【第七章】 フランク・バートン殿下
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間もなくして、僕達の乗った船は目的地であるラミント王国へ到着した。
小国とはいえ立派な一つの国家である。
目に見えて小さい国だなんて感想を抱けるわけもなく、島国である以外の情報は外からは全く得られないほどに広大な大地が広がっていた。
よく考えてみれば僕達はこの世界における身分証明が出来る物。言い換えるならパスポートみたいな物なんて持っていないわけだけど、他所の国に入国出来るのだろうか。
なんて船が沖に近付き始めてから気付いた今更にも程がある心配は何の問題も無く解決してしまった。
というのも、
「指定国連合の要件で参りました。ユノ、グランフェルト両国からの派遣隊です」
と、マリアー二さんが港の衛兵らしき人達に名乗るとあっさりと上陸を許可されたのだ。
指定国連合というのは恐らくサミットに参加した五カ国を括る言葉なのだろう。
しかし、そんなことよりもマリアー二さんが僕達の中に居ることの方が余程彼等にとって入国を許可するに足る理由だったのであろうことは兵士達の反応を見ると明らか過ぎる程に明らかだった。
若い上に女性であっても五大王国と呼ばれるだけの力と発言力を持つ国の王なのだ。
この国を治めるお歴々ならまだしも、そんな人物が突如船に乗って現れてそれを追い返せる一般人などさすがに居ないだろう。
それでも確認するなり許可を求めるぐらいのことはするべきなのでは? とも思うのだけど、そもそも電話が無いのだからそれも無茶な話だ。
魔法でそれに代わるような通信手段があってもよさそうなものだが、この世界でそんな場面は見たことがないし、そもそもあれば鳥を使って手紙を送ったりはしない気もするのでそういうものなのだろう。何よりもサミットが行われることも、この一件に関しても事前に決まっていた以上はこの国側にとっても予め派遣される一団がいることは分かっていただろうし。
そんな塩梅で無事に入国を済ませた僕達だが、ここからは二手に分かれて例の水晶が封印されている洞窟へ入るための鍵をそれぞれが手に入れなければならない。
「それではコウヘイ様、ご連絡いただいた場所でまた」
申し訳程度に頭を下げるマリアー二さんの笑顔は挨拶をした時のものとは違い余所余所しさというか、意図して距離感を感じさせる様な口調と表情だ。
後ろの四人、正確にはシャダムさんを除いた三人の僕を、いや僕達を見る目も到底友好的とは言えないものになっている。
そんな彼女達を見ただけである意味では僕の推察も裏付けされた感じではあるが、断定にはまだ少し早いか。
ちなみにマリアー二さんが敢えて地名を口にしなかったのは船の中ならまだしも今ここにはこの国の人達が何人も周りにいるからだ。
国際的に重要な何かをしようとしている以上、いたずらに情報を漏らさないための配慮なのだろう。
「ええ、お互い無事で再会出来ることを願って」
僕が答えると、マリアー二さんとウェハスールさんの二人だけが無言のままもう一度頭を下げ、そのまま背を向けて歩いていく。
「なんっか感じ悪くなかった? なんやのあれ?」
声が聞こえない距離まで背中を見送ると、夏目さんは訝しげな表情のまま素直に疑問を漏らした。
態度の違いは目に見えているレベルと言ってもいい。当然といえば当然か。
「ちょっとした事情がありまして。あまり気にしないでください、後でちゃんと説明しますので」
「まあ……康平君がそう言うんやったらええんやけど」
どこか腑に落ちない様子の夏目さんはそれでも複雑な背景があることを察してかそれ以上の言及はしなかった。
ちなみに真っ先に鼻の下を伸ばしてマリアー二さんに絡んでいきそうな高瀬さんは幸い船を降りた直後のため青い顔をして肩で息をしているので大人しいままだ。
大した揺れもない船路だったように思うのだけど、そこまで船酔いするものなのかと思うと若干気の毒である。
まあ五分十分もすればいつも通りに戻る謎の回復力をお持ちなんだけど……。
「コウ、何か悶着があったのならどうして私を呼ばないの。力尽くで黙らせてあげるのに」
「力尽くはやめてくださいってば……」
僕の頭に手を置き、ほとんど見えなくなっているユノ王国勢の方を見るサミュエルさんの目は明らかに敵意に満ちている。
