【第三十六章】 盾と矛
ノームの大きな声を合図に、目の前が土で出来た人型の何かに埋め尽くされていく。
まるで無作為に並べられたマネキンを前にしているかの様な異様でいて異質な光景。
僕にしてみれば薄気味悪く、不気味でホラーな景色でしかなかったが、こちらの世界に生れ落ち、長らく魔王軍と抗争していただけあって他の面々に動揺する様子はない。
「なるほど、それが貴様の門の力か」
「如何にも。元よりこの人数差だ、卑怯だなどとは申すまいな」
「そこまで耄碌しているつもりはない、エリザベス」
「よしきた」
名前を呼ばれたリズはすぐに杖を構えて白色の魔法の矢を正面にいる人型の土の塊へと放った。
後ろにいる僕の位置からでは表情が見えないものの、攻撃の許可が出たからなのか若干テンションが上がった声音に聞こえたのは気のせいであって欲しいのだけどそれはともかく、リズの手を離れた薄白い矢は行く手を阻む大量の土で出来た軍勢の内の一体へとまともに直撃する。
胴体の辺りに炸裂した魔法はあっさりと土人形を粉砕し、そこに残ったのはバラバラになって地面に転がった無数の土の塊だけだ。
本人の申告が事実であれば総数で百の敵軍が立ちはだかっている状況。
となればどれだけの強さであるか、もっと言えば人でも生命体でもない物体にどれだけの強度があるのかは重要な要素であり知っておかなければならない情報でもあり、今後の展開を大きく左右する問題だと言えるだろう。
そういう意味では魔法一発で粉砕出来るレベルというのは不幸中の幸いというか、万が一あんなのが鉄並みの頑丈さでも持っていたらどうなっていたことかって話だ。
気の緩みという程ではないが、どこか張り詰める緊張感の中にあって初めからほぼ詰みみたいな最悪の状況は避られていることに少しばかりの安堵が心に生まれた時。
目の前ではまたしても異変が繰り広げられようとしていた。
バラバラになった土の塊がまるで生物みたく独りでに動き始めたかと思うと徐々に寄り添い合い、やがて一つに纏まり、最終的には人型の、つまりは元の形に戻っていくのだ。
この間およそ十秒。
既に最初の攻撃など無かったかの様に、それ以前と同じ光景が目の前に広がるまでに至っていた。
「やはりそういう性質を持つか、少々面倒そうだ」
元よりノーム本人が生み出したというよりは足元に無限にあるただの土を素材としているため想像の範疇と言えばそれまでだけど、予測出来ることと『どうにかなる』度合いは当然ながら比例しない。
クロンヴァールさんも同じ考えだったのか、一度軽く左右を見渡したのちにうんざりした声音を漏らしつつ自身も腰から剣を抜いた。
そういった理屈を気にしないのは恐らくリズ一人である。
「はっ、こんな砂遊びが何だってんだよ。本体を消し飛せばいいだけの話じゃねえか、ウチの地獄葬でよ」
「戯け、後ろの町まで大惨事になるわ」
「それの何が悪いってんだ、喧嘩吹っかけてきたのはあちらさんだぜ? 日々カミサマとやらに祈りを捧げる子羊どもすらも無関係に消し飛ばそうとしておいてテメエのお庭にゃ手を出すなってか? いつから世の中ってもんはそんなに都合良くなったんだおい」
「我々と奴との決闘ということで話がついた。死んでもオーブは渡さんと言われるよりはいい」
「ほーん、ならあいつだけ殺すのはオッケーってことだな」
やはり命のやり取りをしようという緊迫感を一切感じさせない暢気な声音を残して、リズは一歩二歩と前に出て行く。
対するノームもまた当初のイメージとは少々違って正々堂々を信条としているのか不意打ちを仕掛けてくることもせずにこちらが臨戦態勢になるのを待っていたらしく、それに合わせて一歩だけ前に出た。
「大地の守護者ノーム、尋常に参る」
「な~にが大地の守護者だ、イキがったところで首輪がチラ付いてんだよ番犬野郎が。砂遊びがしたけりゃ好きなだけ地面とキスでもしてな!」
翻って、言いたくはないがこちらは高潔さの欠片も無い台詞を投げ掛けるなりほとんど不意打ちみたいな格好で攻撃を繰り出していた。
罵声を浴びせるリズは杖を振り上げ先端を地面に叩き付ける。
すると離れた位置にいるノームの目の前でいきなり地面が盛り上がり、かと思うと野球のバット程の太さを持つ土の突起が巨体の中心に向かって伸びた。
推測するにコカトリスとの闘いでアルバートさんを持ち上げた、所謂土属性の魔法というやつの応用なのだろう。
いや、リズの魔法が極端に攻撃の用途に振られているらしいことを考えるならばどちらかというとあっちが応用技といったことろか。
