【序章】 異世界からの使者
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「と、いうわけなのだ」
七月末日のとある夜。
我が家のリビングで、テーブルを挟んで正面に座る女性が言った。
およそ二ヶ月振りに会う水色の瞳、銀色の長い髪が日本人の身としては非日常を感じさせるとても綺麗な女性だ。
名前はセミリア・クルイードといって、普通に考えるとにわかに信じがたい存在であり、それでいて確かな存在である。
事の始まりは今年の春休み。
突如として異世界から現れた彼女は勇者を自称し、国を、世界を救うために力を貸してくれと涙ながらに僕に頭を下げた。
のちにその自称や経緯を含め、全てが事実だったと知ることになった僕は異世界で様々な冒険し、魔王なる存在を倒すために危険な目に何度も遭いながらその目的を達成する。
ほとんど一緒にいたぐらいのことしか出来なかったけど、それでも彼女の使命感や正義感をこの目で見たし、我が身を賭して世のため人のために戦う姿を見届けることも出来たし、確かな友情や絆のようなものを感じ、彼女もまた、僕を信頼してくれるようになった旅だった。
それから少しして、再びセミリアさんは僕の前に現れる。
今度はセミリアさんの世界、僕から見れば異世界で行われるサミットに同行して欲しいということだった。
ひょんなことから僕は国王の代理という役目を任され、セミリアさんを含む仲間達を率いる身となったりしつつ魔王の時と同じぐらい危ない目に遭いながら何とか化け物や魔法というものが存在するゲームが現実になったような世界で爆殺されそうになったり空を飛んだり化け物と対決したりしながらも二度目の冒険を無事に終えることが出来た。
といっても、僕は刺されて死ぬ寸前までいったりもしたんだけど……そんな残念な思い出話は割愛するとして、とにかく、どこにでもいる普通の高校生である僕、樋口康平とこのセミリアさんはそういう関係だ。
そして本日夜、僕が夕食を食べ終わって少しした頃。
三度セミリアさんは僕の前に現れることになる。
毎度ながら事前連絡のしようもない訪問に驚いたものの、ひとまず迎え入れてリビングに通して事情に聞くことにし、彼女の話を聞き終えて今に至るのだった。
「えーっと……セミリアちゃん、ちょっといい?」
飲み物を出すなり、僕の隣に座って一緒に話を聞いていた母さんは目をパチクリさせている。
僕よりも先にリアクションしてくれるのはいいのだが、異世界のことなど何一つ知らない母さんは間違いなく意味が分かっていないだろう。
話の中に魔王とか魔法とかが出て来なかっただけ僕としては助かった感じだけど、今の話を聞いたところで僕自身いまいち理解が追い付いていないのだから。
「どうしたのだ母上?」
対照的に……いや、むしろ同様にセミリアさんも不思議そうにしている。
今の説明で伝わっている気満々らしいセミリアさんは『何か分からないところがあっただろうか?』と続けた。
「母さん全然理解出来なかったんだけど、セミリアちゃんの国の王様が康平に助けを求めてるってことなの?」
「うむ、ローラ姫の補佐であったり教育係を任せられないか、とのことだ。それだけではなく政治のことでも助言を求めたいとも仰っていたがな。以前コウヘイのしてくれた話を元に貿易の件の実現や市場の活性化を図るべく忙しくしておられるのだが、何もかも予定通りというわけにはいかないらしくてな」
「康平……あんた一体何したの? 他所の国の王様があんたを頼ってくるって普通に考えておかしくない?」
「そう言われると返す言葉もないんだけど……偶然に偶然が重なって王様の目に止まったり耳に入ったりってことがあったと思っといてくれるかな」
「そういうものなのかしら……全然分からないけど」
母さんは未だ話についていけていないみたいだ。
変に怪しまれるのも嫌なので僕は無理矢理話題を変えることに。
「セミリアさん、王様は元気にしておられるんですか?」
「勿論だ。と、言いたいところなのだが、最近は余り元気だとは言えないのかもしれん。ただでさえ大臣のサポートもあまり期待出来ず一人で忙しくされているようなものだし、それに加えてガイア様が亡くなられたこともあって、精神的にも負荷があるようでな。最近は度々体調を崩されているよ」
「……ガイア様?」
「ああ、お主は知らないのだったか。ガイア様というのは我が国の相談役だった人だ。ヴォルグシーナ・ガイアといって随分と昔の話だが、国を救った英雄と呼ばれていた人物でな。齢は軽く百歳を超えていたのだが、それでも長らく国のために王を支えていたお方だ」
「その方が亡くなったんですか……」
