【第六章】 開戦の狼煙
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この世界に来て、どころか人生で初めて船の上で一夜を過ごして迎えた次の日。
僕は朝から港に到着してからサントゥアリオ本城へ移るまでのルートを地図を確認したり、兵士の点呼を取ったりしながら少し急が過ごしたのち遅めの朝食を取っていた。
ただ全員がちゃんと揃っているかだけならそう一日で変わることでもないのだろうけど健康状態などを申告させる意味もあるらしく、それらを管理するのもトップである僕の仕事なのだと教えられた。
勿論明日からはレザンさんにお願いしたわけだが、ただ肩書きが変わっただけでやることは変わらないなんて思ってた僕が迂闊だったといえよう。
そんなわけで諸々が終わる頃には昼前になり、到着までそう時間は掛からないという段階まできてようやく部屋に運んで貰った朝食をいただいていたのだけど、半分も終わらないうちに部屋の扉を叩く音が響いた。
「どうぞ」
若干慌ただしさを孕んだノックに、この船では僕のくつろぎの時間は寝る時だけらしいや。なんて思いつつ迎え入れると、現れたのはグランフェルトの兵士だ。
「失礼します元帥閣下っ。緊急の報告であります」
何やら慌てた様子で敬礼をする兵士の方。
なんですか閣下って、僕デーモン?
思いつつ、食事の手を止めて立ち上がる。
「どうしました?」
「サントゥアリオの港が見えてきたそうなのですが、何やら様子がおかしいとのことでして。すぐに甲板に来てくれとクロンヴァール王より仰せ付かっております」
「分かりました、すぐに行きます。呼びに来てくださってありがとうございます」
「恐縮であります。では失礼します」
兵士は去っていく。
すぐに僕も廊下に出てデッキへと向かった。
「緊急の報告、か」
思わず漏れるそんな声。
魔物が出たなんて話しなら僕を呼ぶ意味は特に無い。
何やらよからぬ事態なのだろうことは想像に難くなかった。
さて、鬼が出るか蛇が出るか。
そんな不安を胸にデッキに上がると、そこには十数人の兵士を初めクロンヴァールさん、ハイクさんとユメールさんに加えてセミリアさんまでもが既に揃っていた。
四人の姿を見て初めてサミュエルさんを呼んでくるべきだったことに気付いた僕だったが、呼びに戻れる雰囲気であるわけもなく。それどころか、
「遅いぞ小僧。有事の際には手早く迅速に、部隊に属する者の基本だ」
なんてクロンヴァールさんに先制で叱責を受けてしまった。
「何があったんですか?」
取り敢えず事態の把握に努めるべく聞いてみる。
クロンヴァールさんの目を見ていた僕の視線は『少しは自分で考えろ』と言い返される可能性に気付いて最終的にはセミリアさんに落ち着いていた。
「コウヘイ、あちらを見てくれ」
セミリアさんは直前まで自身が使っていた望遠鏡を差し出す。
あちら、とセミリアさんが指した先には既にサントゥアリオ共和国であろう土地が見えてきている。
レンズ越しに港らしき位置を見てみると、うっすらと煙が上がっていることが分かった。
「煙? まさか……」
「この位置では確かなことは言えんが、戦闘があった可能性は否定出来ないな」
目から下ろした双眼鏡を横からひったくり、クロンヴァールさんも同じ位置へと向ける。
「敵さんもそう甘かねえってか。果たして、待ち伏せカマしてんのはどんな野郎だろうな」
「しかしハイク殿、我々が今日到着することが知られているはずは……」
「ふっ、まだまだ甘いですね聖剣。敵とて密偵やら偵察を仕込んでいるに決まっているです。大方港に向かう兵士の後を付けてきたってことろだろう、です」
