【第十六章】 白い景色
村を出た僕達は再び町も道路も無いどこまでも広がる大地を歩いていく。
遠くに山は見えているけど森などの木々も建物も付近には一切無く本当にただの更地みたいになっているせいで余計に終わりの見えない旅路に感じて気が滅入りそうだ。
「王子、次の目的地はアプサラスです。方角で言えばあちらの方角になるのですが、真っ直ぐに向かうと大きな湖を回り込む必要があり早くとも一日は要してしまいます。なのでエアリアル様の領地であるこの山を越えて近道をする目的でこの経路を進んでいます、それならば半日足らずで到着するはずですので」
黒い牛に揺られる中。
地図を広げると後ろからナディアが指で説明をしてくれる。
当然ながら経路は最初に確認済みではあるが、実際に現地に立って把握するのとはやはり理解度に大きな差が生まれるといった感じだ。
その言葉通り、次なる目的地はアプサラスという都市である。
しかしながら進行方向はやや角度が違っている。
真っすぐに向かうよりは山を越えてでも所要時間の短縮に繋がる方を選ぶ、というわけだ。
そういう点を考えても現地のことをよく知っている人間が一緒というのは頼もしい限りだとつくづく感じる。
とはいえ町と町の間にほとんど何も無く、道が整備されてない荒野や草原、谷に山や川などが広がっているというのはこの世界のどこの国にも大抵当て嵌まることではあるけど、この天界はいくつもある前例や体験よりも遙かにその度合いが高いらしい。
土地面積という意味で元いた異世界(ややこしい表現だが)でいう小国に分類される程度しかないことや、町の数がそもそも十にも満たないぐらいしかないことも大きな要因なのだろうが、統治者としてのサラマンダーがそうであった様に神というのが豊かな暮らしと安全を恩恵として与えることを最初から考えていないのであれば乗り込んできた身で言えることではないにせよ良い気分はしないものだ。
そんなことを考えながら、当初と同じく見通しが良すぎて敵襲の心配が無いためどこかのんびりとした空気になり始める中で足を進めること一時間か二時間か。
ようやく前方に小さな山が見えてきた。
山を越えると聞いた時には随分と体力が必要になりそうだと思っていたけど、広さこそあれここから見える山頂はそこまで高くもないし、確かにこれならそこまで時間は掛からなそうだ。
それでも数時間山を歩くというのは相当な消耗を伴うだろうし、何よりも移動そのものが目的ではない点も憂慮せねばなるまい。
アプサラスというのだったか、そこに辿り着いた後にまた戦闘になる可能性があるのならば……本当に難問だらけだ。
ナディアの頼る先というのが拗れないことを心底願うばかりである。
「これを越えればその何たらいう町があるのか? 随分としみったれた山みてえだけど」
ようやく山に足を踏み入れた頃、辺りを見回すキースさんはどこかつまらなそうにしている。
まあ、それも無理もない。
何時間も延々と歩いているだけなのだ。
口に出していないだけで飽きがきているのは彼女だけではないだろう。
といってもエルは全力で口に出していたけども。
確かに山自体には特に生物の気配などはなく、また木々も枯れ果てたり折れている物が多いため歩くのに苦労はなさそうだけど移動経路に使われていたり人の手が加わっている様子は見受けられない。
地図を見てみても山の向こうにも大地が広がっているだけでアプサラスと記された場所とは方向が違っている。
こうも文明の痕跡が無いとなると目的地に近付いているのか遠ざかっているのかと言いたくなるのも致し方あるまい。
「真っ直ぐに山を越えるとそのままファータという町がある方向になってしまうのですが、北西に抜けることで回り込むよりは早く到着するのです。アラスター雪漠という雪の降り積もる大地がありまして、そこを斜めに通り抜けるとアプサラスは目と鼻の先です」
「なるほどねぇ。ま、私らは何だって構わないけどさ」
「ちなみにだけど、そこの土地の人達は対話が出来る相手なの?」
「ええ、お約束します。というよりも、そのアプサラスこそがわたくしやレイラの出身地なのです」
「おおう……」
それはまた予想外の返答だ。
であれば近道や立地関係に詳しいのもより頷けるというものか。
