【第二十八章】 強敵と書いて処刑
~another point of view~
他の二組と同じく、三人は静かに扉を潜り奥にある空間へと進んでいく。
翼の生えた魔人の銅像が立つ部屋に待つ番人との戦闘に挑むのはオルガ・エーデルバッハ、ヴィクトリア・キース、ケイティア・ウェハスールの三名だ。
もう一方の面子とは違って不安げな顔も、敵の強さや姿形に対する関心の無さを示す表情もそこにはない。
どちらかと言えば意気揚々と自身に満ち溢れている顔色が過半数を占めている中で、やはり冷静に状況の把握に努めようとするのはウェハスールただ一人。
視線を左右に往復させ、いかにも異質な空間を演出している広くゴツゴツとした風景を隅々まで見渡している。
「どうなってんだこりゃ、普通に考えてこの広さはおかしくねえ?」
対照的に先頭を歩くキースは後頭部で両手を組んだまま、暢気な感想を漏らした。
既に標的となる怪物の姿も捉えてはいたが、それでいて特に気持ちを切り替えることもない。
予め聞かされてはいたものの四つ並んだ扉の先に存在出来るはずのない広さを実際に目の当たりにすると不可思議以外に感想も浮かばず、同意を求める様に隣を歩くエーデルバッハに肩を竦めて見せた。
「空間拡大の類だろう。それりも、この乱雑に散らばっている岩の方が気になるところだが……」
「確かに、これじゃ動き回るのにも苦労しそうだな」
周囲には高低も大小も様々な岩が散らばっている。
地面が見えている部分の方が面積としては小さいのではないかというゴツゴツとした岩場が辺り一帯に広がっているため死角も多く、言い換えれば障害物となっているため白兵戦には不向きな地理条件であることは明白だった。
四体の番人の中で最も戦闘力が高い個体。
そう説明を受けた化け物とは一体どの様な姿形をしているのかと、三人の視線が一点に注がれる。
無数に転がっている岩のせいで奥にある出口付近の様子を把握することは出来ないが、最深部の壁の傍にある一番高く大きな岩の上に異形の生物が存在している事実を理解していない者などいない。
当然ながら番人である怪物も侵入者の存在を同時に把握しており立ち上がったまま遠くから三人を見下ろしていた。
【魔神パズズ】と呼ばれる生物であるその何かは到底この世の物とは思えぬ風貌と妙に好戦的な表情で遠巻きながら明確に三人を威圧しているだけで動く気配を見せない。
ライオンの頭部を持ちながら二本の足で立っている様はさながら人型の生物であり、両腕を含めた上半身はその頭部と同じく橙色の体毛に覆われた獣の肉体であることが分かる。
それでいて下半身は大型の猛禽類の様になっていて、太いだけではなく鳥類独特の鋭い鉤爪がきらりと光り、更に背には同じく鳥類が持つ物と似た黒く大きな翼が左右に二つずつの生えているという人と獅子と鳥を混ぜ合わせたかの様な姿をしている未曾有の存在。
そんな生物を前に岩の合間を進みある程度距離が縮まったところで傍にあった岩に飛び乗り、キースが腰から武器を抜いた。
ここまで抜く機会も無いままであった、根本よりも先端の方が刀身の面積が広い特殊な形状の刃物だ。
「どういう生き物かは知らねえけど、ブチのめして鍵を奪うことに変わりはねえ。サクッと終わらせたいところだが……どうするよオルガ」
呼応する様にウェハスールも杖を構える。
すると同じくそれに反応し、パズズはバサバサと何度か翼を前後に動かし羽音を響かせ、そのまま岩の上から飛び立ち緩やかに滑空しながら中央付近にある別の岩の上に着地した。
接近したことに強固で分厚い肉体や太い手足、鋭い爪の凶悪さをよりはっきりと認識させている。
体格こそ大柄ではあっても規格外というレベルではなかったが、重量感のある体躯は腕力という点においても人外の域に達していることも。
「確かに強い、それは見れば分かる。だがそれだけの話だ」
「うち等の流儀に当て嵌めるなら、強敵すなわち即処刑ってなところか」
「そういうことだ。サッサと片付けて隊長の元に向かうぞ」
「へいへいっと。ぶっちゃけこっちに来てから何もしてねえしな、久々の強者にテンションは上がるけど……いつまでもこんな穴蔵の中ってのもいい加減息苦しいってなもんか。姉ちゃんもそれでいいかい?」