頭に手を置いたのか頭を鷲掴みにされているのかの判断が難しい絶妙な圧迫感が恐ろしい。
既にほとんど姿が見えないマリアー二さん達の姿も凄まじく目がいいサミュエルさんならまだ見えているのかもしれないと思うと、ならばその細めた目の意味も変わってくるのだろうかと考えてしまう。
「コウヘイなりに考えがあるのだ、いつまでも後ろ姿を見ていないで私達も出発するとしよう。それからサミュエル、不要な揉め事は王に禁止されていることをくれぐれも忘れるな」
「はいはい。アンタそればっかりね、馬鹿の一つ覚えみたいに」
サミュエルさんは鼻で笑うように言って、
「なんでもいいけど、さっさと行くわよコウ」
と僕の頭から手を離し、歩き出すのだった。
「……なんで康平君にだけはちょっと親しげなんあの人」
サミュエルさんと入れ替わるように耳元でそんなことを言うのは夏目さんだ。
初参加の夏目さんが腑に落ちないのも無理はないが、僕とてこう答えるしかない。
「僕がサミュエルさんの子分だからじゃないですかね……なぜそういう事になっているのかは僕にも分かりませんけど」
言うと、一層頭上の?マークが増した夏目さんだったが、これ以上の説明が出来ないので気付かなかったことにした。
○
港を出た僕達はまず鍵を受け取るためにある街に向かっている。
出発前に聞いた情報ではその街を治めている公爵だか伯爵が鍵の管理を任されているという話で、その人物に会って鍵を借りるのが最初の任務というわけだ。
地図によるとほとんど円形に近い地形のラミント王国の領土。
そんな島国を時計回りに外回りする形で進んでいかなければならないのだが、やっぱり人が通る道ながら道路があるわけでもなく、コンクリートの道があるわけでもなく、人生の全てを近代都市の中で暮らして来た僕達にとってはもはやただの自然の中を歩いているのと変わりない道のりだった。
海の見える浜を歩いてみたり、林の中を歩いてみたり、かと思えば地平線まで続くような草原を進んでみたりとバラエティーに富んだ道中は珍しく、なんて言いたくはないが、特にトラブルも無く歩いて来たおかげで緊張感もなく、何ならそれぞれが雑談したりしながらの観光旅行と化している節さえあるぐらいだ。
ゲームと違って縦列を組んで歩くなんてこともなく、ぞろぞろと歩く中で自然と聞こえてくる前を歩く高瀬さんとセミリアさんや後ろを歩く夏目さんとサミュエルさんの会話は二人がいかにこの世界を楽しんでいるかが伝わってくる。
「そろそろモンスターでも出てくれねえと面白味がねえよなー」
「そう言うなカンタダ、平穏に終わるのであればそれに越したことはないさ」
「でもよー勇者たん、実践経験を積まないとレベルアップは出来ないんだぜ?」
「ぬ、確かにその通りだ。お主も中々どうして戦士の心意気を持っているではないか」
「フフン、魔王を倒したからって勇者の使命が無くなるわけじゃないからな。悪が滅びれば別の悪が沸いて出るのがこの世の理ってもんだ。俺様ぐらい幾多の世界を救ってきた男には細胞レベルで理解してるのさ」
「実践と鍛錬は違うということは理解しているつもりだったが、私もまだまだ向上心が足りていないようだ。やはりお主等と旅をするだけで色々と学ぶことがあるものだな」
いや、色々と騙されてますよそれ……前回からずっと。
なんて口を挟みたいのをグッと堪えたり、
「なーなーサミュやん、サミュやんは勇者なんやろ?」
「それが何?」
「その背中の剣使って戦ったりするんやろ?」
「だから? ていうか何なのよ、そのおかしな喋り方は。イライラするから黙っててくれない? 今後、私の前では常に」
「そう言わんといてーな。これは方言やねん、大阪って知ってる?」
「知るわけないでしょ、アンタ達の世界のことなんて。興味無いし、どうせあの気持ち悪い奴や前に来た金髪の生意気女みたいに末は芸人ぐらいの残念な所ってことぐらいはアンタ見てたら分かるけど」
「おー! よー分かってるやん。そうそう、芸人ゆーたらやっぱり大阪やでー」
「……なんで誇らしげなのよ」
「なんか話が逸れてしもたけど、ウチが聞きたいんは何でそんなエロい格好してんのかなーって」
「はぁ、喧嘩売ってるなら最初からそう言えばいいのに」
「ちょ、ちゃうって。誤解や誤解! 物騒なモン構える準備せんといて、ただ危なくないんかってことを言いたかっただけやねんて」
「……何が危ないのよ」
