【第二章】 再上陸
翌朝。
浅い眠りから覚め、薄目を開いて窓の外を見てみるとまだ早朝なのか辺りは真っ白だった。
中々寝付けなかった上に慣れない環境や自分の置かれている立場がそうさせるのか、何度も起きては寝てを繰り返していたせいで十分な睡眠や休息を得たとは到底思えず、疲労感を残していることがはっきりと分かる。
だからといって二度寝をする気にもなれず、そもそも海の上だから正確に推測出来ないだけでそこまで早い時間ではない可能性もあるのでそういうわけにもいかず。
僕が一番遅くに起きた、なんてことになればまた何を言われるか分かったものじゃない。
「はぁ……」
この一晩でもう何度目になるかの溜息を吐いて、重い体を持ち上げ起きることにした。
改めて窓から外の景色を覗いてみると、やはり霧がかっていて真っ白以外に見えるものはない。
こんな状態なのに全員が眠っている中で船を進ませて大丈夫なものだろうか。
という心配は当然のこと抱いた僕だったが、『見張りは立ててるから心配いらねえよ』というキースさんの言葉を信用する以外に出来ることなどないので黙って引き下がったわけだけど……その辺も中々眠れなかった理由の一つなんだろう。
干していた洗濯物を畳んだり、朝ご飯の用意をしたりと僕の仕事なのかどうかは未だに解せないままであれどやらなければいけないことは色々とあるのだ。
のんびりしている暇なんてない。
それも分かっているのだけど、どうにも体以上に足取りが重くなる。
理由はただ一つ。正直……シロと顔を合わせにくい。
昨日の風呂での出来事は布団に入ってからも中々頭から離れてくれず、僕の落ち着きを奪っていたと言っていい。
幸いにして風呂から上がった後にシロと顔を合わせることはなかった。
キースさん曰く『ミュウがもう眠いからって強引にベッドに連れて行ったぜ?』ということだったが、それはそれで日を跨いだ今日どういう顔をしてどういう態度で臨めばいいのか分からないだけに困る。
ちなみに風呂から戻った僕を見るなりキースさんは『どうだった?』とか『何かあったか?』とかと聞いてきたけど、相手をするのも面倒だったので適当にあしらっておいた。
その後こうして二部屋を二人ずつに別れて使った女性陣とは違い一人でキッチンやテーブルのある共有スペースの脇にあるソファーで寝たわけだけど、よく考えてみるとこの部屋にまだ誰もいないということは僕が一番乗りの起床といことになるんじゃなかろうか。
午前のうちにはフェノーラ王国に到着すると聞いた。
そこからマリアーニさん達の元に向かって、クロンヴァールさん達の妨害……というよりも襲来を阻止しなければならない。
そうしようにも今の僕にマリアーニさんの居場所を知る術はないんだけど、一応目的地は分かっているし真っ直ぐに例の港に行くという段取りは一応昨夜のうちに確認している。
問題はどうやって追い付くかにあるのだが、その辺りのことを質問してみても『問題ない』と言われるだけなので方法は不明とはいえ何か考えがあるはずだ。
いつまで経っても憂うべき事柄だらけではあるが、悩んでばかりいても仕方がない。
早いところ今やるべきことをやろう。
そう決めて、僕はなぜ僕一人の仕事みたいになっているのだろうと言いたくなる雑用に勤しむことにした。
部屋干ししていた洗濯物を個別に畳んで纏め、次いで朝食作りだ。
パンを焼いて、洗った野菜を適当に盛りつけてサラダ風にした物と昨日の残りのスープを温め直しただけの簡単な朝食だけど、そう多くの食材を積んでいるわけでもないのでこれぐらいが丁度良い度合いだろう。
そんな朝食も完成し、おまけで紅茶も湧かした頃。
僕の起床から三十分ほど遅れて他の面々が部屋へと現れた。
まず部屋に入ってきたのはエーデルバッハさんとキースさんだ。
彼女達に対する心証はともかく礼儀としておはようございますと口にする僕に対し、キースさんは『おはようさん』と返してくれたもののエーデルバッハさんは目を合わせようともせず完全に無視である。
もう今になってそれについて不満を述べても無意味なのは分かっているけど、仮にも自分の食事を用意した相手に取る態度かと思えば思う程に僕のことを嫌いだとか気に入らないのを考慮しても最低限の常識ぐらい持ち合わせた上で偉そうにしてくれと言いたくなるのをグッと堪えるのだった。
