【第七章】 Fed Dog Oath
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サントゥアリオ共和国の重要な軍事的拠点の一つであるベルジオン中継基地。
その北西部にある川辺にシルクレア軍は陣を張り機を待っている。
フェノーラ王国の港に泊めた船で僅かばかりの休息を取り、アルバートやハイクの帰還を待ってサントゥアリオへと戻ったクロンヴァール王はすぐさま兵達の元に戻ると体を休める時間をほとんど得ることなくユメールの手を借り身なりを整えるとすぐに天幕を出た。
明け方に届いたというジェルタール王からの書簡を受け取って間もなくしてのことだ。
捕虜の解放、及び停戦の盟約を提示し、受諾の交換条件として王都バルトゥールに建つサントゥアリオ本城に招き入れる。
クロンヴァール王はすぐさま本城へ返答の文を送り、それらの飲むことを全軍に通達した。
無念にもマリアーニ王を取り逃がし、体調の優れぬ中であるからこそ座して自軍の兵の士気を削ぐことを良しとせず、また世界と自身に残された時間が多くない状況が決断を先延ばしにさせてはくれない。
その二つの意味を知る者は数人の側近のみであった。
「アルバート、首尾はどうだ」
曇り空の下に出ると、天幕のすぐ目の前にはハイクとアルバートが主の命を待つべく控えていた。
クロンヴァール王は二人の顔を交互に見ると全ての準備を任せていたアルバートの名を呼ぶ。
「は、ご命令通り港にいる兵は全て引き上げさせるよう鳥を飛ばしました。遠方にて待機させ、指示を待つようにと伝えてあります。また各地から全ての捕虜を集め移送の準備を終えております。最も大きな馬車に詰め込んだものの、あの人数ゆえそれなりの数になってはいますが……」
「構わん、そう長い移動にはならぬだろう」
「姉御よ、一つ聞かせてくれ」
そこで、アルバートの隣に立つハイクが口を開いた。
主君の体に障らぬよう咥えていた煙草を踏みにじり、どこか鋭い目を王へと向ける。
「言ってみろ」
「姉御は今からジェルタール王とサシで会う。それが何を意味するか、向こうも分かってのことだろうよ」
「それがどうした。まだ異議があるのか?」
「今更そうしようとは思わねえさ、ただの確認だ。ジェルタール王を殺し、ナディア・マリアーニを殺せば本当に終わるんだな、俺達の戦いは」
「思い違いをするな。お前達の、ではない。私の戦いが終わるのだ。お前達には未来に進む権利と義務がある。だが、これは私が起こした戦なのだ。その私が最後の時をベッドの上で迎えることなど許されるものか。私がこの手で終わらせ、それを見届けねば死んでいった者達に顔向け出来ん。言いたいことは数多あるだろうが、それでも行かせてくれ。私の最後の戦場に……私の死に場所に」
「周りに兵がいるんだ、滅多なことを言うもんじゃねえよ。一人で悟ってねえでサッサと出発しようぜ、まだ指揮権まで捨てちまうつもりはないんだろう」
「ああ……行くとしよう、王都バルトゥールへ」
横に控えるユメールの傷心を汲んだハイクの一言をきっかけに、ラブロック・クロンヴァール率いるシルクレア軍は無数の馬車を引き連れ王都へと向かった。
○
康平を乗せた船が意図せず無関係な航路を進もうと港を出た頃。
オルガ・エーデルバッハが率いるフローレシア王国の精鋭【守護星】の四人も同じく港を通過し、本来の目的であるナディア・マリアーニの元へと到達を果たしていた。
場所は本土よりしばしの距離にあるやや寂れた小島だ。
ノワールの召喚獣巨鳥ガルーダを用いて海上を飛び、上陸したばかりの三人組を発見すると四人はすぐに着陸し唯一の同盟国の長と数年ぶりの対面を果たしたが、顔合わせや経緯の説明もそこそこにこの場に康平が不在である理由を知る者がおらず誰もが少なからず困惑する事態を招いてしまっていた。
特にユノ王国の三人は動揺と不信感を同等に抱いており、道中に追っ手の船団を自走不可能な状態にしたため逃げる必要はないだろう。という補足に対しても安堵につながるまでには至らない。
