にくれていた手紙や贈り物の頻度は減っていく。
さらに休み時間に顔を見せてくれたりすることもなくなっていった。
たとえ政略結婚する相手で、礼節としてしなければならないご機嫌伺いの贈り物で、手紙だってありきたりな内容だとしたって、リリアはいつも心待ちにしていたのに。
リリアからは、会いにいけなかった。
だって彼の教室には、シンシアがいる。
見せつけられるのが怖くて、何度か足を運ぼうとしたけれど教室の手前で引き返えしてしまっていたのだ。そんな弱い自分が、とても嫌だった。