続いて現れたのは残るノワールさんとシロの二人組だ。
シロはメイド風の服や眼帯なり髪飾りを身に着けるのに時間を要するのも分かるし、逆にノワールさんはお洒落に時間が掛かったんだろうなと分かるぐらいに一人だけ身なりがきっちりしている。
シロの登場に一瞬ドキリとしたが、扉が開き僕達三人と顔を合わせてなお二人はとても仲良さそうに主にノワールさんが一方的に話し掛けている状態を維持しているので特に挨拶や会話もなく朝食が並ぶテーブルの前へと腰を下ろした。
顔を見たら(といっても眼帯で隠れているので目が合うことはないのだが)また恥ずかしくなりそうなので僕としてはありがたい。
そんなことを密かに思いつつ、一人だけ床に並べた皿の前に座る。
まさにその時だった。
独り言の様にいただきますと口に出しトーストを手に取ると同時に、カチャリとテーブルの方で音がするのが聞こえた。
かと思うと、なんと自分の皿を持ったシロがこちらに寄って来てそのまま僕の前に座ったのだ。
同じ様に床に皿を並べ、同じ様に床に正座する格好で、だ。
「…………」
予想外の行動に面食らってしまい、トーストを持った手が固まる。
これはもしかしなくても僕と一緒にご飯を食べようという意思表示……だよね。
部屋に入って来た時に会話があるでもなく、こちらを見ることもなかっただけに昨日のことなんて忘れているのかと思っていたのに……全然そんなことなかったんだね。
「シロ!? 何してるの!?」
僅かな静寂の間を挟み、遅れて立ち上がるなり驚愕の声を上げたのはノワールさんだ。
焦りからかこちらはガタンと大きな音を立て、驚いているとか戸惑っているというよりはショックを受けているような顔でこちらを見ている。
これまた気まずい空間の誕生にどうしたものかと考える中、先に言葉を返したのはシロだ。
「コーヘ……一人、かわいそう」
昨夜と変わらない単語を繋ぎ合わせた呟く様な高い声が沈黙に包まれる室内に響く。
一人だけ床に座って食事をする惨めな状況を不憫に思っての行動ならばこの子の言う友達というのが文字通りの意味であることが分かって一安心という面もあるのだが……今ばかりはその思い遣りが僕の立場を悪化させている気がしてならない。
「かわいそうって、どうして急に……坊や、シロと何かあったの?」
すぐさま矛先が僕へと向けられる。
本人曰く唯一の友達であるらしいノワールさんはシロを心配する気持ちから言っているのだということは理解出来るが、僕とてこう答えるしかない。
「何かと言われましても……」
いや、もう本当にそれ以外に反応のしようがないじゃないか。
いくら何でも『昨日一緒にお風呂に入ったんですよ~』なんて言えるわけがない。
だからといってそんな回答で納得してもらえるとも思えず、ではどう説明すれば波風立たずに済ませられるだろうかと考えたところで答えなんて見つかるはずもなく。
必死に頭を働かせるも猶予はそう多くはなかった。
ガタリと椅子がずれる音がしたかと思うと、ノワールさんに続いてエーデルバッハさんが立ち上がっている。
そして無言のまま、それでいて指をパキパキと鳴らしながら僕の前まで来るなり恐ろしい目で見下ろした。
「ミュウ、無駄な問答を続けよりも体に聞いた方が早い。いや、違うな……まずはシロに聞かなければなるまい。シロ、この男に何をされた?」
「何も……されてない。シロ、コーヘ……友達」
シロは何ら躊躇うことなく、怖じ気づくこともなく答える。
ちなみにテーブルの方ではノワールさんが「ええぇぇ!?」と叫んでいた。
「マジかよおい。シロ、そいつと友達になったのか? なあ、だったら私は?」
「びっきーは………………仲間」
「かぁ~、やっぱ変わんねぇかー」
キースさんとシロがそんな遣り取りをしている隙にもエーデルバッハさんの怒りが僕に向く。
怖い目をしたままシロの横を通過し僕に迫ろうとするが、それを阻止せんと立ち上がったのは他でもないシロだった。
まるで僕を庇う様に両手を広げ、僕の前に立ち塞がる。
「コーヘに意地悪したら…………怒る」
最後の一言だけ明らかに声のトーンが違っていた。
そのせいか、室内には急激に緊張感が走る。
不味い……このままではこの人達に仲違いをさせてしまいかねないぞ。