「うむ。少し前の話だが……何者かに暗殺された」
「あ、暗殺?」
百歳を超えているという話から寿命だと思っていたのに……そんな重い話になるとは思いもよらない。
「部屋で遺体となって見つかった。心臓を貫かれた姿でな」
「どうしてまた……」
「犯人も動機も現在調査中とのことだが、そう深刻な顔をするなコウヘイ。すぐに犯人は見つかるさ、我が国は比較的治安も良くなっているしな」
「それならいいんですけど……最終的に僕はどうしたらいいんでしょうか」
「お主に今の生活があるのも理解しているし、将来像というのもあるとは思う。だが、もしも望みが叶うならばリュドヴィック王はお主に宰相として我が国に仕えてもらえないかと考えておられる」
「ねえねえ、セミリアちゃん。サイショーってなぁに?」
僕よりも先に、やっぱり母さんが首を傾げていた。
僕自身なんとなくしか聞いたことのない言葉だ。
「宰相というのは軍事において軍のトップである大将と同等の権限を持ち、政治においては大臣達の上に立ち国王に次ぐ決定権を持つ、いわば王国において国王の次に権力を持つ人間だ」
「ほえ~……康平、あんた凄いのねぇ。いつの間にそんな就職先を確保したのよ」
「いや、確保してないから。というか僕の歳でそんな役職に就くのは無茶過ぎると思うんですけど」
なぜ政治のせの字も知らない僕がそんなことになるのか。
なぜ武器を持ち歩くことすら諦めた僕が軍のトップと同等の権限を持つことになるのか。
どう考えても無理だし、そもそも異世界で就職ってどんな人生設計?
「年齢など関係無いさ。能力がある者が求められる地位に就く、それが世の常であろう?」
「いや……僕達の国ではあながちそうとも言えないのが悲しいところなんですけど、そういうことではなく、僕なんかにその能力は無いということが言いたいわけです」
「そんなことはない。確かに最初はお主にとって知らないことも多かっただろうが、それでもコウヘイは私を助けてくれたし、先のサミットではリュドヴィック王が託した役割を十二分に全うしたではないか。お主の活躍振りは王の知るところであるし、あの後マリアーニ王から感謝の意を示す手紙が届いてな、城では大きな話題になった」
「そんなことが……」
マリアーニさんというのは僕が二度行った国とは別の国の若き女王様である。
ある事情で一緒に旅をすることになって色々あったわけだけど、最終的には助けに行った僕が命を救ってもらう羽目になったりもした。
……なんだか残念な思い出ばかり浮かんでくるな。
「ともあれ、何も今すぐに決めろという話ではないさ。ひとまずローラ姫のことを含め、王の話し相手になってくれればという話だ。その後のことは焦らずに考えてくれればいい」
「まぁ……話をするぐらいのことであれば、僕なんかでよければという感じではありますけど」
でも……あのロールフェリア王女って苦手なんだよなぁ。
性格キツいし、口も悪いし、僕なんて下人とか言われたし……。
「そう言ってくれるか。私自身コウヘイが私や王、姫の傍に居てくれるのであればこれほど安心なことはないと思う気持ちはあるが、答えを急がせるものではないし、そこまで深く悩まないでくれると助かる」
「取り敢えず行ってみて、話をしてみて、役に立てそうなところで出来る範囲で頑張ってみる、ということでよければ」
「それで十分だ。ありがとう、コウヘイ」
精一杯の返答であったが、それでもセミリアさんは優しく微笑み掛けてくれた。
こうして、僕はまたまた異世界へ向かうことを決める。
かれこれ三度目という、不思議な世界での生活に若干の不安さと母さんの頭上の『?』がそろそろ数え切れなくなってきたことを感じながら。
○
次の日。
と、上にある○が意味する場面転換を挟んで語り出す気満々でいた僕だったが、予想に反してその日のうちに異世界に旅立つことになってしまった。
例によって、と言っても勿論母さんの目の届かないところでの話ではあるが、ワープという非科学的な方法によって所在不明で説明不可能な摩訶不思議世界へ移動すると、そのままエルシーナ町へと向かう。
田畑の多い田舎町ではあるもののノスルクさんの家から近く、城へ向かうのにもあまり時間が掛からないためセミリアさんや僕がこの世界に居る間に寝泊まりすることが多い拠点といってもいい街だ。
僕は以前と同じく通学に使っているショルダーバッグに入れたICレコーダーやスタンガン、発信機に医薬品類をいくつかという自分の身を守るための道具を持ってきたのだが、今回はそれ以外にもパンパンのボストンバッグを持参している。
今は夏休み真っ只中なので滞在日数はさほど気にしなくていいのだけど、僕としてはあまり長く居るのも躊躇われるのが本音だ。