「ユメール殿の言う通りだとすると、既に港は襲撃に遭っている可能性が高いということになる。ならば我々は迎え撃つ用意をするべきだと?」
「クリスはお姉様の指示に従うだけです。そんなことはクリスに聞かれても知らんです。あとは頭の良い奴が考えやがれ、です」
ユメールさんの投げっぱなしな感想を受け、セミリアさんは迷わずに僕を見た。
セミリアさんにとってはどこまでも頭が良い奴=僕であるらしい。
そして、そんな三人の会話と今の僕を横で見ているクロンヴァールさんまでもが見当違いなことを言おうものならすぐさま批評してやろうと言わんばかりの顔で僕の答えを待っている。
いちいち僕の一挙手一投足に精神的な圧力を掛けてくる人だな……。
「事前に聞いていた情報が確かであれば敵の総数は数百、こちらは四隻全て合わせると千三百。向こうにこちらの兵力まで割れているとは思えませんが、この規模の船四隻を見れば少なくとも同等以上の軍勢であることはすぐに分かるでしょう。とすればここで正面からぶつかり合うのは向こうにとっては得策ではないはず。例え互角の戦いに持ち込める状況であったとしても時間が経てばサントゥアリオの兵士が援軍に来ることが分かっているわけですからね。相手の狙いが情報収集であれば攻撃を仕掛けてくることもなく姿を隠してこの船の中身を確認するだけに留めるでしょうけど、目的が奇襲であったなら僕達がするべきことは到着後に船を降りて抗戦する準備ではなく到着する前に船を沈められないための対策。向こうが何をしてくるか分からない上に港にサントゥアリオの兵士が居ることでこちらからの攻撃に制限がある今、守りに徹して船を守るべきではないかと」
今はそうするほかあるまい。
相手の数も攻撃手段も分からないのだ。いくらクロンヴァールさんでも味方であるサントゥアリオの兵士ごと攻撃することはないはず。
ならば迎え撃つ準備など無事に港に船を着けることが出来て初めて行動に移すことになるのだ。
どんな場面であれ僕は出来る限り誰かが犠牲になって解決という結末を迎えさせたくない。
自陣に有利な状況であればある程双方に出る犠牲は少なくて済むはず。この理屈ならば怪しまれることなくこちらの犠牲を無くし、敵を爆撃しかねない状況も阻止出来る。
そんな僕の意見にセミリアさんやハイクさんはそれなりに納得したようなリアクションを見せたが、唯一クロンヴァールさんだけは違った。
この人を説き伏せることは簡単ではない。
そう思っているからこそ僕達は戦争に反対である意志をまだ明かさずにいる。
その判断が間違いではないということだけはよく分かったが……。
「八十点、だな。小僧、行くところが無くなった時は我が国に来るといい。私の下で使ってやるぞ」
クロンヴァールさんは特に不満げな風でもなく、かといって満足した感じでもなくそんなことを言うだけだ。
それでも、何度も見たまるで私には怖いものなど無いと言っているかの様な不敵な笑みを浮かべていた。
「そう言っていただけるのは光栄ですけど、ならば百点の答えとは?」
「お前が言ったこと全てを踏まえた上で、こちらから仕掛ける」
「それは……賛成しかねます。効果とリスクが釣り合わなさ過ぎる」
「勘違いするなよ小僧。何も港ごと吹き飛ばそうというのではない」
ではどうやって?
そう問うよりも先に、クロンヴァールさんは近くにいる兵士に向かってある命令を下した。
「ファルコンと共に馬を三頭連れてこい。すぐにだ!」
すぐに数名の兵士が船内に走っていく。
ファルコンというのが何かは分からないが、馬を三匹と言ったか?