いずれにせよ百体の土人形という数による防壁を無視した遠距離攻撃。
そういった能力を持つ人員は魔法剣の使い手であるクロンヴァールさんにハイクさんの武器がブーメランであることも加えればそれなりに揃っていて、敵方が数的不利を門の能力で埋めるどころか凌駕してきている状況にあっては生命線となる戦法と言っていいはず。
それすなわちブーメランという物理的な攻撃は別としてもこういった魔法による攻撃が通用するか否かが今後の展開を左右する要素となり得るわけだけど、とはいえ相手も最後の砦となるべく存在している最強格の神だ。
そう簡単に小手調べの攻撃が通用するはずもなく、リズの魔法が胴体に到達するよりも先に同じ様に足元から沸き上がってきた土の盾……というよりはもはや土の壁があっさりと攻撃を防いでいた。
案の定リズはイラっとした声を上げたものの、ここで感情的になって矢継ぎ早に相手を殺傷する気満々の魔法を繰り出したりはしない。
「ちっ、かってぇな。ウチの土魔法じゃ厳しいか」
「そんなに違いがあるもんなのか?」
その台詞に疑問を投げ掛けたのは遅れてクロンヴァールさんの横に出たハイクさんだ。
なるほど確かに、言葉尻からするに練度や強度に差があるかの様な言い方だけど……世界一と謳われたセラムさんすら上回る才能とまで言わしめるリズでも敵わないということなのだろうか。
「あっちはそれ特化、ウチにとっちゃ取り敢えず全部覚えたうちの一つだ。言いたかねえが質ってもんがちげえ」
「だったらその憎たらしいまでの才能なり負けん気の強さでどうにかしやがれ。どうあれ突っ込みゃ囲まれる可能性が高い以上は対処出来んのは姉御とてめえってことになる。二人が野郎を仕留める、残りで周りのお人形を片付ける。嫌でもそういう戦いになるんだからよ」
ハイクさんは巨大なブーメランを背中から手に移した。
同時にアルバートさんとユメールさんもクロンヴァールさんの両脇に並ぶ。
「御姫に敵の親玉と直接対決をさせようとは、とんだ腹心がいたもんだなぁオイ」
「珍妙でいてぶっ飛んだ能力、この人数差、火力のある姉御じゃねえとどうにもならんだろう。そうでなくとも駄目だ、引っ込んでろと言ったところで止まらんさ」
「そういうことだ。アルバート、ダンは雑兵の相手をしつつこちらの補佐を。コウヘイとクリスは極力後ろにいろ。コウヘイ、お前の役目は鶏の時と同様だ。気付いたことがあれば随時伝えろ、何か思い付いたなら自由に行動しろ、そして自分の身は自分で守れ」
「分かりました」
「むむむ……クリスはわんこの御守りですか。数やら物理ゴリ押しのタイプじゃ相性が悪いので仕方がないですが、お姉様の足引っ張んじゃねえぞダン! ですっ!」
「キャンキャンやかましいんだよ留守番要員。黙って見てろって話じゃねえんだからてめえこそ油断すんじゃねえぞ」
僕の御守りという表現をされても本当に庇ってくれるのかと若干不安になってくるやり取りであったが、そんなポジションに人を割く訳にもいかなければ縮こまって誰かの後ろに居ていい場面でもない。
自分の身は出来る限り自分で守り、その上で突破口を探す。
それが僕の役目であることは相手が誰であろうと変わらないし、変えちゃいけない部分だ。
「長期戦は敵に利する、我々で突破するぞエリザベス」
ハイクさんの悪態に対してユメールさんが憎たらしい顔で舌を出したところでクロンヴァールさんの一言によって空気が切り替わった。
そしてリズが短く返事をしたのを合図に戦闘の開始が言葉ではなく行動によって宣言される。
「旋風刃!」
クロンヴァールさんは片足を軸にしてくるりと回転し、先制でオーガ戦で見せた剣を横に振り抜くタイプの斬撃波を繰り出した。
それによって正面を塞ぐ数体の土人形を破壊すると、呼応する様にリズもその左右に二発の魔法を放って同じく敵を粉砕し、結果としてノームの居る位置に通じる道筋が少しずつ開かれていく。
そして間髪入れずに二人は揃って駆け出し、中央突破という方法によってノームへ向かって突進しようとしていた。
だがそう簡単に先手必勝の策が成就するかといえばそんなわけにもいかず、二人が十体近くの土人形を倒して開けた敵勢の中心へ踏み込むなり地面で蠢く土の山が引き寄せ合う様に密着し合い、すぐさま元の姿を形成し、こじ開けた空間を埋めようと再生を始める。
「思いの外復活が早いね……誘い込まれたとは思いたくないけど」
ぼそりと、僕の目の前でハイクさんと揃って臨戦態勢を維持するアルバートさんの呟く声が聞こえる。
確かにノーム本人も、それ以外の土人形もこの状況で動きを見せないとなると何か企みあってのことではないかと疑念を抱くのも無理はない。
