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勇者が仲間になりたそうにこちらを見ている  作者: まる
【勇者が仲間になりたそうにこちらを見ている】
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【最終章】 魔王

3/2 台詞部分以外の「」を『』に統一

 ハヤブサを倒した僕とサミュエルさんは数分ののち扉の鍵が開いたのを確認して再び大広間へと戻った。

 鍵が開く、それすなわち他の部屋の皆も無事であるということ。

 とはいえサミュエルさんがそうであるように敵を倒したからといって五体満足であるかどうかは定かではないし、最悪の想定をすれば二人だったり三人で入った部屋からそのままの人数で出てくるとも限らない。

 そんな不安も皆の姿を見ることで無事に解消され、ひとまず全員が揃って無事に戻ってこれたことに安堵する。

 サミュエルさんと同様、セミリアさんも傷を負い血を流していることに心が傷んだが、

「心配には及ばない。大した傷ではないし、ミノリのおかげでこの程度で済んだと思っているぐらいだ」

 と、微笑むセミリアさんが心配の言葉を自制させた。

 虎の人やジャックが言うにはあれだけの相手と戦ってこの程度のダメージで済んだことが奇跡的であるらしい。

 何にせよ、怖くないはずがないのにみのりも頑張ったんだなぁと思うと感慨深いものがあると同時に、やっぱり無事でよかったと心から思う。

 ついでに言ってしまえば、みのりが頑張ったのに僕なにもしてないんだよなぁ……と思うと情けない気持ちでいっぱいだ。

 どうあれ相手は三人が三人とも化け物みたいな強さや超能力を持っていたことは間違いない。

 そんな中でみのりも、春乃さんも高瀬さんも虎の人も一切の怪我もないというのだからやっぱり奇跡のようなものなんだろう。

 春乃さんと高瀬さんに至っては『なんか起きたら終わってた』と、謎の感想を漏らしていたのだが……こればかりは気になるところだけど今この場で言及しても仕方あるまい。

 となると気がかりなのはサミュエルさんか。

 何が、ということはさておき『掠っただけだ』と言うセミリアさんとは違い、サミュエルさんは肩を刺されている。

 細いレイピアとはいえ、あんなもので刺されて大丈夫の一言では済まないと思えてならないんだけど、やはりサミュエルさんも『問題ないって言ってんでしょ。このぐらいの傷でいちいち顔色変えんなってのよ、煩わしい』と、周囲の心配を突っぱねるだけだった。

 彼女の場合はどちらかというと心配されることを嫌がっての発言なのだろうが、ジャックも似た様なことを言っていたのでやはり必要以上に触れることも躊躇われる。

「オーブは三つとも手に入れた。残るは……奴一人だ」

 そんな中、一頻り再会を喜び合ったところでセミリアさんが切り替える様な表情、口調で大きな扉に目を向けた。

 奴という言葉が指すのが僕達にとっての未知なる存在であることは言うまでもない。

「勇者たん、今からブッコロがす魔王ってのはどんな奴なんだ? やっぱラスボスだけあって怪物みたいな奴なのか? それとも定番通り人型のじいさんみたいな奴なのか?」

「どんな奴、と問われると恐らく初めて見るお主等にしてみれば困惑するかもしれぬ。あくまで見た目は、という話ではあるが……シェルムの外見はただの小童だ」

「小童? って子供ってこと?」

 春乃さんが割って入る。

 魔王が見た目はただの子供? ここまで来てそんなおかしな話があるだろうか。

「その通りだ。だが、その力はやはり別次元……一撃さえ入れられれば簡単に倒せるであろう戦闘力しか持ち合わせていないはずのシェルムを倒すことが出来ない唯一の理由がそこにあるのだ」

「一撃さえ入れれば勝てる……ですか。ということは攻撃さえ出来れば簡単に倒せると?」

 険しく、深刻な顔をして説明を続けるセミリアさんに僕は口を挟まずにはいられなかった。

 今の話を総合するに、随分と予想していた図と違ってきている感が否めない。

 見た目は子供で、攻撃出来れば簡単に勝てる。そんな相手に勝てない理由……それは一体なんだというのか。

「純粋な守備力という面では恐らく生身の人間と大差ないだろう。だが、それでいて万夫不当の強さを持つのは偏にその強大な魔力によるものだ。攻撃を当てる当てない以前にまず接近することすら難しい。それだけの威力の魔法を無尽蔵に放ってくるおかげで必然と防戦一方になってしまうからだ」

『なるほど、攻防一体になりうるだけの飛び抜けた攻撃力を持っているわけか』

「うむ。まともに食らえば即死レベルの魔法を大小様々な形で放ってくる。高度な技術などないし、そもそもが攻撃魔法でもないただ魔力の塊を、詠唱もなく自由自在に、だ」

『詠唱がない……つまりは呪文ですらねえってのか』

「恐らくという話だが、間違いないだろう。先日城でギアンという男が私達に向けて放った魔法と似たようなものだ。違うのは威力とスピード、そして手数の多さも自在といったところか」

「ではどう戦うトラ」

 そこで横から割って入ったのはお決まりのポーズなのか、いつだって腕を組んで仁王立ち状態である虎の人だ。

 確かにセミリアさんですら近付くことも出来ないと言われては僕達にそれが出来るとも思えない。

 というか、まともに食らえば即死レベルだなんて簡単に言うが、それに立ち向かおうとするのはどれだけの覚悟が必要なことか。

 首飾りが無くなり命の保障などありはしないのに、セミリアさんにとってはそれが足を止める理由にはならないのだということが嫌でも理解出来る。

 その危険性に関しては再三意思確認をした。今ここでまた口にすることに意味は無い。

「これまでは私一人だったが、今は違う。パーティーである強みを生かせれば勝機は必ずあるはずだ」

 力強く、皆を勇気づける様な口調のセミリアさんにサミュエルさんが続く。

 さすがのサミュエルさんもここで勝手に先に進もうとはしないらしい。

「要はアンタ達が囮なりなんなりになって隙を作る、その間に私が一撃を食らわせるってことね」

 囮になるかどうかはさておき、人数で勝っている強みを生かそうとするならばそれしかないといったところか。

 攻撃が出来れば勝てるという情報が確かならば、どうにかして僕達がそういう状況を作り出さなければならないことは間違いない。

 化け物を倒す力が無いのならセミリアさんやサミュエルさんをサポートすることが僕達の役割だ。

 そう決意したはいいが、サミュエルさんの言葉を額面通りに受け取ったらしい春乃さんがすかさず食って掛かっていた。

「ちょっと、囮ってなによ。あたし達を犠牲にしようってんじゃないでしょうね」

「その辺は臨機応変にってところね。どのみち大した戦力にもなりゃしないんだから、そのぐらいはやってもらわないと連れて来た意味も無いわ」

「あんったに連れて来てもらったんじゃないってのよ! 人を犠牲にして生き残ろうだなんてサイテーな考えをする奴だとはちょっとしか思ってなかったんだけど」

「はぁ、これだから素人ってのは見識が狭くて嫌になるわ。人を犠牲にして生き残るんじゃなくて人を犠牲にしてでも勝つのよ」

 大して気にもしないサミュエルさんはやれやれと呆れたように首を振る。

 それが一層癇に障ったらしく、春乃さんは大股で二歩三歩とサミュエルさんに詰め寄ると指を突き付けた。

「あのね、あたしだってツレのために犠牲になるなら本望だと思ってる。だけど自分から仲間を犠牲にしようだなんて考えは死んでも持たないわ」

「同じことじゃない」

「ぜんっぜん違うわよ!」

 春乃さんの声が怒気を孕み始めた時、

「相変わらず馬鹿な奴だなお前は」

 落ち着いた様子でそんなことを言ったのは高瀬さんだった。

 すぐさま春乃さんの怒りの矛先が向きを変える。

「何よおっさん。なんかあたし間違ってる? どーせこの女に萌えたいだけのくせに」

「萌えたい願望を否定はしないが、それは関係ねえ」

「……何が言いたいのか分かんないんだけど」

「いいかゴスロリ、どのみち負けたら死ぬんだぞ? 今更危ないだの犠牲になるならないって次元の話じゃないことぐらい分かれ」

「うぐぐ……おっさんのくせに偉そうに」

 正論の様なそうでない様な決め顔の台詞に春乃さんは悔しそうに顔を歪める。

 そして最終的に返す言葉が見つからなかったのか、フンと鼻を鳴らして背を向けた。

「いいわよ、分かったわよ。やったろうじゃない! こちとらツレのためなら命の一つや二つ惜しくないっての」

 半ばやけくそ気味に言い放ったかと思うと、春乃さんは閉じたままの扉の方へと向かっていった。

 更にはそれを見た高瀬さんとサミュエルさんもそれに続いて歩き始める。

「まったく、あいつにゃラスボス戦上等精神ってもんが足りないらしい」

「はぁ……馬鹿ばっかり。いちいち疲れるわ」

「そんな開き直りみたいな納得のしかたでいいのだろうか……」

 三人の後ろ姿を眺め、一人呟く僕。

 納得しようがしまいが事実は変わらないのだろうが、心持ちや気持ち如何で結果は大いに違ってくると思うのだけど……あの二人があんなだから僕の役割は心配ばかりになってしまうんだろうなぁ。

