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魔法の花  作者: 千曲千明
2/2

下.強き獅子

長くなったので二つに分けました。


 七.


 あれから何十年という月日が経ちましたが、魔術師が再び、お城の裏庭に姿を見せることはありませんでした。

 きっと、魔術師が花の元を訪れることはもう二度とないのでしょう。

 それでも花は魔術師の幸せを願いつつ、ひっそりと咲き続けていました。


「お花ちゃん、遅くなってごめんねえ」


 夏の空のようにカラリとした声が、裏庭に響きます。

 大急ぎで花の元に駆け寄った召使の少女は、ガラスのコップを傾けながらにっこりと笑いました。


 独りで裏庭に咲き続けていた数十年の間にも、この少女のように花の元を訪れる人間が居なかった訳ではありません。

 しかし、人間達は一年もすると花のことを忘れてしまうようでした。

 ですから、数十年のうちのほとんどの時間を、花はたった独りで過ごしてきたのです。


「ああ、もう行かなくちゃ。じゃあ、また来るわね」


 そう言って、また大急ぎでお城に戻っていく少女の後姿を見送りながら、花は思いました。


 ――どうせ、あなたも私のことを忘れてしまうんでしょう。


 あれほど待ち望んでいたはずの人間の来訪を、魔法の花はいつしか、すっかり嫌がるようになっていました。

 だって、見つけられたときの喜びよりも、忘れられたときの寂しさの方がずっとずっと大きくて、苦しいことを知ってしまったのですから。


 八.


 ある年の春、一人の少年がお城の裏庭を訪れました。


 探検家気取りの少年は、手に持った木の枝で草を掻き分けながら、鼻歌まじりに荒れた裏庭をずんずんと進んでいきます。

 そうして裏庭の端っこまで歩いてきた少年は、足元に小さな花が咲いているのを見つけました。

 釣鐘型の花弁が愛らしい、薄紅色の花です。


「何だ、この花。どこかで見たような……」


 少年は不思議そうに花のことをじっと見つめます。

 花も、何年かぶりのお客さんの顔をじっと見つめました。

 銀色の瞳が涼しげな、誰かによく似た顔つきの少年です。


「ま、いいや。気のせいだろう」


 そう言うなり少年はきびすを返し、元来た道を戻ってしまいます。

 花はその場に残された小さな足跡を見て、どういう訳かひどく懐かしい気持ちになりました。


 魔法の花も、銀色の瞳の少年も、お互いにちっとも気がつきませんでしたが、最初に花が咲いてから百度目の春、確かに二人は再会したのです。


 九.


 それからというもの、少年はたびたび薄紅色の花のことを思い出すようになりました。

 そして、裏庭にぽつりと咲いていたあの花がひどく気の毒に思えてきて、自分が行ってやらないといけないような気がしてくるのです。

 仕方がないので水の入ったコップを片手に、少年は何度も何度も裏庭へ足を運びました。


 一方、花の方はというとすっかり疑り深くなっていました。


 ――今度のお客さんは何日で私のことを忘れるのかしら。


 無理もありません。あんなに辛くて悲しい思いをするのはもうごめんなのです。


 しかし一月が経っても、季節が変わっても、一年が経ってまた春が来ても、少年は欠かさずに水を持ってきました。

 こんなに長続きしたのは百年前の魔術師以来です。


 ――人間、しかも子供の気まぐれに期待するなんてばかばかしい。でも……。


 花は片意地を張りながらも、あの魔術師に似た少年が訪れてくるのを徐々に待ち望むようになりました。


「なあ、聞いてくれよ。今日もまた父様に叱られたんだ。……」


 いつしか、水をやり終えた少年が花に向けて話しかけるのもまたお決まりになっていました。

 内容は子供らしい他愛ないものでしたが、花は少年のお話を一生懸命に聞きました。

 しかし、花は喋ることができないので相槌を打つことすらかないません。

 そうして少年が帰った後に、口が利けたらどんなに素晴らしいだろうと花はまだ見ぬ流れ星に思いを馳せるのでした。


 また別の日には、少年が友達と大げんかをしてすり傷を作ってきたこともありました。

 ふうふうと傷口に息を吹きかけて俯く少年を見て、花は自分に手足があったら少年の腕を擦ってやることだって、涙を拭ってやることだって、何だってできるのに、と焦れったくなりました。

 それなのに、お星様達は高いところでつんと澄ましていてちっとも流れそうにありません。

 胸がぎゅうぎゅうと締めつけられて千切れてしまいそうになるのを堪えながら、花はひたすらに空を仰ぐのでした。


 十.