「そら怪我とかやんか。セミリアはんは胸とか手足はちゃんと鉄のやつで守ってるやろ? でもサミュやん肘と膝だけやし、肩も背中もヘソも全部出とるやん。ウチの認識なんかゲームとかアニメの中のイメージしかないけど、どっちかいうたらセミリアはんみたいな格好の方が勇者って感じするなーって」
「そんなもんただのスタイルの違いでしょ。別に私は勇者と呼ばれることに拘りなんてないし」
「スタイル違うかなぁ、二人とも手足も腰も細っそいしスタイル抜群や思うけど……確かに乳はセミリアはんの方がおっきいけども」
「そういう意味じゃないっつーの、いい加減ぶっ殺すわよアンタ」
「えぇ~、ほんならどういう意味なんよ」
「戦闘における気構えの違いに決まってんでしょ。アイツは盾を持たない代わりに鎧で身を守ってる、スピードに長ける分回避能力も高いっていうバランスを踏まえてああいう格好をしているわけ。私はそうじゃない、斬られようが刺されようが痛みは我慢出来る。だから動きやすさを優先している、そういう違いよ」
「そういうことやったんかぁ、でも我慢出来るゆーても痛いのは痛いわけやろ? 怖くないん?」
「怖い? 怖かったら戦う必要なんてないじゃない。大多数の人間みたいに自分の身を守ることも出来ないくせに被害者面して誰かが助けてくれるのを祈ってりゃいいんだから」
「うっわー、辛辣な台詞っ。さすがはリアルツンデレやで。良い人やけど口は悪い、康平君の言う通りや」
「ツンデレって言うなって何回言えば分かるわけ? 意味は分からないけど響きがムカつくのよ!」
「それはさておきやな」
「勝手にさておくなっての。アンタと喋ってると疲れるわ」
「その痛みに耐えれるって話やけど、だからって避けたり防いだりせーへんわけじゃないんやろ? それやったら動きやすさに関係無いところぐらい守ってもええんやないの?」
「アンタ、攻撃は最大の防御って言葉を知らないの?」
「どっかで聞いたような言葉やけども」
「防御の必要が無いぐらい攻め倒せばいいってことよ。最悪、身体に風穴空けられようが相手の首を切り落とせば勝ちなんだから」
「そんな滅茶苦茶な……ていうか、それやったら何で肘と膝だけ?」
「別にこれは身を守る為に装備している物じゃないし」
「そうなん? じゃあなんで付けてるん?」
「肘打ちと膝蹴りの威力が増すじゃない」
「それ使い方間違ってへん!?」
と、そんな漫才みたいな会話が聞こえてくるのだった。
ちなみに僕はというと、ガイドよろしく地図を手に列の真ん中を歩いているといった具合。隣にはミランダさんが居る。
「コウヘイ様、しばらく経ちますけど目的地まではまだ掛かりそうですか?」
「いえ、もうかなり近付いてきていますよ。疲れてきたら言ってくださいね、また休憩を取りますから」
歩き始めてかれこれ三時間ぐらいは経つ。
途中で二度休憩を挟んでいるとはいえ、一番小柄で一番若いミランダさんには堪えるものがあるだろう。
「お気遣い痛み入りますコウヘイ様。でも大丈夫ですよ、こう見えても体力には自信あるんですから」
「そ、そうですか」
「あーっ、その目は疑っていますね? いいですかコウヘイ様、お城で仕えるというのは意外と体力が必要なものなんです。重い物を運んだり、広いお城をお掃除したりしているうちに自然と身に付いていくものなんです。そこらの村娘と一緒にされちゃ困りますよ? ほら、触ってみてください」
えっへんと胸を張ったのち、ミランダさんは袖を捲って力こぶを作ってみせる。
腕を見るだけでは体力の有無は推し量れないけど、少なくとも力持ちの腕には見えないんだけどなぁ……と思いつつ指でつついてみると、普通にぷにぷにしていた。
「柔らかいですね」
言うと、ミランダさんはテヘっと舌を出し、
「えへへ、バレちゃいました。実はわたし力仕事は苦手なんです、でも体力は本当なんですよ?」
「だったらいいんですけど、どっちにしても着いたらまずご飯にしたいところですよね」
「すいません気が利かなくて、何か作ってくるべきだったのに」
「そういう意味で言ったわけじゃないですよ。どのぐらい歩くのかも分からない状況だったわけですから。もうすぐであることは確かですし」
もう一度地図を指しておおよその現在地を説明する。
どの程度縮尺されているのかははっきりと分からないが、ここまでの時間を考えてもあと十分、十五分で目的地だと分かる。