「お前達が弟に何かしたんじゃないだろうなっ!」
双方の事情が大凡明かされると、一連の話を半分程しか理解出来ていないカエサルは我慢出来ずに噛み付いた。
唯一フローレシアに赴いた経験を持たないカエサルは四人とは初対面であるがゆえに欠片も信用しようという気持ちはない。
ただ友好的な関係とは言えずとも面識があり、シルクレア軍を退けようと馳せ参じた姿を見ているマリアーニ王やウェハスールの『敵ではないだろう』という意見に従っているだけだ。
無論それはウェハスールの門により真偽を見抜いた上での話であったが、幼いカエサルはどうにも感情が先走ってしまう。
その非難じみた物言いや振る舞いにエーデルバッハが同じく苛立ち混じりの表情で一歩詰め寄ると高圧的に言葉を返した。
「何故そのようなことをする必要がある。我々は王の命を受け渋々ながらあの小僧に同道し、そちらの女王閣下の元に送り届けるため国を出たのだ。ならばこそこうして馳せ参じ助力に参ったのだぞ……下らぬ言い掛かりは挑発と同義であると知れ小娘」
「小娘って言うな変な服!」
「なんだと?」
睨み合う二人の顔が近付いていく。
一触即発の空気を諫めたのはウェハスールだ。
「こらエル、その辺にしておきなさい。この方達はコウちゃんを送ってくれただけではなく姫様を助けて下さると仰ってくれているの。無闇に言い掛かりを付けては駄~目」
唇を尖らせるカエサルの腕を引き二人を引き離すと、ウェハスールは沈痛な面持ちで言葉を失っているマリアーニ王へ向き直った。
その姿を見てキースやノワールに「まあまあ」と窘められるエーデルバッハも舌打ちを漏らしつつも引き下がることを選ぶ。
「姫様~、事情がはっきりしたところでどういたしましょうか~。ひとまず追っ手の心配は無くなったようですが、時間が有限であることは変わりません。だからといってコウちゃんを放っておいていいとも思えませんね~」
「そ、そうね……目的地はすぐそこまで来ているけれど、王子のことを後回しにして取り返しが付かないことになるのは絶対に避けないと」
消え入りそうな声でそう言ったマリアーニ王は唇を強く閉じ、今にも泣き出しそうな表情を浮かべる。
康平に対する呼称を初めて耳にするエーデルバッハやノワール、キースに何故かカエサルも加わった四人が「王子?」と声を揃えて疑問を口にしていた。
「では二手に分かれるというのはどうでしょう~? エルだけではなくそちらの皆さんも飛行能力をお持ちのようですし、件の魔術師に会いに行く者とコウちゃんを捜索する者とで分かれる、それならば時間を浪費せずに済むかと~」
「そうね、それが最善だとわたくしも思うわ。エル、申し訳ないけれど頼まれてくれるかしら」
「まっかせといて。絶対に弟を見つけて来るから」
「エル、慌てないの。一人で行くんじゃないのよ~。こちらの都合であることは重々承知していますが、ご協力願えませんでしょうか~」
今にも単身飛び去りそうなカエサルを止めると、ウェハスールはフローレシアの四人へと頭を下げた。
目の見えないパーシバルを除く三人は何とも言えない表情で顔を見合わせ、体裁が悪いエーデルバッハの心情を察したキースが了承の意を口にする。
「ま、しゃーねえか。正味な話、一人で行かせたこっちにも非があるしな。ミュウ、頼めるか?」
「ほーい」
ウェハスールの言うところの飛行能力を持つノワールはすぐさまガルーダを召喚すると、ピョンと両足で跳ねパーシバルの顔を覗き込む。
「シロも一緒に行く?」
「…………行く……コーヘ、心配」
「オッケー。ではではお姫様、そういうことで問題無い感じです?」
「ええ、迷惑ばかりを掛けますが……我らが恩人をどうかよろしくお願いします」
「了解でありまーす。そっちのお嬢ちゃんも乗せてあげよっか?」
「あたしは自分で飛べるからお前の力なんか借りないもんねーだ」
にこやかな顔を向けられるも、カエサルは舌を出し小馬鹿にする様な口調を返すだけだ。
やれやれと溜息を吐き、すぐさまウェハスールが代わって頭を下げる。
