【第十七章】 Phoenix of the Rainbow
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※1/9 台詞部分以外の「」を『』に統一
出発から三十分程度が経っているだろうか。
あの後、一旦エルシーナ町へと向かった僕達はジャックが天鳳を封印しているという壺を取りに行くのを待ち、予定していた無人島へと揃って移動した。
グランフェルト王国のすぐ側ということらしいこの無人島は、本当に何もない島であることが一目で分かる。
人や建物どころか草木といった自然も全然見当たらないし、地平線の向こうまでほとんど荒野のような風景が広がっているだけだ。
確かにこの場所ならば僕達以外に被害が及ぶ心配は無いと言っていいだろう。
勿論、それは最終的に勝つことが出来たらという話であり、負ければある意味被害は他の全てにまで降り懸かるといっても過言ではない。
そんな戦いを目前に控えた今、固まって立つ僕達を少し緊張感の漂うピリピリとした雰囲気が包んでいた。
この世界で過去何度かこういった経験をしてきた僕だけど、命懸けの戦いに挑むことに対しても、自分や誰かが命を落とす可能性があるという状況にも、どれだけ強い覚悟を持ってこの場に立ち、皆と共に進むと確固たる決意を持っていてなおやはり簡単に慣れられるものではないのだと痛感する。
僕が自身に誓ったのは『怖がらないこと』ではなく『逃げないこと』だ。
元来恐怖によって取り乱したり我を失う様な性格でもない。
少しぐらい怖がっていた方が逆に冷静にどうすべきかを見極める能力も研ぎ澄まされてくれるのではないかと前向きに考えることにしよう。
前向き、というよりは後ろを向かないためのこじつけ理論な気もするけど、もうこの際なんだっていい。
そんな風に他の人達と違って色々と考えることが多い僕は真剣な面持ちでその時を待つセミリアさん、サミュエルさん、クロンヴァールさん、セラムさん、ハイクさん、ユメールさんという六人の側に立ち、少し離れた位置でジャックがやけに高級感溢れる装飾の施された真っ黒な壺を地面に置いたのを見守った。
まさにこれから封印を解くという状況が出来上がる。
ジャックは立ち上がると、なぜかふと空を見上げた。
何を見ているというわけでもなく、どこか哀愁を帯びた目で遠くを見つめている。そんな感じだった。
「ジャック、どうしたの?」
一番前に立っていた僕はジャックの側に寄り、後ろから声を掛ける。
ジャックは振り返ることなく、独り言の様な口ぶりでそれに答えた。
「いやなに。お疲れさんって、伝え忘れちまったなぁと思ってよ」
「へ?」
「気にすんな、こっちの話さ。さ、アタシ等はアタシ等の役目を果たそうじゃねえか。せめて良い報告ぐれえ持って帰らないと報われねえってもんだ」
何が言いたいのかよく分からない言葉を並べ、ジャックは話を打ち切る様に僕の肩を抱いて皆の方へと促した。
そして、全員を見渡すと一つ鼻で息を吐いて問い掛ける。
「さて、今から化け物退治に取り掛かるわけだが、何か言っておくことはあるかい?」
「一つ、確認しておく」
そう言ったのは腕を組み、相も変わらず凛々しい佇まいを維持していたクロンヴァールさんだ。
「その化け物を倒す、それが何よりも優先されるということが共通の認識でいいんだな?」
「勿論それが最優先だ。負けたからといって世界が滅ぶと決まっているわけでもねえが、この面子で無理ならそうならねえ可能性に期待するのもどうかってレベルの話だ。どのみちグランフェルトを含む近場の国は葬り去られるだろう。だが、世界と仲間を天秤に掛けてどちらかに傾くかどうかは人それぞれってもんだ。何を差し置いてもっつー度合いは各々が判断すればいい」
「こちらの側に意志の乱れは無い。遠回しにお前達のことを指していると伝わらなかったか?」
「こちとら百年待ち続けてんだ、意地でもチンケな結末にはさせねえさ。仲間を犠牲にしてまで生き残ろうとは思わねえが、自分が犠牲になって勝てるならそれはそれで構わねえ。こっちにも負けられねえ理由ってもんがあるからよ」
「ならば今は何も言うまい。だが、これだけは理解しておけ。助け合いの精神など期待するな、我等シルクレア王家とその忠義者は滅するべき敵であると決めた相手を潰すことで国を守り、世界を導いてきた自負がある。この後に待ち構えている戦争の続きも然り、何があろうと負けるつもりもなければ見知らぬ化け物に世界をくれてやるつもりもない」
「主義主張なんざ人と国の数だけあるもんだ。それらが違えど目的は同じ、ならばそれぞれが勝利のために必要だと思うことをすりゃいい」
ジャックがそう言ったところで、何か通ずるものがあったのか二人は顔を見合わせにやりと笑った。
話で聞いてもいたし実際にそういう様を見たこともあったが、基本的にシルクレア王国の人達というのはクロンヴァールさんの意志や方針が全体の総意であるという態度が顕著である。
一方こちらの一味はというと、僕やセミリアさんは空気を読んで口を挟まず、サミュエルさんは興味が無いからか聞いているかどうかも怪しい始末という、これもまたいつも通りの四人組という感じだ。
といっても、僕が黙っているのはジャックが僕の考え方から逸脱した方針を出すことはないだろうという信頼と、クロンヴァールさんの徹頭徹尾悪者を排除しようとする主義も今ばかりは共通する目的に向けられているので黙っていただけだ。
その後の戦争に関しても同じ考えでいるならば、僕はやっぱり同じ陣営にいたところでこの人とは相容れないなぁと、改めてそう思わざるを得ない。
しみじみと、という表現からはかけ離れている内容ではあるが、そんなことを考えているうちに二人の会話が途切れ目を迎える。
ふと、横から口を挟んだのはユメールさんだった。
「クリスも一つ聞きたいことがあるです」
「言ってみな、バンダナ女」
「む……誰がバンダナ女ですかこの乳お化けめ、です。百年前から今この時まで封印することで危機を脱してきたなら、また封印すればいいのでは? です」