「この草原を抜けたら大きな川が横切っていて、そこに架かっている橋を渡ればすぐに目的地であるラハスという村があるんです。そこに住んでいるこの国の王様の親族が鍵を持っているということみたいですね」
「王族、ですか。簡単にお目通り出来るものなのでしょうか」
「何に使うかを分かって預かっているわけですから大丈夫だと思うんですけどね。こればかりは行ってみないことにはなんとも」
この国がどういう国なのかを知らない以上断言は出来ないが、小国であろうとなかろうと五大王国と呼ばれるだけの国々を敵に回すようなことはしないだろう。
国も政治も、長い物には巻かれるのが世の常であり、そうでなければ排除されていくのが世の理なのだ。
あくまで僕の知る世界ではという話だけど、突然押しかけているわけでもないだろう。
予め決まっていたことであるならば、この国にもその情報は伝わっているはずだ。
「あ、コウヘイ様。川が見えましたよ」
そうこうしている内に草むらの途切れ目が見えてきた。その向こうには幅だけで数メートルになろうという川が確認出来る。
やがて川の傍まで辿り着くと、先頭を歩いていたセミリアさんが辺りを見渡した。
「コウヘイ、橋があるという話だったが」
「そのはずなんですけど」
確かに左右を見渡しても橋らしきものは見当たらない。
まあ……この地図で正確にある地点に真っ直ぐ向かおうとしても誤差が出るのは仕方あるまい。
「左右どちらかにズレてしまったんだと思います。サミュエルさん、どっち側かに橋が見えたりって……します?」
駄目元で言ってみると、サミュエルさんは右手で筒を作りそれを覗き込むようなポーズで左右を交互に見回した。
素直に聞き入れる姿を見せることを嫌ってか、一度面倒臭そうにするのはお約束。
「あっちに見えるわね。途中で通った林と同じぐらいの距離かしら」
本当に見えるとは……自分で頼んでおいてなんだけど、あの林も一キロ二キロはあったよね。二千メートル先の橋が見えるってどんな視力?
「取り敢えず……行きましょうか」
ドン引きしながらもそう言うしかない僕だった。
〇
順番が変わってサミュエルさんを先頭に川に沿って右方向に向かって歩き出す一行。
するとすぐに夏目さんが傍に寄ってきた。何事かと思うと耳元でこんなことを言う。
「ウチにはなーんも見えへんねんけど……どんな目してんのサミュやん」
「言ってませんでしたけど、サミュエルさんはものすごーーーく目が良いんですよ……その説明で解決するレベルじゃないのは無理矢理納得していただくしかないんですけどね」
「まあ……納得せなしゃーないんやろうなぁ。あれも魔法的な何かなんやろうか」
「どうなんでしょう……」
目が良くなる魔法……便利だな。
でも、セミリアさんが同じというわけじゃないあたり魔法という感じでもない気がするんだけど、ジャックの言っていたナチュラル・ボーン・ソーサリィーとやらに該当するのなら理屈が通らないでもない。
結論、考えても分かりません!
「ついでに言っとくけど」
僕が考えるのを放棄したのとほぼ同時に、先頭を歩くサミュエルさんが首から上だけを後ろに向けた。
声の大きさから特定の誰かにではなく全員に向けた言葉だと分かる。
「橋の近くになんか居るわよ」
「なんか、とは何だサミュエル」
「んなもんこっから分かるわけないでしょ。魔物であることは確かだけど、人型であることぐらいしか判断出来ないっての」
「やっと来たか、俺様の出番が! 勇者たん、サミュたん、そいつの相手は俺に任せろぜ」
「だ、大丈夫なのか? カンタダ」
「心配ねえって、俺を誰だと思ってんだ」
「誰なのよアンタは。別に好きにしたらいいけど」
なんてやり取りが行われている横で、
「魔物……」
「魔物……」
夏目さんとミランダさんが密かに声を揃えていた。
だが揃っているのは字面だけで心情は大きく違いそうだ。
夏目さんは少なからず恐怖心を抱きながらも怖い物見たさが勝っているようなニュアンスなのに対して、ミランダさんは純粋な恐怖からくる言葉であることが分かる。
船で見た超巨大なイカと比べてしまうせいでそこまで怖いとかはない僕だったが、怖いかどうかと安全性は比例しないのでそうも言っていられないか。
「二人とも、危ないかもしれないのでセミリアさんかサミュエルさんか僕の近くに居るようにしておいてくださいね」
「は、はい~」
「なんや康平君、急に男らしいこと言ってまあ」
「いや、別に僕が守ってやる的な男らしい意味じゃなくて単に盾にぐらいはなれるから言ってるだけなんですけどね」