しかし、事情を把握していない母さんの『夏休みが終わるまでに帰ってきたらいいからしっかり役に立ってくるのよ』という、無責任な送り出しのせいで僕はいつ帰ってくるのかも分からない状態に陥ってしまった。
そんなわけで着替えや少しの生活用品を持ってきた次第だ。それプラス本が五冊でバッグはすぐにいっぱいになってしまい、ハンパじゃなく重い。
重量のほとんどはその五冊の本のせいなのだが、これは以前来たときにノスルクさんにもらったノスルクさんの書いた本だ。
ノスルクさんというのはこの世界で僕達を助けてくれるおじいさんで、かつて魔法使いとして戦ったり旅をしたりしていたらしいノスルクさんの体験したもの見聞きしたものが記されているこの本は魔法について、魔族について、歴史について、天界について、そしてノスルクさんの冒険譚がという、一冊ずつ決まった内容が記されているそれぞれが六法全書並に分厚い本である。
今までの様にどこかに行き来するのであれば重たくて持ち歩けないけど、今回の目的である王女に何かを教えようとする、という部分で何か役に立つかも知れないと持ってくることにしたのだった。
ではなぜ今日のうちに慌てて出発したのかというと、別段急いで向かわなければいけない理由があったわけではなく、もしも今日のうちに来ることがあった場合にと僕を待ってくれている人がいることを聞いたからである。
その人物は、その人物達は、一夜を過ごすことになる宿屋へと到着した僕とセミリアさんをその建物の外で待っていたらしく僕達の姿を見つけるなり綺麗な九十度のお辞儀で出迎えてくれた。
「「お久しぶりでございます、コウヘイ様。そしてお帰りなさいませ、勇者様」」
見事に声を揃える二人の女性は顔を上げるとにこやかな笑顔を僕へと向ける。
一人は僕より一つ年下で、一人は正確な数字は聞いたことがないが僕より少し年上であるこの二人はフリルの付いた水色の服の上にエプロンの様な物を重ねて着ていて、その服装が意味するのはこの世界にあるこの国のお城で働く使用人であるということだ。
「お久しぶりです、二人ともお変わりないようで」
なんて返事をしてみたはいいが、セミリアさんを含め僕にとっては約二ヶ月振りに会ったことになるんだけど、向こうにとってはそうじゃない可能性が高いのがこの世界と元の世界の違いである。
時間軸が違うとでもいうのか、科学的物理的な説明なんて出来やしないけど、最初にこの世界に来た時に身を持って実証済みの紛れもない事実なのだ。
しかし、ではセミリアさんが僕の家に来て、その日の内にこの世界にやってきたわけだけど、それはこちらの世界でも同じ日付ということになるのだろうか。
理屈的に言えばそんなはずがない気もするけど、そうであった場合に僕を出迎えるためにこの二人は待っているという話を聞いた。
であれば二人がここに居ることがイコール同じ日付であることの証明であるという気もする。
考えても分かりっこないし、誰に聞いたところではっきりと解説出来るわけもないので深く考えることは随分前に止めたことでとはいえ……気になる。
「コウヘイ様もお変わりありませんか?」
そんなことを考えていると、二人のうち若い方の女性が傍に寄ってきた。
この子はミランダ・アーネットさんといって、つむじのあたりにあるお団子がチャームポイント? で背が小さく、余り気が強くないところも合わせて小動物的というか妹的な可愛さのある甲斐甲斐しくいつだって一生懸命という印象が強い健気でとても良い娘だ。
「ええ。特にに変わりなく代わり映えもなく、といった感じですけど」
「コウヘイ様、お荷物をお預かりしますわ」
答えると、今度はもう一方の女性が口を開いた。
一転して、こちらは大人っぽい微笑でジッと僕を見ている。
こちらはアルス・ステイシーさんといって恐らく二十歳ぐらいの同じくこの国のお城で働く使用人だ。
言動がやや子供っぽくておっちょこちょいなミランダさんとは逆で、このアルスさんはとても大人っぽい雰囲気をしているのだが、人をからかうのが趣味であるらしいあたり強かな女性という感じの人である。
王様の思い付きか思い遣りかはさておき、二人は僕がこの世界に居る間に限り僕の専属の使用人という役職を与えられていて身の回りの世話や案内をしたり、行く先々に同行してくれたりしている。
「お気遣い無く。自分の持ち物ぐらい自分で運びますから」
「まあ、相変わらずわたくし達の仕事をお取りになるのですねコウヘイ様は」
「いえ、そういうわけではなくてですね。結構重たいんですよこれ。アルスさんに重たい物を持たせたくないですから」
普通に遠慮するだけだとまた僕が主人だからとか言われて堂々巡りになるので余計な一言を付け加えておく。