「そりゃ無理な話だ。この封印術は現代に受け継がれていねえぐらい高度な術だし、何よりもまず莫大な魔力を必要とする。全盛期のエルワーズですら一人の力じゃどうにもならなかったぐれえだ。そっちのおっさんクラスの魔法使いが四、五人いりゃ話は別だろうが、現実的にあり得ないだろうよ」
「むむむ、確かにこんなおっさんが五人も居たらむさ苦しくて適わんです。仕方がないので退治してやるです」
「可能かどうかにむさ苦しさは関係ねえが、いずれにしても百年ずつ先延ばしにしたところで封印という方法を取り得なくなった時点で世界ごと終わりっつー話だ」
さて、話も終わりならそろそろいくとしようぜ。
そう言って、ジャックはもう一度全体を見渡した。
反対意見を唱える者はおらず、それどころか全員が同時に武器を抜いている。
セミリアさんは背中の大剣を。
サミュエルさんは二本のククリ刀を。
ジャックは腰のサーベルの様な剣を。
クロンヴァールさんはキラキラした宝剣を。
セラムさんはクリスタルな魔法の杖を。
ハイクさんは巨大なブーメランを。
ユメールさんは両手に指抜きのグローブを。
それぞれが手に取ったり装着したりし、いかにも臨戦態勢という表情だ。
「相棒、おめえは少し離れてな」
ジャックが僕の肩に手を置く。
どう見ても場違いな僕だ、そう言われるだろうとは思っていた。
「まぁ……そうなっちゃうよね、どうしても」
「勘違いすんなよ? 安全な位置に避難してろって話じゃねえ。どのみちおめえは攻撃の手段を持ってないんだ。だったら見て、分析して、何が必要か、どうすべきかをアタシ等に伝えろ。少なくともアタシやクルイード、セリムスはおめえを信じ、その指示に従う。それが相棒とアタシ等が一緒に戦うってことの意味だ、今のところはな」
「アネット様の言う通りだ。コウヘイにはコウヘイにしか出来ぬことがある、そしてそれは唯一私達の誰かが取って代わることの出来ない役割なのだ」
セミリアさんも逆側の肩に手を置いた。
それは揺るぎない信頼の言葉。
そして、戦う術を持たない僕がそれでも共にあろうとするその意志を後押ししてくれる言葉。
二人がそう思ってくれるからこそ、僕は今ここに立っている。
なんて、暢気にというか時期違いにもというか、うっかり感動しそうになっているとサミュエルさんがノソノソと歩いて近づいてきたかと思うと僕の前に立った。
その表情は相変わらずムスッとしたままだったが、両肩がジャックとセミリアさんの手で埋まっているからか、その二人と同じ様にサミュエルさんは僕の頭に手を置く。
まさかサミュエルさんに励ましのお言葉や仲間意識溢れるコメントをもらえる日が来ることになるとは。
と、ジーンとくる度合いに拍車が掛かりそうになったわけだけど、それが勿論のこと勘違いであったと気付くまでに要した時間はものの二秒程度だった。
ゴツン、という音が響く。
同時に頭部に衝撃が走り、目の前にはサミュエルさんの顔があった。
端的に状況を説明するならば、ただ頭突きをされただけだった。
「いたた……な、なんで急に頭突きを」
「いつまで友情ごっこしてんのよ。時間の無駄だからサッサとあっち行ってろっつーの」
素で邪魔だと思っていそうなその顔に憤慨する気さえ失われる。
シルクレアの方々ですら空気を読んで何も言わずにいてくれたのに……と、額を抑えつつ、そんな行動を咎めようとしたのであろうセミリアさんや呆れた弁を述べかけたジャックを制して僕は素直にその輪を離れ、少し後方に立ち位置を変えることにした。
安全な位置まで待避したわけではない。
突破口となり得る何かを探し、自分の身ぐらいは自分で守る。
あくまで僕が僕の役目を果たすべく、声が届く範囲を出ないたかだか十メートル程度の距離を開けただけだ。
そうして見守る僕の前に並んで立つ七人の戦士達はこちらに背を向け、再び地面に置かれた天鳳の封印されている壺を見つた。
唯一ジャックだけが一度こちらを振り返り、人差し指を天に向けて突き立て『アタシの生き様をよーく見てな』とでも言いたげな不適な笑みを一瞬僕に向けてから他に倣って壺へと視線を落とす。
そして。
「さって、心の準備なんざもういらねえな? 封印を解くぜ?」
投げ掛けられた誰に対してというわけでもないそんな問いに反応する者は居ない。
よし。
と一言発し、ジャックは左手で拳を作るとそれを胸に当て、目を閉じてボソボソと小さな声で長い詠唱を始める。
ノスルクさんに託された、封印を解く呪文だ。
徐々に黒い壺が光を帯び始める。
十秒か二十秒か、その長い詠唱が終わるとまるで溢れ出てくるかのように視界を覆う程の目映い光が辺りに広がった。
白一色の視界が晴れ、何もない広大な大地が再び背景と同化した次の瞬間、それは目の前に現れた。
伝説の魔獣神【天鳳ファームリザイア】
その姿は、言葉にして表現するならば巨大な怪鳥としか言い様がなかった。
全身を七色の羽根で覆った、高さだけでも十メートルはあろうかという巨大な鳥が大きな鳴き声と共に同様に大きな翼を広げて首をぐるりと回している。
鷲とかコンドルとか、見た目の姿形はそういう類の鳥に似ているものの、まさしくレインボーなその色合いと殺傷能力を疑う余地もない鋭利な爪や嘴がそんな見立てすらも見当違いであり無意味であるのかもしれないと、そんな気にさせた。
分類すると素人である僕とて相当な化け物なんだろうなと予想はしていたけれど、大きさ、おぞましさ、見た目の危険性の全てがそれ以上だったと言える。
「相変わらず馬鹿デカイ奴だ。百年経っても変わりゃしねえ」
咆哮の様な甲高い鳴き声が収まり、天鳳が眼前の七人を見下ろすと同時にジャックは呆れた様な笑みを浮かべている。
視線を天鳳に向けたまま言葉を返したのはいつの間にか煙草を咥えているハイクさんだ。
二人揃って言葉の割には一切の焦りも見られない。
「暢気に言ってる場合かよ。なんだってんだこのデカさは、こんなもん倒せんのか?」
「説明した通りだ、倒す方法なんざ誰にも分からねえ。それでも倒すしかねえってだけの話さ」
来るぞ!
