【第十章】 積み重ねた縁、その価値とは
10/24 誤字修正 以外→意外
港に向かった時と同じく、岸に降り立った僕は全力で大地を駆けていた。
この世界における過去の記憶が。
或いはいつだって命懸けで、必死になって、死に物狂いで培ってきた波瀾万丈の経験や体験が。
はたまたそれらに付随して数え切れないぐらいに積み重ねてきた縁や絆が。
確かにもたらしたのは微かな希望でありながらも決して非現実的などではない起死回生の可能性。
それを自ら確かめるべく、そして実現するべく僕はドラゴンバレーに行かなければならない。
カノンが別れ際にくれたベル。
あの時に聞いた用途の説明が事実であれば、このフェノーラ王国からでも直接向かうことが出来るはず。
だけどその前にやらなければならないことがある。
もしも僕の願望混じりの推測が現実のものとなり得るのだとしたら、それには準備が必要だ。
そこで僕はまず近くにあるという村に向かうことに決めた。
あるというか、あるらしいという不確かな情報でしかないがもう迷っている暇などない。
何にどういう理由があったとしても全てにおいて無駄にしていい時間などないのだ。
兎にも角にも急げるだけ急ぐ。
そんな決意の下、僕は岸から離れていく方向に走り続けている。
洞窟内を長く歩いた後であることに加え今日だけを取っても色々と大変な思いばかりしているので体力も万全とは程遠いが、それでも僕は足を動かした。
脇目も振らず、では盗賊達に捕まった時の二の舞になりかねないので慎重さと冷静さを失わないようにと常に頭で意識しながら。
そうして自然も少なく整備されていない土の地面が広がっているだけの大地をしばらく走った頃、進行方向に一軒の家屋が見えてきた。
周囲に他に建物が無いところを見るに村や集落というわけではないことが分かる。
木造の小さな家の周りには畑が広がっていたり牛が繋がれたりしているし、何らかの施設であったり店というわけではなさそうだが……。
「行ってみるしかない、か」
あそこに住んでいる誰かが居るのならば、通り過ぎて街に向かうよりは手間と時間と体力を節約出来る。
駄目で元々、なんて最初からずっとじゃないか。今更躊躇う理由はない。
そう結論付け、僕はやや切れる息で建物へと近付いていく。
そして扉の前に立つと、ふぅと一息呼吸を整え意を決して数度ノックをした。
ガタガタと中から音が聞こえている。無人というわけではなさそうだ。
「誰だ~?」
すぐに中から野太い声が聞こえてくる。
直後に扉が開くと、出てきたのはえらく筋肉質で体格の良い中年の男だ。
ランニングシャツの様な格好のせいで太い腕が剥き出しになっていることや厳つい髭面が余計にそう感じさせるのか、男は凄みのある顔でギロリと僕を見下ろす。
「何だいお前は」
「突然お邪魔して申し訳ありません。ガラスの瓶をお持ちじゃありませんか? 出来れば蓋が出来るタイプの……」
「ガラス瓶だぁ?」
「はい……どうしても今すぐに必要なんです。村に行っている時間が惜しいぐらいに急ぎで、人の命が懸かっているんです。新品の値段で買い取るということでも構わないのでどうかお願いします!」
深く、頭を下げる。
焦るあまり詳しい説明を省いたことできっとこの人は僕が何を言っているのか分かっていないだろう。
それでももう誠意と熱意を言葉にするしか僕には方法がない。
男は地面を見つめる僕を怪しんでいるのか、しばらくは何も言わない。
少しして、ようやく野太い声が戻った。
「頭を上げねえか。事情はよく分からないが、ガラス瓶ぐらいくれてやるよ。おい、聞いてたろ! 用意してやってくれや」
姿勢を戻すと、男は建物の中に向かって大きな声で呼び掛ける。
扉の奥にはこの人の奥さんなのか、恰幅の良い中年の女性が見えていた。
「威嚇して悪かったな兄ちゃん。港の辺りで盗賊が出たなんて知らせを聞いたんで用心しておいた方がいいかと思っただけだ。ま、兄ちゃんはそういう人間じゃなさそうだけどよ」