どうであれ下調べなんて出来ないので任せっきりになっているんだけどね……。
「間違いなくオーブも譲ってもらえますし、安全に一夜を過ごすことも可能です。それに関しては保証しますわ」
そんな言葉もまた、百パー野宿のつもりでいたので何とありがたいことか。
何から何までほんと頼りになるよ。
「「「おおぉぉ」」」
エルとキースさん、ついでにノワールさんが目を輝かせながら声を揃える。
一時間そこらの山歩きもようやく終わりを迎え、坂道の切れ目から平地に足を踏み入れると目の前に広がっているのは事前に聞いていた通りの辺り一面真っ白な大地だった。
左右のどこを見渡しても積もった雪が作り出す白く、それでいて輝かしくもある美しいまでの景色が続いていて、丘があったり谷があったりとデコボコした土地が視界の全てを埋め尽くしている。
感動なのか驚きなのか、僕も同じくその景色に目移りし一瞬言葉を失ったのも束の間、それと同時にあまりの温度の低下に思わず身震いしてしまう。
山を下り始めた辺りから実感してはいたが雪が積もる、雪が降るということは相応に気温が低いということだ。
大半が防寒性のある身なりをしていないのでこれは堪えるのではなかろうか。
キースさんはまだ上着があるしウェハスールさんもただのシャツに比べれば厚みのあるローブだから多少はマシになっているかもしれなけど、それ以外は普通に夏服と表現して相違ない格好だ。
日本では残暑真っ直中だったこともあって僕もTシャツの上に薄手のパーカーを重ね着しているだけなので普通に肌寒い。
そうなると体力の低下を考えてもあまり長い時間このアラスター雪漠? に長時間滞在するべきではないだろう。
「は~い、これでよしと♪ 姫様~、暑過ぎたら仰ってくださいね~」
「ええ、ありがとうケイト」
すかさず浮かんだそんな懸念など何のその。
次の瞬間にはウェハスールさんが杖の先から火の玉を作り出し、宙に浮かせたままその状態を維持することで傍に居る僕達にとっては十分過ぎる温もりを与えてくれていた。
いやあ、嫌という程に魔法を目の当たりにし体感してきたのに全然思いつかなかったよ。
科学など魔法があれば必要無いと言わんばかりの斜め上の解決法だ。
ナディアの話では二、三日に一度は雪が降ったり吹雪いたりしているらしく、晴れている分だけ今日は幸運だったとのことだ。
それでも肌に突き刺さる様な空気の冷たさがあるのだから北国の人々には頭が下がる。今全然関係無いけど。
もう一つ言えば戦闘職の皆は革のブーツだからいいものの僕は普通のスニーカーを履いている。
この牛がいなければ足が凍傷とかの心配に晒されるところだったと今更気が付いた。
別に僕は歩きでいいのにと、オーブのみならず牛までカツアゲしたことに若干引いていただけに無理矢理止めなくて本当に良かった。
といっても……目の前には門で呼び出した灰色の毛並みの狼に乗ってるノワールさんがいるんだけどね。
前にサントゥアリオに同行してもらった時に大きな鳥を呼び出しているのは見たけど、そんなことが出来るなら前もって教えて欲しかったよ。
何でもあの鳥とこの狼、そしてもう一匹……と呼ぶのかは分からないが、ゴーレムという大きな岩の魔人を呼び出せるらしい。
それが彼女の持つ門【獄門召喚獣】の能力なのだとか。
だったらやっぱり牛いらなくね? とも思ったけど、サイズや狼という性質上乗れるとしても一人が精々ということなのでまあ今は置いておこう。
これまた余談だけど、雪を見てはしゃいでいたエルはまだテンションそのままにキースさんを両手で抱えて空を飛び回っている。
ほとんど真上に居るのではしゃぐ声がばっちりと聞こえてくる状態だ。
「うっひょ~、本当に自由自在じゃねえか! やっぱ鳥に乗って飛ぶのとは違ってスリルが堪んね~ぜ! やるな半分の嬢ちゃん、もっと高くしてくれよ」
「落ちても知らないぞ星!」
「下は雪だから大丈夫だって」
という具合で、どういうわけかこの二人は道中で随分と打ち解けていた。
エルは守護星の連中を毛嫌いしているものだと思っていたのだけど、あまり深く物事を考えない者同士気が合うのかもしれない。
だいぶ失礼な物言いだけども、ほら言うじゃない?
何とかと煙は高い所が好き、とか。何とかは風邪をひかない、とか?