そんなジャックの声が響く。
天鳳は大きな嘴を開いている。
少し後ろで見ている僕からも何らかの攻撃を仕掛けてこようとしていることが分かった。
七人は反射的に身構える。
次にこの目に映ったのは目の前がオレンジ色に染まっていく瞬間だった。
かつてサントゥアリオでドラゴンが炎を吐く姿を見た経験があるが、あれとは比べものにならないレベルの火炎が七人を襲う。
火を吹く、というよりも火を吐き出しているという表現をせざるを得ないその火炎放射は勢いよく、かつ広範囲に渡って彼らを飲み込もうとしていた。
しかし。
危ない! と、思わず声に出しそうになった僕がシルクレア勢だけが回避や防御の態勢を取っていない理由を理解したのはその直後のことだった。
天鳳の吐く炎は彼らに届くことなく、炎と炎が衝突したことで空中で動きを止める。
頭上からの炎に対し、下から同等の威力の炎をぶつけて相殺しているのだ。
いつの間にか先頭に立ち、天鳳に杖を向けているセラムさんの魔法による予想外の防衛策だった。
表情一つ崩すことなく、細い杖の先端からあのレベルの炎を平然と繰り出しているその姿は今この世界において世界一の魔法使いと呼ばれるセラムさんの神髄を垣間見たと言ってもいいのかもしれない。
「クルイード、合わせろ!」
「御意!」
ジャックの呼び掛けにセミリアさんが呼応し、二人は突きの構えを取る。
それを見て初めて二人が後方に飛び退いたことも、逆にサミュエルさんが微動だにしなかったことも、炎を回避するためではなく反撃のためであったことを理解した。
二人の渾身の突きが空を切る。
同時に何度も見た経験のある、切っ先からそのまま伸びていくような斬撃が筒状の衝撃波となって天鳳に向かっていった。
ジャックの攻撃が右の翼に、セミリアさんの攻撃が左の翼にそれぞれ直撃すると、いとも簡単に大きな二つの翼に風穴が空き、ほとんど同時に破裂するように根本だけを残して弾け飛んだ。
「断罪の十字架」
間髪入れず、サミュエルさんが二本のククリ刀を交差させる形で振り抜いた。
二人の突きによるものとは違い、十字というよりは×の形状を維持した斬撃が真っ直ぐに天鳳へと飛んでいく。
その攻撃は防ぐ、或いは回避するために飛ぶための翼を失った天鳳の首の辺りにまともにヒットし、翼と同様にその頭部を胴体から切り離し、やがて消滅させた。
それすなわち、七人を襲っていた火炎も止む。
頭部と両翼が消えてなくなっているのだ。
一見すれば間違いなく致命傷どころか即死しているはずの損傷とダメージを与えている。
しかし、そう簡単な相手であればここまで大袈裟な話になどなってはいないことなど考えるまでもない。
その予想の通り、ほとんど胴体と足だけになった天鳳は僕達の見守る前で不死鳥たる片鱗を見せた。
まるで新たに生えてきたかの様に、真っ赤に燃え盛る翼が現れたかと思うとその形を取り戻していく。
やがて右側の翼は完全に元通りになり、続けざまに頭部と左側の翼も同じ様に元の形を取り戻していった。
要した時間は十秒足らず。
天鳳は攻撃を仕掛ける前の姿へと戻っている。
不死鳥が炎の中から生まれ変わってくるが如く、もしかすると炎に包まれた頭部や翼が生えてきたというよりも、炎そのものが頭部や翼に成り代わったのではないかと思わされるだけの絶望的な光景だった。
いずれであったとしても、これが天鳳の本質というならばジャックの言う倒す術があるかどうかも分からないという言葉が疑い様もない事実となるし、それは同時に勝利の可能性が大幅に減少したことになるのではなかろうか。
これは果たして分析することでどうにかなる問題と言えるのかどうか。
何一つ見落とすまいと目を凝らし、そんなことを考える僕だったが、目の前では戦いが次なる展開に進みつつあった。
再び天鳳が甲高い鳴き声を上げる。
「まさに不死身の生物というわけか? どのレベルのダメージに対してそうあることが出来るのか、私が確かめてやろうじゃないか」
こんな状況であるにも関わらず、どこまでも不敵な声音で言ったのはクロンヴァールさんだ。
僕の位置からは背中しか見えないが、恐らくはいつもの『私に恐れるものなど何も無い』と言わんばかりの顔と目をしているのだと確認せずとも分かる。
クロンヴァールさんは持っている剣を正面に向け、円を描く様に腕をくるりと回した。
すると、その切っ先が通った位置に光り輝く輪を浮かび上がっていく。
そこでクロンヴァールさんは腕を下げたが、その体の前に描かれた円は独りでに輝きを増していき、内側はいくつもの歪曲した線とラテン語の様な文字で埋まっていった。
説明されるまでもなく魔法陣という物なのだと理解すると同時に、クロンヴァールさんが突きの体勢を取る。
対して、天鳳は大きな足を片方持ち上げた。
そのまま踏み潰そうとしているのか、クロンヴァールさんの真上にその巨大な足が迫る。
明らかに天鳳の足が振り下ろされるほうが早いタイミングであったが、どういうわけか今まさにクロンヴァールさんを圧殺せんと迫る大きな足がその眼前で動きを止めていた。
一瞬何が起きているのか全く分からなかったのだけど、そのすぐ後ろで両手を地面につけて何に対してか必死に踏ん張っている様子のユメールさんを見て謎が解ける。
「お、重い~です~。やいおっさん、もっと力入れやがれです。やる気あんのかー! ですっ」
「文句を言うな。わしは上空から釣り上げているだけだ、腕力は関係無い。姫様が潰れんようにしっかり踏ん張っておれ」