 魔法の花が少年と出会ってから十度目の冬が訪れました。


 少年はもう少年ではなく、りりしい顔をした青年になりました。

 花は相変わらず、愛らしい姿を保っています。


「よう。悪いな、遅くなっちまった」


 静まり返った裏庭に青年の声がすると、お月様に照らされて鏡のようになった雪の上に真新しい足跡が伸びていきます。

 足跡は花の前でぴたりと止まると真っ黒な影を雪の上に落としました。

 青年は自分の手が冷えるのも厭わずに花に掛かった雪を優しく払い除けます。

 それが終わると満足そうに目を細め、にこりと笑んでみせました。


 花は、立派に成長した青年の姿があんまり魔術師にそっくりなものですから、いけないことだとは思いつつも、昔と同じように胸をドキドキとさせています。


「……俺、王様にお仕えすることになったんだ」


 青年が空を見上げながら言いました。

 花も同じように上を向いて青年を見つめます。

 その瞳はお月様と同じ、青白い光を微かに帯びていました。


「ひいじい様の名前を継ぐお許しも出た。だから、明日の朝が来たらレナードからラドルフになるよ」


 青年の口から発せられた名前に、花はたいそう驚きました。

 花弁の天辺から根っこの先まで、全身を雷で打たれたようになりました。

 青年が魔術師によく似ているのはただの偶然ではなく、魔術師の血を引いているからだったのです。


「獅子が狼になるなんておかしな話だろう? 笑っちゃうよな」


 それから、青年にはきっとあのお姫様の血も流れているのでしょう。

 雪明かりを集めてきらめく長いまつげには、お姫様の面影がありました。

 そして、そのことに気づいた花は胸がいっぱいになりました。


 ――私の願いは叶っていたんだ。

 私は無力な花のままで、流れ星は見つけられなかったけれど、魔術師様は幸せになっていたんだ。


 魔術師に恋焦がれてもどかしい思いをしたことも。

 魔術師が自分の元を去って悲しかったことも。

 幸せなお姫様が羨ましくて仕方がなかったことも。

 それから百年もの間寂しい思いをしたことも。

 今までの辛くて苦しい思い出はいっぺんに全部消えてなくなり、その代わりに温かい気持ちが花の体に満ちていったのです。


 十一.


 そのとき、二人の上を流れ星が走りました。

 百何年か前に花が見逃したのと同じ銀色の流れ星です。

 上を向いていた青年にも、今度は花にもばっちりと見えました。


 ――レナードが幸せになれますように。


 ――レナードが幸せになれますように。


 ――レナードが幸せになれますように。


 花は無茶苦茶に祈りました。青年の幸せを祈りました。

 自分のことはもういいのです。

 魔術師の血を引く、この青年さえ幸せになってくれれば自分はどうなったって構わないのです。

 それほど強く、がむしゃらに青年の幸せを願いました。


 ――レナードが、幸せになれますように。


 ――レナードが、幸せになれますように。


 流れ星が燃え尽きて見えなくなっても花は祈り続けました。

 じきに頭がクラクラと痛み、目の前がチカチカとしてきましたがそれでも祈ることを止めませんでした。


 ――レナードが、幸せに、なれますように。


 とうとう魔術師に掛けられたまじないまでもが解けかけて、凍える夜風に体が枯れてしまいそうになりましたが、それでも花は命がけで祈りました。


 ――レナード、が、しあわせ、に、……。


 最後の力を使い果たしてすっからかんになった瞬間、花は自分の体がふわりと浮かんだような感じがしました。


「君は」


 青年は驚いて目を丸くしました。

 花が咲いてあったはずの場所に、花と同じ薄紅色の瞳をした少女が立っていたからです。


 十二.