「エル……いい加減になさい。皆様、申し訳ありません、この子はまだ精神的に幼いもので。愚妹の無礼をお許しを」
「軽々に頭など下げられますな。先程も言ったが、我々は女王閣下が事を為す手助けをするために遣わされた身。そのコウヘイとやらのことはさておき、無闇に遠慮されては足の引っ張り合いと変わらぬでしょう。筋の通らぬ言い分でない限り逐一異論を唱えたりはせぬゆえ都合の良いように扱われよ」
生粋の男嫌いであるエーデルバッハはコウヘイに従うことにこそ抵抗の意志を示したが、王の命に背き仮にも同盟国の長に無礼を働く程愚かではない。
その言葉を受け、マリアーニ王もまた深く頭を下げる。
「何から何までありがたい限りですわ。ケイト」
「はい~。ではエル、そしてお二方、状況からするにあてもなく捜索しても成果は望めないでしょうし、わたし達が合流に手間取っては事態が悪化しかねません。探すのは港及びその近辺に限定し見つからなければ一旦こちらに合流してください~。港に向かったコウちゃんがそれ以外の場所に行く理由が見当たりませんし、何か特別な事情があってそうしたならば当てずっぽうで見つけるのは難しいでしょう。無茶を無茶とも思わない困った弟ですが、自分を探すために他の事を後回しにしたと知れればきっとわたし達が怒られてしまいますからね~」
康平を心配する気持ちはマリアーニ王やカエサルと等しく何よりも大きく心に留まっているが、あの康平が無意味な行動を取るとも思えないという信頼が同じく頭には浮かんでいる。
だからこそ、今回こそはその強い覚悟に報いなければとも思うのだった。
すぐにノワールから気の抜けた了承の返事が返ると、ウェハスールはカエサルの肩に手を置く。
「エル~、今は何をするにも余裕が無い状況なの。勝手なことをしないように、それからお二人に失礼なことをせずにちゃんと協力しないと駄目よ。これは姫様の命令ですからね~」
「分かった……姫や弟のためだもんね、ちゃんと言われた通りにする」
にこりと微笑みを向けられ、カエサルは拗ねた様な顔で渋々ながらもコクリと頷いた。
二度三度その頭を撫でるとウェハスールは再びマリアーニ王の横へと戻る。
「それでは姫様、わたし達も行くとしましょう」
「ええ。ではお三方、またのちほど。わたくし達は目的を果たすべく進みます」
丁寧に頭を下げるとカエサル、ノワール、パーシバルへ背中を向け寂れた荒野の先にある雑木林へと足を進める。
すぐにウェハスールが続くとエーデルバッハとキースもその後を追い、離れていく四人の背をしばし見つめたのちカエサルやノワール達も飛び立ち自らの役目を果たすべくその場を離れるのだった。
○
二手に分かれた一同はそれぞれが使命を胸に立ち止まることなく進んでいく。
マリアーニ王を始めとする四人は周囲を見渡しながら見通しが良いとは言えない雑木林の中を歩いていた。
件の人物がこの林の奥に暮らしているという情報を耳にし、幾多の危機を乗り越え到達した孤島は一見すれば人が住むに適しているとは到底思えぬ静けさと人の手が及んでいないことが明らかな荒れ果てた自然に囲まれている。
空を飛ぶことで上陸したユノ王国の三人は上空からでは林の内部が目視出来ないため徒歩での捜索を選んだが、四方を覆うそんな風景がどうにも腑に落ちず、それらの事情を把握していないエーデルバッハがとうとう疑問を呈した。
「女王閣下、一つお尋ねしたい」
「なんでしょう」
「今になって問うことではないかもしれないが、一体どこに向かっているのだ」
「あの、王……コウヘイ様に聞いておられないのですか?」
「あの兄ちゃんの話なんて聞く気なかったからな~オルガは。よく考えたら女王様が港に向かってるから合流するってとこまでしか聞いてねえや」
特に深刻に捉えているでもなく、聞く気があるかどうかよりもさして興味が無かっただけのキースも今初めて気付いたといった風に何気ない口調でそんなことを言った。
数度顔を合わせた程度で強さや人間性を含めそう多く守護星のことを知っているわけではないマリアーニ王やウェハスールはいささか不安を抱いたが、やはり康平が頼った者達ならばと指摘するのを自重しここに至るまでの事情を話して聞かせる。