この状況で馬が何の役に立つというのか。
その問いの答えは、僕の持つ情報では何かこの世界には馬が海を渡る方法でもあるのだろうかと推察することぐらいしか出来ない。
やがて戻ってきた兵士は四頭の馬を連れていて、ファルコンと呼んだ何かも馬であったことが理解出来たと同時に、その四頭のどれがファルコンであるかもすぐに分かった。
一頭だけやけに大きく他の馬の一・五倍もある綺麗な白い毛をした馬が混ざっているのだ。
そしてクロンヴァールさんはその白馬に手を添えたかと思うと、
「私の愛馬ファルコンだ。こいつなら海面に足場を作ることが出来る。ダン、アルバートとグランフェルトの副将と連携を取り全軍に警戒態勢を。何があっても無事に港に船を着けろ。敵が逃亡した場合私達はそれを追う、港に負傷者が居た場合はすぐに手当をさせサントゥアリオ本城へ鳥を飛ばして状況を知らせるように」
「了解。まだ国に入ろうって段階だ、無茶はすんなよ姉御」
ハイクさんはいつの間にか咥えていた煙草を海に投げ捨て、煙を吐きながらこれだけの指示に対して大したことではないと思っているような冷静な様子で答えた。
正直、馬に足場が作れるという意味からして全く分からない僕は黙って聞いていることしか出来ない。
「お前如きがお姉様の心配をするなんて二百五十年早いですダン。お前は一人でその口から汚い煙幕でも張りながら帰りを待っていればいいです」
「そうだな。その煙幕が俺の視界からお前の存在だけを消してくれりゃあストレスも減って煙草の量も減るだろうよ」
そんな緊張感の無い悪態の吐き合いを挟んでいるうちに、クロンヴァールさんは白馬に跨っている。
そして、
「クリス、聖剣、小僧は付いてこい。四人で先行するぞ」
なぜか僕も数に含まれていた。
「いや、僕は付いていこうにも……」
「誰もお前に戦闘能力など求めておらんわ。情報収集や状況考察の役にぐらいは立てるだろうと言っている」
そんなやりとりをしている間にセミリアさんとユメールさんまでもが馬に跨っていた。
しかし、僕が言いたいのはそんなことではない。
「そうではなくてですね、付いていこうにも僕は馬に乗ったことなんて……」
「ええい、まどろっこしい!」
次の瞬間、僕の身体は宙に浮く。
二の腕を掴まれ、引っ張り上げられるようにほとんど真上に飛んだ僕は、それに気付いた時にはそのままクロンヴァールさんの背後に無理矢理乗せられていた。
「途中で落ちても拾いに戻ることはないと思え。聖剣、クリス、私の馬の後に続け」
そしてさらに次の瞬間、今度は馬ごと宙に浮いていた。
船から飛び降り、高く跳ねた馬はそのまま海面に着地する。
後からは『コラァァァ! そこの犬っころ! 誰に断ってお姉様に抱き付いてやがりますかぁぁ!!』とかなんとかユメールさんの怒声が聞こえた。
そんなこと言われても本気で怖い僕は必死にしがみつくしかない。というか誰が犬っころだ。
なんて思っている場合ではないので足下に目を落とすと、驚くことにそこかしこに氷が張っていた。馬はその氷の上に着地していたのだ。
幅一メートルほどの氷の床は、数百メートル先の港まで続く道の如く遠くまで続いている。
「行くぞ」
直後に聞こえたクロンヴァールさんの号令を合図に馬が走り出した。
後ろからも足音が聞こえてくる。
どうやらセミリアさんとユメールさんも後に続いているみたいだ。
どんな原理で氷が張って、なぜそんなことを馬が出来るのかは一切分からないがとにかく、三頭の馬が隊列を組んで陸地へ向かって走る。
氷の上を走る馬に乗っているというのは中々恐ろしいものがあったけど、確か外国では氷の上を走る競馬のレースがあるんだっけか。
なんて元居た世界での事実などなんの気休めにもならず、馬が大きいせいで高さはあるし速度は速いし落ちたら海だしという恐怖に耐えるべく、僕は必死にクロンヴァールさんの腰に手を回してしがみついているのが精一杯だ。
背後からは延々と、クロンヴァールさんに続いているのではなく僕を捕らえてどうにかしてやろうと追い掛けてきているのではないかという勢いでユメールさんの怒る声が聞こえてくるが正直それどころではないので聞こえないふりをする他あるまい。
やがて港に到着し馬が足を止めると、安堵する暇もユメールさんから文句を言われる暇もなく惨状とも呼べる光景が目に入った。