原因が僕にあるのなら僕がどうにかしなければなるまい。ならば説得するべき相手はエーデルバッハさんでもノワールさんでもなく、シロだ。
「シロ、僕は平気だから皆と一緒にテーブルで食べてよ。友達って言ってくれるのは嬉しいけど、女の子にそんなことさせるわけにもいかないしさ」
言うと、ようやくシロは振り返ってくれたもののフルフルと小さく首を振る。
ちなみにテーブルの方ではノワールさんが「今シロって呼んだ!!!」と喚いていた。
こうも頑なだと納得を得るのも簡単ではなさそうだ。
「ちっ……好きにしろ」
そう考えたのは僕だけではなかったらしく、少しの間を置いてそう言うとエーデルバッハさんも僕を咎めるのを諦めて席へと戻っていく。
色々とヒヤヒヤしっぱなしだったけど、どうにか揉め事だけは避けられたみたいだ。
これはこれで後々に尾を引くことになりそうな気がしないでもないが、ひとまず朝食の時間に戻ったので良しとしよう。
「む~、だったら私も一緒に食べるもんっ」
という宣言と共に結局ノワールさんまでもがこっちに来て一緒に床に座って食べる羽目になっていたけど……まあ、気にしないでおいた方がよさそうだ。
食べ終わるまでずっと拗ねた感じで僕を見ていたけどね。
○
さて、朝食も終わり、後片付けも済ませ、あとは到着を待つばかり。
とは勿論ならなかった。
どうやらこっちの方は夜中のうちに雨が降ったらしく、空を見上げると黒っぽい雲が一面に広がっている。
場所はデッキ、船の先端。
僕はキースさんと二人並んで船首の傍にもたれ掛かり、潮風に当たっていた。
何を隠そう洗い物が終わる頃に呼び出しを受け、外に連れ出されたのだ。
「さぁて新人君、ちょいと二人きりで話をしようぜ」
とかなんとか肩を組みながら言われては逃げる術はなく。
心配してかシロが割って入ろうとしたり、察するにキースさんと同じ話がありそうなノワールさんが付いてこようとしたりもしたが、また揉め事になっても敵わないのでどうにか遠慮してもらった次第である。
もっともキースさんによる、
「そう心配しなくても誓って手は出さねえって。そもそも私にゃ妬いてるだけのミュウやすぐにキレるオルガと違って怒る理由なんてねえしな」
という言葉あってのことではあるが、確かにあの時もキースさんだけは僕に詰め寄ったりしなかったし気さくな性格も何となくは分かってきたので渋々ながら了承したというわけだ。
「で? 実際のところ昨日の夜何があったんだ?」
地平線を眺める僕の横でキースさんはキッチンから持ってきたティーカップに口を付けつるなり本題に入る。
本人の口振りの通り、怒っているとか責めようとしているのではなく興味本位というか野次馬根性というか、若干楽しげにしている表情がそんな心の内を投影していた。
まあ……そのために呼び出されたのだから話題に関しては当然そうなるんだろうけど。
「知りませんよ、大体あなたが僕を貶めようとしたのが全ての原因じゃないですか」
「そう怒んなって、ほんの悪戯心だったんだ。だけどよ、そう言うからにはやっぱり風呂で何かあったんだろ? シロは聞く前にミュウがベッドに連れて行っちまったし、あんたも口を閉ざすだけだし、こっちとしちゃあ期待はずれに終わったのかと思ってたんだけど、さっきのアレを見りゃあ一目瞭然ってもんだろ?」
「何かと言う程のことでもないですけど、そりゃ予期せぬ遭遇をしたことは否定出来ませんね」
やっぱりここでも裸を見てしまったり一緒にお風呂に入ったことは明かさない。明かせるわけがない。
「それだけってことはないだろ~、あのシロがあんたを友達って言ったんだぜ? あんたに自覚は無いかもしれないけど、それって結構なことなんだよ私らの中じゃさ。聞いてたろ? そこそこの付き合いがある私ですら『友達』じゃなく『仲間』止まりなんだ」
「まあ……本人もノワールさん以外に友達はいなかったと言っていましたし、それは何となく分かりますけど」
「率直に聞くけどよ、あんたシロの目を見たのか?」
「目? というと……あの左右で色が違う瞳の?」
「それだよ! やっぱり見たんじゃねえか! これで謎が解けたぜ。いや……でも、だったら何であんたは平気だったんだ?」
「……平気、というのは?」