そんなユメールさんとセラムさんの会話からするに、二人でユメールさんの糸を使って天鳳の足を持ち上げているということのようだ。
それにしたって糸が目で見えないこともあって原理は一切分からないし、全然関係無いけどセラムさんって身内に対しては一人称が『わし』になるんだって感じではあるが、二人が自分を守ってくれると分かっていたからクロンヴァールさんは何も気にせず攻撃態勢を整えていたのだということだけは理解出来た。
そして、
「よくやったぞクリス、あとで褒めてやろう。穿戟覇王陣!」
そんな一言を残し、クロンヴァールさんは目の前に浮かぶ魔法陣に向かって突きを放つ。
刹那。
その魔法陣から発射されたセミリアさんやジャックのものとは比べものにならない規模と荒々しさをもった斬撃が轟音と共に天鳳の胴体へと炸裂した。
巨大な渦とでもいうのか、もはや突きによって生まれた斬撃とは思えぬ程に太く大きな槍状の衝撃波が体に触れた瞬間、穴が空くのを通り越して天鳳の全身は足だけを残してそのまま弾けるように消滅する。
「やったですか? です」
重さに耐える状態から脱したユメールさんがへたり込みながら呟く。
反応したのはジャックだ。
「いや、残念ながらそういうわけでもないらしいぜ?」
何故そう思うのか、という疑問は確認するまでもなかった。
先程とほとんど同じ様に、唯一残っていた二本の足から新たに生えていくが如く炎に包まれた胴体が現れ、頭部、翼までもがその形を取り戻していった結果、一瞬にして全てが元通りになった天鳳が再び僕達の前で僕達を見下ろしているという状態が出来上がっていた。
無茶苦茶な生物だ、と。
これで駄目ならどうすればいいのだ、と。
恐らくは誰もが言いたくなって当然の光景だったが、誰かがそれを口にするよりも先に天鳳の目がキラリと光る。
それが攻撃の合図であったことに気付いたのは僕が一番最後だったのだろう。
「クリス!」
クロンヴァールさんが大きな声を上げるのと同時に、天鳳の左右の目からそれぞれ一筋の光が伸びる。
それを把握した時にはまるでレーザービームの様な細い光線が一番前に居るクロンヴァールさんとユメールさんへと襲い掛かっていた。
クロンヴァールさんは反射的に剣で弾くことによって防いだものの、ユメールさんは地面にへたり込んでいる上に防御に使える武器を持っていない。
レーザービームと表現した通り凄まじい速度を以て、ほとんど一瞬光ったレベルで二人に到達しているのだ。
クロンヴァールさんの声を聞いて初めてそれを把握した僕に反応出来るはずもなく、それどころかそんな考察をしている間に事は済んでいる始末なのだが、しかしそれでも丸腰のユメールさんが無事であることだけは分かった。
僕が理解出来たのはクロンヴァールさんの防御によるものとは別の金属音が響いたということだけだったけど、逸れたビームが地面に穴を空けている時点で防いでいなければ即死レベルの怪我を負っていたことは明らかだ。
「いつまでもボケっと座ってんじゃねえよマヌケ」
声の主は中距離攻撃が主な戦術であるからなのか、七人の中では一番後方に居たハイクさんだ。
相も変わらず知らない間に煙草を咥えているハイクさんに対し、すかさず立ち上がったユメールさんはあろう事か天鳳に背を向けて憤慨する。
「今の今まで突っ立ってただけの役立たずに言われたくないですっ。むしろそっちが感謝しやがれ、です」
「頭湧いてんのかテメエは。なんで俺が感謝しなきゃならねえんだ」
「そんなことはクリスに聞かれても知らんです。ダンは常にクリスに感謝しながら生きていけばいいです」
「ああ?」
二人は睨み合う。
それ自体はいっそのことどうでもいいが、そのやりとりとユメールさんの側に転がっているブーメランがあの攻撃を防いだのがハイクさんのブーメランだったのだと告げていた。
数メートルは距離があった上にあの速度の光線をブーメランを放って防ぐって……腕利きだと聞いてはいたけど、やっぱりあの人も大概超人だったんだな。
「揉めとる場合か。どうする姫様」
セラムさんが二人の間に割って入る。
天鳳が次なる手を打ってくる様子は今のところなく、首をぐるりと回して視線をこちらに向けているだけだ。
「一旦距離を置くぞ。個別に攻撃し続けたところで好転する状況ではない」
あの巨体では逃げることも出来ないだろうがな。
と、付け加えるとクロンヴァールさんをはじめとするシルクレア勢は素早く僕の居る位置まで下がってくる。すぐにジャック達もそれに続いた。
確かにあのサイズで、しかも翼を持っている鳥とくれば逃げようとしたところで何ら意味を為さないだろう。
方針統一のための話をする時間の確保と、あとは精々僕に何か気付いた点はないかという確認をするためといったところか。
七人は体は天鳳の方へ向けたまま僕の側まで来ると、その状態のまま作戦会議を始める。
「アネット様、あれでは手の打ちようがありませぬ。本当にダメージを与えることが可能なのですか」
「聖剣の言う通りです。炎を操るどころか全身が火そのものと化しているじゃねえか、ですっ。攻撃が効くとは思えねえぞ、です」
「あながちそういうわけでもねえぜ、バンダナ女」
「何が言いたいです、乳爆弾」
「誰が乳爆弾だ。奴が火その物ではないことは他でもねえお前さんが証明していたって話だ」
「確かに、ユメ公の糸で釣り上げたことがイコール炎その物だなんつー無茶苦茶な生物であることを否定しているとも言えるが、それが活路に繋がるかと言えば難しい話だな」
