【第五章】 皇帝の血を引く男
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~another point of view~
サントゥアリオ本城を出発した王国護衛団の一軍は目的地であるスラスを目前としていた。
三百を超える兵士の先頭を切って走るは若き総隊長、エレナール・キアラだ。
敵襲の知らせを受けて直ちに出陣したものの、そう短時間で到着できる距離ではない。
敵勢はおよそ百人、率いる将はあの我道戦景ことゲルトラウト五番隊隊長だということ以外に情報は無く、キアラの心中は不安が募るばかりだった。
スラスを守るスコルタ城塞には千余りの兵士が居る。
度重なる主要都市での攻防により負傷兵の数は増えに増え、数字だけを見ればほとんど半減しているといってもいい状態ではあったが、それでも兵力差は歴然であるはず。
よもや町や城塞を攻め落とされる様なことになっているはずがない。
分析というよりもほとんど願望じみた結論を出してはみたが、三カ国連合結成以前からあらゆる点において理屈や目算を覆され続けてきたのだ。
これ以上都市や町を制圧させるわけにはいかない。
防戦一方のまま犠牲になる兵士達を増やし続けるわけにはいかない。
そして何より、いつまでも民が安心して夜も眠れない様な国で在り続けるわけにはいかない。
そんな重責が一層キアラの逸る気持ちを助長させた。
「総隊長、あちらをっ!」
大地が草原から荒野へと変わっていく。スラスまで丘一つの所まで来た辺りでのことだった。
すぐ隣を走る中年の兵士が慌てた様子で前方を指差している。
その先に映るのは上空に向かって上る真っ赤な煙だ。
「ええ、見えているわ。だけど、どうして……」
キアラは短く答え、訝しげな表情を浮かべる。
意味が変わっていなければ、あれは帝国騎士団が撤退の合図として使う狼煙であったはず。
まさかこの短時間で大勢が決したいうのか。
いや、そんなはずがない。
というよりも、仮に想定し得る最悪の結果が待ち受けていたとするならば向こうが撤退を選択する理由はない。
むしろ城塞の兵士達がうまく退けたと見る方が自然ですらあるぐらいだ。
しかし、相手はあの帝国騎士団であり、加えていつどこで魔王軍が介入してくるか不明という状況なのだ。
劣勢を理由に簡単に退くかどうかを断定する要素もなければ、優勢であっても何かまた目論見あっての撤退かもしれないと思わされてしまうだけの不気味さがあり、同時に危機感をも抱かされてしまう。
何より、自分達が到着する間際であるこのタイミングであることがどうにも引っ掛かった。
ただこちらの動きが読まれているだけなのか、それとも情報が漏れているのか。
いずれであってもこのタイミングに合わせて撤退出来る理由にはなっていないが、それもやはり魔王軍の存在がその可能性を切り捨てさせてはくれない。
「とにかく……急ぎましょう」
キアラは後方に速度を上げるという意味の合図を出す。
憶測だけであれこれと考えてもきりがない。
余計な事を考えても迷いを生んでしまうだけだ。
目の前にある守るべきものを守る。
それが私が戦う意味であり理由だ。
「マーシャ様に……誓ったんだ」
半ば無理矢理に思考を切り替え、誰に対してでもなく小さな声でそう呟くとキアラは跨る馬の速度を上げるのだった。
間もなくすると前方に丘が見えてくる。
この丘を越えればその先にスラス町があるという目印代わりとも言える小さな丘だ。
依然としてキアラを隊列の先頭に、後方にノーマン副隊長を置いて長い馬の列が近付いていくと、その麓には一人の兵士が居た。
本城からの援軍を待っていた先導役であるその兵士はキアラの姿を確認すると、今まさに丘を駆け上がろうとする縦列と併走するようにキアラの横に馬を寄せる。
「総隊長殿」
「戦況の報告を!」
