【第十九章】 親心
~another point of view~
晩餐会が終わりを迎えたのち、それぞれが宛がわれた部屋に戻り普段着に着替えて間もなく。
使用人の報告を受けた一行は旅の疲れを癒すべく、入浴の時間に歓喜していた。
ナディア・マリアーニを含むユノ王国一行に守護星の面々、加えて少々強引に同行を申し出た女神ウィンディーネと女性陣が勢揃いで浴場へと足を踏み入れようとしている。
広く、大きく、凝った意匠の豪華な浴場はいかにも特権階級のために作られた物といった様相をしているが、元よりウィンディーネは例外なく臣下に開放しているため身内を除く者達にとっても客人であるが故の特例というわけではなかった。
一同は一糸纏わぬ姿で湯舟へと向かって歩く。唯一の例外はシルキィ・パーシバルの両目を塞ぐ眼帯だけだ。
とりわけ国にこういった施設が無いキースやノワールは目を輝かせており、日頃ユノ王国の城で過ごしているため特にそういった背景は無いものの単に大人数であることにテンションが上がっているエルフィン・カエサルが大声で話しているため場内は賑やかな雰囲気に包まれている。
「ママさんもおっぱい大きいね。姉さんやレイラといい勝負!」
「そうじゃろうそうじゃろう、こう見えてもプロポーションには気を遣っておるからのう。悲しきかな独り身になって以来披露する機会も無いままなのじゃが……其方ももうちと年を取れば体も乳房も大きくなるじゃろうて」
「ふっ」
「笑うな変な服。お前もそんな大きくないくせに」
「貴様のあってない様な胸板よりはマシだ。もっとも、そんな物に何の拘りもないがな」
ギロリと睨むカエサルを鼻で笑い、エーデルバッハはサッサと湯船に入っていく。
その態度に苛立つも偶然傍を歩いていたパーシバルが目に入ると、カエサルはそっとその肩に手を置いた。
小柄な自身より更に背が低く体の凹凸が少ない相手に、何故か勝ち誇った表情を浮かべて。
「ドンマイ」
「…………?」
「いいの、シロはちっちゃくてかわいいのが売りなんだから! ね、シロ?」
「……そう、なの?」
「はっはっは、若い其方等がその様なことを気にすることもなかろう。女の武器も魅力も、男の好みも人それぞれというものじゃ」
「むぅ……ママさんがそう言うなら気にしなくていっか」
「しかし男と言えば、これだけの人数でここに居らぬのが婿殿一人とは。全員で来るのなら婿殿も誘えばよかったのではないかえ?」
「きっとお断りになるかと思いますよ」
「ふむ?」
ようやく全員が湯に浸かる中。
ウィンディーネの思い付きに近い提案、その可能性を即座に否定したのは他でもないナディア・マリアーニだ。
その不思議そうな反応に隣で腰を下ろしたケイティア・ウェハスールが補足を加える。
「そうですねぇ。あの子は恥ずかしがるでしょうし、そうでなくとも自分の中にあるモラルや道徳を思いの外大事にしてますから~」
「弟は恥ずかしがり屋なの。家族なのにあれは駄目これは駄目ってさ」
「はっはっは、なるほどのう。じゃが彼奴も年頃の男じゃ、そこを理解してやるのも姉の役目じゃぞ?」
「ぶ~」
「そう不満そうにするでない。悶々と過ごさせるのも酷というものじゃ、確かに見た目も少しばかり接してみた印象でもこと男の部分に関しては消極的に見えるしのう」
「……男の部分?」
「お主にはちと早かったかの。しかし消極的と言えば其方もじゃぞナディアよ。婚約しておいてまだ手も出しておらんとは。いくら神じゃの王じゃのの血を引いておるからといって好いた男に抱かれる喜びも知らぬままとはなんと不憫な」
「そ、そう言われましても……わたくしにも心の準備というものが」
突如話を振られたマリアーニ王は赤面して俯いてしまった。
その様子を見て豪胆な母は悪戯っぽい笑みを近付ける。
