【第九章】 百年の時を経て
ノスルクさんの話が一区切りを迎える。
僕達三人にとってはまさに寝耳に水といった状態で、ただただ無言のまま唾を飲むことしか出来やしなかった。
帝国騎士団と魔王軍が手を組んだというだけであれだけ一方的に敗戦し、撤退を余儀なくされた。
その上に一体だけでも世界が崩壊しかねない化け物を三体同時に蘇らせようとしているだって?
そんなことが現実に起これば戦争どころの話じゃなくなってしまう。
数える程の経験しかない僕とて到底まともとは呼べない化け物を何度も見てきたというのに、それらすらも比じゃない化け物だということは今の話だけでも十分過ぎる程に伝わった。
ジャックがネックレスになってまで封印が解ける時を待ち、倒すことを決めた不死鳥。
連合軍にとって現状の敵ともいえる帝国騎士団の祖国をこの世から消し去ったドラゴン。
そして、その強大さゆえに同族に封印されたという魔界? の神と呼ばれていた何者か。
そんな生物を復活させてこの世界を、或いは人間を滅ぼそうとしている。
それが魔族と呼ばれる化け物達の目論見なのか、帝国騎士団との共通の企みなのかは定かではないとノスルクさんは言うが……もはやそういう次元の話ではない。
「帝国騎士団とやらは冥王龍を討とうとしているのかもしれんのう。よもや国や先祖の仇であるボルガの力を借りて戦争に勝とうとは思わぬじゃろう。その目的を果たすために魔王軍と協力関係を結んだと見るのが一番もっともらしいとも言えよう。魔獣神のことなど知らずにただ戦争に荷担させるための協力関係である可能性がないわけではないじゃろうがの」
いずれにしても、あくまでただの想像と憶測に過ぎぬ話じゃ。
と、ノスルクさんは言う。
つまりは、その魔王軍がかつて封印した冥王龍を差し出す代わりに魔王軍の企みにも協力する、という可能性が一番高いということか。
それが彼等の真の目的なのだとすれば、散々言ってきた時間を稼ごうとしている様に見えるやり方というものにも繋がると言えるが……だからといってサントゥアリオ共和国を憎み、恨み、侵攻する意図があることまでもがフェイクというわけではないだろう。
どうあったところで僕達は向こうの連合軍と対峙しなければならないことに違いはない。違いがあるとすれば向こう側に世界を滅ぼせるだけの化け物が三体ほど加わるだけの話だ。
だけ……では全く済まない問題なのだけれど。
「ノスルク、その魔王軍の狙いを阻止する方法はないのだろうか」
考えることが多過ぎて言葉を失うという共通の反応をする僕達にあって、ようやくセミリアさんがその静寂を打ち破った。
その顔には僕と違って後ろ向きなことを考えている様子などない。
いつもの通り、己が使命と役目を果たすためにすでに先を見据えているということが目を見るとよく分かる。それだけの付き合いはあるつもりだ。
一人だけ女性の膝の上に座って真剣な顔をしている自分が馬鹿みたいに感じられるので自然な流れで立ち上がろうとしたが、その瞬間には僕の腰を抱くジャックの腕の力が増して容易く阻止されてしまった。
仕方がないのでそんな状態で僕も話に加わる。
「前もって分かっているなら阻止出来る可能性もある、ということですよね。それにしたってそうなる前に魔王軍を倒さなければいけない、とかになってしまうと無茶なのかもしれませんけど」
「コウヘイ殿の言う通りじゃセミリア。もしもそれが出来るならば、復活させようとしている、ぐらいのことであれば阻止出来るじゃろう。復活させられる前に魔王軍を倒してしまうことが出来ればじゃがの」
「しかし、それはどう考えても現実的ではないのではないか? どのぐらい時間の猶予があるのかは知らぬが、どんな事情があろうと急いで倒そうとしてそれが出来れば誰も苦労などしないし、こうして敵の強大さに頭を悩ませることもなかっただろう」