「はっ。既に敵の一団は撤退を開始しております。城塞、スラスへの侵攻は阻止出来ていますが護衛団の被害は甚大。追撃、追尾を試みようにもエリオット・クリストフがそれを阻止せんと立ち塞がっている状況であり、今なお交戦中であります」
「エリオット・クリストフですって!? 率いてきたのはゲルトラウトという話ではなかったの!」
「あの巨漢のみならず三番隊、五番隊の副隊長と思しき者達も確認しているのですが……エリオット・クリストフが中心となっているのはほぼ間違いない状況でして」
「分からない……何が狙いなのか」
キアラの表情が再び訝しげなものに変わっていく。
まさか帝国騎士団を率いるあの男が自ら出向いてくるとは。そんな感想を抱かずにはいられなかった。
それでいて既に撤退を始めているという事実がその狙いを一層読めなくさせている。
隊長や副隊長が複数人同時に攻めてくることなどこれまでほとんどなかった。
町の占拠や城塞の戦力低下を目論んでいたならば、そこまでしておいて中途半端なままに撤退するなどということがあり得るだろうか。
エレッド大臣の言う様に別にある目的のための陽動と読むべきか、都市を占拠される前の様にゲリラ戦術を仕掛けてくるつもりなのか。
どちらにせよ、深追いすると余計に敵の思う壺となる可能性が高い。
その思考に陥ることこそがまさに帝国騎士団の狙いであったが、キアラにそれを知る由はなく。
「被害状況は?」
「はっ。こちらの死傷者は約三百、敵に関しては二十に達するかどうかという状況であります」
「二十……」
百人のうち二十人を倒すために三百人が血を流さなければならないのか。
そんな気持ちが落胆を生む。
いつまで先手を打てず、犠牲が増えるばかりの光明の見えない戦いを強いられなければならない。
どうして平和を勝ち取るための戦いではなく、被害を増やさない様にすることが精一杯の状況を脱することが出来ない。
見えている様で捉えることが出来ない敵の姿、狙いに己の無力を嘆く気持ちが増し、キアラは人知れず強く拳を握った。
しかし、だからといって総隊長として向こう見ずな決断を下すわけにもいかず、結果的にキアラの出した指示はこれまでと変わらないものでしかなかった。
「指揮しているのは誰?」
「ホック士官です」
「では合流次第追撃を中止し、敵の討伐ではなく負傷者の介抱とスラスの防衛を最優先とするように伝えて。ノーマン副隊長の指示の下可及的速やかに陣形を組み直し、負傷兵を回収するように。クリストフは……私が引き受ける」
決意じみた表情のキアラの言葉を最後に会話が止む。
その鬼気迫る雰囲気に先導役の兵士には返す言葉がなかった。
一団はそのまま前進を続け、すぐに丘を越えていく。
目の前にはスラス町やその中心に建つスコルタ城塞が見えているが、普段と変わらぬその姿に安堵するよりも先に否応なく王国護衛団の戦士達の目に映る惨状ともいえる光景がそれをさせてはくれなかった。
町の周囲には広大な荒野が広がっている。
まさに戦場と化しているその荒野のあちこちに煙が上がっていた。
どういうわけか何十とある大砲は漏れなく破損していたり横転したまま放置されており、いずれもその機能を失っている。
そして先の報告通り、至る所に何十何百という数の倒れたまま動かない戦士達。そのほとんどが味方ではないか。
そのあまりにも悲惨な現実がキアラから徐々に冷静さを奪っていく。
「くっ……」
焦りと怒りに表情を歪め、部下の無事を祈る気持ちと今すぐに敵を追い掛け、敵討ちをしてやろうかという気持ちとの間で揺れた。
遠方には撤退していく騎士団の後ろ姿が微かに見えている。
駆け付けた自分達を嘲笑うかのように遠ざかっていくその集団を逃がしていいのかという自問は、これまでの経験がすぐに答えを導き出した。
帝国騎士団は魔王軍が用意したのだと思われる魔法陣を使って拠点と国内を行き来している。
追い付く前には間違いなく姿を消していることだろう。いや、それ以前に……。