「ハイク殿の言う通り、再生したり攻撃が効かない状態とそうでない状態があるのならば攻めようもあるのかもしれませんが、いずれにしても心臓や頭部が急所ではないとなると……」
「状況は絶望的だってか? 確かにそうかもしれねえな。だがクルイード、アタシが一番最初にした説明を覚えてるか?」
「どの説明のことでしょう」
「アタシは言ったな、確かにダメージを与えた手応えがあったと。勿論断定的なことは言えねえが、今もまさにその可能性を目の当たりにしたはずだ」
「可能性、というのは一体……」
そこまで言ってセミリアさんは僕を見る。
いつもながらの、代りに説明してくれ。という合図だ。
「ジャック、それって一番最初の……」
「おうよ、相棒は気付いていたか」
「コウヘイ、一番最初というのは何を指すのだ」
「一番最初の攻撃の時、セミリアさんとジャックの攻撃はほぼ同時に左右の翼に直撃していました。だけど、翼の再生に掛かった時間に明らかに差があったんです」
威力までもが全く同じだったというわけではないだろう。
それでも、右側の翼がすぐに再生したのに対し、左側の翼が後からサミュエルさんが攻撃した頭部と同じタイミングまでの差があるというのはおかしな話だ。
その時間差に何か理由があるのならば。
そう思ったのは僕だけではなかったらしく、セラムさんと共に先頭で天鳳の動きを伺っているクロンヴァールさんがそこでようやく口を開いた。
「奴の状態や攻撃の威力によって有効である場合とそうでない場合がある、という推察は確かに成り立ちそうではあるが、あれを見る限りそもそも武器による攻撃は一切効かないという見方も出来る。いずれにしてもあれこれと試しながらということになりそうだ。アレを相手に長期戦というのは正直気が進まないが、そうも言っていられまい」
「ついでに言えば、目ん玉から飛び出したあの攻撃をまともに食らえばやべえことになるぜ。どうにか弾くことは出来るみてえだが、鋼製のブーメランが一個死んだ」
「ダン、間違ってもこれ以上減らしてくれるなよ。あれは五つ無いと成り立たないことを忘れるな」
「そりゃ分かっちゃいるが、文句はユメ公に言って欲しいもんだな」
「黙るです、クリスのせいにするなです、調子に乗るなですっ。お姉様、ダン如きと連携しなくてもクリスがフォローするです!」
「そう言うなクリス、あの化け物相手に有効な手段など限られているのだ」
クロンヴァールさんはユメールさんの頭に手を置いた。
この二人もこの二人でよくもまあいつでもどこでも口論を始められるものだ。
それも随分と温度差があるらしく、ハイクさんが突っ掛かってこられるから面倒臭いけど言われっぱなしもむかつくので相手をしている、という冷めた感じなのに対し、ユメールさんはクロンヴァールさんに宥められてなお唇を尖らせて拗ねた顔をしている。
この世界に限って言えばそういう二人組には大いに心当たりがあるし、それによって結構なというか余計なというかは難しいところだが色々と苦労もしたし、そうでなかったとしても今この場でそうあることも含めて笑い話にもならないけど、唯一の違いにして最大の救いはクロンヴァールさんが割って入れば素直に収まるところである。
ポンポンと、頭に乗せた手を撫でる様に弾ませると、クロンヴァールさんはセラムさんに目を向けた。
「ロス、次は斬撃やその類の攻撃以外の方法でいく」
「了解した」
「二代目勇者、そういう方針で問題はないな?」
「魔法攻撃を中心に手を変え品を変え、か? 現状そうする他無さそうだ、文句はねえさ。とにかく順々に出来ることをし続ける以外にどうしようもねえ。が、問題は魔法を使えるのがオッサン一人って状況でそういう戦法を取り得るかどうかだ」
「ロスキー・セラムを舐めるな、この私の腹心だぞ。お前が心配するようなことは何も無い」
「そいつは重畳なことで。お前さんがそう言うならひとまず任せようじゃねえか」
「決まりだな。ロス、敵が炎その物などと言うのならば、いっそのこと氷らせてやれ」
「任された」
セラムさんはもう一度短い返事をする。
中身が全てにおいて了承の意志を示すものであることが二人の信頼関係や強い忠誠心を示している感じだ。
ジャックを含めたそんな三人のやりとりだったが、誰かをアテにした作戦に乗っかることが不満だったのか、ここにきてサミュエルさんが初めて口を開いた。
「あのデカブツを丸々氷らせることなんて出来るわけ?」
毎度のことながらなぜ質問をするだけのことにそこまで胡散臭いものを見る様な目をしなければならないのかは疑問に思えて仕方がないけど、もう答えは『それがサミュエルさんだから』という以外に無いことは承知しているので僕はそれがあちらの方々の不興を買わないことを祈るばかりである。
幸いにもそういうことはなかった様で、とはいえセラムさんは呆れた様に言葉を返した。
「無茶を言うな。ただ巨体であるだけの敵ならまだしも、炎に成り代わる相手ではそうもいかぬわ」
「全身だろうと一部だろうと、そういう方法が有効であるかどうかを知るだけでも価値があるってもんだ。ここは信用しておくとしようじゃねえかセリムス」
ジャックの諫めるような言葉にもサミュエルさんは大層気に入らなそうな顔で『フン』と目を反らすだけだった。
「さあ、敵さんもいつまでも待ってくれるわけでもねえ。方針が決まったのならこっちから仕掛けるとしようぜ」