「戦って勝つ以外に先へ進む方法は無いので概ねは異論はありませんけど、うちの弟から聞いた話の内容はちゃんと頭に入れておいてくださいね~。パパっと片付けて合流しよう、なんて慢心は皆を危険に晒す可能性が増えることだと理解しておきましょう~」
「……そこまで愚かではないつもりですが」
そう言いつつも、どんな敵であれ取るに足りないと断じる癖を自覚しているエーデルバッハは人知れず油断や慢心を捨て去っていた。
奇しくも守護星の中では唯一好戦的な二人がこの場に揃っているのだ。
戦闘というだけで気分は高揚し、それでいて己の力に対する自信が敵の強さに比例して自尊心を露わにしていく。揃ってそういう性格をしている自覚が確かにあった。
「ま、確かに私とオルガは守護星の中じゃ戦闘になると周りが見えなくなるタイプだからなあ」
「それはお前だけだろう。一緒にするな」
「そうかあ?」
「どちらでもいいですけど、どういう役割分担でいきましょうか~」
「姉ちゃんは武器も持ってねえし、後方支援を頼むよ。私等の門は戦闘向きだし、私等なら中距離も接近戦もこなせるからさ」
「エーデルバッハさんは構いませんか?」
「無論です。私とエリザベスが揃っていて負ける相手などいません」
「力量を疑っているわけではありませんので気を悪くしないでくださいね~」
「その様に受け取ってはおりませぬ、お気遣いは不要です。最大限安全を確保し、こちらに構わず魔法を駆使していただければ。もっとも、その隙や必要性があればの話ですが」
「頼もしいですね~、諸々了解しました」
「よし、では行くぞエリザベス!」
「応よ!」
二人はすぐさま前に出る。
左右に分かれ、傍に会った小岩に飛び乗るとまずはエーデルバッハが先制攻撃を仕掛けた。
「【一の氷術……氷の弾】」
一層鋭さを増す目が向けられると同時に翳された右手から氷の塊が無数に飛んでいく。
大きさこそ小石程度ではあるが生身で食らえばダメージの残る威力と強度を持っている攻撃を数十と連射出来るのが長所である一つ目の能力だ。
対するパズズは慌てる様子を微塵も見せず、背中の立派な翼を前後に大きく動かすことで風の魔法を生み出し、全ての氷弾を辺りに散らせてみせた。
「ほーん、これが若旦那の言ってた風か。オルガの攻撃とはだいぶ相性が悪いんじゃね?」
「炎だか熱だかを扱う時点で相性ならそうではあるだろう。だがその様なものは頭を使えばどうとでもなる」
「あんたの能力ならそうだろうが、お膳立てをするかどうかは臨機応変にってところだぜ? 私が先に仕留めても恨みっこなしだ、今のままじゃ単なる数合わせだからな。そろそろ良いとこ見せねえとよ」
「好きにしろ。目測を誤って同士討ちをする様な間柄でもないだろう」
「おっけ、そうと決まれば早速行きますかねっと!」
先制の攻撃は意味を成さず、パズズは未だ警戒態勢ではあっても臨戦態勢ではない。
ならばその気にさせてやると、対照的に気分の高揚を隠せない楽しげな笑顔を浮かべるキースは単独で飛び出し、岩を乗り継いで一気に迫った。
その最中に両手に持ち替えた武器は独特で特徴的な刀身の広い刀だ。
対するパズズは飛翔することなく迎え撃つ態勢を取っている。
何が飛び出してくるかも分からないままでありながらもキースは迷い無く真上から斬り掛かった。
躱して反撃に移るか、魔法を放ってくるか、はたまた飛行能力を使って距離を置くか。
いくつもの想定を頭に浮かべ、更に先の展開への対処を即決即断する準備をしていたキースだったが、生み出した結果はそのいずれとも違っている。
ただ開いた右手を突き出し、掌底をぶつけることで力一杯振り下ろされた刀を弾き返してみせたのだ。
「っ!? マジかよ!」
よもや素手で防がれるとは思いも寄らず、加えて武器が弾かれたことでキースは二の矢を繰り出す術を失う。
更に悪いことに着地と同時にパズズは逆の手を真っすぐに突き出し、鋭い爪で首筋を狙った。
「……ちっ」
元来どんな相手であれ積極的に仕掛け、攻防を重ねることで勝機を見出す戦闘スタイルが主のキースであったが、それゆえに優劣問わず常に冷静さを備えているのが癖になっている。