 どちらにしても、僕が開き直っていい場面ではないことは確かだ。

「みのり、出来るだけ僕か虎の人のそばにいるようにね」

 不安があっても、恐怖心があっても、取り乱したり冷静さを欠けば生き死にを左右する。

 という意味での言葉に対し、代わりに答えるのはセミリアさんだ。

「案ずるなコウヘイ、私は誰一人犠牲にするつもりはない。勝つことが何よりも大事ではあるが、だからといってお主等を無事に帰すという約束を違えるつもりはないぞ」

「そう言っていただけるのはありがたいですけど、そのせいでセミリアさんが怪我したり目的を達成出来ないなんてことになるのは嫌なのであまりそれに執着し過ぎないようにしてください。どのみち僕は身を守るしか出来ないわけですし、セミリアさんやサミュエルさんが攻めに回るなら僕と虎の人が守りに入ればどうにかなるでしょう」

 ただでさえ二人は手負いなのだ。

 余計な負担を与えるだけでは何をしに付いて来たのかわかりゃしない。

 この二人と虎の人が自らの身を守る術を持っている以上、二人に加わって魔王とやらを攻撃するよりも何かあった時にフォロー出来るように控えている方が僕達だけではなく二人に取っても余程安全だろう。

 だからこそこの扉を潜った先でどういう争いが起こるのかは予想も出来ないにしても、ひとまず虎の人には守り側に回ってもらう。

 もっとも、二人が力を合わせればそれで勝てるというレベルであるとは思えないし、その魔王の部下一人を相手にしたって剣で突き刺されるだけの苦戦を強いられたのだから必ず虎の人や僕達も何らかの役目を果たすタイミングは来るはず。

 そのタイミングを間違えず、またその時に行動出来る勇気や度胸を維持出来るかどうかが重要となる。

 どんなことが起きても冷静に頭も身体もすぐに動かせるようにしておくこと、それが僕の役目だ。

「ではオイラもひとまずは守りに徹するということでいいトラな」

「ええ、ひとまずは」

 虎の人も僕の言わんとしていることを理解してくれているようだ。

 特に高瀬さんや春乃さんは言って聞く相手ではないので虎の人やセミリアさんとの意志疎通こそが最重要と言ってもいいだけにとても助かる。

「康ちゃん、わたしもみんなの邪魔にならないように頑張るから康ちゃんも自分のこともちゃんと考えないと駄目だよ?」

 それからね、と。隣で僕を見上げるみのりは続けた。

 少し不安げな顔で。

「それから?」

「きっと……皆で無事に帰れるよね?」

「大丈夫だよ。無事に帰れる、この場所からも元いた世界にも」

 安心させるためだけのそんな言葉にも、みのりはただ『うん。ありがとう、康ちゃん』と微笑んだ。

「よし、では私達も行くとしよう」

 話が纏まったところでセミリアさんが僕達の肩に手を置いた。

 いよいよ、ここであれこれと考える時間も終わりだ。

「まさかオイラが魔王と一戦交えることになろうとは、な」

 虎の人も気合いを入れるように指をバキバキと鳴らしている。

 それを最後に会話は途切れ、何も言わずにこちらを見ている三人の元に向かった。

 それぞれが化け物達から奪ったガラス球のような物を扉のくぼみに埋め込むと突如三つの球が強い光を放ち始める。

 間を空けずに解錠したのだと分かるようなガコリという音が聞こえ、やがて光も消えていった。

「どうやら開いたようだな。行くぞ」

 セミリアさんが扉に手を当てこちらを振り返るとサミュエルさんと虎の人以外の四人が真剣な表情で顔を見合わせ、無言で頷いた。

 身長の何倍もあろうかという大きな扉の片側をセミリアさんが、もう片方をサミュエルさんが、それぞれ手の平で押し込む様に力を込めるとギギギという音と共に最後の扉が少しずつ開いていく。

 それは同時に、長きに渡る旅と冒険を経て僕達がこの世界に来た本来の目的を果たす時をようやく迎えたことを意味する。

 果たせなければ待っているのは死。

 そんな非現実な覚悟を持って、最後の戦いへと挑むべく扉の向こうへと僕達は足を踏み入れた。


          〇


 扉を開いた先に広がっていた光景は、一言で表すと玉間らしき部屋だった。

 また罠でも張られているのではないかという可能性は真っ先に頭に浮かんだが、今のところその様子はない。

 十分な広さを持つ部屋ではあるものの、今まで通ってきた部屋と比べると半分程度の大きさだ。

 それでも学校の体育館ぐらいはあるのだからいかにこの城が大きな建物であるかがよく分かる。

 さらに言えば他の部屋と違ってここの床や壁には古びた印象が一切感じられない。

 誰かが居座っていることを考慮してのことか、魔王という存在の性質によるものなのかといったところなのだろう。玉座の間にいることを考えても後者の線が強そうだ。

 そして向かって正面、二十メートルほど先には一番奥にある玉座に座っている人影が見えていた。


「ガキじゃん! 女じゃん! 合わせて幼女じゃん!」


 僕達の最終目的なのであろうその人影は、そんな高瀬さんの空気を読まない第一声が珍しく否定や訂正の余地を挟まない。そんな風貌をしている。

 偽物の王様だった老人やエスクロという男と同様に見た目はほとんど人間と変わらない。

 老人と違って肌の色もほとんど僕達と同じで、やや大きくて尖っている耳や薄緑色の頭髪以外は人間そのものだといえる。

 そんな姿をした子供が、見るからに十二、三歳の女の子が、玉座に座っているのだ。

 煌びやかな赤色のドレスに身を包み、退屈そうに、面倒臭そうに、膝を立てたお世辞にも行儀が良いとは言えないだらけた座り方でこちらを見ており、露骨に溜息を吐いている。

「あれが……魔王?」

 想像、想定とのあまりに大きな差に思わず声が漏れる。

 隣ではそれに合わせたようにセミリアさんが剣を抜いていた。

「コウヘイ、カンタダ、油断してはならんぞ。見た目がどうであれ奴は間違いなく魔王なのだ」

「間違っても油断はしませんけど……」

 イメージとの違いが大きすぎて心の持ち様に困ったことは間違いない。

 まさかあんな女の子を殺そうというのか……殺すために戦ってきて、それでいてそれが出来なかったというのか。セミリアさんやサミュエルさんほどの人物が……。

 自分が殺されるぐらいならと割り切れる度合いでいえば一般的な思考回路を持つ大多数の人間よりも高いと自負している僕だけど、道徳心が働くことまで抑えることは難しいものがある。

 油断はなくともそんな躊躇が少なからず頭を過ぎる中、魔王の女の子が離れた位置で玉座に腰掛けたまま僕達に向かって初めてその口を開いた。

「はぁ~……また来たの~? しつこいなぁもう、しかも人数増えてるしさー」

 呆れた様な、うんざりした様な口調。

 特別大声というわけではないはずなのに、よく通る高い声が反響して僕達の位置までしっかりと聞こえてきた。 

 そんな台詞を向けられているのは恐らくセミリアさんとサミュエルさんなのだろうが、二人は言葉を返すことはせず、視線を少女に向けたまま動かずにいるセミリアさんが後ろに居る僕達にだけ聞こえる程度の声で呟く声だけが伝わってくる。

「まずは私一人で攻撃を仕掛ける。ほぼ確実に射程距離に入る前に阻まれるだろうが、奴の力がどういうものか一度その目で見ていてくれ。いかに強大かを、一つ判断を誤ることがどれだけ死に直結してしまうかを」

 そう言って、セミリアさんは赤い絨毯をゆっくりと進んでいく。

 こちらの反応が無かったことに一瞬眉根を寄せた魔王の少女だったが、一人近付いてきたセミリアさんを見て再び肩を竦めた。

「ねぇ、なんでそうやってわざわざ勝負を挑みにくるの? もういいじゃん、どうせ勝てないんだしさ」

「戯けたことを抜かすな。私は何度でも立ち上がってみせる、貴様が滅ぶまで何度でもだ!」

「む~、生意気言ってー。そんな事言って負けそうになったらいつも勝手に消えちゃうくせに」

「要らぬ心配をするな。それも今日で終わりだ」

「はぁ~……なんでそんなに拘るかなー。別に人間を殺してるわけでもないのにさ、わたしはただここに居るだけじゃん」

「その居るだけのことで、どれだけの人間が余計な不安を抱きながら日々を過ごしていると思う。貴様等魔族の存在は我々にとって百害あって一利無し。互いに共存する意志などない以上貴様が地上に居座ることは立派な侵略なのだ。ならば成敗されて然るべき、長き戦いの歴史がそれを証明していることはお前も承知の上だろう」

