【第十三章 その④】 都市奪還七番勝負 無関心vs無関心
~another point of view~
木々生い茂る森の中で、異国の勇者サミュエル・セリムスはもう何度目になるかという舌打ちを漏らした。
両手には愛用の武器である二本のククリ刀が握られている。
長いとは言えない赤茶色の髪を靡かせながら森の中を奥へ奥へと進んでいく理由はただ一つ。
逃げる足を一度も止めることなく、ただひたすらに距離を置こうとする敵を逃がさぬためである。
部隊を率いてサントゥアリオ本城を出たサミュエルが目的地であるレンバーという都市に到着したのは昼を迎える少し前だった。
どんな敵が現れるかも不明な状況であり、かつ都市内部は反乱軍に占拠されている中にあって連れ添った兵士からの援護の申し出を『邪魔』の一言で退け単身レンバーへと向かうことを決めた。
そんなサミュエルの前に現れたのは人間ではない何者か。
少し尖った耳や爪、薄く水色がかった長い頭髪以外は見た目に人間との差はほとんどない。
だがそれでも、それは間違いなく魔族の女だった。
その名はシオン。
【蟲姫】という異名も、魔王軍四天王の一角であるという事実もサミュエルにとってはその時になって初めて知り得た情報だ。
足元をお覆い隠す程の丈を持つ赤いドレスが象徴する様にその外見は大層蠱惑的で、意図せずとも妖艶さが滲み出ているかのような魔性の美しさを備えている。
それら全てに微塵の興味も無く、知りたいのはただシオンがその肩書きに足るだけの強さを持っているかどうかという点だけであったサミュエルはすぐに武器を抜いた。
久々に味わう血が滾る感覚。
目の前に立つ魔族の女が持つ普通ならざる雰囲気と戦士の勘が相手にとって不足なしと告げていた。
しかし、それに対して見るからに武器も持ち合わせていないシオンは戦闘態勢を取る気配もなく、その態度に苛立ち挑発するサミュエルに返す言葉はまるで対照的な心情を表すものだった。
「ご心配なさらずとも貴女の邪魔をする気など毛頭ございませんわ。生憎とわたくしはそこまで暇ではありません。人間にも、人間の争いにも少しの興味もないのでどうぞ好きにお通りなさいな」
艶めかしい声色に似付かわしくない、慈悲や情けを掛けてやろうと言っているかの様なシオンの口調が癇に障る。
それでもサミュエルは挑発的な笑みを返して見せた。
「奇遇じゃない。私もアンタと同じでこの戦争に誰が勝とうが、その結果どうなろうが知ったことじゃないのよね。大事なのは私が勝って、この戦争の勝者を私がツブさなきゃいけないのかどうかってことだけ」
「貴女のその考え方もまた、わたくしには何の関係もないこと。意味の無い殺生は好きではありませんし、今わたくしが遊び相手を務めるべくは貴女ではありませんわ。その壁の向こうに進めば貴女方人間の目的は果たされるのでしょう? ならばわたくしが居ない方が都合がよいではありませんか。率直に申し上げますがわたくし、主である淵帝様とそのご子息を除けば我らが魔族の中で誰よりも強いという自負がございますゆえ、お互い関わり合いにならないことが貴女にとっても同様に都合が良いことだと存じますわ」
シオンにとってその言葉は挑発でもなければ駆け引きのためのものでもない、偽り無き本心であった。
しかし、元来短気な上に直情径行であるサミュエルはあっさりと余裕ぶった笑みを浮かべるという態度を維持することへの限界を迎える。
殺気の籠もった目でシオンを睨み付け、じゃらんと二本の刀を擦りつけると両腕共に構えを取った。
「御託は結構、さっさとかかってきなさい。この国の戦争なんか関係無しに、私とアンタの立場には殺すか殺されるか以外にはないってことを理解する頭ぐらい持ってんでしょ」
「まったく、これだから人間というのは好きになれませんわね」
シオンは殺気や殺意に反応するでもなく、ただ困った様な顔を浮かべる。
元々この場に居ることも淵帝に、表現を変えれば大魔王にこの国の反乱組織が占拠する町に何者かが近付いた時に行く手を阻む協力をしてやれという命を受けたからに他ならない。
人間と手を組んで何らかの儀式を行おうとしているということは聞いているが、それもシオンにとっては大して興味を引くものではなかった。