その性質が幸いし、反撃を受ける直前に距離を取るという選択に踏み切っているため紙一重のところで鉄をも削る鋭利な爪から逃れ、後方へと飛び退いていた。
遠ざかり、岩と岩の間に落下していくキースに対してパズズは追撃を仕掛けない。
それどころか入れ替わりで迫り来る氷の矢を躱す選択を優先し、真上に飛翔することで自らもその場を離れた。
初手に放った氷の弾と比べると明確に質量と殺傷力が増した攻撃であるとはいえ、別の角度からの不意打ちを察知する反応速度と視野、そして即座に切り替える知能、或いは経験を持っていることを感じ取ったエーデルバッハからも舌打ちが漏れる。
三つの視線が見上げる上空。
パズズは間髪入れずに攻勢に転換し、飛翔状態からより大きく激しく翼を暴れさせた。
瞬く間に突風が吹き荒び、辺りに砂や小石を舞わせる。
身を隠していなければ直立を維持することすら困難な強い風圧に三エーデルバッハ、キースはパズズに迫るどころか岩の陰から安易に飛び出ることが出来ない。
そこで唯一咄嗟の行動に出たのはウェハスールだ。
目を開いているのもやっとの状態でありながら後方でパズズの正面に移動すると、杖を上空に向け風の魔法を放った。
精霊の杖に効果によって魔法の威力は底上げされ、上級魔法に近しい規模に昇華してこそいたが相殺するまでには至らず、衝突し合う風は荒れ狂う突風の規模を弱めるのが精一杯だ。
それでも行動不能を強いる効果は半減したことを感じ取ったパズズはすぐさま別の手段へと切り替える。
一つ咆哮を響かせると、次に上空から繰り出したのは熱を帯びた風だった。
四つの翼から生み出される高熱の波は空気と混ざり合い瞬く間に一帯を覆って行く。
まともに浴びるのは不味いと判断したウェハスールは魔法を撃ち出すことを止め、再び岩の陰に身を隠した。
ほとんど同時に少し離れた位置からキースの声が響く。
「あっちいなオイ! オルガ!」
「先の像といい、本来はこういう用途ではないのだがな……【二の氷術 氷の結界】」
発動の詠唱と共にエーデルバッハの手から薄白い霧が射出され、辺りに舞った。
通常であれば霧状になった氷を周囲に散らせ、物理的な接触を感じ取ることで探知魔法の役割を果たす能力だ。
それでも超低温の気体であることに違いはなく、熱風を打ち消すには十分な効力を発揮する。
その結果、高熱と霧状の氷はすぐに混ざり合い生温い空気だけを蔓延させた。
触れても問題の無い温度まで下がったことを肌で感じると、この瞬間こそが仕掛けるべきタイミングであると判断した二人はすぐさま岩の陰から飛び出し素早く距離を詰めていく。
岩に飛び乗り、左右から迫る二人。
どれだけ多彩な能力を持っていたとしても同時に複数人を相手にする対応力は持っていないだろうという推測は足止めに近い魔法を繰り出してきたことから導き出されたものであったが、それゆえにあらゆる力を駆使した上で各個撃破を狙う戦術に出るのは当然の帰結でもあった。
パズズは予兆無く急降下を始める。
武器を所持していないエーデルバッハ一人に標的を絞り、直接叩きに出たのだ。
「【氷の槍】」
エーデルバッハは一瞬にして目と鼻の先まで迫るパズズに向けて氷で作り出した槍を放つ。
双方が距離を置くきっかけともなった数本の槍は氷の弾よりも太さ、重量のある殺傷力重視の能力だ。
最初に駆使した際に迷わず退避したことからこの威力があればキースの刀の様に肉体一つでやり過ごすことは困難だと見越した上で迎え撃つ選択をした。
しかし、即座にその目算は誤りだったと知ることとなる。
エーデルバッハとの距離を詰めるパズズに軌道を変える気配はない。
ただ腕を横一線に振るい、鋭く長い爪で氷の矢を弾き飛ばすことで難なくやり過ごしたのだ。
ダメージを与えられずとも相手に対応を強いることで戦闘の流れの中で主導権を維持するという目論見はあっさりと打破され、それによって逆にエーデルバッハが窮地に陥る。
速度を落とすことなく距離を潰したパズズは直接肉体を狙い、勢いよく右腕を突き出した。
その爪が鉄をも抉るという前情報を持つエーデルバッハは胸部から腹部に掛けて分厚い氷を張ることで防具の代用としつつ、接近戦に応じるべきではないとやはり退避を選んだ。