「そんな難しい話わかんないもーんだ」

 拗ねた様な顔で舌を出す魔王シェルムに対し、セミリアさんは片手で持っていた大きな剣を両手で構えてその先を向けた。

 シェルムは未だ立ち上がろうという素振りすら見せない。

「もはや問答に意味は無いようだな」

 その言葉が終わって一瞬無言の間が流れたかと思うと、セミリアさんは駆け出した。

 フェイントと表現していいのか、右に左に素早く移動しながら玉座へと接近していく。

 神速という呼び名を持つというのを聞いたことがあるが、その名の通り同じ人間とは思えないほどの異常な移動速度だった。

 サミュエルさん以外の僕達側の人間は誰もが息を飲み、唾を飲んでただただそれを見守ることしか出来ない。

 そんな中、セミリアさんの特攻を見てかシェルムがようやく立ち上がった。

 ぴょんと跳ねるように椅子から飛び降りたかと思うと、広げた両手をセミリアさんに向ける。

 次の瞬間には例によって光る球体がその両手から無数に発射されていた。

 野球のボールぐらいのサイズの球が、十や二十では効かないぐらいに大量に、まるでマシンガンから発射される銃弾の如くセミリアさんに襲い掛かる。

 そのあまりの手数の多さにセミリアさんはピタリと足を止め、光る球体の嵐を避けたり剣で弾くことで防いでいるため無事でいることだけは把握出来るものの弾かれた砲弾や逸れた砲弾は次々と地面を削り、壁に穴を開けていった。

 無茶苦茶だ……そんな感想がまず頭に浮かぶ。

 事前に聞いていた通り、直接ぶつけられれば怪我では済まない威力であるのは明白で、そんな攻撃があんな量になって飛んできたのでは近付くことすらままならない。

 セミリアさんは既に五十発は放たれているのではないかという光の砲弾を防ぎながら徐々に後退を迫られ、ほとんど僕達のそばまで戻って来ている。

 同時に、そこでようやくシェルムも攻撃の手を止めた。

「だ、大丈夫なの……セミリア」

 ふぅと息を整えるセミリアさんへと、傍にいる春乃さんが躊躇いつつも心配そうに声を掛けた。

 みのりも同様に不安げな表情をしていたが、高瀬さんだけは想定外の光景に完全にドン引きした顔で虚空を見つめている。

「心配せずとも攻撃は受けていない。が、これが奴の強みだということが分かっただろう」

 セミリアさんは視線をシェルムに固定したまま数歩下がって会話が出来る位置まで近付いてきた。

 僕達に現実というものを見せるために無謀な特攻を試みたのかと思うと胸が痛い。

「いや、うん、それは十分理解したっていうか……攻撃するとか近付くどころじゃなくないこれ?」

「僕も同じ感想ですね……攻撃さえ出来れば勝ち目があるがそれが出来ない、と言っていた意味がよく分かりました」

 春乃さんの感想に同意すると、代わりに答えたのはサミュエルさんだ。

「この程度でビビってたらこの先やってらんないわよ。一発一発の威力を見たら分かる通り、アイツにとってはこんなの序の口小手調べ。その気になりゃ十倍の威力で同じことが出来るんだから」

「十倍って……無理ゲー臭がハンパねえな。いっそ全員で突っ込んでみっか?」

 げんなりしつつも怖がったり逃げたがったりしない高瀬さんもある意味凄いな。

 とはいえその案はどうかと思うけども……。

「人数を生かす戦術が無いならそうするしかないでしょうね。何人死んでも誰か一人が奴を攻撃出来たら勝ち、出来なかったら負け、そういう方法を取らざるを得なくなる」

 別に私は一人でもいいけど、と。

 それが大したことではない様な口振りのサミュエルさんもこの程度の危機的状況など慣れっこだと言わんばかりである。

 最終的に行き詰まればそうするしか無くなるということは確かに理解出来る。だが、それが結果的に勝利に繋がる確率は低いはずだ。

 何よりも勝利の裏には僕達のうちの少なくとも半数が犠牲になる。そんな方法だ。そう簡単に僕がそれに同意するわけにはいかない。

「かといって、あんな攻撃をされたらどういう方法を取っても効果的にはならないのが問題か。有効な攻撃をするためにはあれを上回るだけの攻撃手段が無いと不可能だ」

 冷静さを失わない様に自らに言い聞かせながら分析してみるが、考えれば考えるほど困難な状況を認識させられるだけだった。

 仮に高瀬さんや春乃さんが離れた位置から攻撃したところでシェルムの攻撃に掻き消されて終わり。

 唯一の希望はムカデを倒すだけの業火を放つことの出来る虎の人なのだが、それとてあの手数ではまともに対抗出来るとも思えない。

 となればセミリアさんのあのスピードを持ってして近付くことが出来ない以上、それに劣る僕達が向かっていったところで戦況が好転する可能性はほぼ無いに等しいだろう。

 ならばどうするべきか、何が出来るのか。

 そんなことを必死に考えていると、不意にジャックが言った。

『そのことなんだがな、相棒。ありゃ何かおかしいぜ』

「おかしいって……具体的に何が?」

『あの攻撃だ。あれは恐らく……奴自身の力じゃねえ』

「どういうことだジャック。これはシェルムの攻撃ではないというのか」

『落ち着きやがれクルイード、そういう意味じゃねえ。攻撃自体は奴の意志によって放たれているんだろうが、どうにも放出の際に魔力の変換が行われていないみてえだ。なんらかの方法で魔力を増長……いや、発生させていると見ていいだろうぜ。そしてその発生源はあのティアラだ』

 全員がシェルムに目を向けた。

 確かに小柄な体躯の少女の頭には宝石のような物がキラキラと光る綺麗なティアラが乗っている。

『攻撃を放つ際、あのティアラが魔力を帯びていた。それは間違いねえ。生み出しているのか、別のどこかから転送してきているのかは定かじゃねえが、あれこそが奴の魔力の源でありそれは奴が本来持っている魔力じゃねえってことだ。そしてその借りてきた魔力を放出させるための物が……』

「あの指輪ってわけね」

 最後の言葉を代わりに発したのはサミュエルさんだった。

 指輪というキーワードを受けてシェルムの指に視線を送ってみるが、こんな位置からでは視認出来ない。

 しかしジャックの口振りからするとその答えは正しいものだったと分かる。

『そういうこった。ご丁寧に全部の指に指輪なんぞ付けてやがるのはそういう理由だったってわけだ』

「そういうことだったのか……私一人では知る由もなかった」

 悔しげに、セミリアさんは口元を歪める。

 辛酸を舐め続けさせられた敵の正体は偽物の力を以て蛮行を働いていただけに過ぎなかった。

 そんな相手に勝てない自分が情けなくて仕方がない、そんな表情だ。

「康ちゃん、指輪なんて見える?」

 横に立っているみのりが裾を引く。

 多分サミュエルさんとジャック以外は同じことを思っただろう。

「見ようとはしたけど全く見えないよ。僕も視力は2.0なんだけどね……」

 二人してどんな目をしているのやら。

 いや、今はそんなことはさておき。

「でもジャッキーよお、それが分かったところでなんか事態が変わるのか? 結局はあの幼女を倒さないと駄目なんだろ?」

『それはそうだが、奴自身に攻撃を食らわせれなくてもティアラの破壊或いは奪取で実質勝利になるという点は大きな違いだと思うがね』

「殺せなくとも後に繋がる可能性はある、か」

 セミリアさんのそんな言葉は覚悟の現れだった。

 自分が犠牲になる覚悟を以てしてシェルムを倒すことは出来なかった今までの戦い。

 だが、せめてあのティアラ一つを道連れにすることが出来れば残った者に勝機を与えることが出来る。そんな決意だ。

 しかし、本人を狙うにしてもティアラを狙うにしても接近する方法が必要な事実に変わりはない。

 その方法を考えつつ、それを伝えようと口を開こうとしのだが、敵も僕達の作戦会議が終わるまで待ってくれるほど甘くはなかった。

「ねぇー、なにをコソコソやってるの?」

 魔王がこちらに呼び掛ける。

 咄嗟に全員が身構えたが、僕達の都合など構うはずもなくシェルムは両手を真上に向けた。

「ここに居るのは退屈だけど、いつまでも人間に付き合ってあげるほど物好きじゃないんだよね。だからさ、もうみんな死んじゃえ」

 悪意よりもどこか悪戯っぽい表情を浮かべたかと思うとシェルムは手のひらを真上に向けた。

 すぐに掲げた両手の上に大きな光を帯びる球体が出現し、徐々にその大きさを増していく。

 触れれば吹き飛び地面をえぐるあの光る魔法の塊が瞬く間に比喩するものも見当たらないぐらいの異常なまでの大きさへと、変わっていった。

「なんという……魔力……」

 セミリアさんが呟くと、高瀬さんも春乃さんも絶望的な声で独り言の様な声を漏らした。

「お、おいおい……大丈夫なのか……あれ」

「大丈夫なわけないでしょ……さっきのであれなのよ」

 春乃さんはほとんど涙声だった。

 野球ボールサイズであの威力なのだ。何十倍もの大きさとなったあんなものを向けられたら最後、自分達がどうなってしまうかは全員が理解していた。

「康ちゃん……」

「みのり……離れないで」

 どれだけ必死に頭を働かせてみても、そんな言葉しか出てこなかった。

 回避する方法は僕の持つ盾がどれだけこの身を守ってくれるかに委ねる他ない。

 あれこれと考える余裕など無く、自分が死んでもみのりだけは……そういう思考回路に行き着くだけだ。

「玉砕上等、撃つ前に仕留めてやるわ!」

 立ち尽くすばかりの僕達の耳に、不意にじゃらんと二本の刀剣を摺り合わせた音が届いたかと思うと、そのままサミュエルさんが突撃していく。

「待て、サミュエル!」

 セミリアさんが制止しようとするがその声は届かない。

 サミュエルさんが駆け出すと同時に、シェルムは巨大な、セミリアさんやジャックの言うところの魔力の塊をこちらに向けて放った。

 唯一前に出ているサミュエルさんは飛び上がり、上から叩き付けるような体勢で二本の刀を振り下ろしその攻撃を止めようとするが、刀と球が触れた瞬間に大きく弾き飛ばされてしまう。