続けて悪態を吐かないことが渋々であれ嫌々であれその方針に従ってやるというサミュエルさんにとっての意思表示であることをクロンヴァールさんやセラムさんは知ってはいないだろうが、それが分かっているジャックがそれ以上の言葉の応酬を別の方向へ反らすことで余計ないざこざに発展する可能性を打ち消した。
まさか向こうの二人が今この状況で挑発と捉えて憤慨したりはしないだろうが、それでもナイスジャックという感じである。
言葉が止み、七人は改めて天鳳を見据えると僕が見る限り何の合図も無しに一斉に地面を蹴る。
それ自体にも驚きであることは間違いない。
だけどそれよりも、純粋に身体能力の問題なのだろうがほぼ全員が重い鎧だったり武器だったりを持っているのになんであんなに早く走れるのだろうかと今更思ったりもした。
足の速さ一つとってもこの有様なのだから僕なんて見ているしか出来ないわけだ。
とまあそんな劣等感というか僕の平凡性はそれこそ今更過ぎるのでどうでもいいとして、見守る僕の目の前でそんな七人は十数メートルの距離を一気に詰めていく。
この間、天鳳が襲ってくる気配がなかったことが少しの疑問と不安を抱かせるが、静観に意味が無いのはこちらに限った話なのだ。
どんな理由があったにしても、どんな理由も無かったとしても、あれを倒さなければならない事実に変わりはない。
その揺るぎない前提が全身が炎そのものかもしれないという過去最大級の現実離れした化け物相手にそれでも向かっていく意志へと変わっているのだ。
「アガスタ!」
最後尾を走るセラムさんが杖を振る。
同時に白銀の光を帯びたその杖の先から白と水色の混じった様な色をした霧らしき気体が勢いよく放射された。
それが事前に言っていた『氷らせる』ための呪文であることは僕にも分かる。
なぜなら、その攻撃の矛先である天鳳の右側の翼が見る見るうちに凍り付き始めているからだ。
中心付近に小さな氷の膜が付着した様な状態から一瞬にして全体に広がっていき、その呪文はすぐに翼全てを氷でガチガチに覆ってしまった。
「ここだっ」
クロンヴァールさんの声が響く。
その声はすぐに天鳳の甲高い鳴き声に掻き消されたが、すでにクロンヴァールさん、セミリアさん、サミュエルさん、ジャックの斬撃とハイクさんのブーメランが同時に放たれていた。
道中にそういう指示が出ていたのか、そんなことをしなくとも何をすべきかを全員が理解していたのかは僕には分からないが、七人の狙いが天鳳の身体を氷らせた上で渾身の同時攻撃を叩き込むことだったのは明らかだと言える光景だった。
四つの斬撃、そしてハイクさんのブーメランがほとんど同じタイミングで右の翼を貫くと七人は足を止める。
完全に氷に包まれた状態になっていたその翼は、ガラスが割れる様な音を立てながら氷もろとも砕けて散った。
魔物だろうと化け物だろうと相手が生物である以上は相変わらずのその残酷な有様に慣れることなど出来そうにない感じだが、氷らせて吹き飛ばすという手法も然り、それを受け片方の翼を失って苦しむ様な仕草を見せる天鳳の姿も然り、そう思わされることが逆に有効な攻撃だったんじゃないかという希望を抱かせる。
そして、セラムさんの魔法を受けた瞬間に抵抗や回避をしようと暴れた天鳳が、にも関わらず左の翼だけをばたつかせ、逃げるどころか攻撃を受けている方の翼を動かすことすらしなかったその理由がユメールさんの糸によって攻撃対象である右の翼が縛り上げられていたせいであったことも同時に分かった。
それぞれが完璧に役割を果たしたこの連携攻撃が有効だったならば、この機を逃す手はない。
そんな意志がはっきりと見えた次なる行動もまた、言葉を交わすことなく、それでいて誰一人違えることなく、すぐに全員が天鳳を見上げながら構えを取った。
しかし、その先陣を切るべくセラムさんがもう片方の翼へと杖を向けた時、僕達は全てが淡い期待であり儚い幻想であったことを知る。
消滅したままだったはずの右側の翼、その付け根から突如として炎が噴射し始めた。
その姿が何を意味するのか、分からぬはずもなかった。
「チッ、これでも駄目だってのか」
ジャックは構えを解いた。
その声からして恐らく常時浮かべていた余裕のある表情を維持してはいまい。
どうしたって今目の前で起きた現実を見てしまっては『為す術無し』という言葉が浮かぶ。
剣も駄目、魔法も駄目では他にどうすればいいというのか。
その答えを彼等が持っているのかどうかは定かではないが、次なる一手を待つことなく元の姿に戻っている天鳳の目が再びキラリと光った。
ほぼ間違いなくつい先程、地面に穴を空けたあの光線が飛んでくる合図だ。
天鳳は武器を下ろしたことで隙が出来たと見たのか、僕がジャックの名を叫ぼうとするよりも先に今度は左右の目から発射される光線の両方をジャックに向けて発射していた。
カメラのフラッシュの如く一閃の光が辺りを包むと同時に二本の筋がジャックを襲う。
「アネット様!」
僕の声が間に合わない代りにセミリアさんの声が響いた。
しかし、杞憂に終わったと表現すべきなのか少なくともジャックの身を案じた僕達二人の頭を過ぎった光景が現実となることはなく、どういうわけかその状況でなお武器を構えもしないジャックの目の前で二つの光線は何かに弾かれる様に軌道を変え、再び地面に穴を空けた。
何が起きた?
あれは一体どういうことだ?
なぜ棒立ちのジャックの前でレーザーが逸れた?
ジャックも僕の指輪と同じ効果を持つ何かを持っているのか?