「エリオット……クリストフ」
再び戦場に視線を戻し、キアラはその追走を阻止しているという男の姿を探した。
視線を彷徨わせる必要もなく、すぐにその目が一つの人影を捉える。
黄金の鎧を身に纏い、戦場の中心にまるで修羅の権化の如く立っているその男。
皇帝の血を引く男と呼ばれている騎士団最強の戦士エリオット・クリストフだった。
○
また一人、馬上から戦士が崩れ落ちた。
斬り付けられ血の吹き出す喉元を抑えながら苦しげな表情で悶える王国護衛団の戦士はやがて全ての動きを止める。
戦場と化したスラス周辺の広大な荒野その中心部。
エリオット・クリストフは部下を引き連れず、ただ一人で自身を包囲する百人近い敵兵のほとんどを討ち取ってしまっている。
半数は愛用の武器である細身のノコギリ刀によって、半数は爆発というその特異な能力によって。
馬から降り、その身一つで辺りに地獄絵図ともいえる惨状を作り上げていた。
「頃合いとしては上々、か」
四方を囲んでいた敵兵の大半が戦闘不能になった頃。
クリストフの目に遠くに上がった真っ赤な煙が映る。
部下のルイーザ・アリフレートが出した撤退の合図だ。
本来ならば分散させたことによる敵戦力の隙を突き、包囲を突破して町を守る後方の敵陣に攻め込むつもりであったクリストフだが、よもや単騎の自分に最も多くの兵数を割り当ててくるとは思いもよらず。
強引な突破も純粋な数が壁となり盾となりそれをさせてはくれなかったがためにやむを得ずこの場で武器を振るうことを選んだ。
元より町や城塞へ攻め入るまでの目的を持った襲撃ではない。
その目論見は敵に与える損害の度合いが変わってくるであろうことに加え、ただクリストフにとってその方が楽しめそうだというだけの理由でしかなかった。
帝国騎士団を率いる身であることや他の団員に向こう見ずな者が多いこともあって誰よりも冷静に振る舞うことが常であるクリストフではあるが、そこには確かな狂気を宿している。
敵を前にして優先すべき事柄を閑却し殺戮の衝動に駆られることもまた、その片鱗であり受け継いだ戦闘民族の血が生む本能でもあった。
しかし、一歩誤れば制御不能となり得るそんな情動も撤退のタイミングを告げるその狼煙がふとクリストフに冷静さを取り戻させる。
追撃を阻止する役目を買って出たのだ。ならばこの位置の方が都合が良いではないか。
一時的なものであることがほとんど断定出来る状況であるにせよ、七つの都市を巡る戦いによって敵の連合に予定外の撤退をさせてしまったばかりなのだ。
立場や目的を考えてももう少し冷静に事を運ぶ必要がありそうだと、クリストフはそんなことを心で呟いた。
もしもこの場でエレナール・キアラと対峙することがあったならば、うっかり殺さぬ自身は無いがな。とも付け加えて。
「団長っ」
左方から移動してきていたルイーザ・アリフレートと他の団員達がクリストフの傍まで来るとその足を止める。
ハイアント・ブラックもアリフレートの後ろに居る。どうやらブラックは素直に合図に従ったようだ。
向かって右側の一塊では未だ戦闘が繰り広げられているらしく、度々地面がはじけ飛ぶ激しい音がここまで聞こえてきている。
合図が目に入っていないのか、入っていながらも止まる気がないのか、それとも単身であることが撤退を困難にさせているのか。
「相変わらずだなデバインは。もっとも、俺も人のことは言えないだろうが」
まず後者ではないだろうと半ば確信しつつ、その方向に目をやりながらクリストフは率直な感想を漏らした。
口調こそ呆れた様なものであったが、その表情に指示に反したことへの憤りは感じられない。
「ルイーザ、援軍の位置は」
「ウッス、ほとんどすぐそこまで来てるんで早いとこ撤退しないとガチンコ勝負になりかねないッスよ」
「俺は少し後方に行ってお前達が撤退するまで敵の相手をする。デバインと合流して速やかにグリーナへ戻ってくれ。方法はブラックに任せるしかなさそうだがな」