僕程度のお世辞など効果の程も分かったものじゃないけど、それでもアルスさんは僕の背中をビシっとはたいた。
「コウヘイ様ったらお上手でなんですから。でも、わたくしにばかり優しくしているとミラが拗ねてしまいますわよ? ねえ、ミラ」
「へ? ミランダさん?」
言っている意味はよく分からなかったが、ミランダさんの方を見るとなぜかあわあわしている。
「アアアアルスさん!? 急に何を言い出すんですかっ」
「だってぇ、ミラったら暇さえあればコウヘイ様の話ばかりするんだもの。サミットの時の話だとか、ユノ王国の女王様を救った話だとか、コウヘイ様は凄い人だ格好良い人だって使用人みんなに繰り返し繰り返し」
「そ、そうなんですか……」
確かにこの子は僕のことを必要以上に立派な人間であるかのように言うことが多いけど……なんだか恥ずかしい。
恥ずかしいんだけど、ミランダさんの方がもっと恥ずかしそうに顔を真っ赤にしているので余計にリアクションに困る。
「そそそそそそそそそんなこと今言わなくてもいいじゃないですかっっ。だいたい、アルスさんはどうなんですか? アルスさんだってコウヘイ様がいらっしゃるって聞いて喜んでたじゃないですか」
「ええ、わたくしだってコウヘイ様のことが大好きよ? コウヘイ様がいらして下さったからこそこうしてお迎えにあがって、そのおかげで夕食の支度を免除されているんですもの。欲を言えば来るのが明日だったら明日の朝食の準備やお城のお掃除も免除されたのにとは思っているけど」
「…………」
本人を前にしてその理由はどうなんだろう……とは空気的に言っていいのかどうか。
普段されたこともない尊敬や称賛をされるのはやっぱりこの世界だからであり、セミリアさんと一緒に居るからなんだろうけど、ただの学生が勇者の仲間になり、勇者の仲間が国を救った英雄の一人になり、国王に同行を求められる立場になり、異国の王を救ったことにされ、今度は王女の補佐役やら宰相という立場を与えられようとしている。
受け入れるかどうかは別として、もう自分でも理解が追い付かなくなりそうな出世具合だ。
「こらこら二人共、その辺りにしておこうではないか。コウヘイも言葉を失っているし、いつまでも入り口で話をしていては迷惑だ。そろそろ部屋に入ろう」
僕が言葉に困った時、いつも代わりに口を開いてくれるのがセミリアさんである。
何から何まで頼りになりすぎる彼女の言葉にミランダさんをからかって遊ぶアルスさんもポカポカとアルスさんの腕を叩いているミランダさんも言い争いを止め、方やビシッとした表情で、方や半泣きでそれに答えると僕達はようやく一夜を過ごす部屋へと移動するのだった。
〇
四人揃って二階建ての二階にある毎度お馴染みの、この宿屋唯一の大部屋へと足を踏み入れた。
お馴染みというか、この街のこの宿屋で寝泊まりする場合においてはこの部屋以外に当たったことがないレベルの話なのだが、一人や二人で来ることもないので当然といえば当然か。
言う方も言い飽きれば聞く方も聞き飽きる話になってしまうけど、やはりというか当たり前の様に男女同室なところもいつも通りだ。
さして長旅をしたわけではないけど、重たいバッグを肩に掛けていたせいで若干お疲れな僕も荷物を下ろしてようやく一息。
のはずだったのだが、ベッドに腰掛けるとすぐにアルスさんが寄ってきた。ちなみにミランダさんは僕とセミリアさんの飲み物を入れている。
なぜ二人分なのかというと、僕にはあまり理解出来ない事情なのだけど使用人というのは基本的に主人の前で飲食をしないものらしい。
この世界ならではのことなのか、使用人というのが本来そういうものなのかは知らないけど、この前の時は皆で強引に勧めて一緒にご飯食べてたし逆にこっちが申し訳なくなるから一緒でいいのにという気持ちを抱く僕はまともな人間なはずだ。
と、話が逸れてしまったけど、傍に寄ってきたアルスさんは小さな箱を二つ持っており、丁寧な所作で僕に差し出した。
「コウヘイ様、勇者様からお預かりしていた物でございます」
「ありがとうございます」
受け取ると、僕はすぐに箱を空けた。
聞かなくとも中身は分かる。
小さな箱が二つ、それすなわちこの世界で僕が常に身に付けてきた二つのアクセサリーが入っているのだろう。
一つは指輪で、魔法の盾を出現させることが出来るノスルクさん製の不思議な指輪だ。
もう一つはごつい髑髏のネックレス。こちらも僕がずっと首に掛けている物で、とある魔術だかで意志を持つネックレスになった元は人間の僕の相棒である。
どちらをとっても僕がこの世界で生きて帰ってこれた要因の多くを占める大事な物だ。
『…………』