「……まずい」

 巨大な魔法は目の前に迫っている。

 もはや適切な行動を模索している暇などない、すでに眼前に迫るそれに僕はただみのりの腰を抱き抱えて盾を発動した。

「ぐっ」

「きゃあっ」

 見えない盾と球体が触れた瞬間、前回と同様に僕の身体は威力や重量に腕一本で耐えることが出来ずに後方に吹き飛ばされる。

 だが、咄嗟の行動においてこれが唯一の想定内。

 吹き飛ばされることは予測出来ていた。だからこそ僕はみのりを抱え込んだのだ。

 身体が宙に浮きみのりと共に後方に勢いよく飛んでいく中、僕はどうにか抱え込んだみのりを自分の前にくるように体勢を変えた。

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 その悪あがきは功を奏したが、次の瞬間には背中に衝撃と激痛が走り、そのまま僕の身体は地面に落下した。同時に大きな爆発音が室内に響き渡る。

 呼吸もままならない状態の中、薄目から見えた光景はほとんど煙の様な埃が充満しパラパラと何かが舞い散る音がするだけの悲惨なものだった。

『おい相棒っ、無事か!!??』

 胸元からジャックの声がする。

「うぅぅ……こ、康ちゃん……大丈夫?」

 直後にみのりが身体を起こし、僕を揺すった。

「なんとか、ね……前回の反省を踏まえて背中からぶつかるようにしたから……それより他のみんなは……」

 全身を激痛が駆け巡っているが痛がっている場合ではない。

 痙攣しているのか、震えている手を突きどうにか身体を起こして辺りを見回したが、立っている者は誰一人としていなかった。

「コウヘイ……ミノリ……無事か」

 すぐ横でセミリアさんの声がする。

 同じ様に倒れ込んだまま、僕達に呼び掛けるセミリアさんの懐には抱き抱えられるような状態の春乃さんがいた。

 僕と同じことをしようとしたのだろう。二人に目に見える致命的な外傷や損傷は見当たらない。

「どうにか……死んではいないみたいです、セミリアさんは大丈夫ですか?」

「私も死ぬようなダメージではない……しかし、ハルノを守れてよかったと言いたいところだが、打ち付けた左肘が使い物になりそうにない」

 身体を起こすセミリアさんの左肘は出血している。

 しかし傷そのものが深いようには見えない。どちらかといえば骨や筋肉を痛めてしまったと見て間違いなさそうだ。

「セミリア……ごめん、あたしのせいで……」

 一瞬意識を失っていた春乃さんがいつの間にか目を開いていた。

 慌てて起き上がろうとするが、身体が言うことを聞かないらしく上半身を起こしただけに留まる。

「気にするなハルノ……誰のせいなどという問題ではない。どこか痛めたりしていないか?」

「大丈夫、って言いたいんだけど、右足ヤっちゃったみたい……」

 自らの足に視線を落とす春乃さんの右足首は大きく腫れ上がっていた。

 立ち上がるのも困難であることが容易に分かるほどに、見ていて痛々しいぐらいに。

『クソッ……これじゃあ戦闘どころじゃねえぞ。あのガキ滅茶苦茶しやがって』

「それよりジャック、サミュエルさんや高瀬さん、虎の人は……」

『向こうっ側に倒れてるぜ、半裸女は立ち上がってるみてえだが……』

 向こう側、という言葉だけじゃ方向も分からなかったが、少し見渡すと丁度埃も薄れてきていたおかげですぐに視界に三人が映った。

 ジャックの言う様にサミュエルさんは既に立ち上がっていたが、俯いたまま前屈みでふらふらと刀を杖にしてどうにか体勢を保っているだけにしか見えやしない。

 あの攻撃とまともに打ち合ったせいか、衣服はボロボロになっておりこめかみの辺りや四肢の至る所から血が流れている。

 そして、更に酷いのは虎の人だった。

 少し離れた位置で僕やセミリアさんと同じく高瀬さんを庇う様に倒れている虎の人の背中は赤く爛れている。

 僕の指輪やセミリアさんの剣のように防御に使うことの出来る持っていない虎の人は、その体を盾にするほか無かったのだ。

「虎殿!」

 セミリアさんの声が響き渡る。

 虎の人は俯せに倒れたまま、ぎこちない動きで首から上だけをこちらに向けた。

「心配はいらないトラ……オイラもこの男も死んではいない。だが、残念ながらこの先はあまり役に立てそうにない」

 虎の人の声色は普段とほとんど変わりない。

 それでも、もはや動くことすらままならない状態であることは一目瞭然だった。

 そして、それは虎の人だけではない。

 僕も身体中が痛みに震えている。

 セミリアさんも、サミュエルさんもボロボロで、春乃さんも立ち上がれない。

 身体の小さなみのりも衝撃と痛みで起き上がることすらまともに出来ない状態で、線の細い高瀬さんも打ち所が悪かったのか意識を失ったまま起き上がる気配はない。

 目の前に広がるは地面も壁もボロボロのバラバラになった無惨な現実のみ。

 大勢は決した。

 身体的にも精神的にも、これ以上戦える者など残ってはいない。

 そう思うには十分過ぎる程の力の差と悲惨な現状だけが目と心の両方に映っていた。

 もう無事に帰るという誓いは叶わないのだろうか……。

 僕達を待つのは死のみなのか……。

 駆け引きや交渉で逃がしてもらえる方法はないのだろうか……。

 せめて、みのりや春乃さんだけでも……。

 様々な問いが無限に頭に浮かんでは、望む答えを見つけられずに消えていく。

 どうすれば形勢をひっくり返すことが出来るか。死なずに済むためになにをするべきか。

 そんなことを考えるのが馬鹿らしくなるぐらいに無駄なことだと本能が悟ってしまっている。

『ここまで……か』

 そんなジャックの言葉を象徴する様にみのりや春乃さんも恐怖するでもなく、泣くわけでもなく、ただ絶望に意識を支配されていた。


          〇


 爆発、破壊に伴う灰色の煙が辺りに蔓延している中、誰もが倒れたまま起き上がることも出来ずにただ絶望している。

 僕達の負け。

 認識するというはイコール人生の幕を閉じることを意味するその事実を受け止めようとした時、不意に声がした。

「立ちなさい……クルイード」

 震える様な声でありながら、真っ直ぐとした意志の感じられる声だ。

 その主は唯一立ち上がっているサミュエルさんだった。 

「サミュエル……」

「いつまで座ってんのよ馬鹿。このまま大人しく殺されてやる筋合いが今までに一度でもあった? なんのために私達が存在しているか……そんなことも忘れてしまったわけ?」

 サミュエルさんは鋭い目でセミリアさんを睨み付けている。

 戸惑い混じりの表情を返すばかりだったセミリアさんは、やがて意を決したようにサミュエルさんと同じく剣を杖代わりにしてよろめきながら立ち上がった。

「ふっ、まさかお前に勇者の存在意義を説かれる日が来ようとは……だがその通りだ、私はどうやらそんな簡単な事を忘れてしまっていたらしい。勇者の戦いは……守るべきものがある限り続くのだ。そして敗れて命を失う覚悟に偽りは無く、生きている限り負けを認めて諦めたりはしない。それが……勇者だ!」