「ああそうか、まずはそこから説明しなきゃならねえのか」
「はい?」
「シロの目ってのはよ、門その物なんだ」
「え……目が門?」
「おうよ。【邪影魔眼】って言ってな、その能力は瞳を見た者全てに幻覚を見せ、混乱の渦に叩き落とすってえげつない代物さ。どれだけの大軍が相手でも一度シロが両目を晒せば戦場は地獄絵図に変わる。味方同士で殺し合いを始める連中がいたかと思えば、存在もしない何かに怯えて逃げ出す連中も出てくる、そんな能力だ。あんたはシロが友達と認めてるから教えておいてやるが、そんな一見無敵の門にも克服のしようがない欠点があってな」
「はあ……欠点、ですか」
「それはシロの意志は無関係に発動しちまうってところだ。シロにそのつもりがなくとも、それこそ敵味方なんざ関係無くあの瞳を目にした者全てに効力を発揮しちまうんだよ」
「もしかして……そういう理由でシロは常に両目に眼帯を付けているんですか?」
「ま、そういうことだわな。だからあいつは例外なく他人に心を開かない……というよりは開けないといった方が正しいんだろうけどさ。戦いの時以外は自分で自分の目を封じて生活してんだ、友達になろうにもほとんどの場合が相手の顔も知らないまま過ごさなきゃならねえんだから当然だよな。私達のことだって仲間とは思ってくれてるらしいけど、あいつにとっての友達はガキの頃から知り合いのミュウだけだった。あんたが現れるまではな」
「なるほど……それでシロは、目を見て話が出来たことが嬉しくて僕と友達になろうって言ってくれたんですね」
「そういうことなんだと思うぜ? で、だ。何であんたはシロの目を見ても平気だったんだ? そればかりは不可解にも程があると思わねえ?」
「何でと言われても、僕に分かるわけないじゃないですか。そもそもシロの目のことだって今初めて知ったぐらいなのに」
「そうだよな~、不思議なこともあるもんだ。私としちゃあてっきりシロを口説きでもしたのかと内心ニヤニヤしてたんだけど、とんだ見当違いだったぜ」
「一体どんな奴なんですか、キースさんの中の僕は」
「はははっ、それだけ私等にとっちゃ衝撃的だったってことさ、あの友達発言はな。話を聞いた時はツマらねえ仕事を押し付けられたもんだと思ってたけど、あんた実は結構面白い奴みたいだし退屈せずに済むかもしんねえな。何にせよ、シロにとっちゃ良いことだ」
あいつは良い奴だし、精々仲良くしてやってくれや。
最後にそう言い残すと、こちらの反応を待たずしてキースさんは後ろ手を振りながら去っていく。
何というか、色々と謎が解けたことに合点がいく部分と新たな謎が生まれた様な気がしてモヤモヤする部分との線引きの難しい微妙な気分だった。
○
それからしばらく経つと、海上を覆っていた霧もすっかり晴れた。
相変わらず空は灰色だし、雨上がり独特のジメジメした空気だしという感じではあるが、それでも確かに船は進み前方にはフェノーラ王国と思しき島国が見えてきている。
朝食後はキースさんが船を操縦していたので当然と言えば当然なのだろうけど、正面に見えているのは明らかにあの国を出た時とは違う正式な港らしき船の溜まり場だ。
フローレシア王国との位置関係からしてあれではなく真逆の港にマリアーニさん達は向かっているはず。
それすなわち僕達もそこに向かうべきであるはずなのに何故あそこを目指しているのだろうか。
そんな疑問を投げ掛けられる空気でもなければそもそも僕に質問が許されているのかどうかも分からないのでこっそりと唯一まともに会話が出来る関係になったシロに聞いてみたのだがキョトンと首を傾げられるだけだし、そもそも両目を塞いでいるシロに港が云々と言ったところで多分理解してくれていなさそうなので結局分からずじまいである。
とはいえ、一刻を争う状況だと理解していないのかと密かに焦りや憤りを覚えつつある僕の不安は上陸後すぐに解消された。
フローレシア王国の国章を掲げた船が近付いて来たせいか、あからさまに港にいる警備の兵隊さん達が総員第一種戦闘配備みたいな臨戦態勢を取っていて恐ろしいことこの上なかったのだが、
「連中も戦争にでもなって国ごと潰されたくはないだろうし、こっちが手を出さなきゃ問答無用で砲撃してきたりはしねえって」
