【第四章】 その頃グランフェルト王国では
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サントゥアリオ共和国やフローレシア王国、或いはフェノーラ王国でいくつもの戦いが繰り広げられている頃、世界中を巻き込む戦乱の渦から奇しくも逃れることが出来たグランフェルト王国はどうにか平穏を保っていた。
【人柱の呪い】が発動してしまえば世界諸共消えてなくなる危機にあるという事実には未だ何の変化もない。
それでも聖剣の勇者と一人の少年が掲げる争う以外の方法で解決を、という方針を可能な限り追うためシルクレア王国とサントゥアリオ共和国の争いに対して中立を貫くことを決めた国王代理ジャクリーヌ・アネットは他国の侵攻と市井の不安を煽らぬよう警戒態勢の強化と情報の統制を徹底し、国内に混乱をもたらさないことを第一に動いている。
その成果もあって民に目立った動揺は見られず、気を抜けない状況は変わらないながらも城下を含む町や村は常時の落ち着きを維持していた。
そんなある日の午後、フローレシア王国から一隻の船が王国の象徴でもあるグランフェルト城を騒がせることとなる。
過去に一切の関係を持ったことのない悪名高き王国の物と思しき船の渡来は容易に襲撃の二文字を連想させ、港に控える部隊に緊張が走ったことは言うまでもない。
直ちに本城へ知らせを送り臨戦態勢を整える兵士達だったが、そんな認識はすぐに船上に現れた一人の少女の姿が事態を大きく覆す。
その名はサミュエル・セリムス。
グランフェルト王国のもう一つの象徴である二人の勇者、その一人である。
自国の勇者が乗船しているとなれば不用意に攻撃を仕掛けるわけにもいかず、総員が武器や大砲を構える部隊は交戦の意志や警戒心といった仰々しい空気の全てを収めさせたのだった。
到着した船に乗っていたのは総勢三人という規模に対してあまりにも少ない人数だ。
サミュエル・セリムスと武器も持たないいかにも一般人といった風体の操縦士、そして見知らぬ一人の少女という異色とも思える組み合わせにサミュエルがフローレシア王国に渡ったことを知らない兵達の動揺は拭えぬままであったが、ラルフと名乗る少女が元帥や宰相の肩書きで知られる康平の直筆の書状を持参していたこともあってアネットの判断でひとまず城に迎え入れる流れへと移行する。
しかし、船が引き返して行くなり何の説明もせずに立ち去ったサミュエルは城に寄ることなくその場を後にし、結果的に若き少女ラルフだけが康平の手紙を手に城へ向かうこととなった。
しばしの馬車による移動を挟み城に到達したラルフは直ちにアネットの元に通される。
手渡された書状には康平がフェノーラ王国に渡ってからのことやフローレシア王国に向かった経緯、そしてそこでの二つの再会とラルフの正体に至るまでの顛末全てが簡潔に記されていた。
大凡を把握したアネットはすぐに場所を移すことを決め、とある人物をそこに呼び出すことを決める。
移動した先は城内にある康平の部屋だ。
広めの室内には備え付けのソファーに向かい合って腰掛けるアネットとラルフ、そして脇に立つ水色の給仕服で身を包んだ小柄な少女の三人だけがいる。
少女の名はミランダ・アーネット。
アネットに呼ばれて駆け付けたこの城で働く一人であり、康平の世話役を兼ねる十六歳の若き侍女である。
事情も、おかしな喋り方をするラルフというらしい少女のことも一切把握していないミランダはただただ世間話の様に少々物騒な話を続けている二人の会話を横で聞いていることしか出来ない。
それによってラルフが話にだけ聞いていたかつて魔王討伐に同行した『虎の様な男』であることや康平が一人で国を離れたことを知ったぐらいだ。
「なるほどねえ、まさかセリムスと共にフローレシアの悪魔を討伐していたとは……相変わらず何から何まで予想外の行動ばかりだなアタシの相棒様はよ」
深く背もたれに体重を預け、お世辞にも行儀が良いとは言えない格好で天井を仰ぐアネットは呆れた笑いを漏らし肩を竦めた。
康平という名前が出てくる度に心臓が跳ねる思いでいたミランダは今になって知ることばかりの情報に対する不安も相俟ってとうとう我慢の限界を迎える。
「暢気に言ってる場合ですかアネット様っ、どうしてそんな危険な場所にコウヘイ様を一人で行かせたのです」
拗ねた様な表情と今にも涙が浮かびそうな目が向けられる。
二人の関係を知っているだけに流石のアネットもバツが悪そうに頬を掻いた。
「そう言われてもな、いくら何でもフローレシアに一人で乗り込むなんて思わねえじゃねえか。元々全く無関係な国に行ったってのによ」
「それはそうかもしれませんけど、それでも無茶すぎます。せめて勇者様が一緒だったら……」
「一応はもう一人の勇者様と合流しての話だろ? つっても顔も見せずに帰っちまいやがったけどよセリムスの奴」