いや、別に仲良くしてくれる分には何の文句も無いんだけどさ。
だからといってその呼称はどうなんだろう。半分も大概だけど……星ってあんた。
「こんなに積もった雪を見るのは随分と久しぶりですね~。エルもはしゃいじゃってまあ」
そんな二人を見守るウェハスールさんも微笑ましく思っていそうな顔をしている。
確かに雪を見てテンションが上がる小さな子供みたいだもんねぇ。
その一時的な高揚が冷めた時に頭も冷静になってキースさんとの仲が元に戻らないことを願うばかりだ。
「コウちゃんの暮らしている場所はそう珍しくもないと言ってましたっけ?」
「ええ、といっても頻繁にというわけではないですけどね。一年の限られた期間に、時折降ることもあるというぐらいで」
最後にこの目で雪を見たのはいつだったかな。
去年の冬は何度か降ったっけか。
といってもこんなに積もったりはしなかったはずだけど、他所の土地で豪雪でもあればニュースで目にするもんだからあまり非日常感もないんだよね。
それこそ一昨年なんてクラスメイト達とスキーとか行ったし。
となるとパラパラ降るだけの少量のを除けばそれ以来か?
いや、違うな。
それよりも真新しい記憶では……そう、アイミスさんやジャックと雪の積もるこんな景色の中を歩いて……いや、それは本人に否定されたじゃないか。
でもなぜだろう。
そうした覚えがやっぱりある、勘違いとは思えないぐらいにはっきりと思い浮かぶ光景や記憶として。
そう、同じ様に僕がスニーカーだからということで牛に乗っていて、ジャックは相変わらず薄着過ぎて見ているだけで寒くなってくる格好で……ん?
果たして本当にそうだったか?
それをこの場所だと錯覚しているだけか?
そもそも牛には一人で乗っていたんだっけか?
二人乗りをしていたんじゃなかったか?
そうだ、確かリズを後ろに乗せて……あれ? リズとは誰だ?
「…………」
「王子? どうかしましたか?」
「ああいえ、ここって目的地とは別の神の土地なんですよね? それは問題ないのかなと思いまして」
固まってしまっていたらしく、心配そうに顔を寄せるナディアに反射的な誤魔化の言葉を口にしてしまっていた。
わけの分からない混ざり合った記憶と自覚の何が正しいのかも、何故そんな物が度々頭に浮かぶのかも不明なままだ。
余計な心配を掛けるだけに終わるのが分かっていて深刻そうに語るべきではない。
「エアリアル様は神の座を降りて以来町を出ることはないとのことなので抗議されたり追い返されたりといったことへの心配はしなくてもいいかと思いますわ。後任が居りませんので今でも引き続き統治をしてはいるのですが、正式には統治権も剥奪されているのだと聞いています。とはいえ引き継ぐ者も居ませんし、他の神も無関心の様で当時から放置されたままなのだとか」
「へぇ~」
なんとうか、本当に社会としての形を維持出来ているのかと不安だらけである。
さっきの神は統治に興味が無い。
統治者がその座を降りても代わりがやってくるでも代理が立てられるでもなく放置。
他の管理者も無関心。
それで国や自治区としてちゃんと成り立っているのだろうか。
地球でそんな国があれば内乱だの後継者争いだので戦争だらけになりそうなものだけど……それがないというのはある意味それも凄いことだ。
いや、資源や産業が無いから土地を奪い合うメリットが無いのかもしれないけども。
あとは代表者である神の戦闘力が強すぎて喧嘩をするリスクが高いとかもあるのかもしれないけど、それよりは誰も彼もがそうではなく良識ある神もしっかり存在していると願いたいものだ。
そうして足場の悪い道を進むことまた二、三時間が経った頃、ようやく前方に雪ではなく土の地面が見えてきた。
それだけではなくエーデルバッハさんが指差す先には町と思しき建物の群れも確認出来る。
まだ距離があるため正確に全てを把握することは出来ないがそれなりに面積は広く、スマウグみたくいかにも集落という感じでもないことだけは遠くからでも十分に分かった。
石造りの建物が見えていたり商店らしき物もあるし、馬車も走っているみたいだし、打って変わってしっかりとした都市という様相を呈している。
そして、それよりも気になる点が一つ。
雪漠を抜けた先、積もった雪の途切れ目から都市まではと一キロ程度の距離があるのだが、その中間地点辺りに一つの人影があるのだ。
皆が見つめる先にいる誰か。
はっきりとした姿形はまだ見えないが、こちらを見ていることだけは分かる。
「女王閣下、誰かいる様です」
「ええ、見えていますわ。そのまま進んでいただいて大丈夫です、警戒の必要もありません」
「こちらを見ていますが、敵ではないと判断してよろしいので?」
「はい、あれはこの地を統べる神ウィンディーネ。それでいてわたくしの母です」
また一つ、驚愕の事実が判明した