というキースさんの言葉からするに友好な関係ではなくとも近隣国とあっては向こうも出方に慎重にならざるを得ないらしいことが分かる。
世間一般の見方をすれば『あの悪名高きフローレシア王国』という表現に他ならないのだ。
揉め事にでもなったら不味いことになる、という恐れと言い換えても的外れではないのだろう。
どこまでこの人達を信用していいのかは定かではないが、結論から言えば何事もなく船を着けることが出来た。
すぐにエーデルバッハさんがマクネア王直筆の入国申請書とやらを提示することで船を下りることを許され、僕に取っては一日ぶりの帰還を果たすに至る。
そして、
「我々はこの国に逃げ込んだ人物を追っている。貴様等も知っての通り、ユノ王国女王ナディア・マリアーニだ。取り逃がすことは許されず、事態は急を要する。我らが国王メフィスト・オズウェル・マクネアによる正式な協力要請だ。もう一方の港へ向かう最短の経路を活用させてもらおう、拒否すれば力尽くでそうすることになると王へ伝えろ」
という、エーデルバッハさんのほとんど脅しみたいな通告にあちらが折れた形で僕達は思いも寄らない方法で移動することとなった。
なんでもこの国には数カ所にだけ移動用の魔法陣があって、その間を移動出来る仕様になっているらしいのだ。
こちら側の港にある軍施設地下、国王が住むお城、この国の中心付近にある大きな町、軍事的に重要な役目を担う基地、そして件の港からそう遠くない位置にある貴族が多く住むという格式の高い地域にそれぞれあって、魔法陣を使うことによって自由に行き来が可能だという。
本来は国王を始め地位のある人間か緊急時にしか使えない上に外部の人間が知っているはずがないらしいのだが、それを知っているどころか早鷲を飛ばして国王に事の次第を伝えた所二つ返事で使用が許可されるのだから色々と末恐ろしい人達である。
今回限りという条件付きで、加えて国王は面会しないことを告げられてという具合であったのを考えるとフローレシア王国がいかに敬遠され関わりたくない相手だと認識されているかがよく分かる。
魔法陣の存在なんて当然知らなかったし、そのためにこっちの港から入国したことも当たり前の様に聞かされていない僕には寝耳に水でこそあったけど、何はともあれこれで最短ルートで目的地に向かうことが出来るということだ。
そんなわけで、緊張どころか恐怖感に強張る面持ちで案内してくれる兵士の方に続いて大砲やら馬車やらが並ぶ軍用の倉庫みたいな所を通り抜け、階段を下りて地下に進んだ先にある魔法陣の元へと向かうこととなった。
通されたのは鉄格子の扉の奥にある何の変哲も無い小さな部屋だが、石造りの床には確かに魔法陣が描かれている。
うっすら白く輝く二重の円の中にエジプトの壁画とかで見そうな文字なのか模様なのかといった何かが所狭しと並んでいるという具合だ。
僕に取っては若干トラウマの残る魔法陣での移動だが、ありがたいことに複数人での移動なので手を繋いで一人が詠唱すれば事足りるため黙っているだけで解決したのは別の意味で本当に助かる。
そうしてワープというのか瞬間移動というのか、望外の方法で大幅なショートカットをした先は数少ないこの国のイメージとは少し違う都会っぽい町並みだった。
村という要素が少なく、畑もなければ牛や馬が辺りにいるわけでもない、どこか綺麗な感じがする町といった印象を受ける。
昔から貴族や王族の関係者だったりが多く住むという性質を持っているという話だ。何かしら所以や由来があるのだろう。
この町から港までどの程度の距離があるのかは不明なままだが、いずれにしてもここからは馬での移動になる。
そう勝手に思い込んでいた僕だったが、ここに来て更なる予想外が待っていた。
「え? 馬を使うんじゃないんですか?」
「急ぎなんだろ? もっと早い方法があるんだなこれが」
思わず率直な疑問を口にする僕に対し、そう答えたのはキースさんである。
頭に『?』を浮かべるしかないのは当然だと思うけど、むしろ敢えてそういう反応をさせた風な彼女は狙い通りになって満足したのかドヤ顔でノワールさんの肩に手を置いた。
「鳥だよ、鳥」
「鳥じゃなくてガルちゃんって呼んでよもう」
ノワールさんはぷくっと頬を膨らませる。
その遣り取りの意味はさっぱり分からないままだが、鳥と言ったか?
