【第四十六章】 不死王リッチ
扉の外へ避難した僕達は、すぐにキースさんの治療を行った。
腕や肩、腿には二本の牙が突き刺さった生々しい傷がいくつも残っており、血が流れているだけではなくその箇所の周辺が赤黒く変色している。
幸いにもナディアの門によって傷を負う前の状態に戻しているので手を翳した部位から次々と傷その物が消えて無くなり、一つずつ元通りになっている状態だ。
「ヴィクトリア、痛みは引いたか?」
それでも心配さが心の片隅に残りつつ、皆でナディアの治療を見守る中。
エルに代わって体を支えているエーデルバッハさんが傷のあった部分を指で撫でた。
「ああ、お姫様のおかげでな。傷もそうだが、噛まれた所が熱くなってきてやがるのが厄介だよまったく」
「毒か」
「間違いなくな。思ってたよりも本体に到達するまでの深さがある、上半身を狙うには頭を狙わないと難しいだろうぜ」
「だがそうなれば危険も増す。全長からして蛇が届く可能性もあるだろう」
「つまりは噛まれる前に術を発動しなきゃならねえってわけだ。とっておきと言っておいてなんだが、あの野郎をこの方法で落とすのは無理があるな」
「危険は見た目から分かっていたはずです。どうしてあんな無茶を……」
思わず会話に割って入る。
あれはさすがに無茶は厳禁という方針から逸脱している無謀な試みだと言わざるを得ない。
「蛇の動向や性質を知らずに帰っちゃ火を吹くって以外に情報もねえし、私の奥の手を使うにしても考える余地があると分かっておいた方がいいだろうと思ってよ。武器でどうこう出来ねえあんなのが相手じゃ私に出来ることなんて限られてっからさ」
「そうだとしても捨て身が過ぎるぞ。せめてゴーレムが動きを止めている間にやれば危険も少なかったろうに」
エーデルバッハさんの言う通り。
試さずに撤退するのを良しとしなかったのはどちらかと言えば僕への配慮だと分かってはいる。
だけど危険を承知で突っ込むならこっちの攻撃や足止めが生きているタイミングの方が多少はマシだったはず。
「いやあ、そのタイミングじゃそっちの邪魔になるかと思ったし、ゴーレムが投げ飛ばされた時点で撤退って言われちゃ試してみることも出来なかったしよ。ま、無事だったから結果オーライってことで」
当の本人が笑い飛ばすのだから豪胆な性格である。
回復魔法じゃ傷は多少塞げても毒は消せないという話だけに、ナディアが居なかったらどうなっていたことか。
「何はともあれ、残る扉は二つですね」
キースさんが無事回復したことにホッと一息。
その横でレイラが冷静に現状の確認を僕に投げ掛けた。
順に回るのは最初から決まっていたことで、どんな方針であれ確定事項ではあるのだけど随分と時間が経った気がする。
ノームとの戦闘を回避したとて七連戦プラス天帝との最終決戦という工程なのだ。
勝つことを目的としない戦いでこれだけ時間を要し、敵味方問わず一挙手一投足に神経を注いでいるせいで体力的のみならず精神的な疲労もさすがに皆無とは言えない大変さがある。
動き回ることもない僕が疲れたとは言えないし、どちらかというとメンタルの消耗の度合いが大きいとはいえ早期撤退を繰り返し、全員が無事でいてこんな状態なのだから命懸けの旅の過酷さもここに極まれりという感じ。
「そうだね。残っているのが【不死王リッチ】と【鋼鉄のタロス】という、なんだか名前からしておっかなそうな感じなのが懸念点ではあるけど……」
「んなもんちょっと見た目が違うだけで大して変わんねえって。ドラゴンよりやべえもんは出てくるわけでもないだろうしよ」
「そろそろデカさにも慣れてきたしね!」
我等がお気楽コンビ、キースさんとエルは全然気になってなさそうだ。
今まさに毒蛇に噛まれまくった人がそんななのだから逞しいにも程がある。
そもそもの話、他がどうであれ【不死王リッチ】に関しては絶対に慣れで解決する相手じゃない気しかしない。
全員で聞いていた話なので忘れていたりはしないと信じたいところけど、亡霊ってはっきり言われてるからね?