「オイラに説き伏せることが出来るかは怪しいところでやんすが、どうにかするほか無さそうでやんす」
「ああ、よろしく頼む。あちらも黙って返す気はあるまい、さあ行け」
全ての団員が了承の、或いは一人この場に残るという団長の無事を願う言葉を残し、一斉にゲルトラウトの居る方向へと馬を走らせた。
クリストフはそれを見送ると敵兵が乗っていた騎馬へ飛び乗り、後衛を勤めるべく撤退の通り道となる戦地後方へと移動を始める。
迎撃部隊として前進してきた護衛団の兵士達はすでに包囲網を引ける状態になく、後方の部隊と合流しつつあった。
敵味方双方のそんな動きを見て、クリストフは一人思慮を重ねる。
撤退しようとしていることが察知されているかどうかは定かではないものの、いずれであれすぐに敵の知るところとなるだろう。
総員で追ってくる気か、それとも町への侵攻だけは阻止する構えを取るか。
規模は不明とはいえ援軍が到着すれば前者も十分にあり得る話だ。
何度か会った印象では好戦的というタイプでも怒りや憎しみに我を失って報復に走るタイプでもないが、果たしてエレナール・キアラはどう判断するか。
辺り一帯に息絶えた、或いは半死半生の姿で転がっている戦士達の中には何人もの同志が含まれている。
元々の兵力差を考えれば少なすぎるぐらいの犠牲ではあるが、クリストフに必要な犠牲であったと割り切るつもりなどない。
亡き先人達の魂と同じく、戦場に散った同志達の魂もまた気高く尊ぶべきものであることに違いはない。
敵が殺し合いを望むのであれば、より多くの命を地獄に送ることで同志達の弔いとしてくれる。
冷静でありながらも、やはり明確な殺意に基づいた結論を指針とすることを決め、クリストフは騎馬の上でその時を待つのだった。
○
間もなくして、帝国騎士団は撤退を開始する。
唯一不安視されていたゲルトラウトも少々苦労させてはいたもののそれに準ずることにしたらしく、部下達と共にクリストフの脇を通り抜けて根城へと駆けていった。
「一人で大丈夫なんかい。わしも残っちゃろうか」
その際にそんなことを口にしたゲルトラウトだったが、後衛を引き受けた自身を案じての発言であるかは大いに怪しいところがあるためクリストフはそれを固辞し、予定通り一人戦場に残ることにした。
そのまま騎士団の一行がクリストフの元を離れ、少しして地鳴りがするほどの馬の足音が辺りに響き始める。
すぐに右前方にある丘を越えてくる大軍が姿を現し、何百という騎兵が押し寄せてきた。
先頭を走るのが短い金髪に長く大きな槍を背負った若い女戦士であることに気付くと、クリストフも馬から降りて臨戦態勢を取る。
あの王国護衛団総隊長エレナール・キアラがどういう行動に出るか。
クリストフの関心はその一点だったが、予想に反して護衛団の援軍は自身にもその背後を走る味方達にも向かってくることはなく、戦場を散り散りに広がったかと思うと至る所に倒れている兵士達を回収するべく動き始める。
唯一そのエレナール・キアラだけが真っ直ぐにクリストフの居る地点へと向かっていた。
数百の軍勢を引き連れていながらサシで挑もうというのか。
まさに蛮勇。かつ、愚計。
その光景に一人冷笑するクリストフだったが、その反面このサントゥアリオ共和国において名実共に最強の戦士と呼ばれるキアラとの一騎打ちが実現することに自然と血が滾っていた。
受けて立ってやる。
そう意思表示をする様にクリストフは腰から武器を抜き、キアラの到着を待つ。
しかし、それよりも先に牙を剥いたのは護衛団の兵士だった。
「くたばれ、この蛮族めがあああ!!!」
気を失い、地に伏せていたはずのその男は意識を取り戻すなり目の前にある仇敵の背に襲い掛かる。
真上から振り下ろされた背後からの命からがらのその一撃は振り向き様に容易く防がれ、ただそれだけの対処が再び兵士の意識を奪い去った。