アネットはやれやれと首を振り、視線をラルフへと戻した。
頭に生えている獣の耳をまじまじと見つめ、改めて事実が事実足ることを咀嚼する。
「しかしまあ、お前があの時の虎だったとは今になっても驚きだぜ」
「にゃーも驚きにゃ。まさかおみゃーがあの髑髏のネックレスだったとはにゃ。人間生きていれば色々あるもんにゃ。と言ってもにゃーは半分ぐらい人間じゃないけどにゃ」
「それを言っちゃおめえアタシだって年齢の四倍ほど人間じゃねえ時期があったぜ」
「お互い波瀾万丈の人生ってわけにゃ」
「違えねえや」
二人は声を揃えて愉快そうに笑う。
ネックレスに姿を変えていたアネットを直接目にしているミランダはアネットの正体についても聞き及んでいるだけに、笑いながらそんな話をする二人に内心ではどん引きしていた。
「ともあれ、事情は分かった。相棒の頼みである以上アタシに異論はねえ、お前さんの衣食住はこっちで面倒を見てやるよ」
「助かるにゃ」
「ここがその相棒の部屋だ、ひとまずここを使ってくれ。それからミランダよ」
「はい?」
「こいつの世話はお前に一任すっから、よろしく頼むぜ」
「……え? わたしですか?」
「あの相棒が面倒みてやってくれって頼んでんだぜ? 相棒だって気心の知れたお前さんに託せりゃ安心だろうさ。良いアピールにもなるし一石二鳥ってもんだろう」
「はあ……アピール、ですか」
「お前さんとて相棒に思いを寄せる一人だろうに。すでにクルイードとは夫婦になっちまってんだぜ? いつまでも仲良しで満足してっとどんどん他の女に先を越されちまうってなもんだろ。略奪しろと言うわけじゃねえが、別に複数嫁さん貰っちゃいけねえなんて法律もねえんだ。二番目は譲らねえぐらいの気概がなけりゃいつまで経っても現状維持に甘んじるばかりだと思うがね。アタシっつー愛人もいるしな」
「愛人って……」
呆れ顔を浮かべながらも、ミランダの心に僅かな動揺が走っていた。
出会った当初の尊敬の念は今や明確に恋慕の情へと変わっている。
傍に居られるだけで満足だと無理に関係を発展させようとすることはせずにいたが、最近では康平が元の世界に居る間にも関わりが途絶えなくなっているだけにより秘めたる思いが募っているのは事実だった。
サントゥアリオからの帰国の前後にセミリアが康平に求婚し、結果的に康平の返答にまで話は至っておらず有耶無耶なまま終わったにも関わらずその後勝手に話は膨らみセミリア本人とアネットは既に婚約が成立したつもりでいる。
戦後すぐだったことや国王の逝去による多忙な日々、更にはすぐに此度の騒動が始まったこともあり大々的に公表してはいないが、それらの既成事実を康平に近しい者にだけは明かしておりミランダもそれを聞いた一人だっただけに尚更である。補足があるとするならば康平本人がそれらの事情や認識を一切把握していないということぐらいだ。
「わ、分かりました……ですが、この子はコウヘイ様や勇者様アネット様と魔王と戦ったんですよね?」
理屈としてはやや暴論のようにも思えたが、ミランダとて康平を他の誰かに取られていいという結論に至るはずもなく迷いながらも承諾の返答を口にする。
「そうだぜ?」
「立場というか、身分としてはどういう扱いになるんですか? コウヘイ様のお客様ということでよろしいのでしょうか」
「んー、そりゃ難しい質問だな。お前さんは相棒の何に当たるんだろうな、客人か? 傭兵か? それとも友人知人ってことでいいのか?」
「ペットだにゃ。あの時と今回と、にゃーはご主人と共に二度戦ったんにゃけど、ご主人はこんなにゃーを助けてくれたし行き場の無いにゃーを心配もしてくれるお人好しにゃ。そんな必要は無いと言われたところでもう少し恩を返さないとにゃーと兄者の気が済まんにゃ」
「ペットっておめえ、その表現は道徳的にいかがなもんかと思うが……まあ本人がいいってんなら何でもいいか。だが、ご主人だなんてこいつの前で呼ぶのはちっといただけねえな」
「にゃ? どうしてにゃ?」
「にっしっし、このミランダとて内心じゃ相棒をそう呼びたくて仕方がないんだよ。な?」
「もう、アネット様っ。何を仰るんですか」
からかわれたミランダは顔を赤くして抗議する。
その遣り取りの意味が分かっていないラルフは「にゃ?」と首を傾げていた。
「ラルフちゃんは分からなくてもいいんです。とにかく、コウヘイ様がお戻りになるまではわたしがお世話をするから、何か困ったことがあったら遠慮無く言ってくださいね」
「にゃ、よろしく頼むにゃ」
ラルフが笑顔を返したところで話が纏まる。
一見平和で穏やかな時間と空間。
それでも世界の存亡を巡る戦いは刻一刻と終わりに近付いていく。
遠く離れた地にいながらも康平達の無事を祈る気持ちだけは三人に共通していた。