「エル~、慣れたからといって油断しちゃ駄目ですからね~」
「分かってるもん。でも飛び回ってるだけなの飽きた!」
「ある程度は同じ段取りを繰り返すのも仕方あるまい。順に試していって結果がどうかを知るためにやっているのだ、いちいち文句を言うな」
「文句言ってんのはお前だろ」
「ああ?」
「べーだ」
せっかくウェハスールさんが気を引き締め直そうとしてくれたのに、違う方向にピリピリし始めた。
もはや日常茶飯事なので誰も諫めたり割って入ったりはしない。
ウェハスールさんですら呆れた表情を浮かべるだけで話を中断することもなかった。
「喧嘩する元気があるなら大丈夫そうですね~」
「だといいんですけど……」
正直、僕が甘えたことを言っていられないと泣き言を飲み込めばそれで済む問題とも言い難い。
キースさんの怪我を抜きにしても表情や態度に出さないだけで個々の様子から少なからず疲労の色が薄っすら伝わってきている。
巨人やドラゴンと立て続けにやり合い続けては誰だってそうなるだろう。
ただ歩くだけのことなら僕よりも遥かに体力もある人達だとしても疲れていないわけがない。
だけど皆がわざわざそれを言葉にしないのは士気を下げる無益さと敢えて口にする意味も無いと理解しているからだ。
「クロノスによるといずれも異名から想像出来る通りまともな巨人、つまりはただの大きな人間とは違っているとのことです。それこそ先程のテュポウスの様に。ここでまた大きな消耗をすると天帝との闘いに影響が出るのは必至。今までも長くは戦う時間を与えられませんでしたが、更に交戦の時間を削る前提でいてください」
さすがに他の面々もやむを得ないと感じているのか、特に異論反論は無い。
いくつかの同意や無言の頷きが返る中、不意に背中へ小さな衝撃と負荷が掛かった。
それが人の体重であることを感覚的に理解し咄嗟に両腕で落下してしまわない様に支えたものの、その上で何事かと首を後ろに向けると何故かエルが僕の背中に負ぶさっている。
「どうしたのエル?」
「あたしはまだまだ元気だからね。困ったらあたしを頼るんだぞ!」
「うん、ありがとう」
疲れていない、つまりはまだ動けるというのは事実なのだろう。
それでいて僕が判断に困らない様に背中を押し、必要なら何でもするよと示してくれているのだ。
「私も同じです。何なりとお命じください」
すぐに同調の声が続く。
こちらはレイラだ。
同じく自分で決めたことを押し通してくれという意味であり、指示があればそれに従うので遠慮はしなくていいという意思表示だと言えよう。
こちらは素直で取り繕えないエルと違って無理でも無茶でも同じことを言いそうなので判断が難しいのだけど……。
「頼りにしてるけど、無茶はしないでね」
「は」
分かってくれたのか、そうでないのか。
これも結局は同じ返事しかしてくれなさそうなので判断が難しい。
とはいえ今それに言及している場合でもないのでゆっくりと背中のエルを下ろし、改めて全体を見渡した。
のだが、二人だけではなく個々へも確認をしようとする僕の前でそれを代わりにしてくれるのはやっぱりレイラだった。
「オルガ、ミュウ、お前達はどうだ? 疲労があるなら……」
「問題ありません」
「私も魔法力しか使ってないし大丈夫でーす♪」
「よし、天子様はお疲れではありませんか?」
「ええ、わたくしは特に何もしていませんから」
「体力的にそうであっても、精神的に辛いなら外で待機でもいいんだよ? 回復が必要な時は急いでここに運べばいいわけだし」
「お気遣いありがとうございます王子。ですが、そういうわけにはいきません。戦闘のお役に立つことは出来ませんけれど、王子と共に最後まで傍で見守り生死を共にする責任がありますから」
「……分かった」
強い意思の感じられる目が真っすぐに僕へと向いている。
これは説得しても意味を成さないな。
「姉さんも何か体調に変化があればちゃんと言ってくださいね」
「大丈夫ですよ~、こう見えて体力はそれなりにありますので~。杖のおかげで魔法力の消費も通常よりは抑えられますから~」
「分かりました、では行きましょうか」
ウェハスールさんも問題無いという申告で、最後にレイラがシロにも確認したところで次なる扉へと向かうことに。
守護星の皆さんが持つそういう感覚はまだ分かっていないけど、ユノ一家における頭脳かつ司令塔を担うウェハスールさんの方は大丈夫だろう。
のちに事故に繋がる可能性がある中で見栄を張ったり強がったり、ましてや同調を重んじて自らの不具合を隠したりするタイプではない……はず。
僕のイメージや印象と言われればそれまでだけど、それよりも明確に国防のための部隊であり雰囲気的に『甘えたことは言うな』みたいな空気の守護星の方がそういう意味では心配だけど、まあ仲間意識は強いしキースさんやノワールさんが無理矢理平気な顔をするタイプとも思えないので今は信じておく他あるまい。
何はともあれそんなわけでレイラを先頭に扉を潜っていく。
足を踏み入れた瞬間には敵の姿が見えず、疑問の声がちらほらと続いたところでどこからともなくその敵が目の前に現れた。
「やっぱそういうナリをしてんのかぁ……」
「お化け!」
例によって素直な二人の感想が最初に漏れる。