爆炎に包まれながら倒れていく兵士はそのまま受け身も取れずに地面に転がる。
まるで煩わしいと言うかの様に、クリストフは同じ人間を見るものとは思えぬ目でその姿を見下ろした。
エレナール・キアラが武器と武器との接触を通じて雷撃を浴びせられるのと同じく、クリストフは自身の武器であるノコギリ刀が他の何かに触れた時、その箇所を中心に爆発を起こすことが出来る。
それが【帝王爆塵】の能力の一つであった。
クリストフは倒れたままピクピクと痙攣する以外に動きがなくなった兵士の胴体へと刀を突き立てようとするが、猛スピードで近付いてきた馬が駆ける音と女性特有の甲高い声が振り上げた刀をそこで静止させる。
「待ちなさい!」
すぐ目の前で叫ぶは問うまでもなくエレナール・キアラである。
キアラは馬から飛び降りるとすぐに手にしていた雷神の槍をクリストフへと向ける。
「久しいなエレナール・キアラ。たった一人で俺に挑もうとは、すでに瀕死の者達を優先したか、或いはこれ以上俺に命を奪われる者を増やしたくないのか。いずれにせよ、その無益な選択が後の犠牲を増やしていることに未だ気付かぬとは、一国を背負う者とは到底思えぬ愚か者ぶりは相変わらずらしいな」
「黙れ! 部下や民の命を何よりも大切に思って何が悪い。ただ奪い合うことしか出来ないあなた達に何が分かる!」
「分かる必要も無いことだな。奪い合う、結構じゃないか。それもまた、互いに繰り返して来た歴史の延長だろう。今こうしているようにな!」
凄惨な笑みを浮かべて、クリストフは振り上げたまま静止させていた腕を勢いよく真下へと振り下ろす。
やめろ!
そんなキアラの大きな声が響くが、その腕が再び静止することはなく。
その刀は目下に倒れる兵士の腹部へと突き刺さった。
喀血し、苦しげな声を上げた兵士はそのまま絶命し一切の動きを失う。
キアラは怒りと殺気に満ちた目でクリストフを睨み付けた。
「どこに戦闘不能状態の相手を殺す必要があるというの……お前達は意味の無い殺し合いの果てに何を望む! この国を乗っ取ることが、無関係な大勢の人間を殺すことが、そんなに楽しいか!」
「はっはっはっは、素晴らしい! それこそが勝者側に身を置く者に相応しい台詞というものだ。そうだろうエレナール・キアラ! 勝てば得るものがあり、負ければ多くを失う。それが戦争というものだ! お前達はかつての勝利によって一時の平和を手に入れた! 我らが先祖はかつての敗北によって国を失い、生きる権利を奪われた! ならば勝者として再びそれらを手に入れんとするのは当然のことだろう」
「どこまでも、復讐によって突き動かさるばかりか。そこまでガナドル民族を憎むか……哀れな男」
「それは違うな。確かに俺はガナドル民族を憎んでいる。復讐の対象であり奪われた尊厳を取り戻すべく討ち滅ぼさなければならない対象であることに何の疑いもない。だが、そんなものは無関係に俺とお前がこうして対峙する運命に違いはなかっただろう。俺達は元を辿れば戦闘部族なのだ。強さを求め、戦い奪うことで血を残してきたはずだ。敗者に情けなど不要であることと同じく、勝者に正当性など必要ない。勝った者が生き残り、勝者のみが歴史を作る。仮に我らにこの国を恨む過去などなかったとしても、戦う理由が変わっていただけのこと。我らが先祖は敗れたが、我らが血族は敗者などではないことを証明するために俺達は戦う。だが、復讐や仇討ちなど偶然付いた理由でしかないということだ」
「そんな理由で戦争をし、殺し合いをして……何を得ることが出来るというの」
「生きた証。そして、奪われ失われた未来と栄光だ」
「そんなことで……未来など得られるわけがない。復讐と憎しみの連鎖を繰り返すことの悲惨さを誰よりも知っているのがあなた達だったはずじゃないのか」