「…………」
あぶねー……その盗賊達とさっきまで一緒に居たなんて事がばれたら確実にボコボコにされてたよねこれ。
バッグの中には盗賊達が盗んできた財宝が入ってるというのに。絶対にあの巾着袋はバッグから出さないようにしよう。
「お兄ちゃん、こんなんでいいのかい?」
冷や汗を流している間に奥さんが外に出てきた。
手にはコーラの瓶ぐらいのサイズのガラス瓶をいくつも持っている。コルクの蓋も付いていて、文句の付けようがないぐらいに僕が求めていた物だった。
「はい、とても助かります。ありがとうございます」
「こんなのいくらでも余ってるんだから構わないよ。いくつ欲しいんだい?」
「二つ……いや、念のために三つあれば」
「三つね。はい、どうぞ」
差し出された三本の瓶を受け取ると、出来るだけ中身が見えないようにバッグの中に入れる。
改めてお礼を言うと、入れ替えにドラゴンベルを取り出し、小さく振った。
カランカランと綺麗な音が響く。
夫婦は揃って不思議そうに僕を見ていた。
「そりゃ何だい?」
「僕は今頂いた物を別の国に持っていかないといけないんです。それで、これを鳴らせばマジックアイテムを使わなくても移動出来る……かもしれない物でして」
「はあ?」
二人は揃って首を傾げている。
そりゃそうだ。僕だって言っていてよく分からなくなってきているぐらいだもの。
「もしかしたらという話なんですが、ここにドラゴンがやってくるかもしれないんですけど……危険は無いはずなのでどうかご容赦ください」
「ド、ドラゴン!?」
「決してご迷惑はお掛けしません。ただ、少しの間ここで待たせていただきたくて……」
「あ、ああ……別に待つぐらいは構わないがよ。どのみち俺は今から畑仕事だ、何なら昼飯でも食っていくかい?」
「いえ、そこまで甘えるわけには……」
「なーに言ってんだい、若いのに遠慮なんでするもんじゃないよ。余り物だけど、食べていきな」
豪快に笑うおばさんに背中を押され、家の中へと促される。
厚かましいにも程がある気しかしないのだけど、結局強引に勧められるのを断りきれずにご相伴に預かることになるのだった。
○
空腹もそれなりだったため僕としてはありがたい限りではあるものの、初対面の人の家に上がり込んで昼食をいただくというかつてない体験を終えてまた少しの時間が経った。
テーブルに並んだのは余り物であるらしい野菜のスープにパンと焼いたベーコンみたいなお肉だ。
厳ついおじさんとは対照的におばさんはとても気さくな人で、食事中もあれこれと気を回してくれたので居心地が悪いということもなく夫婦揃って人柄が良いことがよく分かる色んな意味で至れり尽くせりの空間だったと言える。
それだけでも申し訳なくなってくるというのに、おばさんが自家製の野菜を土産に持たそうとするのだからどうにか遠慮するのにも中々苦労した。
夫婦には子供がいないという話で、そういう理由で僕みたいな捻くれたガキでも甘やかしたくなるのだろうか。
そんなことを考えながら、食事を終えた僕はせめてもの礼儀として使った食器を自分で洗わせてもらい、そんなことで褒められたりして当初の予定通り外に出てその時を待つ。
夫婦は家の周囲に広がる畑で野菜を収穫していて、ただジッと突っ立っていなければならない理由もないので手伝いを申し出たものの「事情はよく分からないけど大事な時なんだろう? だったらお兄ちゃんにそんなことさせられないよ、気持ちだけで十分さ」と言われてしまっては食い下がることも出来ず、二人の仕事をぼんやり眺めながらひたすらに空を眺めること三十分程だろうか。
未だ何かが現れる気配はない。
この国とドラゴンバレーのあるゴーダ王国との位置関係なんてさっぱり分からないのでどの方向を見ていればいいのかも定かではないが……流石に何時間もここで立ち止まっているわけにはいかないのも事実だ。
もう少し待ってみて何も変わらなければ諦める他ないかと、焦れる気持ちが忍耐力を奪い始めた時だった。
