【第二十二章】 修羅場のち親子仲良く
バターン! という騒音が予兆無く意識を引き摺り起こした。
心臓が跳ねたのではないかというレベルの驚きと焦りが強制的に目を開かせ、首から上だけを動かして重い瞼の隙間から周囲を見渡していると、出入口の方から見知った顔がズンズンと大股で詰め寄って来る姿が見える。
かと思うと、僕が寝ているベッドの脇で立ち止まりこちらを見下ろした。怒りの形相を浮かべた、ナディアが。
「お母様!!」
幸いにも、と言っていいものか。その矛先はどうやら僕ではなく隣で寝ているウィンディーネさんに向いている様だ。
というか、こうなって初めて自分がそんな状態で眠っていたことを思い出し、言うまでもなく冷や汗は止まらない。
理由など語るまでもなく、見たままだとしか説明の言葉など存在しなかった。
並んで眠るウィンディーネさん素っ裸。僕も上半身裸。
まず間違いない。
昨日の夜と逆パターンで、人生で一番気まずい娘の登場シーンである。
「む……ナディアか、どうしたのじゃ大きな声で」
室内に響く大声によってウィンディーネさんも目を覚ました。
それでいて僕とは違い指で目を擦りながら普通に応対している。何なら大きな声を咎める意図まで含んでいそうな物言いですらある。
「どうしたじゃありません! どうして王子がここにいるのですか!」
「……うむ? ああ、少々借りておった。其方は寝ておったのでな、事後報告になったことは許してたもれ」
「事後って……まさか」
「ま、想像の通りじゃの」
蚊帳の外であることで余計に気まずさが増す一方でありながら、自分から発言する権利があるのかも分からず黙っていることしか出来ない哀れな僕。
そりゃそうだ、どんな言い訳も誤魔化す方法もここには存在しないのだから。
だというのに何故ウィンディーネさんは得意げなんだろう。
とか思っている間に布団が体の上からめくられる。
半ば強制っぽかったとはいえ、男女が全裸と半裸で同衾しているのだから社会的に死んだことが確定したのかもしれない。
どうしたって男の僕が、嫌々であったなどという主張をするわけにはいかないのだから。
「王子っ!?」
どんな軽蔑の言葉が飛んでくるだろうかとか、最悪ブン殴られても文句は言えないよなぁとか、そんなことを考えていると、とうとう抗議の目が僕に向けられる。
唯一言えるのは、怒っているというよりは拗ねている感じの表情だということぐらいか。
頬を膨らませるナディアは詰め寄るなり僕の腕を両手でつかみ、まるでウィンディーネさんから引き離そうとするかの様に抱き寄せた。
それがどういう意思表示かは無関係に、僕には言わなければならないことがある。
「ご、ごめんなさい……」
どれだけ必死に言葉を探してみても、もうそれしか言えない。
これは完全に僕が悪い……とは中々言い辛い部分もあるが、こういうことに対して他の誰かの責任にするのはさすがにクズ過ぎる。
半ば無理矢理に行為に及ぶことには幸か不幸かジャックで慣れつつあるのだが、これはあまりにシチュエーションが違い過ぎる。
だって母親だもの。
言い訳の言葉も、言い逃れする権利もないもの。
「落ち着け娘よ、説明なら妾がする。婿殿を強引に連れ込んだのは妾じゃ、責めてやるでない」
「む~……」
逆に悪びれる様子の欠片も無いウィンディーネさんは肝が据わり過ぎでしょう。
堂々とした態度が逆に反論みたくなってしまっているのか、ナディアも拗ねた顔のまま僕の腕を抱く力を強めるだけだ。
とはいえだいぶ恨みがましい目ではあるけど……僕のせいで親子仲が悪くなってしまったら、昨日の夜それをさせないために頑張っていた自分は何だったんだという話である。
「ひとまずレイラを呼んで参れ。話はそれからじゃ、その間に着替えを済ませておこう」
「もうっ、勝手ばかりなんですから! 行きましょう王子!」
「ちょ、ちょっと待って!? 服だけは着させてもらっても!?」
腕を引っ張られ、強引に外へと連れ出させる。
必死の訴えの甲斐あって? 服を着る猶予だけは与えてもらい、改めて廊下を早歩きで渡って二人でレイラの滞在する部屋へと向かうのだった。
その後ナディア一人が部屋に入り、レイラを連れて戻る。
着替えたりするだろうからという理由で僕は廊下で待機させてもらい、やがて扉の向こうから現れたレイラは普段の外行きの戦装束を身に纏っていた。
「ご主人様、おはようございます」
「お、おはようレイラ」
特に表情に変化はない。が、普段からそうなので正直心の奥にある感情は僕には分からない。
怒っているのか、呆れているのか、軽蔑しているのか、はたまた特に何も思っていないのか。
いずれの可能性もある様に見えるし、そのどれでもない可能性もある、いつもと変わらない表情だ。
扉越しに薄っすら聞こえてきた憤慨の声や今目の前にいるナディアの様子からして感情のまま事の次第を説明したっぽいけど、はたしてレイラはどう考えているんだろう。