人の世にとっての未曾有の危機【人柱の呪い】をどうにか出来る可能性がある魔術師の存在。
そしてこの国に暮らしているといういずれも不確かな情報に縋る思いで国を離れ追っ手に命を脅かされながらも旅を続けたこと。
簡単な説明を聞いた守護星の二人はようやく諸々に合点がいった部分もあったが、そこでキースには別の疑問が浮かぶ。
「なるほどな~。だけどさ、それだけの凄腕ってならこんな辺鄙な場所に住んでいるとは思えないけどなあ」
「疑問はごもっともです、わたくし達とて確かな情報を以て参ったのではないゆえそれ以上のことは……」
「ま、行ってみりゃ分かるか。何か小屋が見えてきたぜ? 多分あれだろ?」
そう言ってキースが指差す先には確かに小さな小屋が一つ見え始めていた。
周囲に人影は無く、また他の建物も存在しない。
それでも半信半疑の情報の一つが事実であったと証明されたことにマリアーニ王は胸に手を当て安堵の息を漏らす。
四人が近付いていくと、そこにあったのは小屋の周囲は小さな畑になっており、その有様はまさに人里離れた辺境の地で自給自足の生活を送るためのものに他ならない風景だ。
四人は目配せし合い、主の前に出たウェハスールが意を決して扉の戸を数度叩いた。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
四人は息を飲み扉に視線を集める。
マリアーニ王は不安を、その他の三人は警戒心を胸に反応を待つ中、少しの物音がしたかと思うとゆっくりと扉が開いた。
ウェハスールは杖を握る両手に力を込め、エーデルバッハやキースも不意打ちに備え身構えるが、中から出てきたのは殺気の欠片も無い一人の男だった。
歳は三十にも満たない、到底荒事には向かぬであろう細身の男だ。
祭服の上にカズラを纏い、長い黒髪が背の辺りまで伸びる頭部にはミトラをかぶっている。
更に胸には四つの十字架が光る金属製のネックレスを下げており、手には司祭杖を持ついかにも司教といった風貌をした温厚そうなその男は四人を順に見回し不思議そうに目を細めた。
「はて、どちら様ですかな? ここは孤島ゆえ、偶然に迷い込むようなことは無いかと存じますが」
「お初目にかかります。わたくしはユノ王国の国王ナディア・マリアーニと申します。率爾ながら貴方様を頼って遠方より参りました。突然の来訪、どうかご寛恕くださいませ」
ウェハスールの背後に立つマリアーニ王は腰を折り、深く頭を下げた。
その姿に男は不思議そうに首を傾げる。
「ユノ王国の女王様、ですか。失礼ながら私はご尊顔を存じ上げていないのですが、それが事実であれば何用でこのような場所に」
「お伺いしたいのですが……貴方様が犬の誓い、と申される御仁であられますでしょうか」
「ふむ、誰に聞いたのかは存じませんが少々違っていますね。私が用いる名は【Fed Dog Oath】。それすなわち……肥満犬の誓いです」
「肥満犬の……誓い」
「何故そのような名を名乗る。本名を明かすのが礼儀であろう」
意味が理解出来ずに反復するマリアーニ王の横に出たエーデルバッハがすかさず鋭い目を向ける。
自身も名乗っていないにも関わらず胡散臭く思う心の内を隠そうともしない不信感を露わにした表情や声だった。
「見ず知らずの各々方に礼儀を正される筋合いはないでしょう。私は戦いを離れ静かに暮らしている身ゆえ、名を隠し今の生活を守っているに過ぎません。もっとも、今ではそちらの名前も少しばかり知れ渡りつつあるようですが」
「そういった理由であれば無理に聞こうとは思いません。わけあって王章を持っておらず、こちらの身分を証明出来ないことをどうかお許し下さい」
「私のような者に対して異国の王の名を騙る意味もないでしょう。立ち話をさせることこそ無礼の極み、話は中で伺いましょう」
マリアーニ王の謝罪に対し、男は微笑を浮かべ中へと促した。
四人が中に入ると外観と等しく、物の少ない質素な暮らしを想像させる簡素な部屋の中心にあテーブルへ腰掛けるよう勧める。