「その通りじゃ。いずれにしても、言うた通りファームリザイアに関しては魔王軍の狙いなど無関係に復活してしまう。その他の二体についてはまだ阻止することは可能かもしれぬし、そうでないかもしれん。なにぶんその事実に至るまでに時間を要してしまったこともあって断言出来る状況にはないのじゃ。例え阻止しようとしたとしても、新たな火種を生むことは間違いないじゃろうがの」
「その口振りからして、ファームリザイアという生物の封印が解けるまでにそう時間はないということですか」
僕は問う。
時間も無く、全ての魔獣神が同じ日に復活してしまうというのであれば絶望的ではあるが、そうでなければ阻止出来る可能性は残されているということだ。
どうあっても一体からは逃れることが出来ないことが決まっているのであれば、その天鳳とやらをどうにかしてやっつけ、その後魔王軍の狙いの阻止に動く。
それがこの世界が助かる唯一の道なのではなかろうか。
「そうするほか無い、じゃろうな。ジャクリーヌを元の姿に戻すために予定よりも時間を要してしもうた。邪神アステカ復活の儀式を画策していることの情報収集にしても同じく、じゃ。まさか天鳳に世界を滅ぼさせぬために費やした時間がこのような未来に形を変えるとは思いも寄らんかった。しかし、阻害出来ねば世界が滅びるのを待つか、それをさせぬために戦う以外に方法はないということじゃ。コウヘイ殿の言う通り残された時間は少ない。天鳳の復活ですら短ければ五日、もって七日程度といったところじゃろう」
「七日……」
つまりは、たったの一週間。
一週間後に最悪世界が滅びる、ということか。
あまりにも滅茶苦茶だろう、それは。
「戦わねば世界が滅ぶというのであれば戦うしかない。そうだろうノスルク、コウヘイ」
「そうですね。こうなれば悲観する意味はもう無いですし、魔王の時と同く負ければおしまいというならやるしかない。そういう状況であることは理解しました」
無茶だ無謀だ危ない怖いはもう言わない。
その決意に揺るぎはない。
相手が代わっただけで結局のところ戦って、勝たなければ自分を含め多くの人間が犠牲になるのだ。
想像出来る範疇を超えている程度のことぐらい今に始まったことではない。
だからこそ、誰が相手でも僕は僕の出来ることをして、仲間と呼んでくれる人と共に進む。
相手がどうあれ、目的がどうあれ、迷うことはしないと決めたのだから。
「ちなみにだけど、ジャック」
「どうしたい相棒」
「ジャックはその天鳳を倒すために今ここに居るって話だけど、勝算みたいなものはあるの?」
「ねえな。エルワーズも言ったが、そもそも倒す方法があるかどうかも定かじゃねえ。そういう生物だ。だが、可能性は大いにあるとアタシ達は見ている。百年前のあの時、良い勝負とまではいかなくとも確かに奴にダメージを与えた手応えがあったからだ。ま、仮にそうだったとしてもアタシ一人じゃ流石にどうにもならねえだろうがな。エルワーズはアタシを元に戻すことで役割を終えた。もう戦闘に参加する程の力は残っちゃいねえ。だからこそ、おめえら三人に掛かってるってこった。話が終わったならさっさとやるべきことを済ませて、今日はゆっくり休むとしようじゃねえか。明日からはちいと忙しいぜ? 何せ時間がねえ。それでいいかいエルワーズ?」
「そうじゃな。これ以上当時を語ることに大きな意味もないじゃろう。あとは準備と備えが今するべきことじゃ」
「ちなみにですが、そのやることとは何なのでしょうかアネット様」
「決まってんだろ。現国王やシルクレアとサントゥアリオの王達に事情を話して方針を出させるんだよ。おめえらも含め、数日後にゃサントゥアリオに戻るってのが当初の予定だったんだろう? 奴等……つってもサントゥアリオの連中が今国を離れるわけにもいかねえだろうから赤髪女王に限った話になるが、天鳳の打倒に協力する気があるかどうか、ねえならねえで他の二体の阻止に動いてもらわなきゃならねえってことも踏まえて話をする必要があることは間違いあるめえよ。そのぐらいは今日のうちにやっておくべきことだってこった」