当然ながら直接なんて聞けないんだけど……。
「其方等の食事もここに運ばせた、まずは座るがよい。レイラもじゃ」
そのままウィンディーネさんの私室に戻ると、促されるままミニテーブルを挟んで向かい合う。
目の前にはパンや紅茶が並んでおり、聞けば朝食は昨日みたく皆で並んで食べるのではなくそれぞれの部屋に運ばせているらしい。
そんなわけで四人がソファーに腰掛けることになったのだが、どういうわけか三対一の構図が出来ていた。
正面には女神っぽさ満載の白いドレスに身を包んだウィンディーネさん、そして僕が真ん中に座り両サイドをナディアとレイラに挟まれている形だ。
逃がすまいとしているのか、単に所有権の主張というかマウント的な意味なのか、いずれにしても気まずい立場に一切の変化が無くて辛い。
「そ・れ・で? お母様、納得のいく説明をしていただけるのですよね?」
未だご立腹のナディアの語気は強い。
親子だから、或いは親子なのに、そういう理由もあるにはあるのだろうが、一貫して僕を非難したり責めたりしないのはこの世界の在り方がそうさせるのだろうか。
実際に複数奥さんがいて、何ならレイラまで奥さんにしようとするぐらいだからそれがおかしなこと、悪いことではないという理屈は分かるんだけど、だとしても知らない所で勝手に増やしていいわけがないよね。
いっそのこと僕にも怒りをぶつけてくれた方がマシな気がするわけだが……せめて自分の口から話した方がいいのではと最初に口を開きかけた時に『王子は黙っていてください』と有無を言わさぬ眼光で封殺されてしまったのでもうギブアップです。
「ふむ、まずはどこから話したものか。昨夜、其方等が寝静まった後のことじゃ。食事の時間は大勢が居たゆえ面と向かって婿殿と話が出来ておらぬと思うてのう。今日にはここを発ってしまうとなると時間も限られておる。そんなわけで夜中に部屋を訪ね、連れ出したというわけじゃ。娘達が見初めた男が、どんなものかと確かめてみたくての」
「…………」
「…………」
「結論から申すなら正真正銘良い男じゃと言わざるを得ぬ、それこそ最高と言えるまでにじゃ。これ以上に評する言葉も見つからぬ、無論その愛らしさも含めての話じゃが……其方等が靡くのも大いに納得と言える程にの。褒められたものではないが、命を脅かす様な方法で脅しと警告を突き付けた。少々やり過ぎた感はあったが、それでも婿殿は弱音も泣き言も口にすることはなかったわい。それどころか命よりも、己の名誉よりも優先して考えるのは大勢の命や託された使命、そして其方等の無事と安全、それどころか妾と其方等の関係が壊れることを憂いて自分が憎まれ役でもいいとまで言ってのけよったわ、婿殿の代わりに妾が同行するという条件を突き付けた上での」
「当然です。王子がそういう方だとわたくしが一番よく知っています、それが逆に心配の種でもあるのですけれど……」
「そうじゃのう、さすがに己の優先度が低過ぎるのではと思ったのは否定出来ぬ。じゃがそれでも、久しく見ぬ英雄の資質をひしひしと感じた。良い男で、勇敢さ持ち合わせ、信頼に足る人柄を見せつけられた。お主等を率いる立場を託されるのも納得じゃと言わざるを得ぬ、昨夜聞いた英雄譚も然りな。そして何より、見目が良い!」
「……はい?」
「そこで妾は決断したのじゃ。ナディア、レイラ、其方等との結婚を母は認めよう。そのついでに妾も貰ってもらうことにした」
「なななな何を仰っているのですか! 何をどうすればその様な結論になるのです、どう考えてもそれはおかしいです!」
「よいではないか。妾も長らく独り身じゃ、何も問題はない」
「大ありですっ。どうして王子なのですか、娘から最愛の人を奪おうとでも!?」
「そうは言うておらん。親子三人仲良くこの男の物になって幸せにくらせばよいじゃろう? それとも何かえ? 母には幸せになる権利はないと申すのか? 二百年以上もの時をこの町の統治者として、やがては母として費やした。其方も立派に育ち、一人前となった。そろそろ妾にも一人の女としての幸せを求めてもよかろう?」
「そ、それを否定するつもりはありませんけど、であれば他の方を見付ければよいではないですか」
「其方はそれでよいのか? ん? どこからか連れて来た見ず知らずの男を其方は父を呼べるのかえ?」
「う……」
「レイラはどうじゃ? 其方はどう思う?」
「私は……ご主人様とお二人の双方が納得しているのであれば異論はございません」
「レイラ!? わたくし達二人の旦那様なのですよ!?」
「承知しております。しかし女神様も天子様が地上に出向いて以来お一人で過ごしてこられたのです。天子様をお守りする役目を託された私としましては、その辺りは斟酌してもよろしいのではないかと。無論天子様がご納得されるのならばという前提ではございますし、お二人が反対されるのであれば私も同じ立場を取るつもりではありますが……」