宿舎なのか休憩用なのかは不明だけど、右手に見える船員や兵士達が使うためにあるのであろう大きな小屋は半壊し、船から見えていたまんな煙が立ち登っている。
そしてその周りには兵士らしき格好をした人達が数名、地面に突っ伏すように倒れていて動く気配はないことが一目で分かった。
「クロンヴァールさん、あの人達っ」
馬が動きを止めたため腰に回していた手を離し、背中越しにその名前を呼ぶ。
だがクロンヴァールさんは兵士や小屋の方を見ようとはせず、前方を見たままだ。
「皆まで言うな。今私達が気にすべきは他にあることが分からんか」
分からんか。と言われても分からい僕だが、怪我人を放置してまで優先すべきこととは何かと考え、セミリアさんやユメールさんが同じ方向に目をやっていることで理解した。
「まさか、誰か居るんですか?」
「今頃気付いているようでは長生きは出来んぞ阿呆」
「そう言われましても僕は気配とかで分からない人間なの……」
「そこに隠れている賊よ、吹き飛ばされたくなければ出て来い!」
クロンヴァールさんは僕の言葉を掻き消し、港の後ろに広がる雑木林に向かって声を張った。
既に横に居るセミリアさんは馬に跨ったまま剣を抜いている。
二秒か三秒かして、林の中からパカパカと馬を引き連れながら現れたのは若い男女の二人組だった。
男の方は僕より少し年上であろうどこか目付きの悪い青年だ。
右手に大砲の砲身のような物を嵌め込む様に装着していて、某猫型ロボットアニメに出てくる空気砲さながらの、何らかの武器であることが一目で分かる物騒な右手である。
そして女の方はまず間違いなく僕より年下であろう少女だった。
見るからに十四、五歳という若さで、にも関わらず両の太ももに装着された鎌がキラリと光っている。
二本の鎌の柄の部分が鎖で繋がれておりチャリチャリと音を立てているところを見るに鎖鎌といわれる武器の様だ。
「貴様等、何者だ」
クロンヴァールさんが先制で二人組に問い掛ける。
背中越しなので顔は見えないけど、声のトーンからしていつか僕が死を連想させられた時の恐ろしい目をしているのだと分かった。
「やっはっは、まっさかあの姫騎士が直々にお出ましとは誤算もいいところだねぇ。オイラはハイアント・ブラック。誇り高き帝国騎士団の五番隊副隊長でやんす」
答えたのは男の方だ。
クロンヴァールさんの殺気に怯むことなく、どこか余裕すら感じられる佇まいをしている。
次いで少女も自己紹介を始めるが、共に武器を構える様子はない。
「あたしはルイーザ・アリフレートっていうッス。同じく帝国騎士団三番隊副隊長、よろしくッス」
「ほう、貴様等が噂の帝国騎士団とやらか。港を襲撃したのも貴様等か?」
言葉を返すクロンヴァールさんは対照的に腰の剣を抜いている。
もはやその問いを否定したところで何の意味も為さぬであろう声音である。
「当然、って言ったらどうするでやんすか?」
「当然でないと言ったところでここで捕らえる。腕の一本や二本は覚悟してもらうぞ」
「いやはや、喧嘩っぱやいことで。うちの隊長に通じるところがあって嫌いじゃないでやんすが、どうするアリフレート?」
「姫騎士に加えて、あの銀髪は確か聖剣とか言われてる奴ッスよブラック。あたしらじゃまず勝てないッスよねぇ」
「んじゃま、いい土産話も持って帰れそうでやんすし逃げるとしやすか」
呆れ声で首を振るブラックと名乗った男は右手の砲身をこちらに向けた。
まさかいきなり攻撃してくるつもりかと僕はいつでも盾を発動出来るように男の動向に神経を集中する。
一瞬にしてこの場にピリピリとした空気が張り詰めたことが僕にすら分かった。
しかしこちらを向いていた砲身は下方へとずれ、地面に向いたところで制止したかと思うと次の瞬間にはけたたましい爆音が鳴り響かせる。
次の瞬間、辺り一帯は煙に覆われ視界の全てを白く染めていった。
所謂煙幕という物なのか、瞬く間に白以外に何も見えなくなってしまう。こんな状態で攻撃されようものならひとたまりもない。
僕の身体は無事だし、目の前のクロンヴァールさんもそれは同じであったがセミリアさんは大丈夫だろうか。
名前を呼んで安否を確認しようかとも思ったものの、声を出すことで居場所を察知されてはクロンヴァールさんが微妙に位置をずらしている意味が無くなってしまう。
どうにか目で確認出来ればと視線を彷徨わせたが、セミリアさん達も攻撃に備えて場所を変えているらしく人影は見当たらない。