「レナード、が、しあわせ、に、なります、よう、に」


 少女はぎこちなく、けれども懸命に口を動かしました。


「ああっ、やっといえた」


 百十年生きてきて初めて自分の想いを人に伝えることができた花は、その素晴らしさに息が止まってしまいそうになりました。

 その体はぶるぶると震え、目尻からは涙が止め処なく溢れてきましたが悲しくなんてありません。

 ただただ、嬉しくて仕方がないのです。


「君は一体……どうして俺の名前を?」


 どういう訳かすっかり姿を消してしまった花と同じ色をした瞳を真っ直ぐに見据え、青年が問い掛けました。


「私は、あなたのひいおじい様、ラドルフ様のおまじないで、一春のうちに散って終えるはずだった命を――」


「じゃあ、ここに咲いていた花は」


 青年は少女の言葉を遮り、信じられないと言うように少女の方へ手を伸ばしました。

 それに小さく頷いた少女は、今まで葉っぱだった部分にじんわりと力を込めます。

 すると、少女の白磁のような手も青年に向かって伸びていき、二人の手と手が触れ合いました。


「ああ、レナードの手は温かい。ラドルフ様の手もお日様のように温かかったのですよ」


 青年と指を組み合ったまま、少女は視線を落としました。

 それに合わせて涙がぽたぽたと零れ落ち、雪の上に薄暗い染みを作っていきます。

 その光景をぼんやりと眺めながら、青年は何も言えずにいました。


「レナード、一つだけこの花の望みを叶えてくださいませんか」


 今度は根っこだった部分に力を入れ、片足を差し出しながら少女が言いました。

 その足をそろそろと少しだけ前の地べたにくっ付けると、よろめきつつも少女は一歩、青年に近づきます。


「……何だい。何でも言ってごらん」


 やっとの思いで青年は答えると、繋いだ手をしっかりと握り直しました。


「私をラドルフ様のお墓に連れて行ってくださいませんか」


 そう言うと少女は一歩目とは反対の足を地面から離します。


「百年もの時が流れて、ラドルフ様はもう居なくなってしまったけれど、伝えたかったことがたくさん――きゃっ」


 片足を浮かせたまま、ぐらぐらと左右に揺れて転びそうになった少女を、青年は咄嗟に抱き寄せました。

 それから、その耳元でそっと囁きます。


「私はここに居るぞ。ようやく、全てを思い出した」


 青年が急に魔術師のような物言いをしたものですから、少女はひどく驚いて目をぱちくりとさせました。

 言葉を話すことも自分の力で立つことも忘れて青年に寄りかかり、元の花に戻ってしまったようになっている少女に向けて、青年は静かに語りはじめました。


「……病を得てもう長くないことが分かってすぐのことだったよ、ヘレンが私に求婚をしたのは。彼女の真心を踏みにじることになると知りながら、私はそれを受け入れた」


 目の前にいる青年が本物の魔術師に違いないことが少女にはすぐに分かりました。

 自らの心から湧き上がる気持ちに覚えがあったからです。

 それはずっと昔、魔術師と一緒に居たときに感じていた、あの最高に幸せな気持ちです。

 少女は青年の腕の中でゆっくりと目を瞑り、その声にじっと耳を傾けました。


「それから三月も経たないうちに私は旅立つことになったが、その間際、窓越しに見えた銀色の“百年流星”に最後のまじないを掛けたのだよ。君がもう一度この空を翔けるとき、きっとあの花の側に居させてくれ、とね」


 顛末を語り終えた青年は涙でぐしゃぐしゃになっている少女の前髪を梳いて整えてやると、その場に跪いて少女の手を取りました。


「この不義理なラドルフのことを許してくれるかい」


「はい、喜んで」


 青年は穏やかに微笑み、恭しく少女の手の甲に口付けをします。

 二人きりの裏庭はお月様と雪明かりに包まれて、しんと静まり返っていました。

 このまま時間が凍ってしまってこの最高に幸せな瞬間が永遠に続けばいいのに、と少女はまた一つ、涙を零しました。

お読みくださりありがとうございました。

四年越しだけれど完結させることができてほっとしています。


設定


レナード 性別:男 年齢:10代後半

容姿:銀色の瞳

ラドルフのひい孫にあたる青年。実はラドルフの生まれ変わり。

前世において、魔法の花を残して死ぬことを悔やんで流れ星に願掛けをした。

名前は「強き獅子」の意。


魔法の花 性別:女 年齢:110才

容姿:釣鐘型の花弁が愛らしい薄紅色の花→薄紅色の瞳の少女

お城の裏庭に咲いた花。

不死の魔法を掛けられ、紆余曲折を経てレナードと結ばれる。

モチーフは釣鐘草の花言葉(constancy=不変、節操)。


百年流星

特徴:銀色に輝く流星

約百年周期で冬の間に現れる流れ星。見た人の願いを叶えてくれる。

前回はラドルフの願いを汲み、彼を自身の子孫レナードとして生まれ変わらせ、

今回は魔法の花の願いを汲み、レナードの想い人である花を人間の姿に変えた。

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