見上げる上空、遙か前方に現れた翼を上下させ飛翔する何かを視界に捕らえる。
結構な距離があるにも関わらずしっかりと見えていることから巨大な何かだと分かるそれは、もの凄い速度でこちらに近付いてきていた。
「お、おいあれ……」
おじさんもその方向を指差し、夫婦揃って口をあんぐりと開いたまま言葉を失い固まっている。
そりゃそうだ。今や姿形がはっきりと分かるまでに近付いてきているその生物は、僕が待ち侘びていた本物の竜なのだから。
翼が上下する音が聞こえてくるまでに迫っているのは緑色の大きな竜だ。
あれは……前に僕をサントゥアリオまで送ってくれたカノンの知り合いでもあるおっさんのドラゴンじゃないか。
いや、色とサイズが酷似しているだけの別のドラゴンだったとしても見分けなんてつかないんだけど。
「…………」
「…………」
「…………」
見知った相手なのか否かが判断出来ずにおいそれと口を開けない僕、そして驚きを通り越して固まるしかない夫婦という三人は誰一人として言葉を発することが出来ない。
すぐ目の前にまで来て高度を下げ始めたおっさんのドラゴンらしき人(人じゃないけど)は真っ直ぐに見据える僕、そして口を開けたままフリーズしている夫婦の前にバサバサと重い音を響かせながら着地するとありがたいことに真っ先に沈黙を破ってくれた。
『久しいな人間の子供よ』
聞き覚えのある声も然り、その口振りからもおっさんのドラゴンだと断定出来そうだ。
僕はすぐに深く頭を下げ、まずは非礼を詫びる。
「ご無沙汰しています。突然呼び立てるような格好になってしまって申し訳ありません。どうしても……ドラゴンバレーに行って妃龍さんに会わないといけないんです。それで無礼を承知でベルを使わせていただいたんですけど……」
『妃龍様やカノンがお前にそれを与えたのだろう、ならば頭を下げられる理由もない。我々が暮らす谷に連れて行けばよいのだな』
「そう言っていただけると助かります。重ね重ねご迷惑ばかりをお掛けしますが、よろしくお願いします」
『言ったはずだ、妃龍様の命である以上謝られる理由も礼を述べられる理由もない。急ぎならばすぐに背中に乗れ。お前はカノンの恩人だ、貸し借りなど考えずともよい』
「分かりました」
短く答え、すぐにおっさんのドラゴンに近寄っていく。
わざわざ体勢を低くして背中に乗りやすいようにしてくれるあたり、この人(人じゃないけど)も優しい方なのだろう。
「おじさん、おばさん、色々とお世話になりました!!」
すぐにおっさんのドラゴンの巨体が宙に浮く。
翼の音に負けないように、僕達を見上げている夫婦に大きな声で叫んだ。
「お兄ちゃん、何をしようとしているのか知らないけど頑張るんだよ! 気を付けてね!」
徐々に遠ざかる背中から、おばさんの声が聞こえる。
最後の最後まで優しい人達だ。
振り返ることなく心の中でもう一度感謝の言葉を繰り返すと、どこか常に生きるか死ぬかの環境に身を置いていたこの数日間で冷え切った心に人の温もりが染み渡るのを感じた。
○
以前も全く同じ感想を抱いた記憶があるが、空の旅はやはり熾烈を極めた。
上空何十メートルの高さを椅子も壁も取っ手も無い剥き出しの状態で、それも車並の速度で飛んでいるのだ。
もう怖いとか怖くないの問題じゃない。少しでも気を抜けばそのまま風に煽られて落ちてしまうのではないかという緊張状態を維持することに必死にならなければ本当にやばい。
少しでも急がなければならない身である以上その点においては大助かりなので文句は言えないんだけど、それにしたって高さと速さに怯え寒さに震える空の旅は二度と勘弁願いたいと思わざるを得ない感じである。
ドラゴンさんに送ってもらうのが急いでいる時ばかりなので仕方ないというか、そもそも急いでなければドラゴンの背中に乗って移動することなどないだろうことを考えると改善の余地がないというか……まあ、贅沢を言えた立場でもないので我慢するしかなかろう。