「言ったはずだ。元よりこの国やガナドル民族を憎む理由などあってないようなもの。たまたま我らが祖先が目を付けたのがこの国であり、時を経てそれらを排除し家畜同然の民族へと貶めたのがたまたまお前達ガナドル民族だっただけの話でしかない」
「例え偶然であっても、避けようのない悲劇的な運命のせいであったとしても、今になってその因果関係を無かったことには出来ない。あなたは……あなたの存在は大勢を不幸にする。多くの命を奪う。魔王軍と手を組んだ時点でもはや交渉の余地はない。歩み寄る意志がないことも嫌と言う程に味わった。ならば、例え私達が悪であったといつか言われることになろうとも、私はこの国とこの国に住まう者のためにあなた達を討ち滅ぼさなければならない。共に地獄へ堕ちることとなろうとも」
そこで言葉の応酬は止み、両者は対照的な表情で視線をぶつけ合う。
気丈に言葉を返してはいたが、キアラは精一杯打つ手を思案してる最中だった。
クリストフの持つ能力は当然知っている。
武器をぶつけ合う戦闘をすれば炸裂するのは雷撃と爆発だ。致命傷を先に負うのはまず自分の側だろう。
かといって武器を使わずに戦う方法として最大の能力である雷獣を生み出すわけにもいかない。
先のユリウスとの戦闘の時のように、力を使い果たした結果やられてしまっては今度こそ命は助かるまい。
何より、その時の傷も癒えきってない状態なのだ。消耗の激しい術を成功させ、確実に召喚出来るかどうかも定かではなかった。
そんな状況分析の結果キアラは中距離攻撃を繰り出すほかなく、先手として繰り出した攻撃は両手で構える槍の先端から雷撃を飛ばすというものだった。
バチバチという音と共に一筋の雷光がクリストフへと向かっていく。
だがその初撃が対象に触れることはなく、その眼前で爆音と共に掻き消された。
キアラの攻撃が放たれると同時に石ころ程の小さな爆砲を無数に作り出したクリストフは自身を守る壁としてそれらを目の前に配置させており、雷撃は爆砲に触れたことで相殺されたのだった。
戦場で何度か相見え言葉を交わした経験はあれど、クリストフと直接やり合ったことは一度として無かったキアラはその能力の象徴である黒く小さな気泡に防御の術としての用途があったという情報は得ておらず、瞬時に厄介さを理解し小さく舌打ちをした。
この程度の攻撃では到底通用しない。
ならばどうするべきか。
キアラは目の前の男の動きに集中しながら精一杯思考を巡らせる。
手数で劣る以上隙を与えれば防戦一方になりかねない。しかし、目の前の光景と武器による爆撃を考えると接近戦など挑める状況ではない。
そんな思考の下、次なる一手を逡巡した僅かな間をクリストフが見逃すことはなかった。
右手に持つノコギリ刀を横一線に振り抜くと、目の前にある全ての爆砲が一斉にキアラに襲い掛かる。
その数四十。
個々の威力はそれほど大きくはない。
それでも数発直撃を食えば無事で済むはずもないことは明白だ。
ならばと、キアラはすぐに次なる技を発動させる。
「雷刃輪」
詠唱と共に雷神の槍を足元に突き立てると、キアラを中心に細い円形の光がその体を囲むように現れる。
目映い光を放ったその雷の輪はそのまま太さを増しながら拡大していき、正面から襲い来る全ての爆砲を飲み込み自身に届かせることなく誘爆させた。
「面白い。が、次は何を見せてくれる」
ある意味想定外であったその光景を見て尚クリストフはニヤリと笑う。
その挑発的な笑みに乗せられるわけでもなく、キアラはすぐに反撃に出た。
「轟鳴の霹靂」
雷神の槍によるものではなく、自身の持つ能力の一つである落雷が天空よりクリストフを貫かんとバリバリという轟音と共に頭上から降って落ちる。
しかしその攻撃が実を結ぶことはやはりなく、クリストフはいとも簡単に刀を頭上に翳すことでそれを防いで見せた。
そして一転して興が削がれた様な、それでいて冷酷無比な目でキアラを見据える。