突如空中に姿を現したのはエルの言葉通りお化け、言い換えると幽霊としか表現する言語が見つからないぐらいにお化けな何かだった。
巨人と呼ぶ程の体長でこそないものの、それでも軽く三メートルはあると思われるサイズ。
黒いローブで全身が覆われており、フードも被っているため外見の特徴はほとんど把握出来ないが、それでいて顔面はどう見ても髑髏になっていて皮膚も眼球も存在せず、手にはおどろおどろしいデザインの外見と同じく黒く長い杖を持っている。
脅威や危険度から抱く怖さや警戒心とはまた違う意味での恐怖や不気味さ、不吉さが死の予感をより強く胸に抱かせていた。
もはや二択なので間違う理由は無い。
あれが【不死王リッチ】なる分身体だ。
かつての天鳳こと不死鳥との闘いに挑む際にもひっそり思ったことだけど、何をどう間違えば不死いう名を冠する相手を倒そうとしなければならないんだろうか……倒せないから不死なんじゃないのって感じだよほんと。
「ご主人様、どうなさいますか? 仕掛けてよろしければ先陣を切りますが」
巨人、いや亡霊は未だ宙に浮いたままこちらを見下ろしている。
先程と違っていきなり攻撃されないのはありがたいが、実際にアレを前にして良い案が思い浮かぶなんてことは全然無い。
そんな中でもレイラが左腕の門をジャキンと鳴らすと、全員が武器を構えた。
「奴の話では物理攻撃は効かぬという話だったな」
「はい。それから闇魔法を扱う、と」
エーデルバッハさんが口にした情報も然り、勿論それ以外に関しても前夜に話し合いはしている。
闇魔法について詳しく知っている人はおらず、アンデッドだとか上位魔族が扱える人間には習得出来ない類いの魔法だという情報しかなかった。
他にある情報はというと魔法はある程度通用するはずだということ、それから弱点は火や光魔法であるとぐらいか。
光魔法は基本的に聖職者が扱う力であるらしい。
回復や治療、解毒や解呪の類がそれにあたり、攻撃に転用出来る者は稀な存在だとも聞いた。
そういう人は国に仕えたりはしておらず、教会の偉い人の護衛とかに従事しているのだそうだ。
「現状の僕達の中では、炎を扱えるのは姉さんしかいませんよね」
「ではわたしが攻撃役をするということでいいですか?」
「いや……物理攻撃が効かないとあればゴーレムで足止めも出来ないということになります。エーデルバッハさんやシロであれば魔法を含んだ攻撃が可能でしょうけど、あちらも武器を持っている上に魔法を使えるとなると物理的なコンタクト無しにおいそれと試してみることが正しいかどうか……」
霊体であるがゆえに攻撃が通じない。ならば何が有効で必要な手段かと問われたならば、真っ先に思い浮かぶのはアイミスさんの煉蒼闘気だ。
魔法の要素を含む多様な攻撃手段を備えている集団だとはいえ、最も重要な対抗手段であったゴーレムは使えず、そうなると魔法の応酬となった場合に直接攻撃を受けることになる。
単なる炎だの雷だのとは異なるその正体不明の闇魔法と対峙する上でその状況をどう捉えるかだけど……。
「ちなみにですけど、闇魔法を防ぐ手立ては?」
「同等の威力の魔法をぶつければ相殺は出来るだろうが、覚醒魔術と同じく効果の幅が大きいがゆえに初見で予測するのが困難な魔法の筆頭だ。純粋に殺傷を主とするものもあれば毒、麻痺、呪い、身体能力の低下や魔法力の吸収など人知を超える類いの物も多い」
エーデルバッハさんの説明が事実ならば、そりゃ初対面の状態で事前に対策など出来るはずもないという感じである。
既存の魔法と違う覚醒魔術や門を含む魔法の効果を持つ武具ですら能力を把握出来ていなければその場で対処する以外に方法は無い。
それを痛感したのがかつての魔王軍や帝国騎士団との闘いであり、だからこそ当然の認識として自分の強みたる能力や長所を無意味に周知させないわけだ。
「仮にそういった魔法を食らった場合、ナディアの門で効果を消すことは?」
「身体の一部に症状が現れるのであれば魔法を受ける以前の状態に戻すことは可能です……が、全身を毒に侵されたり、呪いで体が不自由になったりという類の効果であれば難しいと思います。以前お話しましたが、この門が持つ力の本質は局部的な時間の逆行。手を翳せる範囲にしか効果が及びません」
「さっきのは蛇の噛んだ跡から毒が回り始めていたから出来た、と。であれば……さすがに無事に戻れる算段が立たな過ぎるのではないかと僕は思います。ここはもう諦めるのが最善じゃないかというのが本音ですけど、もしも異論があれば相手が動く前に聞かせて下さい。これを試してみたいだとか、こうすれば何とかなる、といった具合の」
特に返答や反応は無い。
あのエーデルバッハさんですら不満そうな態度や表情を見せていないことが事の深刻さを表している感じだ。
事前の情報擦り合わせの時から誰もがそんな反応だったっけか。
アンデッドや死霊の類はそれほどまでに戦うべきではない相手、というのがこの世界での常識らしい。
ここにきて戦闘の時間がゼロになるという情けない結果にはなってしまったけど、ドラゴンの時と同じく勝つか死ぬかというシチュエーションを避けている以上は致し方あるまい。
繰り言になってしまうけど、あくまで最優先事項は天帝を倒し、次の挑戦権を持ち帰ることなのだから。