「もうっ、そんな風に言われたら反対し辛くなるじゃないっ」
「何も奪い合おうという話ではないのじゃ。親子三人、同じ男に惚れたのじゃと思えば其方の人を見る目が確かであったという証明にもなろう」
「む~……そもそもですよ? お母様は本気で王子の妻となる気があるのですか? 一時の感情やこの場限りの思い付きで言っておられるならわたくし達のみならず王子への冒涜です」
「軽蔑してくれるな娘よ。妾とて一人の女じゃ、その様なことはせんわえ。体の相性も最高じゃったしのう、婿殿もそう思うじゃろう?」
「いやぁ……そういうのはちょっと分からないですけど」
ここにきて初めて話を振られる空気な男、それは僕です。
ただ空気で居られればまだマシだったんだろうけど、たまにテレビとかでやっている不貞を咎められ社会的な制裁を受けさせられようとしている駄目夫の気分なので何というかもう聞かれたことに答える以外に発言権が無い感覚だ。
勝手にそういう立場なのだと思い込んでいるだけだと言われたらそれまでなんだけども。
「婿殿も反対などせぬじゃろう? こう見えて妾は一途に尽くす女じゃぞ? この百年浮ついた話の一つも無かったことが証拠じゃ」
「いやぁ……それはもう全力でやめておいた方がいいかと」
口を開く度に『いやぁ……』という前置きが情けなさに拍車を掛けている気がしてならない。
だけどこのおかしな話の流れを止めるには今しかないことだけは理解した。
「何故じゃ? 妾では不服かえ?」
「不服だとかという話ではなくてですね、娘さん二人が僕の奥さんになろうという状況でお母さんも一緒にというのは倫理的にいかがなものかと……」
「その様なものは問題にもならぬわ。一組の男女が存在し、女が目の前の男に人生を委ねたいと思えたなら添い遂げる理由など他に要るまいよ。ナディアも問うたが、何も遊び半分で申しておるつもりもない。娘を託すに足る男じゃと思えたからこその決断じゃ、一目惚れに近い感情を抱いたことは否定せぬがの」
「そう言われましても、こうも次から次へと奥さんを増やしていてはナディアも然り、待ってくれている人に申し訳ない気持ちもありますし、いい加減僕の甲斐性では手に負えなくなってしまいますので」
「何も他所から連れて来た女をそこに加えろと言うておるのではなかろ。ま、確かにその立場で考えてみればあちこちに女を作られてはつまらぬというのも事実。であれば妾で最後にすればよいだけの話じゃ」
駄目だ、この人全然引き下がる気が無い。
この一族、この親子特有の性質だとは思いたくないが……どういう言葉や理屈なら納得してくれるのだろう。
そんなことを考えたところですぐに答えが見つかるはずもなく、苦し紛れに取った行動はナディアに代弁してもらうという悲しい選択だった。
「ナディア……ナディアもお母さんに言ってやってよ」
「当然です。お母様、どうしても王子と一緒になりたいと仰るのなら条件があります」
「ふむ、聞かせてみよ」
「……ん?」
「お母様は三番目です、少なくとも我が家においては。決してそれをお忘れなきよう」
「え?」
そういう方向に進むの?
「はっはっは、生娘でもあるまいに順番などに拘ったりはせぬわ。元より娘を差し置くつもりはないが、そればかりは女の腕の見せ所じゃからのう。婿殿が妾を一番に据えたとて恨むでないぞ?」
「そんなことにはならないですっ。わたくしが王子の一番ですから」
「そうは言うがナディアよ、婿殿には他所にも妻がおるのじゃろう? 少なくとも我等親子が数と質の両方で婿殿にとっての一番にならねば立つ瀬も無いぞえ?」
「言われるまでもありません。ね、レイラ」
「は、私も元より持てる全てを捧げた身です。ご主人様が抱く全ての要望を叶えることが存在意義であり、誰よりもそれが可能であると自負しております」
「あら、レイラにしては挑戦的ですわね。王子への愛情はわたくしが一番ですよ? そうですよね、王子?」
またグッと腕を抱く力が増す。
何がどうなって論点がそんな所に行き着いてしまったのか。
結局その後、出発までに話したことといえばこれ以上増やさないでという要望というなの圧力であったり誰が最初に子供を産むだとかという話ばかりだった。
僕が黙って聞いていたのかって?
さすがにそこまで馬鹿じゃないさ。
ちゃんと今置かれている状況を鑑みて、無事に帰れた時にまた改めて話し合いをしましょうという提案にちゃんと首を縦に振らせたよ。
結局問題の後回しに他ならないし、今までそれで事態が好転したのかと言われれば怪しいところであるのは分かっているけど、過去のそれとは事情が違うのだからこの三対一みたいな状況で保留という結論に持ち込めただけ精一杯やったでしょと言いたい。
何故なら『既成事実』という言葉を持ち出されたら僕は沈黙するしかないのだから。