恐怖や寒さと戦っていたせいで随分と長く感じてはいるものの、恐らくは待っていた時間とそう変わらない移動時間を経て僕達はゴーダ王国の上空へと到達した。
少し内の方に進んだ位置にある山の中に件のドラゴンバレーは存在する。
正確な名前は忘れてしまったが何やら格好良い名前の大きな山があって、その山の名前が周辺の地名になる程に巨大な山がいくつも連なっていて、そこを奥深くに進んだところにあるのがドラゴンの巣窟と言われているらしいドラゴンバレーなのだ。
そこだけ聞けば物騒な土地に思えなくもないが、基本的に近付かなければ人間に危害を加えるようなことはないらしく、山の麓には普通に人が暮らしていたりもする。
そんな、見覚えのある土地な気もしつつ高さのせいではっきりとは言えない風景を目にしながら徐々に巨大な山脈へと近付いていくと、おっさんのドラゴンは少しずつ高度を下げ真っ直ぐに山の中へと向かっていった。
巨大な山の数々と生い茂る木々の緑。
どこまでも広がっているそういった自然の真上を通り過ぎ、一転して聳える崖と岩壁ばかりが視界を埋め尽くす峡谷へと景色が変わっていく。
その中心付近にある谷に向かって急降下を始めると、ドラゴンさんは速度を落としゆっくりと深い深い岩の壁の間へ降り立ち、やがて着地した。
見上げる先にある青い空は随分と遠い。
それだけの高さに唖然とした過去がどこか懐かしくもあり、そういえば前回は上から飛び降りてここに来たんだなぁなんて思うと末恐ろしくもある。
ずっと歯を食いしばり体を強張らせていたせいか疲労感が尋常ではないが、それでもドラゴンの背中から下りるとまずは送って貰ったことへのお礼を述べ、『妃龍様はこの先だ。俺はここで待つ、早く行け』と言われたのをきっかけに一人で谷を進むと十数メートル程の広くはない幅の道を直進し、一つ角を曲がった所に僕の目当ての妃龍さんはいた。
おっさんのドラゴンの倍ぐらいの大きさの、世にも珍しい……というのは僕が勝手に思っているだけかもしれないが、カノンの母親代わりの巨大な白いドラゴンだ。
その姿を認識した瞬間には目が合っていたため僕は慌てて駆け寄り、再会の挨拶を口にする。
カノンとのことがあるがゆえでこそあれ、とても温厚で優しい人(こちらも当然ながら人ではないが)だという印象はあれど、見た目がそんななので一つ言葉を間違えれば食べられてしまうのではないかというぐらいに萎縮してしまうのも無理はない。
「ご無沙汰しています妃龍さん。突然押し掛けてしまって申し訳ありません」
言うと、前後の足を折り伏せ気味の体勢でありながら僕の何倍もの高さから見下ろす妃龍さんは以前と同じ静かな口調で応じてくれた。
『久しいなコウヘイよ。訪ねて来てくれたことを嬉しく思う』
敵意や怒気は感じられず、特に気を悪くしたりしていなさそうであることにひとまず安堵する。
カノンの母親代わりで、ドラゴンの長でもある妃龍さん。
前回来た時にはカノンを送り届けた僕に随分と恩を感じ、サントゥアリオまで連れて行って貰ったりせめてものお礼にと龍鱗とかいう貴重な物をいただいたりもした。
龍鱗。
確かドラゴンの体に一つずつ備わっているという鱗で、こと妃龍さんの物ともなれば他を圧倒する効果耐性……とか言ったか、心身に悪影響をもたらす類の魔法に対する耐性が身に付くというその鱗を僕は恐る恐る飲み込んだんだっけか。
ああ……そうか。記憶を辿って今初めて思い至った、シロの目を見ても平気だったのはもしかしなくてもそれが理由だったんだ。
『わざわざ来てくれたというのに残念な知らせを聞かせなければならないことを心苦しく思うのだが、カノンは不在なのだコウヘイよ』
「へ? そうなんですか?」
カノン。
かつて見知らぬ国で飢えて倒れていた所を保護した十四歳の女の子。
ドラゴンに育てられたことが原因かどうかは定かではないが、食欲も含め何もかもが人間離れした身体能力の持ち主であり、そんな縁のせいか他者への拒絶が凄まじい中でも僕にはよく懐いていた。