適当に相手をしてやればそれでよい。
そう告げた淵帝の口振りからするに、協力関係の維持を装う程度の意味しか持たないのだろう。
あの淵帝様が人間の指示に従う様な真似を本意で行うはずがない。
ならば言葉の通りバジュラの魔術によってこの場に来たという事実さえあればそれで済む話だと暗に言っているも同じだ。
シオンはそう思えばこそ、己の役目はすでに終わっているという認識を疑うこともなく、アークヴェール宮殿に戻って魔王の一人であるシェルムの遊び相手の続きをするという予定にしか興味がなくなっているのだった。
だがそれでも、シオンも決して平和主義というわけではない。
人間が死んで困る理由など一つもなければ、人間を殺すことを躊躇う理由もない。
気乗りがするかしないか、シオンにとってはただそれだけの問題でしかないのだ。
そこまで相手をして欲しいと言うのであれば、この身の程知らずな人間を少しからかってもいいかもしれない。
一方的に敵意を剥き出しにして自分を睨み付けているサミュエルを見て、ふとシオンは思った。
特に気分を害したわけでもない。
目の前の人間に相手をしてやる価値があるとも、今後同胞に何らかの脅威を与える程の存在に為り得る可能性があるとも思っていない。
ただ愛慕するシェルムが自分の帰りが遅いと拗ねる姿を想像するだけで愛おしくてたまらなくなり、その顔を見ずにはいられなくなってしまったがゆえにそのための時間潰しとして思い付いただけの話でしかなかった。
「そこまで相手をして欲しいと仰るのであれば、付いておいでなさい。わたくしを捕まえることが出来たなら、その時は相手をして差し上げましょう」
にこりと微笑み、シオンは背を向けるとその場から離れていく。
その行動の意味を考えることなど一切せず、サミュエルは舌打ちを一つ挟んですぐに後を追った。
出来る限り快足を飛ばし、どういうわけか地に足を付けることなくフラフラと宙に浮いた状態で自分から離れていくシオンをいかにして血祭りに上げるかということだけを考えながら逃がしてなるかと精一杯その背中を追う。
徐々に、だが確実に都市を離れていくシオンはそのまま都市周辺にある森へと進んでいった。
サミュエルは罠や誘導である可能性になど目もくれず、一度も振り返ることなく森の中を逃げ続けるシオンに苛立ち、どうにか攻撃を食らわせようと躍起になった。
繰り返し斬撃波を飛ばし何度も直接攻撃を仕掛けたサミュエルだったが、その全ての攻撃が触れた瞬間にシオンの姿を消し去さってしまうだけに終わってしまっている。
「……ちっ」
サミュエルは積もる苛立ちを隠しきれず、憎々しげにもう何度目になるかという舌打ちをした。
攻撃が当たった瞬間、まるで幻影であったかの様にその姿を消し、すぐに別の場所から姿を現す。
これは一体どういう能力だというのか。
もう森の中を随分と進んでいる。何度も攻撃を繰り返した。
そんな状態でまるで見えてこない突破口を探すにはどうするべきなのかとサミュエルは必死に考えるものの、見たこともなければ聞いたこともない目の前の現象はどれだけ頭を働かせても答えが見つかることはなかった。
それでもサミュエルは攻撃の手を止めることはしない。
頭が使えないなら体を使えばいいだけのこと。それがサミュエルの主義だからだ。
「…………」
ふと、ある男の顔が浮かぶ。
それは自分とは真逆の、使う体など持っていないくせに誰よりも頭が使えて、そのくせいつだって好き好んでこんな自分に寄ってくる不可解な存在である少年だった。
なぜ今アイツの顔なんて思い出すのだろうか。
なぜ、アイツならこんな時でも一人でさっさと打開策を思い付いているんじゃないかと考えてしまうのだろうか。
理由なんてさっぱり分からない。
だがそれでも、その理由を探すこともあの顔を思い出すことも、今の自分には必要の無い余計な思考だと無理矢理頭から雑念を消し去った。
そのまま敵の背を追い続けてしばらく、深い森の途切れ目まで来てようやくシオンが足を止める。
深く広い崖の上に架かる橋の上でのことだった。
覗き込む先、遥か遠くに流れの急な川が見える。
橋の向こうにはまた森が続いていた。