右手に指輪をはめ、ネックレスを首に掛けたものの、予想通り周囲に人が居る状態なのでジャックは何も言わない。
基本的に僕やセミリアさんの前でしか口を開かないジャックなのだが、せっかく再会したのにそれでは少し寂しいので、
「皆夕食は済ませているし、風呂に入って寝る準備をするぐらいしかないと思うが、それで構わないか?」
「はい、僕は特に問題ありません」
「コウヘイ様、勇者様、風呂の準備は出来ていますのでいつでもお入りになれますわ」
「ありがとう、さすがはアルス殿だな。ではコウヘイに最初に入ってもらうとしよう。お主は招かれた身だ」
「あ、いえ、僕は最後でいいのでお三方が先に入ってください」
「何を遠慮しているのだコウヘイ。気を遣うような間柄ではないと思っているのが私だけのようで寂しいぞ」
「遠慮しているわけじゃないですって。ちょっと先に行きたいところがあるってだけです」
「へ? 今からお出掛けになられるのですかコウヘイ様? それでしたらお供いたしますけど……」
「出掛けるという程のことでもないので大丈夫ですよ。この建物から出るわけじゃないですし」
さすがに説明が雑過ぎたかと慌てて補足するもミランダさんは意味が分かっていないらしく首を傾げている。
嘘は言っていないし、お供されたら僕の提案の意味がなくなってしまうのでここは引き下がってもらうしかない。
「建物から出るわけではない? 他のお部屋に行かれるのですか?」
「そういうわけでもなくてですね、単に屋上に行こうかと思いまして。すぐに戻ってきますけど、待ってもらうのも悪いので三人が先に入ってくれた方が僕も気兼ねなく行けますから」
「なるほど、そういうことだったか。では、むしろこちらが遠慮無く先に入らせてもらうとしよう。積もる話もあるだろうしな」
そう言って意味ありげな笑みを浮かべるセミリアさんはどうやら僕の発言の意図を理解してくれたようだ。
逆に意味は分かっていないながらも僕が一人になろうとしていることを察したらしいアルスさんは、まるでミランダさんに空気を読みなさいと遠回しに伝える様な口ぶりで、僕の言い分は飲めませんと明確に伝えてくる。
「ではわたくし達はコウヘイ様のお帰りをお待ちしておりますのでお時間はお気になさらぬよう」
「いや……そう言われてもやっぱり気になりますし、待たせるのが嫌なので先に入ってくださいってば」
「主人を差し置いて先に入浴する侍女がどこにおりますでしょう。わたくし達にも面目というものがございます。貴方様の存在が他の何よりも優先される、それがわたくし達の仕事ですわ」
「そ、そうですコウヘイ様。それに先に入ってしまっては……あの、お背中を流させていただくことが出来ない、です」
「恥ずかしいなら無理に言わなくてもいいのよ、ミラ」
「もうっ、アルスさんっ。恥ずかしがってなんてないですっ」
「あの……それ以前に僕が恥ずかしいので一人で入りますから。それからですね、僕のことを何がなんでも優先しようとするのは止めて欲しいんです。そこまでされると僕も余計に遠慮してしまいますし、正直言って僕がお世話になっている立場だと思ってるぐらいなので。だから少なくとも僕と一緒に居る時はご飯も皆で食べる、お風呂の順番に誰が偉いとか偉くないだとかを持ち出さない、そういう風にしてもらえる方が僕もありがたいです。それがお二人の仕事だと仰るなら、そうですね……これは僕からの命令だということにしておきましょう」
もっと言えば康平様なんて呼び方も止めて欲しいところなのだが、こればかりは王様の立場もあるらしいので譲ってもらえなかった。ならばそれぐらいはいいだろう。
しかし、やっぱりそんな考えはこの世界における普通とは掛け離れているのか、二人はどうすべきかと顔を見合わせている。
アルスさんはやや困惑したような顔で、ミランダさんは少し寂しそうな顔で。推し量るに王様の言い付けと僕のお願いの間で揺れているのだろう。
その気持ちも理解はしたいけど……それよりも、もしかするとミランダさんは僕が二人のことを迷惑に思っているとでも勘違いしているんじゃないかということが気になって仕方がない。
どうやってそれが誤解であるかを説明しようかと一緒になって黙ってしまっていると、やっぱり僕が黙る度にフォローしてくれる頼もしい人物が一人。
「そう難しく考えずとも、二人ともコウヘイの言葉に甘えておけばよい。戸惑うのも無理はないが、これがコウヘイという男なのだ」
セミリアさんはそんなことを言ったかと思うと、便乗しようとする僕に気付かずに言葉を続ける。