『何とも間が悪いことなのだが、ちょうど昨日狩りに行くといって出て行ってしまった。毎度のことながらそうなると数日は戻らないだろう。何年経っても帰り道に迷う困った子を許しておくれ』
「許す許さないではなく単純に心配にはなるんですけど……今日はカノンじゃなくてあなたに会いに来たんです。どうしても、聞いていただきたい話がありまして」
『ほう、私に。それは意外だったと言う他ないが、その様子ではまた随分と切羽詰まっているようだ。私に話があるならば是非聞こう』
「あの……妃龍さんは、【人柱の呪い】というものをご存じですか?」
『勿論知っているとも。何百年も昔に存在した古い魔術だ。むしろ今の人間がそれを知っていることに驚きではあるが』
「その魔術が今まさにこの世界に破滅をもたらそうとしているんです」
僕は簡潔に事の次第を説明する。
世界の大半を消し飛ばすだけの【人柱の呪い】が天界の神々によって仕掛けられたこと。
それによって人柱となった各国の主要人物が命を落とし、数少ない存命の者も命を狙われ大国同士の無益な争いが巻き起こっていること。
そして僕はその戦いを止め、標的にされた仲間を守り、それでいて世界の危機をどうにか止めようと単身国を離れたこと。
それらを出来るだけ簡潔に、かつ要点が伝わる様に説明すると妃龍さんは僕の知らない遙か昔の話を教えてくれた。
『まさか天界の神が再びこの世界を消し去ろうとするとは、というのが率直な感想になってしまうのだろう。随分と昔にも一度あったことだ、当時も人間同士の殺し合いで解決したらしいが……そういった理由で今日ここに来た、と』
「はい……以前、あなたに教えてもらいました。ドラゴンの血は強い解呪の作用があると」
『その通りだ、かつての私の話に嘘偽りはない』
「だとしたら……あなたの血なら……【人柱の呪い】を解くことが……出来たりはしないでしょうか。それが可能であるなら……多くの人を助けることが出来るんです……罪のない人達が卑劣な方法で殺し合いを強いられることも、僕の仲間が命を狙われる必要もなくなるんです」
否定の言葉を聞くのが怖くて、思わず声が震える。
それこそが船を下りた僕が過去の記憶に見た一筋の光であり、残された最後の希望。
これで駄目なら……全てを止めるための時間はもうない。
祈る気持ちで無意識に俯いてしまっている僕に届いたのは、こんな答えだった。
『君はまた、誰かを救うために必死になっているのだね。私も長く生きたが、君のような人間は心底珍しい。望む答えかどうかは分からないが、他のドラゴンでは確実とは言えないだろう。しかし、私の血なら間違いなく生物側の呪いであれば解くことが出来るはずだ』
それは僕が望んで止まなかった答えであり、起死回生を呼ぶ肯定の言葉。
ほとんど反射的に僕は両膝を折り、頭を地面に叩き付けんばかりの勢いで土下座していた。
「僕には守りたい人がいるんです! その人達が今、人柱の呪いによって命を狙われている。無礼で恩知らずな身勝手極まりない言い分なのは重々承知しています! だけどそれでもお願いします……あなたの血を分けてもらえないでしょうか! ただでとは言いません、僕に出来ることならなんだって……」
『やめなさい』
声のみならず体までもが震える状態で額を地面に密着させる僕の懇願を遮る様に、頭上からそんな声が聞こえる。
もしかしなくても怒らせてしまったのかと、恐る恐る顔を上げると妃龍さんはどこか呆れた様に目を閉じ小さく首を振った。
『なぜそうような真似をするのだコウヘイよ。それは以前私の方から申し出たことだ、今になって前言を撤回するつもりなどない。君はカノンの恩人であり、初めて友人だと言ってくれた人間でもある。竜は人に属しはしない、他の人間であれば争ってでも拒否するだろう。だが君だけは別だ。君が我らに何かを望むのならば我らはそれを拒否したりはしない』
意外過ぎた言葉の数々に思わず涙が出そうになる。