「なるほど、そういうことでしたか。ではその役目は私が引き受けることにしましょう。コウヘイ、その辺りに特に異論はないか?」
「そうですね。早くこの体勢から脱したいという以外に特に言いたいことはありません。その話が事実ならクロンヴァールさんも放置という選択肢はないでしょうしね。といっても、サントゥアリオに戻る時点で相手に魔王軍が含まれているので当然といえば当然なんですけど。どちらにせよ僕達は天鳳を倒さないとその先はない、出来ればシルクレアの人達とも協力し合いたいところですが、サントゥアリオの現状を考えるとどちらが正しい選択とも言えないですし、まずは直接話をしてみてからでいいかと」
「うむ、その通りだな。ではそれが私達の方針ということにしよう」
「だな。しっかし、相棒もちっと見ねえ間に随分と男らしくなったじゃねえか。出発前はサントゥアリオに行くかどうかを決めるだけで辛そうにしてたってのによ」
「間違っても女の人の膝に座ってる僕が男らしく見えることはないと思うけど……どっちにしても、逃げるかやるかの二択ならやる。それで誰かの何かを変えることが出来るなら、それが僕がこの世界にいる意味だと思うから。といっても僕は化け物をやっつけたりは出来ないから結局みんなを見届けるばかりになっちゃうんだけどね、情けないけど」
「なーに言ってんだ、どこが情けないもんかってんだ。ったく可愛い奴めー。おー、よしよし」
「ちょ、ちょっと! なんで頭を撫でるの!? そういう子供扱いみたいなのやめてってば」
「子供扱いなんかしちゃいねえさ。相棒扱いだ」
「相棒扱いってそういうものじゃないと思う……」
頭を撫でるというよりも髪の毛をぐしゃぐしゃにされてるだけな気しかしない。
もう抵抗しようが暴れようが僕の体が微動だにしないのはよく分かったから好きにしてくれって感じだ。さすがは勇者とでもいうのか、腕力強すぎ。
「じゃ、もう話はいいってことね。けったいな話になってきたけど、ツブす相手と順番が変わっただけでしょ? 私はその不死鳥とやらが復活する日までは戻らないから、ジジイでもクルイードでもいいからテキトーに知らせなさい。行くわよコウ」
話はここまでと一方的に判断したらしいサミュエルさんは扉に向かいながら僕の名を呼ぶ。
ギロリと睨むあたり『いつまで遊んでんのよ』と思っていることはほぼ間違いなさそうだ。
そんな中、そのまま出て行こうとするサミュエルさんの背に向かって待ったを掛けたのはジャックだった。
「おいおい、どこ行くんだよ半裸女」
物凄い反応でサミュエルさんが振り返る。
「半裸女って言うなって言ってんでしょ! どこに行こうが私の勝手。こっちは元々再出発の日までは山籠もりの予定だったっての」
「なら丁度良い、一人で行くのは無しにしてくれ」
「はあ?」
「てめえもクルイードも、その日まではアタシが修行をつけてやる」
「余計なお世話。二代目だか伝説だか知らないけど、先輩面してんじゃないっつーの。私は私のやり方でやる」
「そう突っぱねんなよ。てめえら二人、もう一段階強くなれる要素があるって話さ。何も先輩面して言ってんじゃねえぜ? この中で誰が一番強ええかは問題じゃねえ、てめえらの持ってねえモノをアタシが教えてやるって言ってんだ。損はさせねえよ」
「どこまでも胡散臭い奴……アンタが何を教えてくれるって?」
「そりゃ明日のお楽しみってやつだ。言ったろ? 今日は準備と休養に充てろ。さっき言った通り損はさせねえさ。強くなりてえなら、取り敢えず言う通りにしろってこった。おめえがその価値無しと判断すりゃいつでもバックレりゃいい」
挑発的な言葉を投げ掛けるジャックに対し、サミュエルさんは苛立った様子でやや逡巡し背を向け。
「上等……その言葉忘れんじゃないわよ」
そう言い残し、そのまま一人で出て行ってしまった。
もっと口論になるか、余計意固地になると思っただけにジャックも言葉を選ばないと駄目なことは分かっているだろうに、と言いたかった僕だが、予想に反してサミュエルさんが折れるとは……。