 振り絞る様な声で、己に言い聞かせる様な声色で負の感情を消し飛ばし、セミリアさんは立ち上がった。

 剣を支えにすることもなく、無理矢理身体に言い聞かせる様に、身体を服従させたかの様に、それでも真っ直ぐと。

 負傷した左腕だけがぶらんと垂れ下がったままではあったが、右手に剣を構えてサミュエルさんの横へ並ぶ。

「アンタと力合わせるだなんて、最後の最後に嫌な思い出が出来そうだわ」

「そう言ってくれるな、使命を果たすためには我慢も必要というものだ。もっとも、私はそう思ってはいないがな」

 二人は顔を見合わせ、不敵に笑った。

 覚悟でも確固たる意志でもなく、餞別の意図が感じられる笑みだった。

 止めないと後悔することが分かっているのに、言葉を発することが出来ない。

 それは僕だけではなく他の皆も同じだった。

 儚さを漂わせていながらも、まるで消えゆく前の蝋燭が最後に輝きを放つが如く、力強さを増した二人の後ろ姿に掛ける言葉はついぞ見つからない。

 そんな僕達の代わりに口を開いたのは薄れゆく煙の向こうでこちらの様子を窺っていた魔王シェルムだった。

「あれ~、まだ立つんだ。全員殺しちゃうつもりだったのにさ。今度はちゃんと殺さないとね、今もあんまり違わないみたいだけど」

 驚いているのではなく、ただただ小馬鹿にしたような口調。

 二人の勇者は改めて武器を構え、その先をシェルムに向ける。

「ガキの分際で余裕ぶっこいちゃって。クルイード、分かってるでしょうね」

「無論だ。左右に分かれて同時に特攻する、どちらかが犠牲になろうともどちらかが奴の懐に入れば勝ちだ」

「そういうこと。何があっても足を止めるず振り返らない……恨みっこ無しよ」

「どんな結末を迎えようとも、感謝こそすれ恨むことなどありはしない」

 そこで二人の会話は途絶える。

 今まさにその足が地面を蹴ろうとした時だった。

「……待てよ」

 ふと、別の方向から声がした。

 確認せずとも分かるその声の主は、倒れたままであったり壁に寄り掛かることで体を起こすことがやっとの僕達よりも悪い状態であったはずなのに人知れず立ち上がっている。

「高瀬……さん」

『珍獣……』

 気絶していたはずの高瀬さんの姿に無意識の声が漏れる。

 届いているのかいないのか、高瀬さんはふらふらと、のろのろと、セミリアさん達の方へと近付いて行った。

「勇者たんもサミュたんも、たまにはいいこと言うじゃねえかと感心したが……まだまだだな。玉砕覚悟の特攻なんて格好良い真似が似合うのは俺しかいないだろ常考」

「カ、カンタダ……」

「アンタ……」

 二人もただ唖然として高瀬さんを見つめている。

 そんな三人を見て、我を取り戻した様に声を張ったのは春乃さんだった。

「おっさん! あんた……大丈夫なの?」

「ようゴスロリ、お前が俺の心配をするとは、寝てる間に余程切羽詰まってるらしいなおい」

「ふざけてる場合じゃな……」

「大丈夫か大丈夫じゃねえかで言えば、全然大丈夫じゃねえよ。どこもかしこも痛すぎて死にそうだっつーの。全身がバラバラになりそうだぜ」

「だったら……」

「だがな、これこそが俺の望んだ世界で、俺が夢見た死に場所ってもんなんだよ。今まで散々文句言われてきたんだ、最後ぐらい好きにしたっていいだろ」

「何を夢見たってのよ……わけわかんない。あんたなんかが何したって、死んじゃうだけじゃない。あの化け物相手じゃ無駄なのよ……見てわかんないの」

 今更どう足掻いても何も変わりやしない。自分達が迎える結末はすでに決まってしまっている。

 春乃さんはそういうことが言いたかったのだと思う。

 その声は悲壮感に溢れ、カウントダウンが始まるのを待つことしか許されない状況に絶望し、そんな中で高瀬さんがまた理解不能な行動を取ったことで感情がごちゃごちゃになってしまっている。そんな感じだ。

 こんな時に何を言い出すんだ。

 僕にもそんな気持ちが少なからず頭に浮かんだことを否定はしない。

 だけど、セミリアさんやサミュエルさんが立ち上がって、高瀬さんも同じく立ち上がって、白旗なんて上げずに悪足掻きをしようとしている。

 ならば僕も立ち上がらなければいけないはずだろう。

 そう思っているのに、恐怖ではなく純粋に痛みで痺れ、痙攣している右足の震えを抑えるためにはどうすればいいか。

 そんなことを考えるのに精一杯で、三人に続いて立ち上がる事が出来ない自分が情けなくて、今回ばかりは高瀬さんの行動にツッコミを入れることも、二人の口論を止めることも、僕には出来やしなかった。

 ゆえに、高瀬さんの言葉は続く。

「この部屋に入る前に言っただろ? 良い意味で、俺の気持ちはお前等には分からねえってな。今まさにそんな状況なんだぜ」

「…………」

「…………」

「…………」

「俺は所詮オタクの引き籠もりだ……エロ同人好きの同士達を除けば誰からも必要とされず、居ても居なくても誰に何の影響もない存在ってもんよ。俺自身中身もなけりゃ価値も無い人生だと思ってんだ、敢えて死ぬ理由はないが、考えても考えても生きていく理由、生きていたい理由も見つかりゃしねえ。ある日突然死んじまっても特に後悔もないだろうさ」

 突然、高瀬さんはそんなことを話し始めた。

 ある種の諦観の境地なのか、言葉尻の割にその表情から卑屈さは感じられない。

「俺はバトル物のアニメってのが一番好きなんだよな、いつだってあの世界観に憧れてんだ。別に主人公になりたいってんじゃない、例え名前も付いてないモブキャラでも序盤でさっさと死んじまう脇役でもいいからこんな世界に生まれたかったってな。どんな辛い世界でも、理不尽な争いでも、奴らは真剣に生きてんだ。仲間のために、国のために、平和のために、命懸けで毎日を生きてる。そんな生き様が格好良いだろ? 俺は結局現実世界じゃ生き方も考え方も変えられないクズだが、今目の前に変わるチャンスがあるなら死ぬ前に一度ぐらい夢見た世界で望んだ生き方をしてみるのも悪くねえ。モブキャラ上等、死亡フラグ上等、無意味で無駄な長生きをするぐらいなら格好付けて死んだ方が百倍生きてきた価値があるってもんよ。目の前にラスボスがいて、隣に武器っ娘の仲間がいるだなんて最高のシチュエーションでそれが叶うなら何を惜しむことがある? これこそが俺の、オタクとしての意地であり誇りだ」

 高瀬さんは微妙に足を引き摺りながらセミリアさん、サミュエルさんの傍まで進んでいく。

 その向こうではシェルムが不思議そうに僕達を見ていた。

「勇者たん、サミュたん……隙は俺が作ってやる。二人はあのガキんちょ魔王を仕留めろ」

「カンタダ……囮になるつもりか。それがどういう意味か……」

「元はといえば勇者たんがやろうとしていたことだろ? だったら三人でやりゃ二人が攻撃に回れる分成功率も上がる。どのみち俺は走れそうにもないからな、攻撃役は無理だ」

「アンタ……本気なわけ?」

「隙が出来たら迷わず突っ込めよサミュたん。俺がどうなろうと止まらず振り返らず敵を倒す事だけ考えろ」

 その言葉を最後に、高瀬さんは一人崩れたり割れたりとボロボロになっている地面をゆっくり全身して行く。

「おっさん!」

 その後ろ姿へと春乃さんが叫んだが、高瀬さんは振り返ることはおろか反応すらしない。

 高瀬さんの雰囲気がそうさせているというべきか、それ以上声を掛けることも止めることも出来ず、何をするつもりなのかとただ見ている他なかった。

 やがて広間の中心付近まで行くと、そこで高瀬さんはようやく口を開いたかと思うと、


「やいガキんちょ魔王!」


 魔王シェルムに向かって、そんな風に呼び掛けた。

 いつまた攻撃されてもおかしくない状況なので僕も絶えず視界に入れてはいたが魔王は僕達が話をしている間に何かをしてくることはなく、それどころか再び玉座に腰を下ろしている。

 勝利を確信したことで生まれる余裕か、ボスキャラにありがちな『様子を見ている』ということに1ターンを費やしてくれる親切設計の効果か、さながら戦隊ドラマでやられ役の下っ端キャラ達の如くこちらのアクション中は攻撃してこないという暗黙のルールでもあるのか、退屈そうにボーッとしながらこちらを見ているだけだ。