それはつまり、妃龍さんは僕の頼みを聞き入れてくれるということに他ならない。
「本当に……ありがとうございます。この御恩は決して忘れません」
もう一度、深く頭を下げる。
これで……世界は破滅の危機を脱することが出来る。
ジェルタール王やマリアーニさんの命を巡って争いをしなくてもよくなるんだ。
「あの……申し訳ないついでにもう一つ聞かせていただきたいことがあるんですけど、構いませんか?」
『何なりと聞いてもらえればよいが、その前に立ちなさい。そのような真似をさせていてはむしろこちらが心苦しい』
言われて僕はすぐに立ち上がる。
少しズボンを手で払って気を落ち着かせようと息を吐き、道中で思い至ったもう一つの可能性についての疑問をぶつけてみた。
「血毒の呪いというのをご存じですか? であれば……それもあなたの血で消すことが出来ますか?」
『血毒の呪い、それもまた大昔に存在した呪術だ。今の人の世は太古の魔術が流行りなのかね』
「流行りというわけではないと思いますけど……」
『君が望む答えを用意してやれないことを悪く思わないで欲しい。残念だが、それは不可能だ』
「…………」
『血毒の呪いとは体内に強力無比な毒を埋め込み、呪術によってその毒を血中で増殖させ相手を死に至らしめるというものだ。私の血を飲めば呪いそのものは打ち消せるだろう。だが、体内に残った毒は全く別の話になってしまう。ドラゴンの血に解呪の効力はあっても解毒の作用はない』
「そう……ですか」
何もかも一筋縄で、とはいかない……か。
もしもそれが可能であれば、クロンヴァールさんを助けることも出来ると思った。あの人もまた、限られた時間の中で命を削っている一人に違いはない。
『聞きたいことはそれで最後かな』
「あ、はい……色々とすみません」
『急いでいるのだろう、私の血を持ち帰る用意はしているのかな』
「はい、用意して来ました」
『ではすぐに取り掛かるとしよう』
その言葉を合図に僕はガラス瓶を取り出し血を貰い受ける段取りへ移ることとなった。
僕の、ひいては人間の都合で血を流させる。それはどれだけ身勝手なことだろうか。
難色を示すわけでもなく、条件を突き付けられることもなく受け入れてくれた妃龍さんには本当に感謝してもしきれない。
ガラス瓶三本に半分ほどの血を受け取り、妃龍さんが急ぐ僕が言い出す前におっさんのドラゴンに再び目的地に送り届けるよう命を下してくれたのだから頭が上がらない具合にもいい加減限度があるというものだ。
到着して僅か三十分足らず。
こうして僕は再びおっさんの背中に乗ってドラゴンバレーを離れることとなった。
ゴーダ王国内の近くの街で一度降ろして貰い、伝鳥屋でサントゥアリオにいるセミリアさんに手紙を送ってから一度マリアーニさん達を探すべくフェノーラ王国へと向かうへく空の旅を再開する。
フェノーラ王国か、はたまたサントゥアリオ共和国か。
クロンヴァールさんが今どこにいるのかは定かではない。
ならば受け取った血があれば戦争を止められる上にジェルタール王の呪いを解ける以上は僕もサントゥアリオに向かうべきなのは分かっているが、合流を前に連れ去られたとあってはまず間違いなくマリアーニさん達を心配させているであろうことも含め彼女達を無視して行くわけにはいかない。
直前までエーデルバッハさん達と一緒にいたのだ。僕が一人で港に向かったことが知れれば、その後行方不明ではまた僕の捜索や心配に時間を割かせてしまう可能性が高い。
守護星の皆がどうなったのかも分からないままだし、無事であるにせよそうでないにせよ一度は様子を見に行かなければその後の行動指針も定まらないというものだ。
もしもマリアーニさんが逃げ続けている状況なら尚更に一刻も早い助けが必要だろう。
フェノーラ王国の港周辺を捜索してみて見当たらなければ、或いは何らかの情報を得られたならばサントゥアリオ本城へ向かう。
優先度を付けることなど出来ないからこそ、それが今の僕に出来る最善だ。