「何なら妾が試しに味見してやってもよいのじゃぞ?」
「なっ……そんなの駄目に決まってますっ。それはわたくしとレイラの務めです!」
「それが分かっておるなら愛想を尽かされる前にその勤めを果たすのじゃな。ま、その時は妾が貰ってやるから安心するがよい」
「む~……絶っ対にお母様には渡しませんから。それでなくとも勇者様というライバルがいるのです。同じ妻として負けられません」
「んむ? 勇者様とな? どういう意味じゃ?」
そういった単語自体にほとんど覚えがないウィンディーネは疑問符を浮かべている。
チラリと視線を向けられたウェハスールがいつも通り説明を買って出た。
勇者呼ばれる英雄と呼ばれ名高く美しい女性の存在。
マリアーニ王が出会う以前から康平との強固な信頼関係や絆があり、常に共に戦ってきたという事実。
そして同じくマリアーニ王よりも先に婚姻関係にあり、双方が直接の対話によって正室や第一夫人といった格付けをせずに伴侶として認め合うという結論に至ったこと。
それらをのんびりとした口調で掻い摘んで話して聞かせる。
「なるほどのう。英雄色を好むというが、愛らしい顔をして雄の一面も持ち合わせておるもんじゃ」
「うふふ、きっと本人は無自覚でしょうけどね~。なにぶん男女の機微は無関係にこちらの世界では名だたる方々に頼られ、認められている子ですから」
「そうでもなければドラゴンに血を分けてもらおうなどという奇天烈な解決法を実現出来ぬというものじゃな」
「魔族との対立を終わらせたり、世界を破滅に導く罠を看破したり、わたくしやレイラの命を救ったり……他にも色々とご活躍は聞かせていただいていますから。かの大国では救世主などと呼ばれているのだとか」
「ふむ、この世間知らずの娘やカタブツの娘を射止めるわけじゃのう。で? そこで無関係な顔をして黙っておるカタブツの娘よ。貸し借りを抜きにするとして、其方の目にはどういう男に映る? 率直に申してみよ」
「……誠実で義理堅く、頼られると見捨てられないある種の甘さと呼べる部分もあるかもしれませんが、それでいてご主人様自身の中には決して譲らず、他者の意見や理屈、正当性に流されない確固たる信念が確かに存在しています。最初に天子様をお助けになられた際の様に戦闘力を持たずとも逃げ出さず、恐れずに立ち向かう勇気や度胸も持ち合わせている、戦闘とは別の意味での強い御方だと思っております」
「なるほど。ではその姉妹たる其方等はどうじゃ?」
「一言で表せば優しい子、ですね~。自分がどれだけ危険な立場にあろうといつだって周りにいる誰かのことを一番に考えてばかりですから。少々物事に執着しなさ過ぎる嫌いがありますけどね~。自分のことは後でいい、こうなってしまったら仕方ない、と諦め半分で開き直るところなどはお姉ちゃんとしては直して欲しいところです。気も利きますし、姫様と同じく母子家庭で育ったそうで、ごく一般的な家庭だったこともあってか誰かさんと違って掃除洗濯食事などの用意も含め言われなくても大抵のことは率先してこなしてしまいますしね。最も秀でているのはやはり頭脳明晰なところです。大国の王達を以てして彼程に頭の回る人間は他に知らないと言わせるぐらいですから~」
「それはまた、随分と大層な人物に聞こえてくるのう。其方どうじゃ、二人目の姉上殿よ」
「良い奴だよ! いつも姫のことを一番に考えてるし、戦いになったら自分は戦えないくせに危ないことばっかするし、皆にも指示したり作戦考えたりするし、お肉は分けてくれるし。でも毎回自分が刺されて死にそうになるの、だからあたし達がちゃんと守ってあげないといけないんだ」
「はっはっは、頼もしい姉じゃの」
「でしょ!」
「とはいえ、ここまで一辺倒では身内贔屓ではないかと疑問が生じるというものじゃ。其方等はどうかの? 先の話では婿殿との関係は件の一件で共闘しただけの短い付き合いなのじゃろう?」