 しかし、そんなシェルムっも高瀬さんの言動にムッとした顔で立ち上がるとビシっと高瀬さんを指差した。

「誰がガキんちょだっ。死に損ないのくせに偉そうにっ」

「いいかガキんちょ。お前のお子様レベルの攻撃なんざ俺様には蚊ほども効かねえんだよ」

「むー……手加減してやったのに調子に乗って。大体後ろの奴らなんて立つことも出来ないの丸出しだもん、強がり丸出しじゃんバーカ」

「アホめ、ありゃ立てないんじゃなくて休憩してるだけだ。お前があまりに弱っちいから退屈なんだとさ。事実、誰一人死んじゃいないだろうが」

「だったら……お望み通りぶっ殺してあげる」

 どんな狙いがあってのことか、挑発を続ける高瀬さんの言葉にシェルムは拗ねる様な顔付きで高瀬さんを睨むと再び両手を天に向けた。

 一撃で僕達の望みを打ち砕いた、あの回避不能の攻撃を繰り出す気だ。

「無謀だ……」

 次またあの攻撃を食らったら間違いなく僕達は死ぬ。

 避けることも防ぐことも到底可能な状態ではない僕達に向けて、どうしてそれを誘導するような真似をするのか……。

 直前のやり取りからしても高瀬さんが自分一人であれを食らうつもりなのは間違いない。囮になり、その隙に二人がシェルムを攻撃する。

 そんなプランを持っているのであろうことは想像出来るが、あれは高瀬さん一人で済む攻撃じゃないことは身を持って知っているはずなのに……。

 そう思えばこそ止めないといけないと分かっているのに、既に手遅れであることを示すようにシェルムの真上には巨大な魔力の塊が出来上がってしまっていた。

 そして、高瀬さんに掛けようとした言葉も、張本人によって遮られる。

「やるなら本気で来いよ幼女。おままごとみてえな攻撃じゃ時間の無駄だからな」

「うるさーい、絶対ぶっ殺してやる! 覚悟しろ!」

 感情のまま叫ぶ様に吐き捨て、シェルムは魔力の塊を一層大きくさせた。

 先程よりも一回以上大きく、もはや食らったら、どころか当たらなくても万事休すだと分かる大きさだ。

 ああ……これで本当に終わってしまうんだ。

 もう横にいる仲間どころか自分の心配すらも放棄してしまうような光景に、思いの外あっさりとした感想が頭を過ぎると同時に勝手に涙が頬を伝っていた。

 似た様な気持ちだったのか誰も言葉を発することなく、ただ魔力の光が自分達を照らしている刹那的な光景だけがこの目に映っている。

 そして……、

「死んじゃえ~!」

 光の向こうからシェルムの声が聞こえてくるのと同時に、魔力の塊は放たれた。

 僕達の方へと勢いよく向かってくる光の塊は瞬く間に一番前にいる高瀬さんのに迫ってくる。

 前にも同じ様な光景を目の当たりにしたことがあったっけ。

 城にいった時、偽物の王様の攻撃に対して高瀬さんはただふざけて叫んだだけだったなぁ。

 そんな回想シーンが最後の記憶なのかと目を閉じかけた僕だったが、しかしながら今度はそうではなかった。

 高瀬さんは乱暴に右手をポケットに手を突っ込んだかと思うと、何かを取り出しニヤリと笑いながらそれを巨大な魔力の塊に向かって突き出したのだ。

「挑発に乗ってくれてありがとよ」

 薄っすらとそんな声が聞こえる。

 訳も分からずその姿を見守る僕の目にはその手にビー玉ぐらいの大きさの赤い宝石が持たれているのが映っていた。

 数日前、確かに僕はあれを見た覚えがある。

『あいつは……アルヴァントクリスタル!』

 ジャックがその時口にしたそのアイテムの名前を再び口にした。

 同時にその時のジャックの説明が脳内で再生される。

 盗賊の洞窟にあった宝箱から出て来た()()を見つけた時のジャックの言葉が、鮮明に。


『一度きりどんな魔法攻撃も跳ね返すことが出来るって優れものだ』


 誰もが完全に忘れ去っていた小さな宝石の存在。

 その宝石に魔力の塊が触れると同時に、高瀬さんが叫んだ。

「これが……俺様の奥の手だ! マホ寛太ぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 瞬間、まるでゴムで出来た壁にでもぶつかったかの様に、まさに跳ね返るという表現がピタリと合う動きで、高瀬さんの手のひらに触れた魔法の塊ははじき返された。

 勢いを殺さず、そのままのスピードで今度は玉座の方向へと飛んでいく。

 僕の位置からは手前に立つ高瀬さんと巨大過ぎる程に巨大な光の球しか見えていないが、その奥からはシェルムの動揺する声が聞こえていた。

 遅れて高瀬さんの挑発はこの布石だったのだと理解する。

 威力が大きければ大きい程にカウンターとしての効果は増し、不意を突いていることがシェルム自身にとっての焦りや動揺を誘う。そういう意図があったのだ。

 ならば。

 この先の展開を考えた時、いくつかあるパターンでも最悪の場合を想定するならば……僕はここでへたり込んでいる暇なんてないはずだろう。

「ぐっ……いてて」

 悲鳴を上げる体で無理矢理立ち上がるも、やはり膝が踊ってしまって上手く制御するのが難しい。

 激痛のあまりむしろ笑うしかないって感じだ。

 それでも僕は、自らの体が発する警告も震えも痛みも全て無視して、足を引き摺りながらではあったが前方へ向かって駆け出した。

 走り出す僕の少し先ではセミリアさんとサミュエルさんが左右に別れて特攻していくのが見えている。

 そしてさらにその先、部屋の一番奥。

 恐らくは玉座の位置にあたるのだろうが、そこで高瀬さんの跳ね返した魔法攻撃の球が制止した。

「ぬ?」

 と、少し前で高瀬さんが首を傾げる。

 ほとんど同時にシェルムの声が続けて聞こえた。

「んにゃぁぁぁぁぁ!!」

 ほとんど叫び声の様な声がしたかと思うと、玉座で静止していた光の球が破裂したように分解し、いくつものサイズを小さくした球体へと姿を変えて再びこちらに向かって飛んできていた。

「………………」

 やはりそうなったか。と、言わざるを得ない展開だ。

 同等の、或いはそれ以上の威力を持った魔力をぶつけてさらに弾き返してきた、といったところだろう。それによって最初の大きな弾が破裂した。

 それは想定できるパターンの中では他ならぬ最悪のものであったが、()()()()()()()()()()()()()でもあった。

 魔法弾は次々と脇の地面や壁に着弾し破戒音や爆発音を響かせる。

 そのうちの一つ、それも一番大きな塊が既にほとんど棒立ちで僕の前にいる高瀬さんの目前に迫っていた。問うまでもなく、もう高瀬さんに躱したり防いだりする術などない。

 こんな時、きっと高瀬さんはまた変な叫び声を上げるだけなのだろう。

「ぬわ……」

「高瀬さん、そのネタはもういいです」

 だけど、()()()()()()()()()

「こ、康平たん!?」

「まったく、あんな作戦があるなら先に教えておいて下さいよ。たまたま思い出したからって理由があるなら、それはそれであなたらしいですけど」

「ちょ、おまっ……何でここにいるんだ康平たん」

「こうなることを予測して、ですかね。黙って見ていたら高瀬さんが死んでしまうかもしれない、それを放ってはおけないでしょう。ですがまあ、詰めが甘いのもまたあなたらしいのでしょうね」

「康平たん……」

 僕の名を呼ぶ高瀬さんの前に立ち、指輪を付けた左手を前に突き出す。

 後は野となれ山となれ、僕も高瀬さんも他の皆も、やれることはやった。

 知略で相手を上回り勝利するのが好きな僕だが、以外と運否天賦に委ねるのも嫌いじゃないんだよなぁ。

 なんて、場違いな自己分析を挟んでしまったが、僕は僕の最後の仕事をするとしよう。

「僕の盾なら直撃は避けられます、しっかり捕まっていてください。ただし……高瀬さんの宝石とは逆で弾き飛ばされるのは僕達なんですけどね。壁に叩き付けられる程度は覚悟していてくださいよ」

 もう数メートルに迫っていた魔法の砲弾の目映い光が僕達を照らしている。

 目を閉じたりせず、目を反らさず、死ななければ御の字という心持を維持しながら、僕は発動の詠唱をした。

「フォルティス!!」

 現れる透明の盾という名の壁。

 掌の二、三十センチ先で魔法攻撃は文字通り壁にぶつかった様に一瞬だけ動きを止める。

 だけどやっぱり次の瞬間には僕の身体は宙に浮いて、次の瞬間にはもの凄い速度で後方に吹き飛ばされていた。

「ぐっ……」

「のわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 三度目だからそろそろ分かってきた。これは今までで一番勢いよく飛ばされている。

 こんな速度で壁に叩き付けられたのちに生きていられるだろうかと心配になってくるが、重なる様に飛ばされているおかげで高瀬さんの悲鳴がうるさくて若干それどころではなかった。

 大体そこは【ぬ】じゃないのかと思わずツッコミたくなる。

 これも開き直ったからか、不思議と恐怖や不安はない。覚悟と痛みに耐えるだけの根性が僕にあるかどうか、そんな感じだ。

 そんなことを考えている間に僕達の体は衝撃に見舞われる。

「「ぐえっ」」

 ドン! という音、衝撃と共に思わず声が揃う。

 しかし、そこそこの衝撃ではあったが『ぐえっ』で済むなんてことがあるだろうか?