「クリス、聖剣、追うぞ!」
僕の心配など何のその。
クロンヴァールさんの声が響くとすぐに馬が急発進し、前方へと駆け出した。
再び駆け出した白馬は瞬く間に煙の幕を抜け、そのまま林の中を疾走していく。
振り返ると背後には同じく馬に乗ったセミリアさんとユメールさんの姿があった。
二人組がそのまま馬に乗って逃げていったことは把握出来たが、四人全員で追い掛けるべきではないんじゃなかろうかと僕は思う。
「クロンヴァールさんっ、怪我人はどうするんですか!」
「お前に回復魔法が使えるなら今すぐ降りろ。そうでなければ前線に立って兵を率いなければならない私達がすべきことは一つだ」
「…………」
返す言葉が無い。
僕に魔法なんて使えるわけもなく、ならば想定される状況に対処するために初めからそれが使える人を同行させておくべきだったのではないかという後悔は移動一つすら乗せて貰わないと出来ない僕が今口にしていいことではなかった。
「クリスは回復魔法も習得しているが、高度なレベルにはない。では今私達がすることはなんだ?」
「あの人達を逃がして……更なる被害を生まない様にすること」
「そうだ、ここは既に戦場なのだぞ。兵士として、戦士として戦うことを決めた者ならば傷付き倒れた己を心配されるよりも亡骸を踏み越えられてでも敵を倒してくれることを望む。それが国や民を守るために戦う者の意志だ」
それは必ずしも誰もに当て嵌まることではないだろうと僕は思った。
しかし、敵を倒すためならあの人達がどうなってもいいだなんてクロンヴァールさんが思っているわけもない。
傷付き倒れた人の覚悟や勇気に報いるためにも敵を追い払っただけに終わるという結果で満足することは出来ないのだろう。
それは一見すると敵を倒すことが何よりも大事だと言っている様に感じるが実際は少し違う。
シビアに敵味方を見極める性格であることは確かなのだろう。
しかし、こういった取捨選択や状況判断を瞬時にしてしまうことで非情な印象を増長させているのだ。
迷った挙げ句どっちつかずになってしまったり、負傷者を介抱することで事なきを得る。
僕ならばまず間違いなくそういう結果になっていた。
仮に今こうしているように二人を追い掛けるべきだという選択肢が頭に浮かんだとしても、港で倒れている人達を放っていくという決断は出来なかったと思う。
迷わず切り捨てている様に見えるのはクロンヴァールさんが総合的に判断した最善の答えを出すまでに掛かる時間が極端に短いからがゆえのことなのだ。
それが罪悪感というか、どうしても倒れていた人達を心配してしまう今の僕にとっての唯一の救い。
戦う術を持たないからこそ相手を倒すこと以外に気持ちが向いてしまうのだろうけど、それでも治療役を連れてこなかったのは防げたミスに思えるし、他に潜んでいる二人組の仲間が居ないとも限らないのに港を開けてしまっていいのだろうかという不安もある。
まあ、この人達は気配という目に見えない要素である程度は把握してしまう達人なので後者については心配ないのかもしれないけど……。
「止まれっ!」
不意に、馬が動きを止めた。
急ブレーキの様な止まり方に、あれこれ考えていて油断していた僕は顔をクロンヴァールさんの背中に打ち付けてしまう。
しかし痛がっている暇など当然なく、キンキンという金属音とサクサクという正体不明の無数の音が嫌な予感だけを生み出していた。
「クロンヴァール王、ご無事か!」
ほとんど真横で、同じくセミリアさんが馬を止めた。
「問われるまでもない。だが、結構な数だな」
「お姉様に向かって矢を放つとは余程地獄に送って欲しいらしいです。クリスが締め上げてやるです!」
反対側で停止したユメールさんも怒り心頭だ。
そして、矢を放つというその言葉を聞いて僕はようやく事態を把握した。
周囲の地面や木々の幹に無数の矢が突き刺さっている。
数本の矢が刺さらずに地面に散らばっているところを見るに、誰かが僕達に向けて矢を放ったとみて間違いない。あの金属音はクロンヴァールさんが剣でそれを払った音だったのだ。
木に深く刺さっている矢を見るに、身体に刺さればただでは済まない明確な殺意のある攻撃。
それが数十と僕達に向かって飛んできたというのか……。
では誰がこんなことを? さっきの二人組か?