当事者とも言える二人がどう感じているかも気になるところではあるけど、大別するならばそれどころではない事態が生まれていた。
クロンヴァールさんは再び行く手を阻む様に復活した二体の土人形を素早く切り捨てる。
まさにそのタイミングでふと違和感を抱く。
破壊されたのは一度粉砕し、そこから再生した二体の土人形だ。
だが間違いなくそれ以上の数を倒したはずなのに復活したのは二体だけで、それ以外の個体は未だ崩れ去った土の群れと化したままでいる。
そこにどういう意味、違いがあるのかを考えようとする最中。目の前の光景が違和感の正体を形にしようとしていた。
倒した土の残骸とは全く無関係な位置で、不意にノームの元へ向かおうとするリズの足元から新たな土人形が現れ下半身に掴み掛かったのだ。
何も無い平らな地面からいきなり飛び出してくるという奇襲に対し、流石の経験値というべきかリズも土が盛り上がった瞬間に気付き咄嗟に飛び上がることで回避に出ている。
が、それでも走っている最中でのゼロ距離の不意打ちともなれば完全に躱し切るには至らず、飛び上がった膝にしがみつく様に土人形が両腕を絡ませ自由を奪おうとしていた。
「……んのやろっ」
浮上という上への動きを無理矢理に止められたリズはそれ以上の状況悪化を防ごうとすぐさま杖を持ち替えようとしている。
だがそれよりも先にその窮地を救ったのはクロンヴァールさんだった。
最初の二体が復活した時点で不穏な気配や予感を抱いていたのか、目の前の敵を倒すなりすぐにブレーキを掛けたかと思うと白く輝く剣でリズの足元にいる土人形をも素早く粉砕して見せたのだ。
普段は光っていない剣が薄白く光を帯びているということはやはり武器強化の魔法を駆使しているのだろう。
戦闘時は常に、というわけではないと記憶しているけど……そこには敵の性質や主となる戦い方によって変えているのか。
魔法力と言われる力を用いている以上は多かれ少なかれ限度というものがある。それも当然と言えば当然だ。
しかし魔法やそれに類する能力を持つのは敵とて同じ。
目の前、少し先でリズが無事に自由を取り戻した時、更に先にいるノームは虎視眈々と二人に狙いを定めていた。
翳した右手が密集地の中心に向けられている。
最初に気付いたのが誰であったのかはさておき、アルバートさんの大きな声がクロンヴァールさんの名を呼び、ハイクさんが駆け出すのと同時にノームは魔法を繰り出した。
突如として遠くにいる僕にすらはっきりと分かるぐらいの強い風が周囲を通過していく。
発生源はノームの右手だ。
言うまでもなく風を起こす魔法などであるはずもなく、その右手から生み出された風の気流は急速に渦へと変わり、周囲の砂を巻き込んでいるのか、能力からするに砂自体も自ら生み出しているのか、瞬く間に砂塵の竜巻と化して二人に襲い掛かった。
「狡い真似ばっかしてんじゃねえ!」
声が届く前に二人も察知していたらしく、着地するなりリズも素早くノームに対して魔法を発射する。
結果ノームの竜巻はリズが打ち出した魔法と中間付近で衝突し、凄まじい暴風を生み出したのちに跡形も無く消えて無くなってしまった。
魔法の矢ではないため見た目の色から判断することは出来ないが、同じ風を起こすタイプの魔法を使ったのだろう。
腕一本で竜巻を生み出すノームの力は人知を超えているレベルでこそあったものの、魔法の攻防となれば対等にやり合っているリズも大概超人的である。
そうして直接の危機はひとまず回避したことには安堵こそあれど、その間にも周囲では倒したはずの土人形が続々と蘇り数を増していっているため予断を許す状況ではない。
同じ判断をしたのかクロンヴァールさんも本体への特攻を考え直すという結論を下した。
「ち、これでは直接叩くどころの話ではないな。一旦下がるぞエリザベス」
「下がるったって御姫……」
また一体、左手で打ち出した爆発魔法で土人形を破壊しながらもリズは難色を示している。
最初にまとめて吹き飛ばしたせいか、どこから生み出されるのかも分からない敵が絶え間なく襲い掛かってきているのだ。退避しようにも一苦労だと感じるのも当然だ。
現に言葉を交わしている隙にもリズの背後から生まれた土人形の手が伸びている。
危ない! とか、後ろ! とかと叫ぶよりも先にハイクが巨大ブーメランで破壊し事なきを得たため声にはならなかったが、これを見越して飛び出していたのなら彼も頼りになる具合が半端ではないな……。
「……だけど」