確か船の中でも鳥がどうのという話があったような覚えはあるが……やはりそれ以上のことは分からずじまいだ。
「ミュウ」
「ほいほーい」
無駄口を諫める風に名前を呼ぶエーデルバッハさんの怖い目はデフォルトの物なのかノワールさんは特に気にする様子もなく軽いノリで答えると、右手の中指に嵌められている銀色の指輪に口付けをした。
刹那、その指輪が輝きを放ち始める。
「獄獣召喚」
そのままの状態で何かを呟いたかと思うと次の瞬間、目の前に大きな光りの固まりが生まれた。
それも一瞬のこと、目映い閃光はすぐに消えていき、その中から現れたのは反射的に防衛本能が働いてしまうような生物だ。
鳥。
確かにそう表現することに不自然さはない。おかしいのはサイズだけだ。
恐ろしく巨大な、それこそヒグマぐらいのサイズの鷹なのか鷲なのかといった鳥が僕達の中心で羽を畳んだまま佇んでいる。
「な、何ですか……この鳥」
驚きのあまり後退ってしまう。
どう考えても普通の鳥ではない。それこそ魔物とかといった類の生き物なんじゃないのか。
「もう、坊やまで鳥って言う~。ガルーダのガルちゃんだよ、私の召喚獣のね。坊やもガルちゃんって呼ばなきゃ駄目なんだから」
拗ねた様に言うのはやはりノワールさんだ。
ガルーダ、というのが何なのかは全然分からないが……召喚獣というからにはこの人が呼んだ、ということなのだろうか。
それはつまり……、
「もしかして、その指輪は門……なんですか?」
「そうだよ~。【獄門召喚獣】って言って~、私のパートナー達を召喚出来るんだ」
にこやかに言われても反応に困るが、聞いたことをそのまま答えてくれることにまず驚いた。
隠そうとか思わないのはノワールさんの性格のせいか、はたまた知られた所で取るに足りずと考えているのか。
それより……パートナー『達』と言ったからには、つまり他にも何かを呼べるということか。
「オルガちゃん、すぐに出発するんでしょ?」
「ああ、先程の兵士によれば既にシルクレア軍も港に向かって大挙しているようだ。我々が到達する前にユノ王が死んでは意味が無いのだろう、すぐに行くぞ」
エーデルバッハさんの言葉にノワールさんは気の抜けた返事をし、巨大な鳥の頭を撫でつつ一つ二つ声を掛けている。
クロンヴァールさん達が港に向かって押し寄せているという情報も僕は今初めて知ったといった感じなのだが、他の人達の反応からしても知らなかったのは僕だけではないようだ。
いつの間にそんな話をしていたのかという疑問もさることながら、まず間違いなくただ質問したわけではあるまい。
恫喝された兵士の姿が容易に頭に浮かび不憫で仕方がなかったが、手段を選んでいられないこの状況で僕に出来ないことをやってのけるエーデルバッハさんを非難する資格はないのだろう。
今日も今日とて驚かされてばかりの旅となってはいるが、どうあれ僕達は改めて港に向かって出発することとなった。
僕とノワールさんはガルーダというらしい怪鳥の上に乗って、他の三人は怪鳥が両足で持っている長い棒に捕まるだけという危険極まりない状態で空高くに羽ばたき空の道を行く。
「坊やはひ弱そうだから特別に背中に乗せてあげるよ、特別に」
「ま、途中で落ちられても面倒だしな」
「フン……軟弱物めが」
というシロ以外の三人の意見が一致し僕は上に乗せて貰える流れとなったのだが、これはこれで尋常ならざる恐怖感がある。
そりゃ片手で木の棒にぶら下がっているだけよりは遙かにマシなのだろうけど、上空二十メートルの高さを鳥に乗って飛ぶなどという経験なんてしたことがないし、これならまだエルに抱えられて飛んだ時の方がいくらか不安が少ないぐらいだ。