しかし滑空による速度の差もあって完全な回避には至らず、腹部を捕らえた爪は難なく氷の鎧を貫き、勢いのままエーデルバッハの肉体を弾き飛ばす。
「エーデルバッハさん!!」
腹部への衝撃に僅かながら表情が歪む。
すぐさま杖を構えるウェハスールの声が響き渡るが援護は間に合わず、今まさにエーデルバッハを切り裂かんとするパズズのもう一方の腕が振り抜かれようとしていた。
脳裏を過ぎる最悪の光景は初撃で戦闘不能状態に陥ったという前提によって生まれている。
だがその焦燥の幻想は現実とはならず、辛うじて膝を折ってその追撃を躱したエーデルバッハはそのまま転がる様に足場である岩から落下し今度こそ距離を置くことに成功した。
それでもパズズは更なる追撃を仕掛けるべく即座に姿勢を低くし、今にも飛び降りようとしている。
寸前でそれを阻止したのはウェハスールだ。
繰り出された雷撃の魔法はまともにパズズに直撃し、踏み出し掛けた足を含む全ての動きを止める。
魔法に強い耐性を持っているため大きなダメージを与えることはなかったが確かにエーデルバッハへの追撃を諦め、代わりに見開かれた目がウェハスールへと向けられた。
「余所見してんじゃねえ!!」
現状では数の利を生かす他に手立てはない。
そう判断しているのは誰もが同じ。
ゆえにキースは向かう先から大きく離れたパズズを追い掛け、直接攻撃を仕掛けた。
他の二人に意識が向くタイミングが生まれたことで慎重さも消え失せ、迷い無く真横から武器を突き立てる。
キースの持つ門の特性から明確なダメージを与えられずとも接近すること自体が狙いに含まれていたが、寸前で何か不穏な気配を察したのか、或いは雷撃を受けたばかりであるため複数人を同時に相手にする状況を嫌がったのか、パズズはキースの存在を認識すると一歩大きく横に跳ねて刃を躱しそのまま上空へと逃れ武器や魔法が届かない距離まで遠のいていった。
「クソ!! チョロチョロ逃げ回りやがって!!」
またしても手の届かない位置で三人を見下ろすパズズと逆にそれを見上げる三人という構図が出来上がる。
肉体の強さのみならず絶対的な制空権の維持であり安全圏へ退避する術を持っていることこそが最大の強みである異形の生物が持つ更なる強みは、その状態にあっても広範囲に攻撃を繰り出せる多様な能力の幅にあった。
三つの視線の先、パズズは三度翼を鳴らし巻き起こした風を前方全てに降り注がせる。
暴風とも熱風とも違った、鋭い刃に成り代わるかまいたちだ。
風の太刀はピシピシとそこかしこで音を立て周囲の岩に亀裂を刻んでいく。
またしても全員が岩の影に隠れやり過ごしていたが、広範囲に及ぶ攻撃であるがゆえに隙間も大きく、僅かな間を利用してウェハスールがエーデルバッハへと駆け寄った。
「エーデルバッハさん、傷は!?」
「この服は防刃仕様です。精々殴打された程度の痛み、ご心配には及びませぬ」
「……よかった」
「しかし、強さという意味であるかはさておいても聞いた話の通り厄介な相手ではあるようです」
「おい、くっちゃべってねえでこれどうにかしてくんね!?」
一人別の位置にいるキースの声が響く。
ひとまず行動の制限を優先したのか、膠着状態を強いることで炙り出そうとしているのか、パズズが別の手段に移る気配はない。
「どうにかしたいのは山々ですけど~、攻撃を仕掛ける度に飛んで距離を置かれては困りますねぇ……」
「奴をこの地に引き摺り下ろす、それさえ出来れば仕留めることは容易。長官殿もそれだけを考えてくださいますよう」
「分かりました~……というか長官殿って」
ケイティア・ウェハスールのユノ王国における肩書は政務長官である。
よく知っているなという驚きと、そういう名で呼ばれたことがないために生じる戸惑いが呆れ顔に現れていた。
しかし、今はそんなことに言及している場合ではないと切り替える。
「ふぅ……わたしはお二人に合わせて動くことも難しいかと思いますので後のことはお任せしますよ!」
反応を待たずウェハスールは真上に杖を向ける。
次の瞬間、上空を中心に白煙が辺りを包んだ。