この二人の安全を考えるなら誰かの傍にいることが一番だ。
本来ならば高瀬さんの安全も考えなければいけないところだが、本人がなんと言おうと危険であればセミリアさんが割って入るだろう。
あのセミリアさんやサミュエルさんでも適わない相手である可能性は考えたくないし、そんな相手がそう簡単に居てたまるかという気持ちもあるけど、もしそういう相手だった場合は逃げるか全員死ぬかの二択になりそうなので僕も万が一に備えておかなければなるまい。
「サミュエルさん」
またまた順番が変わって最後尾を歩くサミュエルさんの横に並ぶ。
意気揚々と先頭まで出て行った高瀬さんを積極的に守ろうとはしないだろうと判断したのか、その高瀬さんの横に付く形でセミリアさんが前を歩いているからこその配置転換だ。
背後から襲われた場合に対処すべく、いつだって前後に別れて歩くセミリアさんとサミュエルさんの自然な行動はチームワークが良いのやら悪いのやら。
「……何よ?」
腕を組んで歩くサミュエルさんからは危機感など微塵も感じられない。
セミリアさんが同じ様子であれば安心の度合いも増すのだろうが、サミュエルさんの場合『誰が相手だろうと私は負けないし』とか思っていそうなので一概には言えないのが悲しいところだ。
「高瀬さんやあの二人のこと、お願いします」
「はぁ、相変わらず人の心配が好きな奴。ま、私がそれに文句言える立場でもないって感じだけどさ、ムカつくけど」
「いえ、そんな昔の事は気にしてもらわなくてもいいんですけど、それより……」
「コウ、はっきり言っておくわ。あの男のことなら放っておきなさい」
「そ、そんなこと出来るわけないじゃないですか。もし高瀬さんにはどうにもならない相手だったら……」
「早まるなっての。どうにでもなる相手だから言ってんのよ」
「え……それって、どういう」
「ここまで近付けば何がいるかぐらいは分かるって話」
「もしかしなくても、姿が確認出来たんですか?」
歩いた距離は精々二、三百メートル。
余程小さな橋なのか、僕には橋らしき線がうっすら見えてきたというレベルでしかない。
サミュエルさんは一度肩を竦めて、
「橋の前に居るのはシーウルフ、それもただの一匹」
「……シーウルフ?」
「海の狼でシーウルフ。どんな能力持ってんのか知らないけど、アイツもジジイに武器を貰ったんでしょ。だったらそれで何とかなるレベルだし、サーベル持ってるから斬り掛かられたらヤバいかもしれないけど、それでも誰かが怪我する前にクルイードが割って入れない可能性なんてどう見ても無い。今代わりにヤったところで後々もっと面倒な事が起きた時にあの馬鹿はまた自分が自分がって言い出すのが目に見えてんでしょ。だったら今のうちに雑魚の相手でもさせておきゃ制止されても引っ込みも付くじゃない」
「サミュエルさん……色々考えてるんですね、意外と」
「アンタもブッ飛ばされたいらしいわね」
言って右手をグーパーしながら指をバキバキならすサミュエルさんの目がこちらを向いた。
夏目さんみたくぶっ殺すわよと言われないだけマシなのかもしれないが、怖いのでやめてください。
「別に力尽くで黙らせてもいいけど、そうしようとしたらアンタやクルイードが止めるでしょ、どうせ」
やっぱりなんだかんだ言っても根は優しいサミュエルさんでよかった。
なんて考えているのが表情に出てしまったのか、
「何よその顔は」
と、小突かれる羽目になるのだった。
○
やがて例の橋もはっきりと視認出来る距離まで来た。
つまりはシーウルフというらしい化け物もはっきりと確認出来ることになる。
青っぽい毛をした犬のような狼のような化け物、それがほとんど狼人間のように二つの足で立っていて、肩、腰、膝に鎧を着け、サミュエルさんの言った通り既に手に持ったサーベルを構えていた。
腰に鞘があるあたり本来はそこに収まっていたのだろうが、僕達が確認出来ているということはあっちも僕達を認識出来るわけで、むこうは完全に戦闘態勢という感じだった。
なぜ川に海の狼が居るのかはさておき、口元に覗く牙が物騒で仕方がない狼の姿もサミュエルさんの話を聞いたおかげでちょっと心に余裕もあったりする。
しかしサミュエルさんの話を聞いていない二人はというと、
「な、なんやあれ……狼? なんで武器持っとんの? あれがモンスターってやつなん? ていうか何で立ってんの、気持ち悪っ!」
