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 ―――ガタガタと揺れる馬車に揺られながら、リリアはぼんやりと明け方の空を眺める。


 手は繋がれていて不自由だし、暇つぶしになるようなものは何もない。

 馬車の中にポンと一緒に放り込まれてリリアの隣に置かれている小袋には、少しのお金が入っているだけらしい。

 国境で離された後の少しの間の生活費が、実家の侯爵家から届いたのだ。


(手切れ金ってやつよね。縁を切られたって別にショックではないけれど、もうこの国の侯爵家の娘という肩書きを持たないのだと思うと少し寂しいわ)


 十七年間使ってきたものだから、多少なりとも愛着はあったのだ。


 顔を上げた黒い瞳に映るのは小窓から見える、見知った王都の街並み。


「この町にも、二度と来られないのね。あぁ、それってつまりシロワルルのベリーパイをもう食べられないということね? それが一番心残りかも。もう一回食べておくのだったわ」


 劇場に、図書館、公園、雑貨屋と靴屋。

 知っている場所が目に映る度に、思い出が浮かんだ。

 リリアがこの国の土を踏むことはもう二度とない。

 エドワード以外に執着していたものは無かったから別にいいやと思っていたはずなのに、何だか全部が愛おしくて切なくなった。

 この国の景色を目に焼き付けようと凝視しながら、リリアは唇を開いた。

 漏れたのは掠れた吐息ほどに小さな声だ。 


「――――私は、エドワード様が好きだったの。愛して、いたの……」


 生まれた頃から愛情の無い家で、ただ『侯爵家の役に立つ人間になるように』だけを求められたリリアは、両親に抱きしめられた記憶さえなかった。

 けれど初めて出会ったエドワードは、笑いかけてくれたのだ。

 手を繋いで野原を駆けまわって遊んだのも、大笑いしながらお茶会を楽しんだのも、その時が初めてだった。

 エドワードの傍にいると、キラキラな世界に連れて行ってもらえるような気がした。

 成長するにつれてすれ違いが起きていき、そんな風に遊ぶことは無くなっていったけれど、公爵家の地位に恥じないように勉強を頑張っているところも恰好いいと思ったし、支えたいとも思った。

 

  でも、彼が愛して傍に居て欲しいと望んだ女性は自分ではなかった。

  リリアを悪者にしてしまうほど、そんなに見境なく真実が見えなくなってしまう程、彼はシンシアに心を奪われたのだ。


(……私が毒を飲まされて倒れたところで、絶対にあそこまで動揺させられなかったでしょうし)


 自分では、だめだった。

 リリアは長い溜息を吐きだして、肩を落とした。


 この国との別れと共に、エドワードへの想いとも決別しよう。


 ――――そうして、過行く景色に目を奪われながら馬車の中で過ごしたのは何時間なのか分からない。

 

 ゆっくりと馬車がとまった。


 窓の外は林か森で、どうやらあぜ道の端に止めているようだった。

 国境に出るまでは最短経路でも一月半くらいかかるだろうから、もちろんここが到着地点ではない。


「休憩かしら?」


 首を傾げていると、馬車の戸が開けられていく。

 その向こう側に見えた男の姿に、リリアはゆっくりと目を見開いた。


「ゼ……ン……」

 

 信じられないことに、御者の格好をしたゼンが立っていたのだ


「手を」

「……」


 呆然としている間に、手首に巻かれていた縄が解かれる。

 手首は数日間ずっと縛られっぱなしだったから、ひどい内出血をおこして赤黒く変色していた。

 解いてくれたゼンはリリアの手首にそっと指を添わせて、そこを見下ろし、自分の方が痛そうな顔をしていた。


「あの……ゼン。どうしてここに……? 貴方が国境までの御者何てどう考えてもおかしいわ」


 顔を上げた彼は、リリアの問いには答えてくれなかった。

 手首から手のひらと移動して、きゅっと握りこまれる。

 リリアは馬車の中にいるから、ゼンの頭がずいぶん低い位置にあった。

 リリアを真っ直ぐに見上げながらゼンは口を開いた。


「リリア様」

「はい?」

「――本当に、良かったのですか。無実を訴えないで国外追放になんてなって」

「それは……」

「今から、敵討ちへ行きましょうか?」


 冗談を言っている目ではなかった。

 リリアが望めば彼は今すぐシンシアの首でも、リリアに苛めの濡れ衣を着せた女生徒たちの首でも迷いなく取りに行くだろう。

 彼は本気だ。だからこそリリアも、真剣に本心を返すことにする。


「……別にいいわ。そんなの。私は望んでいない。どうせいずれ真実は分かることになるでしょう? シンシア様、あれだけトラブルの種を抱え込んでらっしゃるのですから」


 きっと、リリアとエドワードのことなんてごくごく序章の小さな事件なのだ。


 だってシンシアは、エドワードだけでない多数の男子生徒に近づいていた。

 リリアがしたのと同じように、彼らの婚約者や恋人である令嬢たちがそのうち我慢できなくなって動くはず。

 しかも彼女は有力者の子息ばかりに手あたり次第近づいていたのだ。

 数が数だからいずれシンシアのことは、彼らの親の間でも問題となるだろう。

 そうすればリリアの事件についても、色々と調査されるはずだ。


 シンシアが、様々な男女関係の騒動の中心となったものとして知られるのも、リリアに被せられた罪が嘘だと発覚するのも遠くない。


「エドワード様のお父様がシンシア様との婚約を認める可能性って、限りなく低いのよね。それにあの子、もっと条件のいい人のもとに行きそうな気がするわ。王子殿下にも近づいていたようだし」

 

 リリアは大きく溜息をついて肩をすくめてみせた。そして続ける。


「―――もう。いいのよ。全部終わったの。エドワード様の心は、出会って十二年間、一度も私へ向けられなかった。あのまま婚約が続行して結婚までいっても、不幸な未来しかないわ。だから、もういい。もう、空回りして追いかけるのは、疲れたのよ……」



 リリアはもう頑張る気が起きない。

 この国から離れることは自身の心の平安にも繋がるだろうから、今後の騒動に巻き込まれる前にこのまま居なくなってしまいたい。


「……。リリア様がよろしいのなら、そのまま置いて行きましょう。どちらにしてもこれから国は荒れるでしょうし。彼らの苦労は目に見えている」

「そうね。シンシア様の巻き込んだ人たちの立場が立場だもの。国の未来を背負う紳士淑女の学園生徒たちが、シンシア様を中心にして騒ぎを起こしたり、彼女を巡って敵対してしまったら、相当な混乱になるでしょうね」


 生まれ育った国のこれからの混乱を想像し、二人で揃ってため息を吐いた。

 でももうリリアは手を貸すつもりなんてない。

 混乱の起きる前に逃げてしまうのが、リリアの唯一の復讐かもしれない。


 そこで顔をあげたゼンが「そういえば」と世間話をするかのように切り出した。

 

「どこまで行きましょうか? ご希望は?」

「え? あなたは国外追放になった私を国境まで送るのでしょう? それ以降は私一人よ?」

「侯爵家には、辞職を出してきました」

「……は?」


 なぜ辞職。


「ついでに、国に護衛騎士の称号も返還してきました」

「はぁ!?」


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