いつまでも森の中を進むことに飽きでもしたのかと考えるサミュエルの前でシオンが振り返る。
なるほど、橋の上ならこちらに不利だと知ってこの場所に誘い込んだわけか。
それがサミュエルの冷静な分析だった。
足場は橋。
吊り橋ではなければ幅も荷馬車程度なら渡れそうな大きな橋でこそあるが、普通よりも大きなククリ刀を二本同時に使うサミュエルにとって十分な広さがあるとはいえない環境であることは間違いない。
加えてシオンはここまでの移動がそうであった様に、宙に浮くことが出来るおかげで自分は足場の心配をしなくても済む。そういうからくりか。
「ふぅ」
サミュエルは若干切れかけていた息を整え改めて武器を構える。
頭に浮かぶ自分に不利な要素の全てを、それがどうしたと一蹴した。
「鬼ごっこは終わりってわけ?」
サミュエルは射程距離圏内の近い位置で向かい合うシオンに右手の武器を向けた。
「ええ。中々諦めてくださいませんし、貴女の相手をするのは終わりにしようかと思いまして」
「それはつまり、私と殺し合いをする気になったってことね」
「愉快な勘違いをしていらっしゃるところ申し訳ないのですが、わたくしは貴女の相手をするのはやめにする、と言っただけですわ。そういう意味では貴女がこの辺りの地理に疎い人間でよかったと言えますわね」
「はあ? たかだかこの場に誘い込んだだけのことでどんだけ勝ち誇ってるわけ?」
鼻で笑うサミュエルだったが、シオンは言葉を返さない。
その代わりとばかりに紫色に光る蝶が十数匹、どこからともなくシオンの周りに現れたかと思うとひらひらと飛び始めた。
「……蝶?」
「この子達は幻影蝶といって、わたくしの操る虫の一つですわ。文字通り幻影を生み出す力を持っており、この子達が生み出したその幻影にわたくしの魔力を注ぐことで幻影を一時的に実体化することが出来る。それがわたくしの得意とする能力というわけです」
「はっ、攻撃が当たらなかったのはそういうわけ」
ぺらぺらと自分の能力を話して聞かせるシオンを不審に思いながらも、サミュエルは馬鹿にする様に吐き捨てた。
対して、シオンはうっすらと浮かべていた笑みを価値の無い物を見る様な冷めた表情へと変えてサミュエルを真っ直ぐに見据える。
「知能が低いのは人間の特徴なのか、単に貴女が愚鈍なだけなのか、これでは本当に無駄な時間を過ごしただけに終わってしまいますわね」
「……はあ?」
「いつまで一つ前の話をしているのです。わたくしの言った言葉を理解するだけの頭も強さも持っていないのであれば、やはり初めから相手をする価値など無かったということでしょう。潔く、諦めてくださいな」
「挑発のつもりなわけ? 何が言いたいのか知らないけど、もうお喋りはじゅうぶ……」
「もしも貴女がこの辺りの地理に詳しい人間だったなら、きっとこう思っていたことでしょう」
シオンはサミュエルの言葉を遮る。
そして、冷酷な笑みを浮かべてその続きを口にした。
「こんな場所に橋なんて架かっていただろうか、と」
「っ!?」
一瞬の間を置き、サミュエルはその言葉の意味を理解する。
咄嗟に身を回避させようとしたが到底間に合わず、一歩目を蹴り出す瞬間には今この瞬間まで確かに存在したはずの橋が姿を消していた。
足場を失った体はそのまま真っ直ぐに、崖と崖の間を流れる川へと落下していく。
「くっ……」
そんな状況にも関わらず、我が身を案じるよりも先に攻撃態勢を取るサミュエルは二本の剣を構えようと体を上へ向ける。
その姿を見たシオンは宙に浮いた状態でサミュエルを見下ろしたまま左手の指を向けたかと思うと、その指先から三本の針を放った。
一瞬キラリと光ったその小さな針に気付いたサミュエルはどうにか二本を弾くが、落下によって鈍った動きのせいで防ぎ切れなかった一本が右腕に刺さってしまう。
シオンは冷い目を向けたまま、遠ざかっていくサミュエルに向かって最後の言葉を投げ掛けた。
「それは痺れ蜂の針です。運良く水の上に落ちたとしても助かることはないでしょう」
既にその言葉が届くはずのない距離まで遠ざかっているサミュエルの姿を見つめたまま呟く様な声を向け、シオンは再び主であるシェルムの顔を思い浮かべた。