後ろから見ているだけの僕がどれだけ考えたところで出てくるのはそんな憶測ばかりだったが、大した意味も持たない考察を重ねている間に目の前で繰り広げられている攻防はまたしても次なる展開へと進んでいく。
「ダン!」
「おう」
クロンヴァールさんの呼びかけに呼応するなり、ハイクさんは両手で腰に装着していた五本のブーメランを同時に放った。
右に二本、左に三本。
それぞれが大きな弧を描き、天鳳に向かって高速で回転しながら舞う。
今更ブーメランによる攻撃など意味を持つとはとても……。
そんな率直で身の程知らずな言い分は僕が口にするまでもなかったらしく、ブーメランは天鳳に直接向かうのではなくその全身を包囲する様に全てが別の軌道を通っていった。
そして。
ちょうど天鳳の前後左右に五本のブーメランが達した瞬間、それら全てが同じタイミングで目映い赤色の光を放つ。
それを認識した時にはすでにブーメランから光は消えていたし、それどころかターンしてハイクさんの手元に戻りつつある状態ではあったのだが、これまたどういうわけか空中に五つの小さく赤い光の粒が浮かんでいた。
まさにブーメランが一瞬の輝きを見せた位置で天鳳を囲む様に、まるでその赤い光点を残すことが目的であったかの様に。
「なんだありゃ?」
「ハイク殿、あれは一体……」
何が起きているのか理解出来ないのは僕だけではなかったらしく、ジャックとセミリアさんがほとんど同時に疑問符を投げ掛ける。
答えたのはハイクさんではなく、クロンヴァールさんだ。
「黙って見ていろ。私とダンの合体技というやつだ」
そう言うとクロンヴァールさんは持っていた剣を両手に持ち替え、切っ先を真上に向けて胸の前まで持ち上げる。
次にその口から出てきたのは何らかの呪文らしき言葉で、その魔法によるものと思われる結果が合体技という意味を僕達に示した。
「五芒錠縛」
ただ一言、クロンヴァールさんはそれだけを口にした。
天鳳を囲んでいた五つの光点が突如として輝きの強さを増し、まるで点と点を繋ぐようにそれぞれが異なった角度で光の直線を伸ばしていく。
ハイクさんがブーメランを放ってからたかだか十数秒。
空中に浮かんでいた五つの赤い光の点は、空中に浮かび上がる星形の多角形へと姿を変えていた。
その光る線によって描かれた星は最終的に円の中に収まり、地上絵ならぬ空中絵状態の光り輝く五芒星とその中心に立つ天鳳という図が出来上がる。
当初こそブーメランを目で追っていた天鳳だったが、今現在動く気配はない。
その理由とあの五芒星との関連性が魔法を使った本人の口から明かされた。
「ロス、奴の動きは封じた。あとはお前の仕事だ」
「言われずとも準備は出来ておる……ドラガルド!」
セラムさんは持っている杖を振り上げると、勢いよく地面に叩き付ける。
それが魔法を使った瞬間であったことは理解出来るが、それが魔法である以上それ以外のことは理解出来ない僕の目の前で起きた現象にただただ唖然とするしかなかった。
地面が噴火した。
それは言葉にするならばそう表現せざるを得ない光景だった。
足下から全身を飲み込むように、轟音と共に地面ごと吹き飛ばした魔法攻撃が天鳳の全身を飲み込んでいく。
噴水の如く下から上へと噴射され続けているその魔法は、あのサイズの天鳳を悠々と覆い隠すほどの範囲と高さを維持しており、敢えて聞かずともあの中に居ればどうなるのかだけは馬鹿でも分かると言い切れる程に残酷な光景を生み出していた。
クロンヴァールさんハイクさんの魔法によって天鳳の動きを封じ、その間にセラムさんの魔法を叩き込む。
そういう連携だったわけだ。
「…………」
固唾を呑んで見守ること五秒ほどだろうか。
ようやくのこと噴射が止むと徐々に視界が戻っていく。
その先にあるはずの天鳳の姿が、そこには無かった。
あるのは地面に空いたクレーターのような大きな穴が一つ。ただそれだけだ。
「消滅した……のか?」
半ば願望混じりの口調でセミリアさんが誰にともなく呟いた。
今現実に目の前に広がる光景を見ればそう認識する以外にないと言える。
この世界にいる化け物達は命を失うとその身を消失させるのだ。
セラムさん達によるそこらの化け物よりもよっぽど化け物レベルな攻撃を受け、敵の姿が消えて無くなった。それが現実に起きたことの全てだ。
相手が天鳳という存在でなければ僕もホッと一安心ぐらいは出来たのかもしれないけど、先程までの絶望的なまでの攻撃の効かなさを考えると『本当に終わったのだろうか』という不安がどうしても付きまとう。
そう思っているのは僕だけではなかったようで、クロンヴァールさんがお世辞にも明るいとは言えない口調と声色でセミリアさんの独り言の様な呟きに答える。
「そうだといいがな。正直に言って、剣にしろ魔法にしろ我々の側に単発であれ以上の威力を持つ技はない。それとて奴の動きが鈍いおかげで出来たようなものだ。これで駄目ならば純粋な意味での『倒す』という方針は捨てざるを得ないことになる。無論、お前達次第ではあるがな」
「二人揃って世界一と言われているお前さん達がそうであるなら、アタシ等に一撃の威力でそれを上回る技なんざあるはずもねえさ。そうなりゃ力尽く以外の方法を探す他あるまい。百年前にやり合った時も似た様なもんだった。剣も魔法も叩き込めるだけ叩き込んで、それでも通用しなかったから封印に逃げたってわけだ。自分達だけでも天鳳と戦うつもりだと息巻いてはいたが、ロクに魔法も使えない面子だからな。お前さん達が居なければ奴の再生能力の実態を暴けねえ限り延々と持久戦を繰り広げていたことだろうぜ」
「しかしアネット様、先程までの様に身体の一部のみではなく全身が消えて無くなっている状態から再生することなど出来るのでしょうか」
「そればっかりはアタシにも分からねえよ。前の戦いの時に同じ状況になったことはなかったからな。とにかく色んな方法で色んな部位を攻めて、奴の様子から少しでも有効な手段を、なんて考えながら必死こいてただけだ。それでも確かに苦しむ素振りや嫌がる素振りを見せやがった、だからこそ全ての攻撃が無意味ってわけじゃねえって結論に至ったわけだ」
ジャックの言葉に誰かが反応することはなく、一同は揃って天鳳が居た位置に目をやった。
僕は少し離れた位置にいるとはいえ、本当に何もない。何も、居ない。
間違いなくそう見える。
さすがにここから復活してしまうなんてことがあったならば、不死身という絶望的な単語が重くのし掛かってくることは疑い様もない。