「シーウルフだ。海辺に生息する魔物ではあるが……なぜこんなところに」
「コウヘイ様……」
セミリアさんの説明の間に僕の服を掴んで怯えているミランダさんを含め当然の困惑だとは思うが、あの狼男が僕達を敵だと見なすならば疑問や恐怖を解消する猶予など無い。
不意打ちに備えてミランダさんを背中に回している隙にものしのしとこちらに近付いてきた狼男シーウルフは足を止めた僕達の前で立ち止まると、
「持ち物全部置いていきな」
狼人間は凄惨な笑みを浮かべてサーベルの先で順に僕達をなぞっていく。
そこまで大柄、巨漢といった体躯ではないが右手に持つ武器や口元に光る牙が、やっぱり僕達一般人にとっては凶器であり狂気の片鱗であることに違いはない。
「うわ、喋りよった! なんやこいつ」
と、素でツッコミを入れている夏目さんはさておき。
どう対処、対応したものかと考えていると、我先に一歩前に出たのはやはり高瀬さんだった。既にノスルクさん製の銃も手にしている。
「やいコラ、獣の分際で追い剥ぎ気取りとは笑わせてくれるじゃねえか。救世のマジックガンマンこと俺様と知っての狼藉か」
なるほど、これが噂の中二病か。
なんて知ったばかりの知識を惜しげもなく披露している場合ではないのだが、僕はサミュエルさんの言葉を信じてただ見守ることにした。
僕を掴むミランダさんの手の力が増したことを感じつつ、そのミランダさんと夏目さんを盾で守るために動く準備だけはしておこうと決めてセミリアさんに託す、そういう選択だ。
「人間の分際で、この俺様に歯向かうつもりでいるとは片腹痛い。どこの警備兵か知らないが、黙って寄越せば命は助かったものを」
狼の化け物が剣を構えた。
同時に高瀬さんも銃を向ける。
「カンタダ、問題は無いな」
「まかせろぜ。海のモンスターは電気に弱い、これ常識な。必殺! ライジングインパクトォォォォォ!!!」
例によって意味不明な技名を叫んだかと思うと、銃口から光の筋が放たれた。
バチバチと音を立てて、電撃が歪曲した線となり襲い掛かろうと足を踏み出した化け物の胴体に直撃する。
動きを止めた化け物は断末魔のような声を上げて、苦しみの姿勢のままにその姿が消えてなくなった。
「よくやったぞ、カンタダ」
「ま、俺様にかかればこんなもんよ」
「TK、お前凄いやん! 化けモンやっつけてもーたで? ていうか何で消えたんやあれ?」
「フフン、ちったー見直したか」
「見直した見直した。ていうか何で消えたんや、あいつ?」
「モンスターなんて大概そんなもんなんだよ、がっはっは」
人間以外の生命体がジャックだけになった川辺に馬鹿笑い……ではなく、高瀬笑い……でもなく、高笑いが響いた。
「あの人……凄いんですね」
と、ボソリ呟くミランダさんも含め高瀬さんの株が急上昇だった。
若干見るに堪えない図に乗りっぷりな気がしないでもないが……まぁ、皆が無事で済んで何よりだ。
〇
程なくして、僕達は目的地である村に辿り着いた。
あれからは化け物が現れることもなく、それどころか港を出て以降誰とも遭遇していなければ家屋の一つも見掛けない状況を維持しながら、それまでのただただ歩き続ける旅をかれこれ三十分は続けただろうか。
化け物は出なくてもいい加減歩き疲れた感は否めないが、水分補給を欠かさないようにしたことやこの国の涼しいぐらいの気温のおかげで疲労困憊なんて状況を避けられたのがせめてもの救いといったところか。
いい加減お腹も空いてきているので昼食を取ろうかという話も出たものの、先に鍵を受け取りにいくことに僕達は決めた。
そろそろ夕方も近くなってきている。
マリアー二王との打ち合わせでは今日のうちに鍵を手に入れ、それぞれ一泊して明日の昼に合流場所へ、という段取りになっていた。
相手は王族。日が暮れたせいで会えず仕舞いではその段取りに支障が出てしまう可能性もなきにしもあらず、というわけだ。
村といってもまばらに民家が並んでいるようなこともなく、畑と畑の間にいくつも区画があり、数軒ずつの木造の家がきちんと並んでいる、どちらかというと田舎町という印象を受けるこの村にあって、僕達が会わなければならないお偉いさんがどこに住んでいるのかということは一目で把握することが出来た。
合わせて何十という民家の中にあって一つだけ外周が塀で囲まれている恐ろしく広い家があり、門の前には槍を持った兵士らしき人間が二人立っているところを見ても要人の住居であることは間違いないと見ていいだろう。