得意げに胸を張るカエサルの頭を撫でつつ、ウィンディーネは守護星の面々へと目を向けた。
興味深げに傍で話を聞いていたキースやエーデルバッハのみならずべったりと密着しながらじゃれ合っているノワールやパーシバルまでもが自分達への問い掛けであることを理解し視線を集める。
始めに答えを口にしたのは目が合ったエーデルバッハだ。
「隊長と女王閣下が居られる手前言葉は選びますが……見ての通り軟弱で拳一つ繰り出す力すら持ち合わせていない男です。ですが……それでいて何にだって立ち向かう気骨と世界を敵に回すことになろうとも己の信念を曲げぬ心の強さを持っているのをこの目で確かに見ました。奴がいなければ隊長も女王閣下も生きてはいなかった、それは事実だと認めています。その功績は認めていますが……なにぶん男は好かぬ質ですので信頼関係を築く自信はありません」
「ふむ」
「私も似た様な感じかなぁ。オルガの言った通り、戦えばこの中の誰にだって勝てない奴さ。だけどそんでも、バズールをぶっ倒したりドラゴンに乗って飛んできたりってとんでもねえことをやってのけるんだから凄い奴だと思うぜ。実際姫様や隊長を助けるのは他の誰にも出来なかったことだしな。今は私も一目置いてやってもいいと思ってる」
「なるほど、少なくとも内面や成果は認めておると。其方等の見立ては?」
「う~ん、可愛い顔してるしー、最初はいじめたくなっちゃうタイプかなーって思ってたけど隊長達の命の恩人だから私も坊やに従うことに異論はないかなぁって感じ?」
「むむ? お前弟いじめたら許さないぞ!」
「え~? 私は何もしてないよぉ? むしろオルガちゃんやビッキーの方が……」
「おい馬鹿やめろ。あれはほんの悪戯心だろ?」
「じとー……」
「ちょ、姫様も隊長もそんな目で見ないでくれよ。別に酷いことしたわけじゃないって、ただ少しでも早く打ち解けた方がいいかと思ってちょっとした催しをだな……」
「その様な話は後でせい。残るは其方だけじゃぞ白髪の」
「コーヘ……友達」
「ほう、なんともシンプルな言葉選びじゃのう。いやしかし人間関係を示すために敢えて多くの言葉を語らず、純粋かつ受け手の解釈に委ねるかの様な味わい深い答えとも言える。ある意味ではそれこそがこの問いに対する心理を突いて……」
「いやぁ、この子はそういう難しいことまでは考えていないかと~。シロはただ口下手なだけですので」
「なんじゃい、深読みさせよって。まあよい、娘婿としてどうかはさておき其方等にとって命を預けるに足る存在じゃということはよう分かった。少なくとも其方等が直面している問題には必要な味方であることも、強い武器であることもじゃ」
その言葉に康平を家族だと認識している者達は一様に肯定の意味を示す意味を込めて複数回頷いている。
そんな姿にどこか満足そうな表情を浮かべ、ウィンディーネは話を切り上げようという意思を示すべくおもむろに立ち上がった。
そこに待ったを掛けたのは娘ナディアだ。
立場上、そして自身の気持ちの上では『納得してもらえた風』の態度ではなくはっきりと言葉による同意と許可を得たいのだ。
「それではお母様、王子に嫁ぐことを認めてくださるということでよろしいのですよね?」
「そう急くでない。それだけ信頼を勝ち得ておるのじゃ、少なくとも頭ごなしに反対はせぬ。じゃが、結論はこの目で確かめてからじゃな」
どこか意味深長な笑みを向けると、真意を測りかね首を傾げる娘を尻目にウィンディーネはその視線をカエサル個人へと向けた。
「さて、母のお節介もひとまずは終わりじゃ。ほれ童、背中を流せ。洗いっこじゃ」
「分かった!」
長い旅の疲れを癒す至福の一時。
そんな賑やかな湯浴みの時間は、その後もしばらく続いた。