真っ先に浮かんだのはそんな考えだったが、クロンヴァールさん達は正面を見ているもののその視線は少し上の方へと向いている。
「な……」
そこにあった無数の異形な姿に思わず声が漏れる。
目の前の木々の枝の上に立っている何か。
小人の様に小さな身体に尖った耳と鼻、そして薄く紫がかった肌。
そんな確認するまでもなく魔物であろう何かが十数人、それぞれが弓を手にこちらに視線を集めていた。
「インプか。コウヘイ、クロンヴァール王から離れてはならぬぞ」
化け物達から視線を反らすことなく、セミリアさんはまず僕の心配をしてくれる。
あれはインプというのか。
しかし、これだけ数の差があり尚かつ相手も武器を持っている。
ただ後ろに乗っているだけでクロンヴァールさんの邪魔になっている様では、こういう時の僕の役に立たなさはいつまで経っても変わらないな……。
そう思った矢先だった。
「インプ風情が何の用だ。私達の邪魔をするな、斬り殺すぞ」
クロンヴァールさんの声は低く、明らかに怒りに満ちている。
この間にも僕達が追っていた二人組が逃げてるのだ、そうなるのも当然か。
「キキキ、人間の分際で威勢が良いねぇ」
インプと呼ばれる生物の一人が挑発的な声を投げ掛けてくる。
やはり言葉を操るのかという驚きはさておき、それでいて誰一人として矢を構える気配はない。
「やいお前達、舐めた口を効くなです! 今すぐに道を空けないと締め上げてやるぞ、です」
そう言って、ユメールさんは胸の前で両手を合わせる。
何かの魔法でも使おうとしているのか、その手にはいつのまにか指の部分がない革の手袋が填められていた。
しかし、インプ達はニヤリと笑ったかと思うとユメールさんが攻撃を仕掛ける前に一斉に何かの呪文を唱える。
「龍召還!」
一人がそんな言葉を叫ぶ。
刹那、激しい地鳴りがしたと同時に眼前の地面が割れた。
三頭の馬が後ずさって距離を置くその亀裂から姿を現したのは巨大な竜だ。
竜。
すなわちドラゴン。
マジですか……これはやばいだろう。
「ゲオルギウスか」
驚き言葉を失う僕などお構いなしにクロンヴァールさんが固体名らしき何かを口にした。
ゲオルギウス? というらしいそのドラゴンはワニの様な緑色の皮膚をしていて、大きな翼と尻尾があり、周囲の木々を超える全長を持つ恐ろしい風貌をしている。
優に四メートルはあるであろう目の前の化け物に声も出ない僕だったが、やはり三人の戦士達にそんな様子はない。
「召還魔法とは、やっかいな術を使う。クロンヴァール王、どうしますか」
「私とお前がいるのだ。たかだかドラゴンの一匹、取るに足らん。クリスはインプ共を仕留めろ」
「任せるです!」
怯む気配の欠片もなく再び三人は攻撃態勢を取った。
あれを見て取るに足りないと言えるあたり頼もしいやら末恐ろしいやらだったけど、セミリアさんが以前これよりも巨大なイカの化け物を一撃で倒したところを見たことがあるだけに本当にどうにかしてしまえる気がしている僕も大概か。
僕一人であったなら僕が十人に増えたところで逃げる一択だったところなだけに、慣れによって同じ人間とは思えない人達と一緒に居るという感覚が薄れていたのかもしれない。
二人は馬からは降りず、切っ先ををドラゴンに向けた。
「避けろ!」
そんなクロンヴァールさんの声と同時に、次の瞬間には僕の身体は浮遊感に包まれる。
馬ごと宙に浮いていたことに気付くと同時に、飛び上がった馬が傍にあった木の太い枝に着地したのだということを遅れて理解した。