やはり『強くなりてえなら』という言葉に思うところがあったのだろうか。
「さてクルイード、国王と赤髪女王への連絡役は任せたぜ?」
「ええ、お任せ下さい」
「戻った後はおめえも準備と休養に充てるようにな。つってもアタシも一緒に町で一夜を過ごすつもりだがよ」
「そうなの?」
「姿形は変われど、今までもそうしてきたじゃねえか。修行を受けさせるとは言ったが、別にアタシはおめえらの上に立ってやろうって気なんざねえ。あくまで対等な仲間としてやっていくつもりだからよ。ま、これからもよろしく頼むぜ」
と、ジャックは隣に居るセミリアさんの肩に手を置き、ついでにもう片方の手で僕の頭に手を置いた。
セミリアさんは実直にも『こちらこそよろしくお願いします』と頭を下げる。
そんな光景に、この先待ち構える不安要素盛りだくさんの未来を前に少しだけホッとするのだった。
そこでようやくジャックの上から降りることを許された僕だが、ふと一つの疑問が浮かぶ。
「そういえばさ」
「どうしたい」
「サミュエルさんは帰っちゃたし、セミリアさんは報告に行くんですよね? 僕は普通に待機でいいの?」
「いんや、おまえさんにはクルイードが戻るまでやってもらいてえことがある」
「何をすればいい?」
「こっちは百年ぶりの人間の姿なんだ、ちっとアタシに付き合えよ」
「それはいいけど、どこに?」
そんな僕の言葉に、ジャックはただ意味深にニヤリと笑った。
○
窓から外の様子を窺うと、すっかり日も暮れてしまっていた。
まずはリュドヴィック王への報告に行くと城に戻るセミリアさんを見送り、エルシーナ町へと戻った僕とジャックはセミリアさんが予約してくれていた宿屋の部屋に着替えなんかの荷物を置き、町に繰り出すことになった。
といっても、あちこちを回ったというわけでもなくジャックの一存で真っ直ぐにバーのような居酒屋のような店に入り、かれこれ二時間ぐらいは経っているというのが今現在の状況である。
ジャックが言う付き合えというのは『酒を飲みに行くのに』という意味だったらしいと僕が理解したのは店に入ってからのことだった。
「ぷっは~! やっぱコレこそが生身の人生ってもんだぜ~」
ガン! と、空になった大きなジョッキをカウンターに叩き付けると、ジャックは多幸感に包まれていると言ってしまっていいぐらいの表情で大きく息を吐いた。
一杯あたり一リットルぐらい入っているんじゃないかという大きなジョッキに注がれるワインだったり泡の立っているお酒だったりをかれこれ十杯は飲み干している。
「親父ぃ、おかわりだ」
すぐにジャックが次の注文をすると、カウンターの向こうに立つ店のおじさんは『へいよ~』と空のジョッキを下げた。
手が空いたことでようやくジャックは僕の方を見たかと思うと、ニカッと笑って僕の肩を抱く。
「相棒、飲んでっか?」
「うん。ジュースだけどね」
「まーだそんなもん飲んでんのかい。酒はやらねえ質かい?」
「やらねー質っていうか、普通に未成年だから」
「あん? 相棒はじき十七だと聞いた覚えがあるぜ?」
「そうだよ?」
「だったら酒の一つぐれえ飲める歳じゃねえか。真面目もほどほどにしとかねーと息が詰まるぜ? 人間息抜きも大切ってもんだ。別のモン抜きたきゃベッドで相手になってやるけどよ、最終的にゃ人生酒があってこそってもんだろうよ」
「……人前で下品なこと言わないでくれるかな。ていうか、今の話を聞いて思ったんだけど、この世界の成人っていくつなの?」
「成人は成人じゃねえか。十五に決まってんだろうよ」
「やっぱ違いがあったんだね。僕の住んでた国では二十が成人だからさ、二十になるまではお酒も煙草も駄目っていうのが決まりなわけ」
「ほ~う、随分とのんびり大人になっていくもんだな相棒の世界ってのは」
「そう言われるとなんとも反応に困るけど、まあそういうことになるのかなぁ」
物騒であれ無関心でも生きていられるがゆえに、一見平和な世の中であるがゆえに、そういう社会の仕組みになっていったということだ。