おかげでどうにか凌いでいるのは事実ながら、ここまでがそうである様に実際に脅威なのは数と復活するという部分であって個々の戦闘能力や強度自体はそう強いものではない。
それでいて倒した傍から復活して迫ってこられてはじり貧というか、少なくとも倒すことで状況が好転していない上に行動選択の余地もどんどんなくなっていく。
事実包囲されつつあるためハイクさんを加えた三人は到底ノームに向かっていける状態ではないし、アルバートさんもすぐ傍、すなわち包囲の外で顔を右往左往させながら奇襲に備えている。
百に及ぶ土の兵士。
個々に意思を持っているとは思えないが……ならばどこまで制御、コントロールが及ぶのか。
その証拠に、と言えるのかは分からないけど僕達のすぐ前、比較的ノームとも土人形達からも離れているアルバートさんを含むこっち方面に攻撃してくる様子はない。
それを察し態勢の立て直しと戦略の見直しを要するという判断の下、ハイクさんを含む三人はクロンヴァールさんの号令によって周辺の土人形を叩き潰しながらもこちらまで戻って来た。
ノームも追撃に出るでもなく、すぐさま蘇らせた土人形を配置し直し自身を守る壁さながらに幾層にも及ぶ列を組ませている。
まさしく兵に守られる王将の如く、最深部からは未だ一歩も動いていない。
「お姉様、お怪我は?」
「問題ない。が、これでは奴に接近するにも一苦労だな」
「ぶっ壊した傍から生まれ変わってきやがる。しかも殴り掛かってくるでもなく掴み掛かってくるだけってのがウザ過ぎんぜクソが」
「耐久力もそうない。ゆえにパワーも相応なのだろう、大した攻撃力はない。だからこそああして動きを封じる、自由を奪う、ということに特化させているわけだ」
「けっ、ただのヘタレ野郎じゃねえか。直接やり合う根性もねえ木偶の坊が」
「コウヘイ、何か気付いたことは」
実際に一戦を終えたばかりの二人が感想戦をしつつも息を整えている。
ふとクロンヴァールさんが僕を横目で見た。
「確証を得られる物ではないんでしょうけど、足元から生まれた数や復活してきた個体の数と皆さんが撃破した数が同じでした。推測するに本人の言う百という数が上限であると考えられます。そしてお二人が中央でやり合っている間、離れているアルバートさんや僕達を攻撃しようという様子は一切なかったのを見るに自立して行動する性能はないと考えていいかと。ノーム自身が操っているのだとすれば四方に散れば目が追い付かず対処困難になる、という可能性もあるんでしょうけど、それゆえに複雑な動きをするでもなく連携を取るでもなく掴み掛かる襲い掛かるという単純な指令に徹しているのかもしれません」
「あくまで壁としての用兵、か。これで本体が弱いとなればまだ打つ手もあるのだろうが……先程の盾といい攻防どちらも対応するだけの能力を別に持っているのが厄介だな」
「姉御よ、だったらバラけて野郎の目を追い付かなくさせる多方面攻撃に出るべきってことになるのか?」
「いや、あの雑兵どもを片付けることが目的ならばそれでもいいのだろうが最終到達点は奴を討つことだ。ならば……」
「一点突破でカタを付ける、ってわけだな」
何がそうさせるのか、割って入ったリズの表情からするにまたテンションが上がっているらしい。
幸いにもそんな変わり者は彼女一人だけであったらしく、僕とユメールさんを除く三人はまるでそれ一つで指示や意思疎通が事足りるとばかりに一度ずつ視線を交わし合い再び攻勢に出る構えを取った。
「一気にカタを付けるぞ」
その号令に、瞬時に三つの返事が重なる。
先程と違い先陣を切る役目を一任されたのか、任せたつもりははいけどやりたければ好きにしろというスタンスなのかは分からないが、リズが杖を弓矢スタイルで構えるのを止める者はいない。
「特上の爆発魔法三本セットをお見舞いしてやんよ。精々しっかり味わってくれよ砂遊びが趣味の陰険ヤローがよ!」
瞬時に三本の黄色く輝く魔法の矢がリズの右手から杖へと伸びる。
見るからに周辺被害とかお構いなしにまとめて吹き飛ばしてやると言わんばかりの威圧感が伝わってきているけど、それよりも見守るしかない僕の目にまたしても違和感が飛び込んできていた。
この話し合いの間に何もしてこないこともその一つではあったけど、それ以上にはっきりと視界が捕らえているのは……ニヤリと嫌らしく笑みを浮かべるノームの顔だ。
「リズ!」
「待てエリザベス!」
クロンヴァールさんと声が重なる。
しかし発射を止めようにもぎりぎりで間に合わず、打ち出された三本の魔法は前方一体を遠慮なく吹き飛ばしていた。