バサバサという羽音とビュービューと耳を劈く風を切る音だけをBGMにして飛行を続けることしばらく。
それは捕まるところもなければ浴びる風に煽られそうになる体を必死に硬直させて恐怖に耐える時間が十分ぐらい過ぎた頃だろうか。
速度と高さによる怖さと風のせいで目を開けているのも辛く薄目で堪える僕の耳に初めて別の音が聞こえる。
声の主はキースさんだ。
「おいっ、いたぞ!」
真下からの声にようやく目をまともに開くと、前方数百メートル先に馬の大群が走るのが見える。
まだ遠くてはっきりと確認は出来ないが、間違いなく何十頭では足りない量であることが一目で分かるだけの数だ。
ガルーダは徐々に高度を下げて行く。
建物の一つもない広大な荒野を駆ける無数の馬を上から見るというのはサバンナの野生動物の映像を見ている様で何とも壮観ではあったが、事態はそう暢気なコメントを思い浮かべるには程遠い。
詰まって行く距離に比例して頭が処理し理解する情報量も増していく。
無数の馬の前方に別の二頭の馬が走っていて、誰がどう見たってその二頭を他の馬が追っていることは明らかだった。
この位置から特定するのは簡単ではないけど、逃げている側の馬の一頭に半分金髪の誰かが乗っていることは分かる。
それはつまり、あれがエルで逃げているのがマリアーニさん達だということだ。
髪の話で言えば追っている側の先頭を走るのが赤い頭髪の誰かということも分かるし、そもそもほぼ全員が見覚えのある鎧を身に着けていることからシルクレア軍であることは疑いようのない事実と化していた。
「ミュウ、回り込んで奴らの前に降りろ」
「ほいほーい」
下からエーデルバッハさんの声が聞こえノワールさんが気の抜けた返事を返すと、それを合図に鳥は更に高度を下げ、指示通り馬の大群を追い抜こうと速度を上げて真上に付ける。
そうしたことであちらも僕達の存在に気付いたらしく、すぐさま攻撃を仕掛けられていた。
大量の矢が、いい加減見慣れた白い球体の魔法や炎の固まりが、何十と飛んでくる。
「はっは~、躊躇いなく撃ってきやがったなぁおい」
矢が飛んで来るわ揺れ動くわで死ぬ程の恐怖と焦りに見舞われ身構える中、鳥は魔法による攻撃を避ける様に体を傾け右に左にと軌道を変える。
そしてキンキンと金属音がしたかと思うとすぐにキースさんの声が聞こえてきた。
上に乗っている僕には鳥の足下は見えないため何がどうなったのかは分からないが、片手が塞がっていながらもあれだけの攻撃をやり過ごしたということらしい。
無事でいてくれたことには心底ホッとしたとはいえ、なぜこんな状況でそうも暢気な声色が出せるのかが不思議で仕方がない。
それはさておき……確かに、躊躇無く攻撃してきたという感想はもっともだ。
このフローレシアの四人組と面識があるのかどうかは分からないけど、例えあったとしても目的も不明ということに違いはないはず。
それでいて迷わず敵と見なされたのだからクロンヴァールさんはもう邪魔をする可能性がある者は全て排除するぐらいのつもりでいる、ということなのだろうか。
あの人らしいといえばその通りではあるし、実際に僕も刺されるところまでいってしまっているので今になって人情味を求めるのが間違っているのかもしれない。
曰く、これが戦争。
曰く、これがこの世界。
曰く、これが世界の王の選んだ道であり生き様。
だけどそれでも、僕はそれを止めるためにここに来たのだ。
既に一度二度死んだ身で、その度に救ってくれたのはマリアーニさんで、だったら僕は……多くの出会いを果たし幾度となく助けてもらい守ってもらうことで多くの戦いの中に混じって来た僕が出来ることは……僕を信じてくれる人達のために、自分が正しいと思う意志を貫く。それが無力な僕のせめてもの恩返しだ。