この世界で言う戦ったり化け物がいたりということがない分、機械や文明が発達している分だけ別の事を身に着けながら社会に出なければいけない。
そういう違いといったところか。それは日本とこの世界の違いというわけではなく、日本と別の国にさえある違いだ。
「そうだ、年齢のことで思い出したんだけど、他にも聞きたいことがあったんだ。酔ってなければ聞いてもいい?」
「この程度でアタシが酔うかってんだ。まだまだ、軽くこの三倍はイケるぜ?」
「体に悪いからほどほどにね。それでその聞きたいことなんだけど、ジャックが元々生きていた時代は百年前なんだよね?」
「そうだぜ?」
「今の姿は当時のままってことになるの?」
「だな」
「当時のままのジャックが今のジャックなら、ジャックは今何歳なのかなって思って」
間違いなく二十代半ばかそれよりも少し上ぐらいだろうし、すなわち僕と一つ二つしか変わらないセミリアさんやサミュエルさんよりも年上なのは確かだろうけど。
「当時二十四だったから今も二十四だな。思ってたよりババアだったか?」
「二十四でババアなわけはないけど、どっちかって言うと思ったよりは若かったって感想、かな」
背も高いし、顔付きもキリッとしていてやや中世的なものがある分どこか大人っぽく見える。
それが女性版ジャックの僕の印象だ。
「大人っぽくってのは褒め言葉として受け取っておくが、女性版ってのはひでえ言い草だぜ」
「僕に内緒にしてた意趣返しってことで」
「そりゃおっかねえ相棒様だこと」
「それでさ、本題はこっちなんだけど。ジャックが元々生きていた時代は百年前なんだよね?」
「だからそうだって言ってんだろうよ」
「その頃ジャックは勇者としてノスルクさん達と一緒に平和のために戦ってたんだよね?」
「そうなるな」
「ものすごーく疑問に思ったんだけど、ノスルクさんって何歳なの?」
少なくともノスルクさんはネックレスになって時間を止めるという方法を取ってはいないはず。
すなわち、当時ちょうど生まれた年だったとしても今この時点で百歳ということになる。
一緒に冒険していたというのが事実なら確実に百を超えるわけだ。
おじいさんではあるけど流石に百歳を過ぎているようには見えないし、過ぎていたなら魔法を使ったり道具を使ったりということも難しいのではないかと思えてならない。
そんな疑問に対し、ジャックは何かを思い出そうとするように目を閉じて考える素振りを見せ、
「じいさんの年齢か~、そういや聞いたことも気にしたこともなかったな。だがまあ、百年以上前になるが初めて会った時から今と全く変わらねえチビで白髪白髭のじいさんの姿だったことは確かだな」
「そんな馬鹿な……やっぱり酔ってるんだよジャック」
「酔ってねえっての。あのじいさんの事だからどんな理由や事情があってもおかしくねえって話さ」
冗談なのかそうでないのか、ジャックは大きな声で笑って差し出されたジョッキを煽る。
その言葉が事実なら百五十歳とかってレベルの話になりそうなものだけど、魔法がある世界な上にあのノスルクさんではあながちそれも無い話とはいえないのかもしれない。
なんてことを考えつつ、ジャック相手にしろ直接聞くにしろ、これ以上踏み込んでいいのかどうかの判断が付かず僕は話題を変えることに。
枚挙に暇がないこの世界の疑問なんかよりも、今この瞬間に迷惑を被っている分だけ僕にとっては重要な話に、である。
「もう一個お願いしていい?」
「一個どころか百個でもいいぜ」
「……そのフレーズ気に入ってるの? まあいいけどさ、取り敢えず……いい加減服を着てくれないかな。公衆の面前なんだし」
ジャックは未だ上半身は下着のような水着の様な物しか身に着けていない。
本人は全く気にしていないっぽいけど、周りのお客さん、主に男性客の視線がものすごーく集まって落ち着かないことこの上ない。
しかし、当のジャックはやはり、