その時に他の方法など探そう気になれるかどうか、そういう精神状態でいられるものかどうか。
それ程に僕達にとっては最悪過ぎる展開となるだろう。
どうかこのまま終わってくれ。
そうすれば誰も悲しまなくて済むんだ。
この後また戦地に戻って嫌でも辛い思いをすることになるんだ。
ノスルクさんやジャックの百年に渡る思いが報われてくれてもいいじゃないか。
静寂が辺りを包む中、止め処なくそんな願望ばかりが頭の中に溢れてくる。
そうではない、と。
僕の仕事は祈ったり願ったりだなんて誰にでも出来ることではなく、考えること、見破ること、気付くこと、そういう部分だったはずだろうと。
馬鹿みたいにただ見ているだけの立ち位置であろうとしていた自分に気付き、自己を戒めようとした時だった。
反射的に何かに反応したかのようにジャックが、僅かに遅れてセミリアさんとサミュエルさんが武器を構える。
その差が山籠もりの成果だったのかどうかは知る由もないが、次いでシルクレアの面々までもが武器を構えて戦闘態勢を取った瞬間、何がそうさせたのかだけは嫌でも分かってしまった。
ボッと。
そんな音を立てて空中に浮かぶ火の玉が現れた。
肝試しなどで目にする人魂のような小さく、強いとも言えない炎がゆらゆらと、どこからともなく出現したのだ。
位置関係で言えば間違いなく天鳳が立っていたはずの場所であり、どうしたってそれが最悪の未来を想像させる。
僕が指摘せずともそれを理解しているであろう七人にあって、真っ先に動いたのはサミュエルさんだった。
そうはさせるかと言わんばかりに、左手の刀を振り小さな火の玉を斬撃によって掻き消してしまう。
何かある前に手を打つべきか、何があるか分からない以上は慎重になるべきだったのか。
ジャックやクロンヴァールさんは恐らくは後者を取って敢えてそれをしなかったのだろう。
そしてサミュエルさんはその性格ゆえか、黙ってみているぐらいならばと前者を選択した。
行動する前にどちらが正しいかなど分かるはずもないそんな二者択一が、結果的に考える意味など始めからなかったのだということが分かったのはサミュエルさんの斬撃が直撃してすぐのことだった。
あっさりと、弾け飛ぶように火の玉は飛散する。
次の瞬間、その中心であった箇所から爆発的な勢いで炎が噴射し始めた。
まるで圧縮していた何かが破裂したかのように一点から全方位に広がり体積を増していくその炎は見る見るうちに視界のほとんどを覆っていく。
七人は咄嗟に後ろに飛び退いたが、どうやらあれは攻撃の意図によるものではないらしく、巨大な炎の塊と化していたはずのそれは徐々に形を変えていく。
ものの数秒足らずではっきりと浮かび上がったのは、鳥の姿をした何かだった。
「馬鹿な……」
「はっ、まさに不死身ってわけかい。滅茶苦茶な化けもんだなオイ」
高さは十メートル程、横幅に至っては翼を広げていることでそれ以上の大きさを持つ巨大な鳥を前にセミリアさんとハイクさんの口から言葉が漏れる。
先程までとは違いバサバサと翼を上下させながら宙に浮かぶその化け物はすでに七色の怪鳥ではなく、全身が炎に塗れた火の鳥と化していた。
「負けりゃ焼死体、勝ちゃあ焼き鳥食い放題ってか」
「言っとる場合か二代目の。姫様、どうする」
それぞれが武器を構える中でセラムさんが問い掛ける。
しかし、ここにきて先手を打ったのは他ならぬ天鳳の方だった。
復活直後に炎を吐き、それ以外ではこちらの攻撃に対する反撃に目からビームのようなものを放ってくる以外に自発的な行動がほとんど見られなかった上にここまで一度として飛ぶことすらしなかった巨体が俊敏かつ華麗な動きで真上に上昇していく。
先程の連携攻撃が眠れる本能を目覚めさせてしまたのか、或いは単純に逆鱗に触れててしまったのか、天鳳は逃げたわけでは決してなく、ぐるりと宙返りをする格好で軌道を変えると、あろう事かそのまま僕達がいる方向へとスピードを上げて突撃してきた。
大きな身体と大きな嘴をこちらに向けて急降下し、恐るべき早さでぐんぐんと迫ってくる。
全開の翼を含めた横幅の大きさと全身が燃え盛っていることが迎撃という選択に対する分の悪さを容易く理解させた。
結果、同じ判断をしたらしい七人は揃って回避することを選び、ぎりぎりのところで飛び上がったりしゃがみ込んだり、或いは魔法や剣によって防御したりという方法でどうにか直撃を避ける。
辛うじてと言えるタイミングであったことで全員が無傷とはいかず、少なからず炎によるダメージを負った人がいる可能性も否めない状態だったが、揃って無事に回避したことにひとまず安堵する。
そこで始めて、僕は人生最大の失態を犯していたことに気が付いた。
「…………あ」
一言で言えば、自分のことを全然考えていなかった。
少し前に『祈ったり見守ったりするために来たわけじゃない』なんて意識改革をしてしまったせいか、前に居る七人と天鳳にばかり注目してしまっていたことが原因だったと言えるだろう。
今更それに思い至ったところで手遅れ過ぎる。当然だ。
前に立っていた七人に向かって突進してきていて七人がそれを避けたということは、いや、仮に避けていなかったとしても結果は変わらなかっただろうがとにかく、彼等を通過した時点で後ろに居る僕の方にも向かってくるということだ。
あの角度で突っ込んできていればこうなることぐらい簡単に分かりそうなものなのに……迂闊過ぎるだろう、僕。
なんて後悔すらも手遅れで、すでに数メートルの距離まで巨大な頭部と大きな目や開かれた嘴が迫ってきていた。
同時に、今から右手の盾を発動しようとしたところで到底間に合わない速度と距離であるということも直感的に理解した。
あ、食べられる。
と。
せっかく修行したのになんで盾の準備してなかったんだろう、と。
早くも脳が死を受け入れたのか、そんな状況にも関わらず冷静に考えていた。
「コウヘイ!」
僕の目には既に天鳳しか写っていないが、どこかからセミリアさんが僕を呼ぶ声が聞こえる。
ほとんど同時に、今まさに僕を飲み込まんとしていたはずの天鳳の嘴が目の前すれすれで静止した。
止まったのかスローになっているのかはよく分からなかったが、これがタキサイキア現象というやつなのだろうか。
そんな感想もまた、怖さも何も感じていない客観的とも言える心境で至極冷静に思い浮かべていた。
そして次の瞬間、僕の目の前は真っ暗になった。