高さに対する恐怖を感じるよりも先に目に入ったのは眼下に広がる真っ赤な炎だ。
ドラゴンの口から吐き出されている、まるで火炎放射器の如く豪炎が林を飲み込む様に赤一色に染まっている。
あと一秒遅ければあれに飲み込まれていた……すなわち本気で死んでいたのでは。
という命に関わる考察すらもゆっくりさせてもらえず、すぐさまドラゴンの大きく開いた口がこちらを向く。
「聖剣、合わせろ!」
「御意!」
続けて僕達を乗せた馬は軽々と木の上から飛び降りる。
こうなっては僕は落ちてしまわない様にクロンヴァールさんの腰に捕まっていることしか出来ず、万が一の時には盾を発動させなければと目だけは閉じないと必死に耐えるなるのが精一杯だったが、その目に入ったのは着地するよりも先にセミリアさんとクロンヴァールさんの剣の先が同時にドラゴンに向いた瞬間だった。
「穿撃!」「牙竜翔撃!」
大きな声を重ね、二人が同時に突きを放つ。
何度も見た、剣の先からそのまま突きが伸びていくかの様に放たれた斬撃が二つ。ドラゴンに直撃するタイミングで二つに合わさった。
そして破裂音と爆発音の混じった様な大きな音が響いたかと思うと、馬が着地した衝撃を感じると同時にドラゴンの頭部が消えてなくなっていた。
助かってよかったけど……やっぱりグロい。
思わず目を反らしたくなるおぞましい光景だったけど、例によってすぐにドラゴンの姿は消えて無くなっていく。
ひとまず一番の危機は回避。
しかしまだインプがいる……と思った僕だったのだが。
「こっちも完了です、お姉様」
背後からユメールさんの声が聞こえる。
振り向く先にあったのは得意気な顔をしたユメールさんと、どういうわけか両手足を縄で縛られてぶら下がっているおかしな格好のインプ達の姿だった。
まるで蜘蛛の巣に引っ掛かった羽虫の様に、逃れようともがくも意味を為さず苦しそうにしている。
何が起きているのか分からずにいる僕の前でユメールさんはニヤリと笑い。
「蜘蛛の糸……絞殺」
小さく何かを呟いた瞬間、インプ達は全身を切り裂かれたように血を吹き出し断末魔の叫びと共にその姿を消失させていった。
インプの血が伝ったことで空中に張り巡らされた細くほとんど透明の糸が姿を現している。
連中はあの糸に捕縛されていた。
そしてその使い手はユメールさんだったということらしい。
過去最高クラスにトラウマ映像盛り沢山の魔物との戦闘だったけども、兎にも角にも僕達を襲おうとする者はいなくなった。
「ユメール殿、見事なものですな」
「えっへん、です。お姉様の前で格好悪いところは見せられんからな、です」
「しかし、今からあの二人組を追うのは困難でしょう。どうなさる、クロンヴァール王」
「こうなっては仕方あるまい、一旦港に戻って後続組と合流する。行くぞ」
三頭の馬は向きを変え、来た道を戻るべくパカパカと駆けていく。
ここは戦場なのだと認識させられるには十分な程にあらゆる要素が狂気へと姿を変え、味方ではない者を排除しようと牙を剥く。
何をするか、何が出来るか、そしてどこまでその意志を貫けるか。
生き残るだけのことに必死ならなければならないこの国で、僕は確かに戦争という未知なる世界に足を踏み入れた。
挫けてなるものか。
そんな意志を胸に港に帰った僕達を待っていたのは、襲撃を受けた兵士達全員が死亡したという報告だった。