そしてそれぞれがテーブルに向かうと、茶の用意を遠慮する弁を述べたウェハスールが最初に口を開いた。
警戒心を抱かせぬよう普段以上の穏やかな声音と表情を男へと向けてはいるが、人知れず室内に入った瞬間に奇妙な空気を感じ取っていた。
「肥満犬の誓い、というお名前を使っていらっしゃるとのことですが、何か由来がおありなのですか~?」
「由来と言える程の深い意味はありません。この国に犬食の文化があるのはご存じで?」
「はい~、勿論です~」
「頻繁に、というわけではありませんが、この国では数年に一度は人が食用の犬に噛み殺されるという事故が起こるのです。どこか心に感じるものがありまして、己に対する訓示のような意味も込めてその名を使うようになったのです」
「訓示、ですか」
「ええ。どのような見方をしても彼らは家畜でしかない……ただ食われるための、殺される時を待つだけの運命に抗うべく飼い主に牙を剥く。素晴らしい気概だとは思いませんか?」
「はあ……」
「私もかつては天命に抗おうと戦場に立っていた。今ではこうして安穏と暮らしてはおりますが、そういった意気や志を忘れてはならないと敢えてそう名乗っているのです」
「そうでしたか~」
心の内を悟られまいと何気ない会話を装っていたが、その実ウェハスールは戸惑いを覚えていた。
この男が信用に足るかどうか、まずは当たり障りのない話題で探ろうとしたものの右目に装着した門【心眼の輪】は何の答えも示してはいない。
まるでそれを見透かしたように、男は続ける。
「申し遅れましたが、この小屋にはとある結界が施してあります。マジックアイテムの類は作用しませんのであしからず」
ピクリと眉根を上げるエーデルバッハも両腕に付けた門に魔法力を込めるが、言葉通り動作する気配はない。
それがより警戒心と不信感を増長させ、探るよりも直接問い質す方法を選んだ。
「何故そのようなことをする」
「多少魔法の扱いに長けてはいても所詮は魔術師。肉体は農夫のそれと大きな違いはありません。元来臆病なもので、自衛策としてそうしているのです」
そう言って、男はコホンと咳払いをし姿勢を正す。
「さて、この期に及んで腹の探り合いをしていても埒が明きますまい。どうぞ本題を」
視線を向けられたマリアーニ王は一度ウェハスールを見ると、小さく頷くのを確認し改めて男を見据えそこでようやく本題を口にした。
「聞いた話では、貴方様は稀代の魔術師であるとか」
「稀代と言われる程のものであるかは何とも言えませんが、確かに結界術や魔法陣に関しては少なからず扱いに長けているという自負はあります」
「そういった噂を耳にしまして、どうかお力を貸していただく押し掛けた次第なのです」
「と、申されますと?」
「今この時、世界が【人柱の呪い】という魔術によって危機に晒されていることはご存じで?」
「勿論存じておりますとも」
「その魔術も魔法陣を用いている。しからば貴方様のお力でどうにか手を打つことは出来ないかと参ったのです」
「なるほど……」
男は独り言の様に呟くと、顎に手を当て言葉を選んでいるのかゆっくりとした口調で続ける。
「率直に申し上げるならば不可能ではない、とお答えしておきましょう」
「ほ、本当ですか?」
「魔法陣を上書きすることで無効化する【誘滅の陣】という魔法があります。永久に効力が残るものではありませんが、【人柱の呪い】が消滅するまでは十分に保つでしょう。そして私はその魔術を扱うことが出来る」
一同は青天の霹靂とばかりに顔を見合わせ、言葉を失う。
だが、僅かな無言の間を経て誰もが引っ掛かりを覚えるとエーデルバッハが我先にとそれを指摘した。
「解せんな……それが出来ると言いながら何故貴様は静観している」
「そうだぜ、放っておいたらあんたも死ぬんだぞ?」
「理由は二つあります」
キースがすかさず便乗すると、男は立ち上がり壁際にある木製の棚へ近付いていく。
取り出したのは芸術品の如く細かな意匠が施された食事用のナイフ程の長さを持つガラス製の針だ。