「おかしなぐらい自己評価が低く、そのくせいつだって周りに居る者の心配だとか嫌な思いをしないようにということばかり考えている。その優しさや思い遣りが私を救い、サミュエルを救い、国を救い、そして異国の王をも救ったのだ。それでも敵に立ち向かう勇気を持っていて、私が出会った誰よりも頭が良くて、それなのに自分は特別な人間ではないと言ってきかない、そういう人間なのだ。だからお主等とも出来るだけ心安い関係でいたいのだろう。コウヘイがそれを望むのであればお主等の関係はそれでいいと私は思うし、そういう強さや優しさを持っている男だからこそ私はコウヘイに頼ろうと思うのだ」
それでも、やっぱり謙遜が過ぎるとは思っているがな。
と、セミリアさんは優しい笑顔を僕に向ける。
「セミリアさんまでそんなこと……」
そう返すのが精一杯だった。
僕の自己評価がおかしいというのなら、皆の僕に対する評価も同じくおかしいと僕は思う。
そこに差があるのはどうしてもこの世界と僕の元居た世界での『普通』というものの違いなんだろうけど、やっぱりそれを口にしても堂々巡りなので言葉にならない。
それでもセミリアさんはそんな僕をも受け入れてくれるが如く、背中をポンと叩いた。
「二人は私がちゃんと風呂に入っておくように見ておく。お主は屋上に行って来るといい」
暖かくて、心強くて、僕なんかよりよっぽど思い遣りのあるそんな言葉と表情に背中を押されて、僕は一言の謝罪とお礼を残して部屋を出た。
二階の廊下を突き当たりまで進むと垂直に上に向かって伸びるはしごが壁に設置されていて、これを登れば屋上に出られるようになっているこの建物。
初めてここに泊まった時から僕は何度もそこで景色を眺めたり、誰かと話をしたりということをしてきた。
今日に限っては先に誰かがいるわけでもなく、はしごを登り切ると柵に肘を置いて一人真っ暗な街を見下ろした。
僕達の世界では夏本番という暑さが日々続いているけど、この世界がそうなのか、この国がそうなのか、はたまたこの街がある地域だからそうなのかは分からないが、とても涼しい風が吹いている。
ここから眺めることで初めて静かで長閑な、田畑の多い田舎町に懐かしさを覚えたりしていると、
『よう相棒、また何か悩み事かい?』
僕はようやくジャックの声が聞けた。なんだかやっぱりホッとする。
「悩み事っていうか、ジャックの声が聞きたかっただけだよ」
『嬉しいこと言ってくれるじゃねえか』
「僕にとってセミリアさん、ノスルクさんとジャックはこの世界で僕を安心させてくれる存在だからね」
『まったく、俺なんざ喜ばせてどうしてぇんだか。俺が人間の姿だったら熱い抱擁をくれてやるところだぜ』
「それは遠慮しておくけど、それより今回僕が何をしなきゃいけないか聞いた?」
『当然聞いたさ。お前さん、宰相になるんだって?』
「ならないから。ていうかなれないから。僕に務まるわけないし、僕はこの世界の人間ですらないんだし」
『そんなの関係ねえさ。お前さんにそういう立場を望む人間がいる、お前さんが傍にいることを望む人間がいる、それが全てだろうよ。元居た世界とやらがどんなところなのかは知らねえが、いっそこっちの人間になっちまってもいいんじゃねえかとさえ俺ぁ思うぜ?』
「ジャックも……そんな風に思うんだね」
『も、ってのはどういうことだい?』
「来る前にセミリアさんにも言われたんだ。僕が傍に居ることは自分や王様や姫様にとっていいことだと思うって」
『そう言われるだけのことをしてきたってことさ。自分が今までに何をしてきたか忘れたわけじゃねえだろう?』
「何をしたかは覚えてるけど……そこまで言われるだけのことをした覚えはないんだけどなぁ」
『お前さんが自分で自分をどう思うかは関係ねえさ。自分の価値を自分で決める奴はいねえだろうよ。何度も言ってるが、それが相棒の価値ってやつなのさ。あの団子女だってそうだろう。敬愛する相棒を支えることに価値があると思っているからこそああやって傍に居たがるんだろうぜ』
「団子女って……」
確かにミランダさんには尊敬の眼差しを何度も向けられた記憶はあるけどさ……。
『例えばだが、お前さんは俺がいると安心だと言ってくれたろう? もし次にこの世界に来た時に俺がいなかったらどう思う?』
「そりゃ……寂しいし、やっぱり不安になると思う」
『それと同じさ。クルイードはお前さんと出会って、お前さんと一緒だったことで魔王を追い払った。お前さんと一緒だったことで例の試練も無事果たした。次に何かに立ち向かう時、お前さんが居るか居ないかじゃ心持ちも大きく違ってくるだろう。俺やエルワーズに似た様な役割は出来ても、お前さんの代わりは居ないってこった。そもそも、俺だってこの姿で居られる時間はそう長くねえしな』
「え……そうなの?」