 意識もはっきりしているし、衝撃だけで元から痛む膝以外にダメージもほとんどない。

 いつもの壁に叩き付けられてから地面に落下するという二度おいしいならぬ二度痛い連鎖もなく、壁にぶつかって止まってしまったのだろうかと思ってしまうような現象が起きていた。

 もはや感覚まで麻痺しているのかと恐る恐る首を後ろに向けると、

「まったく、揃いも揃って無茶ばかりする奴等だ…………トラ」

 目の前には面妖なトラのマスクをかぶった上半身裸の筋骨隆々の顔がある。

 虎の人が僕達の身体を受け止めていた。それが今起きた全てだった。

「ゲレゲレェェェェ! お前はやれば出来る子だと思ってたぞぉぉ」

 地面に下ろされるなり高瀬さんは虎の人に抱き付いている。

 僕もお礼を言おうかと口を開き掛けた時、パリン! という音が辺りに響いた。

 聞こえた音の出所は部屋の奥深く。つまりは、玉座の辺りだ。

 先程の魔法攻撃が着弾し爆発したことで発生していた煙や埃で視界が塞がりつつあったが、隙間から僅かに見えた光景が全てを理解させた。

 玉座のそばでシェルムが尻餅をつき、怯える様な顔で目の前に立つセミリアさんを見上げている。

 そのセミリアさんの持つ剣が玉座の枠に刺さっているところを見てようやくシェルムに向けて剣を振り抜いたのだと把握した。

 パリンという音の正体はシェルムの頭に乗ったティアラが破壊された音だったのだ。

 とはいえ、どう見てもティアラのみを破壊しようとした攻撃ではない。

 首ごと飛ばさんばかりに振り抜かれた剣を、恐らく見切ったのではなく反射的に身体を引いた結果ティアラに当たった。そんな感じだ。そうでなければあんな状態にはならない。

『相棒!』

「うん、二人は上手く隙を突けたみたいだ……」

 セミリアさんの後ろにはサミュエルさんもいる。それすなわち、僕達の最後の賭けは成功したのだ。

 これで高瀬さんの一世一代の捨て身の行動も報われる。

 それは間違いないんだけど……。

「僕も行かないと……高瀬さんと虎の人はここに居てください。みのりと春乃さんをお願いします」

 もう走る気力も残っていないけれど、それでも僕は返事を待つことなく玉座の方へと足を進めていく。

 何かを終わらせると気が来たのだとするならば、それは今しかないと思うから。

『お、おい相棒。行くって何するつもりだ、そんな体で』

 ひょこひょこと歩く僕の胸元でジャックだけが驚きの声を届てている。

 後ろでは高瀬さん達の声もするが、急ぎたくても急げないもどかしさのせいで耳に届いてはいない。

「もうティアラは無いんだから危険は無いでしょ?」

『そりゃそうかもしれねえが……何をするかって質問の答えにゃなってねえぜ』

「止めるんだよ……二人を」

『止めるだあ? おめえそれがどういう意味か……』

「分かってる。だけど止めなきゃ……僕が、僕の世界から来た人間じゃなくなってしまうんだよジャック。お願いだから何も言わないで」

『相棒……』

 それきり、ジャックは何も言わなかった。

 少しずつ近付いてはいたがそれでも早足には遠く及ばず、玉座までの距離が半分になったところでセミリアさんの声が聞こえてくる。

 その声はシェルムに対して最後の会話だという意志表示がありありと感じられた。

「罪は冥府で償うといい」

 そう言って、目の前でセミリアさんは再び剣を振り上げた。

 返った言葉は絶望と恐怖が生んだ命乞いに他ならない。

「ま、待ってよ! 待ってってば、ちょっと話し合いとかしようよ!」

「聞く耳持たん。よく覚えておけ魔王よ、勇者ある限り悪が栄える時代などありはしない。さらばだ」

 尻をついたまま後退るシェルムを見下ろすセミリアさんの目は本気だ。

 これでは近付くまで待っていては間に合わないと、僕は部屋の中央から叫んでいた。

「待って下さい!!!」

 振り上げられた大剣が今にも振り下ろされようとする中、セミリアさんの動きが止まる。僅かに下にぶれたところを見ると、本当にギリギリだったようだ。

 サミュエルさんを含め二人は一度僕の方を見たが、シェルムがその隙に逃げようとする動きを取ったことでセミリアさんの視線がそちらに戻る。

 首に剣を突き付けられたシェルムは『ひぃっ』と泣き声と悲鳴の混じった声を上げた。

「動くな。逃げようという素振りを見せれば即座に首を跳ねる」

「お、おっけー……動かない。動かないから……痛いの止めない?」

 その言葉を無視し、セミリアさんはもう一度僕に視線を向けた。

 少しずつ歩いて近付く僕を、傍に来るまで何も言わずに待っている。

「一体どうしたのだコウヘイ、先ほどカンタダを守った時のダメージも残っているだろうに」

「すいません……ただ、止めないとと思ったらジッとしているわけにもいかなくて」

「止める? 何を止めるというのだ」

 セミリアさんは僕の意図が分からず難しい顔をした。

 依然シェルムの首に触れている剣の刃はそのままだ。

『クルイード……相棒はな、そいつを殺すのを止めろって言ってんだよ』

「なんだって?」

 ジャックが代弁するとセミリアさんも、後ろで右手の刀を肩で弾ませていたサミュエルさんもその動きを止めて目を見開いた。

 当然ながらその表情には動揺と疑問が浮かんでいる。

「コウヘイ……それは、それがどういう意味か分かっているのか」

「分かってるつもりです。いや、正確には分かっているつもりになっているだけなのかもしれないですけど、それでも」

 それでも。

 殺せば勝ち。殺せば解決。殺せば平和。殺すことが正義。

 そんな風には思って欲しくないと思った。

 僕達の世界でだって、人を殺めれば同じ命で償いをしなければならない。誰かが決めたルールの下で裁きを受ける。当然のことだ。

 それが必要の無いことだとは思わない。むしろそうあるべきだとさえ思う。

 国は、人は、秩序によって守られるものだ。

 それを乱し、社会に悪影響を及ぼす人間など罰せられて然るべきだし、むしろ日本なんて犯罪者に甘い国だという不満すら日頃から抱いてもいる。

 それでも、僕は今目の前で起ころうとしている出来事を仕方ないの一言で片付けていいとは思えなかった。

「もう勝負は付いたんですよね? 僕達の勝ちなんですよね? だったら……もういいじゃないですか。命まで奪わなくても……いいじゃないですか」

 何もしていないのにボロボロの僕が言える台詞ではなかった。

 自分の価値観とも矛盾していることも分かっていた。

 僕は何を言っているんだろう、そんな気持ちだって勿論ある。

 それでも今この場に起きた惨状を前にして、僕達の知るものとは違っても戦争という命の奪い合いを体験してなお、出てくる言葉を飲み込むことは出来なかった。

「コウヘイ、巻き込んだ私が言えることではないが、お主等の元の生活を鑑みれば非情な戦いをしていることは理解している。だが、こやつらのせいで平和は失われる一方だったのだ。こやつが直接手を下したわけではないにせよ、魔族の手に掛かってどれだけの兵が、民が、命を失ったと思う? 人間界に害を為す魔は、人間によって淘汰されてきた。それが数百年も昔から繰り返されてきた人間と魔族の戦いの歴史だ」

 言いたいことは理解した。だが、分かってくれ。

 セミリアさんはそんな口調だ。

 それでも僕は引き下がったりはしない。

 口から出てくるのは、もはや思考回路なんて経由していない、ほとんどただの感情論だった。

「でも、だからこそ……何かを変えられる可能性があるのなら、それは今なのかもしれないじゃないですか。セミリアさん言ってましたよね、セミリアさんやサミュエルさんは勇者という称号を受け継いでいるんだって。受け継ぐということはその必要があるからで、その理由が人々を守るというのならまだしも誰かを殺すために受け継いだんだとしたら、それは必ずしも正しいことではないと僕は思います」

「………………」

「過去に多くの人々が殺されて、それを理由にセミリアさんがこの子を殺しに来て、いつかこの子が殺された報復に人々が殺されて……それでは何も変わらないじゃないですか。歴史を繰り返して、そのために将来より多くの人が殺されるかもしれないんですよ?」

「それは……しかし」

「僕は身を守ることもろくに出来なくて、敵を倒す強さも誰かを助ける強さも持ってはいないけど……少なくとも、仲間であるセミリアさんがこんな女の子を殺すところを黙ってみていたら一生後悔する」

「だが……ならばどうしろというのだ。コウヘイのように頭が良くない私には分からない……何が正解でどれが不正解なのか。私は勇者の名の下に正義と平和のために我が身を賭して戦ってきたつもりだ。だが、それゆえにその道以外に正解など知らぬのだ」

 セミリアさんにも迷いが生まれていた。

 少し辛そうにしているのは、まるで僕が責めるように囃し立てたからなのかもしれない。

 それでも僕の言葉に耳を傾けてくれるセミリア・クルイードという人間を見て、やっぱり僕は少女を殺す人間であって欲しくないと思うのだ。

 例えこれが現実の出来事じゃなかったとしても、感情があって痛みも感じて殺されれば終わりであるのならば、少なくともゲームなんかじゃないのだから。

「サミュエル、お前はどう思うのだ。ずっと黙り込んだままで……」

 依然変わらずシェルムの首に剣を固定したまま、セミリアさんは首を後方に向けた。

 シェルムは地面に尻を着いたまま怯えた様子で僕とセミリアさんを交互に見ている。

「べっつにあたしはどっちでもいいわ。なんかコウが熱弁しちゃってるけど、そんな話あんま興味無いし。逃がすなら逃がしてあげたら? あんたの()()が言ってんでしょ?」