男はそれをテーブルに置き、改めて腰を下ろした。
「これは結界針柱と言う物でして、強大な魔法陣を生成する際に使用する物です。【人柱の呪い】を作り出している錬成針柱と用途としては変わりません。魔法力を増幅させ、魔法陣を作り出し、それでいて他者の手で破棄出来ぬような仕組みをもっています。先程申した【誘滅の陣】を発動させるためにはこの結界針柱を使わなければならないのですが、言うまでもなく莫大な魔法力を要する。世界の大半を覆うとなれば尚更に。いかな私といえど、それほどの魔法力は持ち合わせていない。どれだけ無茶をしたところで一度の放出で満たせるのは精々一本が限度でしょう、つまりは魔法陣の生成に必要な五本を短い時間で用意することが出来ないのです。言い換えるならば、私一人ではどうしようもない。それが一つ目の理由です」
「事情は理解した。だがそれでも、その話を明かせばいくらでも協力者はいただろう。それこそ国を挙げて、世界を挙げてでもだ」
引き下がることなく追求を続けるエーデルバッハに対し、男は一つ息を吐くと自嘲気味の笑みを浮かべる。
「勿論のことこの国の王には言上奉りました。されど私が戦場に身を置いていたのは何年も前の話。本島の者に言わせれば今の私など辺境の地に居着くただの変わり者でしかない。そんな私の話をまともに聞いてくださるような者もまた変わり者ということなのでしょう」
「なるほど……では、残る四本の針柱に魔法力を注げる者が居れば実現可能である、と」
絶えず祈る思いでいるマリアーニ王の目は真剣そのものだ。
真っ直ぐに視線を交わし男は小さく頷いた。
「そういうことになりましょう」
「わたくし達の中で抜きん出た魔法力を持っているのはケイトだけ……皆様の方はいかがなものでしょうか」
マリアーニ王はエーデルバッハへ顔の向きを変える。
答えたのはキースだ。
「私らの中じゃオルガだけだろうな。唯一オルガの門だけは自分の魔法力の量に依存するタイプなんだ、そこらの魔法使いなんざ目じゃねえと思うぜ?」
「ではそれで三つ……残りは」
「こうなった以上はクロンヴァール王に事情を話し協力してもらう他ないでしょうね~。この争いを収め、世界が危機を脱することが出来るのであれば耳を貸さないわけにもいかないでしょうから~」
ウェハスールの提案に異議を唱える者は居ない。
並外れた魔法力を持つ者を五人集めるとなれば、自国の者や見知った名前に該当する魔法使いは一人として思い浮かばなかった。
「そうね……もう、そうする他わたくし達に方法はない」
「問題は姫様の安全を確実に確保出来るかどうかですが……」
「案ずることなかれ、それについては我々が何を置いても女王閣下をお守りすると約束しましょう。既に一度交戦済みなのだ、そう苦労する相手ではない」
二人の杞憂を一掃しようとエーデルバッハは顔の前で拳を作ると、隣に座るキースもすかさず同調する。
もはや確実な安全を追っていられる状況ではない。
そんな意志を確認するようにマリアーニ王とウェハスールは目を見合わせ同時に頷くと、揃って立ち上がった。
「頼み事を出来た義理ではないことは重々承知しています。それでも、無理を承知でお頼み申し上げます……どうか世界を救うべく、そして無益な争いを止めるべく、ご同行願えませんでしょうか。いかような対価も厭いません……どうか力をお貸し下さい」
二人が深々と頭を下げると男もすぐに立ち上がり、二人の腕に手を添える。
「お二方とも頭を上げてください。女王陛下がお望みとあらば何を躊躇うことがありましょう。世界が、人々が救われるなら是非もありません、共に参りましょう」
男が了承の意志を告げると二人はすぐに感謝の弁を返し、ようやく安堵の息を漏らす。
それは幾多の壁を乗り越えようやく得た最後の希望。
エーデルバッハ、キースに異論が無いことを確認すると四人に一人の男を加えた五人はカエサル達が戻るのを待って未だ危難の中に居るもう一人の人柱であるジェルタール王に会うべくサントゥアリオ共和国を目指し再び空の旅へと赴くのだった。