「いいんだよアタシはこっちの方が。戦士たるもの動きやすい格好が一番だぜ?」
「そういう話じゃなくて、気付いてないかもしれないけどジロジロ見られてるのが落ち着かないんだってば」
「ほっとけほっとけ、丸出しってわけでもあるまいに見られて減るモンじゃねえさ」
そう言って、やっぱりジャックは豪快に笑う。
人の姿に戻ったなんとも男前な性格をお持ちだったことが判明した僕の相棒は、他の人達とはまた違った意味で個性的過ぎる程に個性的な女性だった。
○
「っかー、もう飲めねえ~」
部屋に入るやいなや、ジャックは大の字になってベッドに倒れ込んだ。
時間にして十時とか十一時とかといったぐらいだろうか。
結局セミリアさんが戻ってくるまで延々飲み続けたジャックは物凄く酒臭く、酔っていないと本人は言い張るものの足取りもフラフラで僕とセミリアさんが肩を貸してようやく宿屋まで辿り着いたような状態である。
なぜここまで遅くなったのかというと、セミリアさんがグランフェルト城に行った後に直接シルクレア王国へ行ったことが理由だった。
当初は手紙を送り、おおまかな事情を説明すると同時に入国の許可を得て初めて直接話をすることになるという正式な手順を踏む予定だったらしいのだが、リュドヴィック王との話し合いによって直接あちらの国に乗り込むことにしたのだそうだ。
悠長に手紙でやり取りをしている場合ではない。
というのは当然過ぎるぐらいに当然の理屈ではあるし、前提として緊急時の場合には王様が一筆書けば事後承諾という形を取ることも可能だということらしい。
そんなわけでシルクレア王国へ行ったセミリアさんは直接クロンヴァールさんと話をし、少し前にようやく戻ってきたというわけだ。
正直言ってセミリアさん一人にあちこち奔走させて僕達はバーで飲んでいたというのだから申し訳ないことこの上ない。
「百年もの間耐え忍んでいたのだ、少しは羽を伸ばしてもらわねばアネット様も報われないというものさ」
なんてことをサラッと言えるセミリアさんはどこまでも懐の深い本当によく出来た人間だ。
そして、セミリアさん合流後はバーでそのまま食事をし、その中でシルクレア王国での報告を聞いたのだが、クロンヴァールさんは出国を最短に早めてこの国に来るということで話が纏まったといううことだ。
聞けば、どういう対処をするにしてもまずは今一度ノスルクさんの話を詳しく聞いてからということにしたのだとか。
クロンヴァールさんらしいと言えばその通りだが、早ければ三日後には来るというのだから行動が早いことこの上ない。
「はいお水、こぼさないようにね」
水の入ったグラスをジャックに差し出すと天井を見上げたまま、やや赤くなって惚けた表情をしていたジャックは腹筋を使って起き上がり、それを受け取った。
「サンキュ、気が利くな相棒」
「これも姫様のおかげかもね」
言われる前にやる。
というのは、どちらかというと元々の性格上持ち合わせていた性質と言えなくもないけど、人の事にまでそういう思考が働くようになったのは少なからずあのスパルタの日々が関係しているのかもしれない。というか間違いなくしていると思う。
水を一気に飲み干したジャックから空のグラスを受け取って備え付けのキッチンワゴンの上に戻すと、振り向いた頃にはジャックは再び寝っ転がっていた。
「アネット様、やはり少々飲み過ぎなのでは?」
隣のベッドで装備を外していたセミリアさんも心配する気持ちと呆れる気持ちの入り交じった様な顔をしている。
散々二人で『そろそろやめておいた方が……』とか『いい加減やめときなって……』とか言い続けてきただけに、言わんこっちゃないと思う気持ちが芽生えるのは当然だろう。
それでも全然聞き入れてくれずに飲んでただけに尚更というか、自業自得というか、もし明日になって二日酔いとか言い出したらお説教の一つでもしてやると密かに決意する僕と違ってちゃんと心配しているあたりもやっぱりセミリアさんたる所以である。