『ああ、その時は確実に迫っていると思ってくれていい。別にお前さんを困らせようとして言ってるわけじゃなくな』
「それはえっと……寿命というか期限みたいなものがあるの? その姿でいられる」
『似た様なもんだな。まあ俺の話はどうでもいいが、少なくともお前さんを必要とし特別な存在だと思っている奴がそれだけ居るってことだ。俺やクルイード、団子女を始めとしてな。お前さんにも色々と思うところもあるだろうが、人間必要とされている内が華だぜ?』
「そういうものなのかな……やっぱり、僕にはいまいち分からないや」
必要とされるといっても、一体僕の何が必要とされているか。そしてそれは本当に僕であることに何か意味があるのか。
それが僕には分からない。
勿論セミリアさんに頼られることは嬉しいし、ミランダさんに立派な人間だと言ってもらえることに悪い気がしているわけではない。
でも、だからといって僕とそれ以外の人間を比較した時に僕が他の誰かよりも優れた人間であるとは全く思えなくて、異世界の人間だからこの世界の一般人とは違った何かを持っていると思われることは理解出来ても、それが王様に権力を与えられる程とは中々思えないから僕はそんな周囲の評価を受け入れられないんだろうなと思う。
それはきっと、迷惑に感じているわけでも謙遜しようとしているわけでもなく、間違った評価によって求められる事柄を僕が全う出来なかった時にガッカリされるのが嫌なのだと、はっきり言えば期待外れだったと思われるのが嫌なんだろうなと、自己分析をしてみるとよく分かる。
毎度ながらゲームや盤上競技の話になるけど、やっぱり僕は『こんなに強いとは思っていなかった』『そんな風には見えなかった』と言われたい人間であり、のちにそう思わせる様に振る舞う人間なのだ。
どこまで今僕が感じていることに当て嵌まるのかは分からないけど。なんてことを考えていると、
『おっと、誰か来たみてえだ。俺は静かにしてるぜ』
不意にジャックが声を潜めた。
その誰かが誰であるかは分からないので背後のはしごに目をやると、はしごを登る音と共に暗い中に現れた人影は小柄な誰かだった。
それがミランダさんだと分かったのはほとんど目の前まで来てからで、その理由はいつものお団子がなくなって髪を下ろしていたからだと勝手に納得する。
「コウヘイ様」
「どうしたんですか、ミランダさん」
「どうしたということもないのですけど、何をしているのかなと思って」
「僕も何をしているということでもないんですけどね。この街に泊まるときによくここから景色を見てたりしたので、一度ここに来ることでまたこっちに来たんだなぁって実感しているって感じです。お風呂には入りました?」
「はい、わたしとアルスさんが先に入って、今は勇者様が入っておられます。なんと言ってもコウヘイ様のご命令ですから」
ミランダさんはにこやかに答えると、僕の横まで来て同じ様に街を見下ろした。
少し強引に押し通した感があっただけに、嫌な思いをさせたのではなかろうかという心配は少なからずあったのでちょっと安心する。
そうでなければ髪を下ろしてはいないんだろうけど、服装が同じままなので確信できなかっただけに。
「ならよかったです。僕もそうしてもらえた方がいいというか、一緒に居て気を遣わなくて済みますから」
「コウヘイ様は……わたしと一緒では気を遣われるのですか?」
「ミランダさんと一緒だからというわけではないんでしょうけど、今まで一緒に来た人達は遠慮無しに言いたいことを言う人ばかりでしたからね。サミュエルさんを含めですけど、僕が逆に積極的というか、自発的に行動するような人間じゃないので僕はそういう人達のフォローをしている方がしっくりくるのかなぁと思ったりはします」
「それって、コウヘイ様は気の強い女性の方が好きということですか?」
「いや、それは全然違う話だと思いますけど……要するに、遠慮し合ってしまうと折り合いがつきにくいというか、さっきのセミリアさんみたいに誰かが割って入らないと話がまとまらないというか、そんな感じじゃないかなぁと。だから僕は何をするにも誰かが決めてそれを訂正修正するという立場でいることが多かったですし、そう考えると確かに男女は関係なく多少我が儘な人の方が合っているのかもしれないですね」
過去にこの世界で行動を共にしてきた人達を思い出すと、合っているかどうかと安全であるかは全く違うどころか真逆な気はするけど。
「それはコウヘイ様が気を遣われ過ぎなのではないですか? コウヘイ様はそれだけのことをしてきたのですから、もっと堂々としていていいと思います」