「興味が無いだと? お前はそれで良いのか……魔王を……魔王を逃がすなど、そんな話は聞いたことがない」

「こんなガキの命一つで悩むなんて相変わらず馬鹿な奴。逃がして困るのは私も含めて、今まで一度だって勝てやしなかったからでしょ? だったら強くなりゃいいだけの話、少なくとも私は魔王に勝ったぐらいじゃ満足なんてしない。魔王なんて簡単に倒せるだけの強さを手に入れてやるわ。逃がしたコイツが災いを呼ぼうものなら、即座に殺してやれるぐらいのね」

 やれやれと溜息混じりに首を振って話し始めたサミュエルさんだが、最後には鋭い目付きでシェルムを睨んだ。

 再度シェルムが小さく悲鳴を上げるのとほぼ同時に興味なさげな表情に戻した上で僕の方を見た。

 正確には、僕の後ろを。

「どーせ後ろの連中もおんなじ意見なんでしょ?」

 後ろの連中、という意味が分からず振り返ると僕の後ろに皆がいた。

 高瀬さんが、春乃さんが、みのりが、虎の人が、すぐ後ろに立っていた。

 いつの間に……。

「あったりめえよ。こんな幼女を殺しちまったら、いつか俺の自叙伝がアニメ化されるときに弊害が出るじゃねえか」

 腕を組み、ドヤ顔でうんうんと頷きながらそんなことを言うのは高瀬さんだ。

「あたしも、康平っちに賛成。セミリアの強さっていうのはさ、誰かを守るためのものであって誰かを殺すためのものじゃない、誰かに勇気を与えるものであって誰かに恐怖を与えるものではないって、そう思うんだ。だから康平っちに賛成、そっちの性格悪い女はどうでもいいけど」

 足を怪我しているためみのりに支えられて立っている春乃さんが続く。

「口を慎みなさい下女」

「誰が下女なのよっ!!」

 こんな状況でも喧嘩は忘れない。

「わたしも康ちゃんに賛成です。セミリアさんやサミュエルさんの強さや格好良さというのは、そういう心の部分のものでもあって欲しいと思います。わたしは怖がってばかりで、あの全身黒ずくめの人の時はそれが出来なくて悲しい気持ちになりましたけど、こんな小さな子に同じことをしてしまったらきっと優しい人間ではいられなくなってしまうと思うから」

 自分も辛いだろうに、そんなことをおくびにも出さず春乃さんを支えながらみのりも続く。

 サミュエルさんの名前も出すあたりよく出来た性格をしているものだ。

「オイラはレディーマスターの意志に沿うだけだトラ。元より人間でも魔族でもない身、ならば仲間の意志を尊重するのもいいだろう、と余計な口出しだけしておこう……トラ」

 どこまでも第三勢力的なキャラを守りたいらしい虎の人もまた、いつもと同じ様に仁王立ちで腕を組んだまま渋い声で同意する。

 高瀬さんを庇う時に受けた攻撃のせいで右半身が火傷をしたみたいに赤く腫れている姿が痛々しい。

「皆にまでそう言われては、私は……どうすればいいコウヘイ、ジャック」

 若干数の暴力と化してる感がないでもないが、セミリアさんの迷いの色はより濃くなっていた。

 まるで助けを求める様に、僕を見る。

『クルイード、おめえが判断すりゃいい。俺はどっちの言い分、気持ちも良く分かる。この時の為に戦ってきたお前と、ただお前を助けるためにここにいるこいつらとじゃ考え方も違ってくるだろう。ましてやこいつらは元々戦いとは無縁だったんだ、あとはお前が自分で答えを見つけることだ。一人の人間として、一人の勇者として、そしてこの一行の一員として、どうしたいか、どうするべきか、考えてみるといい』

 ジャックが答えると、セミリアさんはもう一度考え込むような顔で口を結び黙り込んだ。

 その視線は僕達から地面へと変わり、少しすると俯いたまま目を瞑って、ただただ一人で黙考する。

 やがて顔を上げ、目を開いたセミリアさんは改めて僕を見た。

「私とて、誰かを殺すために勇者をやっているわけではない。それはお主等の言う通りだ。シェルムにしてもまだ幼いがゆえに善悪の判断など出来ない部分もあるだろう、それも分かっているしコウヘイの言うように争いの歴史など続いていい理由などない、ということも理解した。どちらかが完全に滅びるまで戦いを続けても犠牲が増えるだけだということもな。だが私も勇者として退けないこともある。逆に今こやつを生かしたことで誰かが犠牲になる可能性だってあるはず、そうなれば私は後悔では済まないだろう。だからこそ、その心配が無くなる道があるのであれば私もコウヘイや、みんなの意志に従おうと思う。サミュエルの言う通り、私がもっと強ければこのようなことで悩む必要は無いのかもしれん、だが今の私にはこれが精一杯の答えだ」

 セミリアさんは真っ直ぐな目で、はっきりと自分の意志を告げた。

 そこにあるのは。

 僕が、みんなが、力になってあげたいと思った頃のままのセミリアさんの姿だ。

 振り返ると、僕と目が合った順に一様に頷きながら笑顔を浮かべる一同。

 後は任せた、そんな感じの笑みだとすぐに理解する。

 ならばと、僕はセミリアさんの傍まで歩き、屈むことでシェルムと目線を合わせた。

 始めて間近で見た魔王の少女は、やっぱり年端も行かない僕達とほとんど変わらない姿形をした小さく幼い女の子だった。

「君も、もういいよね? これ以上殺し合いなんてしたくないよね? だから君がこの国から出て、もう人間に迷惑を掛けないって約束出来るなら帰してあげる。だけど約束出来ないって言うなら……僕達は君を殺さないといけない、どうかな」

 それはもう交渉にすらなっていない文句だった。

 しかしこの子を守るためにはそういう手段しかあるまい。

 元々魔界という、それこそゲームや漫画で聞いたような所に居る存在なのだと少し前に聞いた。

 元居た場所に帰ることが死なずに済む条件ならば、この子にとっても非情な通告とまではいかないだろう。

 それが分かっているのかいないのか、シェルムはもの凄い勢いで何度も頷いた。

「するする! 約束する! おうちに帰るから殺すのは嫌っていうか、もう喧嘩は終わりってことに……しよ?」

 そう言いながら、徐々に視線をセミリアさんの方へと移すシェルムは完全に恐怖でいっぱいになっている。

 僕が良くてもこの人が許さないんじゃないの? そんな目だった。

 その姿はまるで母親に怒られて怯える子供みたいで、今しがたこの場で起こった命の奪い合いを『喧嘩』と表現するあたり、やはり難しいことなど分かっていないのだと思う。

 それこそ、セミリアさんの言う歴史がそうさせているかの様に、魔族だから魔王だから、ただそんな理由でここにいるかのではないかという印象さえ感じられた。

「さっき聞いてたかもしれないけど、私はどっちでもいいんだけど? 帰るなら帰るでいいし、約束も守らなくていいわ。その代わり今度私の目の届くところで何かしようってんならその時は容赦無く首を刎ねる。要するに、死にたくなったらまた来なさいってことね」

 サミュエルさんがこわーい目でシェルムを見下ろしながら余計なことを言い出した。

 これ以上恐怖を植え付けるのはやり過ぎな気もするが、これに懲りてくれれば効果もあるというものか。

「そういうことだ。シェルム、仲間の慈悲で命は助けてやる。約束を忘れるな、次会うことがあれば……その時が貴様が死ぬ時だ。分かったのならすぐに居るべき場所へ帰れ」

 セミリアさんのトドメの言葉も結構な脅し文句である。

 シェルムはもう何度目になるか『ひぃっ』と女の子らしい悲鳴を上げて座ったまま後退っていく。

 今度ばかりはセミリアさんの剣がそれを止めなることはなく、一メートルほど距離を置くとシェルムは立ち上がり、

「じゃ、じゃあ帰る……ね? 後ろから攻撃したりしない、よね? 帰っていいんだよね?」

「さっさと行かぬか!」

「は、はい! で、ではさよなら~」

 再びセミリアさんに剣を向けられ、慌ててシェルムは部屋から逃げて行った。

 魔界というのがどこにあるのか知らないけど、どうやってそこまで帰るのだろう。まさか走ってではないだろうな。敗走するシェルムの後ろ姿を見て、そんなことを思った。

 やがてシェルムの姿が消えると、セミリアさんは剣を鞘に収める。

「これで……終わったのだな。私の、私達の戦いは」

 そう呟いて天井を見上げるセミリアさんの表情は儚げで、達成感や安堵ではなく今日この場に至るまでの長き戦いの日々を振り返り、その戦いが終わりを告げた事実を感慨深く噛み締めているようだった。

 そして、その事実は僕達にとっても意味を同じくする。

 異世界から来た勇者を名乗る少女と共に歩んだ知らない世界での不思議だらけの冒険と旅、そして命懸けの戦いは今、確かに終わりを告げたのだ。

 

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