不満を垂れる高瀬さんを宥めつつその家に向かうと、門前に立つ大柄な兵士二人が険しい顔で僕達を見下ろした。
「何者だ。お前達、この村の人間ではないな」
「指定国同盟の遣いで参ったグランフェルトの派遣隊だ。バートン殿下にお目通りを願いたい」
「指定国同盟の遣いだと? それは明日の予定であると聞いているが?」
「諸事情により本日に変更になった次第だ。既にその旨を記した伝書も届いているはず、確認してくれ」
僕達を代表してセミリアさんが前に出る。
二人の門番は訝しげな顔をしたものの、さすがに独断で追い返すことは出来ないらしく。
「おい、すぐに殿下に確認して来い」
「はっ」
と、片方の指示によって若い方のもう一人が敷地の中へと早足で入っていった。
ここに来る途中、失礼な言動は慎むようにと決めたはずだったのだがサミュエルさんは普通に舌打ちをしている。
あの人の性格からして、こうやって威圧的だったり見下した様な態度を取られるのが気に入らないのであろうことは分かるが、これでは『こいつらが余計な言動で話をややこしくするようなら殴ってでも黙らせるから』と夏目さんや高瀬さんに睨みを効かせた時の頼もしさもアテにならなそうである。
そんな、どこか無言のままで一部ピリピリした空気の中、三十秒程で門番が戻って来る。
「確認が取れました。殿下がお待ちです、中へどうぞ」
一転してきびきびとした動きで一礼すると、男は半分しか開いていなかった門を完全に開いて僕達を中へと促した。
すれ違い様にもう一人の門番と睨み合うサミュエルさんの背中を押して中に入ると、広い庭に人工の池があったり、大きな母屋に離れや納屋まである豪華な屋敷が広がっていた。
外から見た印象よりもずっと凄い。さすがは王族の住む家といったところか。
そのまま敷地内を大回りして一番奥の部屋に通されると、一人の男が机に向かって筆を走らせていた。その男は僕達を認識すると同時に筆を置いて立ち上がる。
「ようこそお越し下さいましたな。私がフランク・バートンです」
歳は四十前後といったところか。
物腰の低い口調でそう名乗った男は傍に控えていた女性にクッションらしき物を並べさせ、まずは僕達に腰を下ろすようにと告げた。
王族であるという人物の前で床に座らされるとは思っていなかったが、これは失礼なことというわけでもなく単にこれだけの人数が座れる椅子がこの部屋に無かっただけの話だろう。
そして全員が横並びに腰を下ろすとバートンと名乗る男が正面に座るのを待って、セミリアさんが入り口でしたのと同じ説明を繰り返した。
これは余談だが、大半が胡座を掻いて座る中で僕以外では唯一セミリアさんだけが正座をしている。
他の面々にも時と場合を考えて欲しいところではあるが、それが失礼な行為だとは微塵も思っていなさそうなので希望は薄そうだ。ちなみにミランダさんは座ることすらせず、僕の後ろに立っている。
これはこれで弁えすぎな気もするし、ちょっと申し訳ない感じだけど『わたくしは使用人ですので』と、自ら戦法に頭を下げられてしまっては僕が口を挟むわけにもいかない。
「ご多忙の中突然押しかけた無礼をお許しください。我々は指定国同盟の遣いで参りました、グランフェルトの派遣隊です」
「ええ、伺っておりますとも。少し前に手紙を受け取りました。封印の洞窟の鍵を受け取りに来たのですな?」
「いかにも、バートン殿下が預かっていると聞いておりますゆえ」
「確かに、鍵は私が管理させていただいております。しかし、すぐにお渡しすることは出来ません」
「と、言いますと?」
「鍵をお渡しするにあたって、条件があるのです」
「じょ、条件……ですか」
と、予想外の言葉をセミリアさんが反復したと同時だった。
「ちょっとちょっと、黙って聞いてりゃ何をワケの分からないことを言ってるのかしら? 殿下だかなんだか知らないけど、条件を出せる立場なわけ? 私達を誰だと思ってんのよ、サミット参加国の決定に逆らおうっての?」
「こ、こらサミュエル。無礼だぞ」
「サミュエルさん、失礼ですって。落ち着いてください、話は僕達がすると決めたばかりでしょう」
セミリアさんと二人で今にも立ち上がって武器を構えそうな勢いのサミュエルさんの肩を押さえると、鬱陶しそうにその手を振り払ったものの舌打ち一つでどうにか腰を下ろしてくれた。