「それは遠慮ではなく単に僕の性格ですよ。ミランダさんからすれば堂々としてないと格好も付かないんでしょうけど、僕はこの世界では誰かのお世話にならないと右も左も分からない人間ですからね。そんな奴が偉そうにしてもって気持ちがどうしてもあるんだと思います。でもまあ、ミランダさんがそう言ってくれるのは素直に嬉しいですし、だからこそ何か役に立てることがあるなら頑張ってみようって思えるわけですよ」
「なんだか、それがコウヘイ様らしさだと思うと何も言えなくなってしまいます。勇者様の仰る通りのお人なんだなぁって。国王様や勇者様に頼られるぐらい頭が良くて、一人で魔物や盗賊をやっつけてしまうぐらい強いのに、優しくて思い遣りがあって、自分よりも人のことばかり優先させている。まさか使用人のわたし達とまで平等でいようとするなんて」
「あんまりそういう自覚はないんですけどねぇ……」
人より頭が切れる自負がちょっとはあるけど、間違っても強くはないだろうし、そこまでの善人扱いをされる程お人好しだとも思ったこともない。
きっと仲間や友達とそれ以外という概念しかないからそういう印象になるだけだ。
基本的に他人のことは大して気にしない性格だし、主人とか使用人という関係なんて無いのが当たり前だったからこそミランダさん達を仲間の括りにすることでそう思われているのだろう。
言葉にして説明するのは難しいし、それはどうしたって僕の中での『普通』であってこの世界の『普通』ではない以上完全に理解してもらうのは無理なのかもしれないけど。
「それで、ですね……コウヘイ様はロールフェリア様の傍に仕えるのですか?」
あれこれ必死に納得してもらうための理屈を考えていたのだが、残念なことにその前に話が変わってしまった。
ミランダさんはどこか残念そうな顔をしている。
「どうなんでしょうね。王様の話や相談を聞いて欲しいという話で来ただけなのでどうなるかは分かりませんけど、どちらにしてもその宰相とかっていう役職を引き受ける気はないですから」
答えたものの、ミランダさんから特に言葉は返ってこない。
「まさかのノーリアクション?」
「あ、いえっ、ごめんなさい。なんだか複雑だなぁと思って」
「複雑というのは?」
「もしコウヘイ様が宰相様になってロールフェリア様の傍に居ることにしてくれたら……ずっと同じお城にいることが出来るのにって思う気持ちもあるんですけど、わたしなんかじゃ手が届かないお方になってしまいそうな気がして」
「それは大袈裟ですって。あまり長い間滞在することも出来ませんし、お姫様の補佐役をするにしたってそれは限られた期間のことですから」
「その時が来たら……コウヘイ様はコウヘイ様が暮らしていた世界に帰られるんですよね」
「それはまあ、さすがにずっと居るわけにもいかないので」
「こ、これは我が儘だって分かっているんですけど……わたしはコウヘイ様がずっとこの世界で居てくれると、嬉しい……です。それで、わたしもずっとお側にいられたら……」
途切れ途切れの言葉を最後に、ミランダさんは俯いてしまった。
暗くて見た目に判断は出来ないけど、照れて顔を赤くしているのだろうなと容易に分かる。
そしてまた僕はリアクションに困ってしまう。
これはもう尊敬とかそういう話じゃなくなってきてしまっている気がするのだけど、ではどう答えればいいものかは僕のどんな経験を引き出してみても分からなかった。
「ずっとというのは難しいですけど、僕は夏休み中ですし出来るだけはこっちにいますから。それに帰ったからといって二度と会えないわけじゃないですよ」
そう答えるのが精一杯な僕だけど、それでもミランダさんはらこちらを向いて、
「はい、そう言ってくださっただけでも勇気を出した甲斐がありました」
照れ笑いを浮かべながらも顔を上げてくれた。
少し男として情けない気になるけど、人と人との関係であっても求められた姿、立場がどんなものであっても、今の僕は頑張ってもこんなものだ。
周りが僕を過大評価するなら僕は等身大の自分を冷静に見つめて出来ること出来ないこと、出来る様にするために何をするべきかを判断して臨む。それがこの世界での僕の在り方でありここにいる意味なんだから。
とはいえ、僕も普通に照れ臭いので話を切り上げることにしよう。
「そろそろ部屋に戻りましょうか。風呂上がりには少し冷えますしね」
気を取り直す感じで言ってみて柵から手を離すと、ミランダさんは今度こそ本当の笑顔で気持ちの良い返事をしてくれた。
分からないこと、危ないこと、怖いことだらけのこの世界で、僕の傍に居てくれて、僕の隣で笑ってくれるミランダさんやセミリアさんが変わらずそのままで居てくれるように三度目の異世界も頑張ってみるか。
なんて自分に言い聞かせつつ、ミランダさんと一緒に屋上を後にした。