営業
そのおばあさんは一人暮らし。数年前に旦那さんに先立たれ、小さなアパートで
静かに余生を過ごしていた。
ノックの音がした。
おばあさんは返事をしながらドアを開けた。そこのは白髪に紳士が立っていた。
「はて、どちらさんで?」
紳士は答えた。
「突然お伺いして申し訳ございません。私、こういう者でございます。」
渡された名刺には「楽園トラベル株式会社」と書かれている。
「セールスの方なら私はもう歳ですし、お金もございませんよ。」
紳士は言う。
「いえいえ、そういう類の者ではございません。私はあの世、すなわち天国から参りました。」
「ああぁ、ついにお迎えが来ましたか・・・」
おばあさんは肩を落とした。
「いえ、あなたはまだまだお亡くなりにはなりません。」
紳士は続ける。
「実は、ここのところこちらの世界では平均寿命がかなり伸びており、私たちの世界《あの世》に
来られる方が減少傾向にあります。そこで我々は、お客様の生前に契約を結び、死後は是非、我々
の世界《天国》へお越しいただければと思い、お伺いしましたしだいでございます。」
おばあさんは言う。
「そんな約束せんでも、死んだら勝手にあの世に行くじゃろ?」
紳士は言う。
「その通りでございます。ただ同じあの世と申しましても種類がございます。我々のいる天国、そして
一般にいう地獄、さらには新しい命に生まれ変わる輪廻、我々はその中の天国の者でございます。」
紳士は続けた。
「何も契約せずにお亡くなりになられた場合、どのあの世に行くかはわかりません。そこで私共と
契約いただき、天国へお越しいただければと思っておる次第でございます。」
おばあさんはなんとなく理解したように言う。
「そんなんやったら天国がええに決まっとるじゃろう・・」
紳士は笑みを浮かべていう。
「ご決断ありがとうございます。それではこちらの契約者にサインを・・・」
おばあさんは2枚の契約書にサインをし、印鑑を押した。
「それでは天国でお会いできる日を楽しみにしております。」
紳士はそう言い残すと静かにドアを閉めた。
「やれやれ、安心なのか何なのか、ようわからんのう・・・」
おばあさんはため息をつきながら言った。
それから3日ほど過ぎたある日、ノックの音がした。
おばあさんは返事をしながら、ドアを開けた。頭のはげた老紳士が立っていた。
「はて、どちらさんで?」
老紳士は答えた。
「突然お伺いして申し訳ございません。私、こういう者でございます。」
渡された名刺には「株式会社ヘルツーリスト」と書かれている。
「セールスの方なら私はもう歳ですし、お金もございませんよ。」
老紳士は言う。
「いえいえ、そういう類の者ではございません。私はあの世から参りました。」
「またかいな!」
おばあさんは言った。
「それならこの間、天国の方が来られて契約しましたよ。」
老紳士は笑みを浮かべながら言う。
「さようでございますか。それはよろしゅうございました。天国は大変すばらしいところでございます。
ただ今回私共がご提案しておりますのは“地獄”でございます。」
「地獄!そんなところ最初からお断りですよ!」
おばあさんはドアを閉めながら言った。
「まあまあお客様、どうか勘違いなさらないで下さい。」
老紳士は続けた。
「地獄と申しましても昔のイメージとは随分変わっております。舌も抜きませんし、釜茹でも火あぶりもありません。うちの社長の閻魔の方針は顧客満足でございます。もしも地獄へ参られましたら、まずは世界の温泉めぐりツアーをご用意しております。各種地獄湯で俗世の疲れをお取り下さい。その後は鬼たちによる時代劇、さらに業火によるバーベキューなどなど・・・」
おばあさんは少し興味を示してきた。
老紳士は続ける。
「さらに今ご契約のお客様には、なんと寿命5年プレゼントいたします。ぜひともこの機会に地獄はいかがでしょうか。」
「でも天国さんと契約してしもうたし・・・」
おばあさんの気持ちはすでに地獄に傾いていた。
老紳士は言う。
「それなら心配ございません。クーリングオフという制度をご存知ですか?・・・・」
おばあさんは結局地獄と契約した。
それから3日程経ったある日、ノックの音がした。
おばあさんは返事をしながら、ドアを開けた。
「よう。」
そこにはなんと、数年前に死に別れたはずのおじいさんが立っていた。
「えっ、おじいさん!!」
喜びと戸惑いで興奮しているおばあさんをなだめながら、おじいさんは言った。
「ばあさんや、どうか落ち着いてくれ。」
おじいさんは続けた。
「生き返った訳ではない。ばあさんも知っとるようにわしは確かにあの時死んだんじゃ。そして天国に行った。」
「じゃあおじいさんは天国と契約してたの?」
冷静さを取り戻したおばあさんが尋ねた。
「いいや、わしらの頃は契約などせんでも天国に行くのが普通じゃったんじゃ。ところが何年か前から
地獄が方針転換を打ち出して、どんどん人間たち集め始めたんじゃ。温泉やらなんやら、最近は寿命プレゼントキャンペーンまでやり始めた。おかげで天国は“きれいなだけで退屈だ”という噂が広まり、みんな地獄に行くようになってしもうたんじゃ・・・」
おばあさんはうなずきながら言う。
「そうやったんかいなぁ。ほんでおじいさんはなんでここに来たんかいね?」
おじいさんは答えた。
「いやぁ、ばあさんとこも地獄の営業マンが来て契約してしもうたんやないかと心配で・・・」
おばあさんは言う。
「実はその通りで地獄と契約してしもうたんや・・でもじいさんが天国におるなら天国にいきます。
地獄の契約は解約しときますよ。」
おじいさんはほっとした顔で言う。
「わしも天国の人間じゃ。契約書も持っておる。ここにサインを書いてくれ・・・・」
おばあさんは契約書をおじいさんに渡しながら言う。
「じいさん、もう少し待っといてね。後で行きますからね。また一緒に過ごせるね・・・・」
おじいさんはおばあさんに別れを告げ、天国の階段を上りながらつぶやく。
「なんぼ人手不足でもわしまで営業させられるとは思わなんだのぉ・・ノルマもきついし。
しかし部長の言うとおりじゃのう。“成績が上がらんときはまず身内に契約してもらえ”
なるほど簡単じゃったわい・・・」