「お前はここに何をしに来たエレナール・キアラ。俺を殺すのではなかったのか? 空論を語るばかりのお前には現実と向き合う度胸は無いと、そう言うのか。覚悟無くして何を勝ち取れるつもりでいる。生きるか死ぬかの刹那の一撃、ぶつけ合う気にはなれないか」
「何を世迷いごとを……」
「理解出来ぬなら所詮はそれまでの器。付き合ってやるのも一興だと思っていたが、おかげで俺も役目を果たせそうだ」
「役……目」
「同志の撤退が完了すればそれで今日の目的は果たされる。お前を亡き者にする代わりに、そこにある目障りな安寧秩序の虚像を奪ってやるとしよう」
凄惨な笑みを浮かべ、クリストフはノコギリ刀を両手に持ち替えると突きを放つ体勢を取る。
キアラもすぐに槍を構え遠近両方の攻撃を警戒しながら攻撃を仕掛けようとしたが、異様なまでに禍々しい雰囲気と膨大な魔力を纏う刀に気付き、それが一瞬の躊躇を生んだ。
次の瞬間、キアラはその言葉の意味を理解することとなる。
「とくと見るがいい、この俺の最強最大の技の威力を! 大爆殺!!」
ほとんど吼える様に叫び、クリストフは自身の持つ諸刃の剣ともいえる一撃必殺の名を口にすると同時に渾身の突きを放った。
その刀身全てから発射されたように繰り出されたのはただの斬撃ではない。
黒く、太く、そして禍々しい闘気が螺旋を描くように渦巻きながら勢いよく伸びていく。
「なっ!?」
キアラは思わず上空を見上げる。
その攻撃の対象が自身ではないことに気が付いた。
クリストフの狙いはただ一点。遙か前方にあるスコルタ城塞であった。
既にその刀を離れたその一撃を防ぐ術を持たないキアラはただ城塞へ向かう黒い螺旋を目で追うことしか出来ない。
対峙している敵から目を反らしている状態であるにも関わらず、視線を戻せはしなかった。
しかし、クリストフも敢えて隙だらけのキアラを攻撃する様子はない。
白十字軍が撤退している状態でこれ以上敵の主戦力を削いでしまっては人間との全面対決を画策している魔王軍との取引を反故にされかねない。
それも理由の一つではあったが、何よりもクリストフ自身がそう簡単に戦闘を続行できる状態ではないことが自重する何よりも大きな理由であった。
徐々にとは言えない速度で真っ直ぐに城塞へ伸びていく黒い渦状のそれはキアラのみならず、この戦場に居る王国護衛軍の兵士達が挙って見上げる中、とうとう城塞上部の城壁塔へと直撃する。
その瞬間。
地鳴りと共に大爆発が起きた。
城塞は炎上し、着弾点を中心に壁や天井、各塔や施設が次々と崩落していく。
大地が揺れる中、城塞が崩れ去っていく光景を全ての護衛団兵士がただ唖然呆然と固まったまま見つめていた。
「ふむ、半壊が精一杯か。流石に一撃で城塞一つ消し去ることは出来ないらしい」
炎上を続ける城塞の崩壊する破壊音と町から届くけたたましい警鐘が鳴り響く中、キアラは背後から聞こえたそんな声に慌てて槍を構えて振り返る。
そこにあったのは既に騎馬に跨っているクリストフの姿だ。
町や民、城塞に居る部下に及ぶ被害の多寡ばかりが脳裏に浮かび、キアラは批難や罵倒の言葉すら口にすることが出来ない。
「なんという……ことを」
「ふはははは、お気に召さなかったかエレナールキアラよ。これが我々からの宣戦布告代わりだ!」
対照的にクリストフは馬上で高らかに笑い、キアラを見下ろした。
そして、
「嘆け! 怒れ! そして憎め! 貴様がどれだけ立派な使命や正義感を翳そうとも、どちらかが滅びるまで我らは止まらぬ! 次に会う時こそ、帝国騎士団に何かを抑制する理由は無いぞ!」
一方的にそう言い残し、自身も撤退すべく背を向けてその場を離れていく。
その背を見つめ、背後から攻撃すべきかと迷ったキアラだったが、体がそのために動いてくれることはなく。
憎々しげに表情を歪め、怒りと自己嫌悪に震えながら一つ間を置いて馬に飛び乗り、後方の部下と合流し城塞へと向かうためにその場を離れ、全速力で馬を走らせることしか出来なかった。