とはいえ当初のまるで主従関係の如く畏まっていたセミリアさんとジャックの関係にも既に変化はあり、その辺りはジャックのざっくばらんな性格のおかげか『あくまで対等な関係で』というジャックの言い分通り徐々に遠慮の度合いも薄れていることが分かる。
冗談を言うジャックに呆れたり、馬鹿な事を言えば冷静にツッコんだりという会話も見られるようになっているし、それはきっと僕達にとっては良い傾向なのだろう。
「言っただろうクルイード、アタシは酔っちゃいねえ。アタシが酒に負けるはずがねえ」
ヒック、と。しゃっくり一つ挟んでジャックが反論してくる。
否定し続けることでより疑いの眼差しが強くなっていることに気付かないのだからもう酔っていようといまいと大差ない気がするのは僕だけではあるまい。
「それならそれで構いませぬが、いずれにしても今日は早めに休んだ方がいいでしょう。明日は私達に稽古を付けてくれるというお話でしたし」
「ああ、むやみやたらに剣を振るよりゃよっぽど役に立つことを教えてやるさ。はえぇとこ眠りに就きてえってのは同感だがな」
そう言ったかと思うと、ジャックはもう一度体を起こした。
ちなみにだけど、この部屋は元々僕とセミリアさんが泊まるために予約していた部屋なのでベッドは二つしかない。
一つをセミリアさんが、一つをジャックが使っている以上僕はソファーで寝るか、いっそ別の部屋が空いていないか聞いてこようかなぁ、でもお金勿体ないかなぁ、なんて考えていると、なぜかジャックが脇に立つ僕の腕を掴んだ。
「どしたのジャック?」
「どうもこうもねえさ、寝ると決めたらさっさと寝ようぜってこった。よっと」
次の瞬間、勢いよく腕を引っ張り込まれた僕の体は一瞬宙に浮き、ジャックの上にまともにダイブした。
「んぶっ!」
「おう、悪い悪い。勢い余っちまった」
ジャックに受け止められた僕はそのジャックごと二人で倒れ込むようにベッドの上に寝転がる。
その大きな胸が再びクッションとなって顔を打ち付けることはなかったが、いい加減そんな助かり方もどうかと思う僕はすぐに体を起こそうとした。
のだが、どういうわけかジャックがそれをさせてはくれない。
最初の時と同じく、両手で抱え込むようにして僕の顔はジャックの双丘に押し付けられる。
「ちょ、ちょっと、何してるのかなジャックさん?」
「今まではずーっとアタシの方が胸を借りてたんだ。これからはおめえがアタシの胸を枕代わりに寝ろ」
「理屈が意味不明だし、そんなこと出来るわけないでしょ。とにかく、離してってば」
無理矢理頭を引き抜こうとしてみたがやはり簡単に腕が外れるわけもなく、見かねたセミリアさんが助け船を出してくれるところまで最初と同じだった。
「アネット様……冗談もほどほどになさってください。そうでなくとも少々はしたないとは思いますが、コウヘイも嫌がっているではありませんか」
「嫌がってなんざいねえよ。照れてるだけだぜ相棒は、そうだろ?」
「そうだろ? じゃないよ。そんな恥ずかしい状態で寝られるわけないから」
ジャックの気がセミリアさんに向いている隙にどうにか頭を引っこ抜く。
酔っているおかげで注意力も腕力も減少中だったのか、とにかく脱出に成功である。
「寝るにしてもお風呂も沸かしっぱなしだし歯も磨いてないんだから、まったく」
口では言いつつ、照れ臭いやら相変わらず子供扱いされているみたいで虚しいやらな僕は逃げ場を求めるが如く背を向けて浴場へ向かう。
その扉に手を掛けようとしたところで、ふと足が止まった。なんとなく嫌な予感がした。
「まさかとは思うけど、入ってきたら駄目だからね。セミリアさん、ジャックの監視をお願いします」
案の定、振り返った先で何かを企んでいること山の如しな顔をしていたジャックと僕の言いたいことの意味を理解しきれていないのか『う、うむ?』と不思議そうな顔で言うセミリアさんを残し、今度こそ脱衣所に避難するのだった。
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