すぐに僕達はバートン殿下に頭を下げる。
「も、申し訳ありませんでした」
「非礼を詫びさせていただきたい。殿下、何卒ご容赦を」
「いえいえ、構いませんとも。それも当然の反応だと言えるでしょう、お気になさいますな」
しかし、と。
こちらの無礼も笑って許してくれた様子のバートン殿下は続けた。
「しかし、鍵の管理を任されているのは私だ、どう扱うかも含めて一任されております。気に入らなければお引き取りいただいて結構、鍵はお渡し出来ませんな」
そのままバートン殿下は立ち上がり、先程まで座っていた机の前に腰を下ろすと再び筆を走らせ始めた。
そんな態度に黙っていられない人物が一人。
「アンタねえ……」
またしても怒って立ち上がりかけたサミュエルさんの腕を慌てて掴むも、そんな姿も取りに足りないとばかりにバートン殿下が表情を変えることはない。
「こちらもなりふり構っていられる状況ではありませぬゆえ、気が変わられた折にはまた訪ねてこられるとよいでしょう」
「分かりました。その条件、聞かせていただけますか?」
「コウ、何を勝手な事を言っているの。私は認めないわよ、こんなふざけた事……」
「落ち着いて下さいサミュエルさん。サミット参加国という言葉の意味を考えて行動しなければいけないのは僕達も同じなんです。理屈や立場がどうあれ、条件を聞き入れなければ鍵を渡してもらえないなら聞いてみる他ないんです。聞いていなかった、だから鍵を手に入れることが出来ずに帰った、では責任を問われるのはリュドヴィック王なんですよ」
「コウヘイの言う通りだ、私達にも連合の名の下に果たすべき責任がある。まずは話を聞いてみないことには何一つとして進展がないではないか。それに私達の代表はコウヘイだ、ならばコウヘイの決定に従うべきではないのか」
諭す言葉も何のその。
サミュエルさんは大層面倒臭そうな顔でやや乱暴に僕の手を振り払った。
「だったら好きにしなさい。ただし、その結果にまで私が付き合うだなんて思わないことね。誰が何と言おうとふざけた条件なら即刻帰るか、力尽くで鍵を奪うという方法を取る。それを肝に銘じておくことね、そちらさんも含めて」
なんとかサミュエルさんは腰を下ろしてくれたものの、セミリアさんとバートン殿下をギロリと睨むその目は本気であることを物語っていた。
これ以上話が長引くと収拾が付かなくなってしまうのも時間の問題だ。
僕はすぐにその条件とやらを聞き出そうと思ってはいても独断が許される様な立場ではなく、あくまで代理の代表である以上みんなの意見も聞いておかねばなるまい。
「高瀬さん、夏目さんはどうですか?」
「別にいいんじゃねえの? んなもんフローラとの結婚然り、売られたミーティア姫然り、先に進むためには何かしら条件飲んでミッションクリアしなきゃいけないのがお約束だろ。つーか腹減った」
「ウチも康平君やセミリアはんがええんやったら文句はないで。難しい話はよー分からんし、二人の決定に従うわ。ていうか腹減った」
意外と簡単に納得してくれた感じの二人だが、語尾が共通しているあたり『何でもいいから早く話を終わって飯食いたい』というだけの理由な気がしないでもない。
「ミランダさんはどうです?」
「コウヘイ様、わたしには確認してくださらなくてもいいと言っていますのに……今後も含め、わたしの意見はコウヘイ様の意志と同じだとお考えください」
「そ、そうですか……」
そこまで従順でなくてもいいのに……意見はいっぱいあった方がいいんだから。
とはいえ、サミュエルさん以外の皆は賛成ということでいいだろう。
さすがに今ここでジャックの意見を聞くわけにもいかないし、賛成多数ならば話を聞いてもよさそうだ。多数決になど従わないサミュエルさんが唯一の反対派なのが不安材料ではあるけど……。
しかし、ジャックは台詞が一切無いせいでそろそろ忘れられてしまいそうだな……他の皆にも、これを見ている誰かにも。
「ではバートン殿下、その条件を聞かせてもらえますでしょうか」
セミリアさんと視線を合わせゴーサインを共通の意思として確認すると、殿下はまた筆を止めて立ち上がる。
話が進む度に文字を書いたりやめたり立ったり座ったりと忙しい人だ。
「さすがは一国の王を代理するお方ですな。聡明で何より」
僕に対して一言述べ、殿下は壁際に数歩進んで窓の外に視線を移すとその一言を口にした。
「要人失踪事件、という言葉をご存じですかな?」