「みんな、降りるよっ」
秘めたる決意が恐怖を薙ぎ払う。
怖くても危なくても、逃げたりはしない。それだけは曲げない。
そんな覚悟を胸に立ち向かう勇気を振り絞る中、ガルーダがノワールさんの合図と同時に地面へと急降下を始める。
そのまま丁度両者の間へと着地するとすぐに下の三人が飛び降り、次いで僕もノワールさんを真似て背中の上から降りた。
呼吸が落ち着かず、足も震えている。
当然だ。目の前で急ブレーキを掛けるは百を超すあのシルクレア軍なのだ。心でどう思っていようとも体までは誤魔化されてくれない。
それでも動きを止めることが出来た。
そして後ろではマリアーニさん達が乗る馬の足音が遠ざかっていくのが聞こえている。
最低限の目的は達成出来たなら、取り敢えずはそれでいい。
「コウちゃんっ!!」
「王子っ!」
「へ!?」
ウェハスールさん、マリアーニさん、エルの声が続け様に響くが、振り返る余裕はない。
ただ止まるなという意味を込めて右手を後ろに向けるだけに留め、目の前数メートル先にいるクロンヴァールさんへ視線を固定する。
赤い髪の女王は例の白馬に跨ったまま、既に剣を抜いた状態でゆっくりと近付いてくると他の四人には目もくれずギロリと僕を睨んだ。
すぐ後ろにはハイクさんやユメールさん、アルバートさんまでもが控えている。
「やはり……生きていたか」
第一声は表情ほど敵意を孕んでいる様には聞こえないが……内心は何を考えているのか。
「何とか、ギリギリでしたけどね。言葉の割に驚いているようには見えませんけど」
「今朝方受け取った手紙にお前の名前が記されていた、予想はしていたさ。なぜ生きているのか、ということに関しては今尚謎のままだがな」
「手紙? ああ……マクネア王の」
「なぜお前が生きているのか、なぜお前がフローレシアに行ったのか、今はそのようなことはどうでもいい。敢えて聞いてやる、何をしに戻って来た」
「決まっているでしょう……貴方を、止めるためです」
「お前がか? それとも、そっちの四人がか?」
「僕がそれをしようとすればどうなるかは身を以て知ったばかりです。だからこそ僕はフローレシアに行って、この人達の助けを得て戻って来た」
「ならばやって見せろ……少しの時間も惜しい、私の前に立つことの意味を理解出来ていないのならば今度こそその命を失うと知ることになるぞ!」
その言葉を最後に全ての兵が武器を構えた。
半分は馬から降り、弓やら剣やら杖やらをこちらに向けいつでも攻撃に出る用意をしている。
「エーデルバッハさん」
「……なんだ」
「一度だけ許されているという命令を使わせてください」
「奴らを皆殺しにすればいいのだな」
「いえ……追い払うとか撤退させるとか、とにかくあの人達を止めるだけでいい。ただし、皆さんが無事でいられる範囲で……出来るだけ相手を死なせてしまわないようにお願いしたいんです」
「意味の分からないことを言う奴だ。あいつらは敵なのだろう、その命令に何の意味がある」
「敵だから戦う、命を奪い合う、そんなことじゃ何も解決しない。その考えだけは曲げない。それが……何の力もない僕が唯一貫くと決めた信念です」
「フン、どこまでも癇に障る小僧だ……だが、約束は約束だ。聞き入れてやる、それが王の指令だ」
「相手は世界一の軍隊です……そして僕はあなた達の強さを知らない。率直に聞きますけど……勝算はありますか? あの人数を相手に、たったの四人で」
「世界最強と名高い兵団に世界最強と謳われる姫騎士ラブロック・クロンヴァール……相手に不足はないが、苦戦する相手でもない」
「…………」
明らかに殺気が滾り始めている気がするが……この先は僕がどうこう言える世界ではない。
僕の頼みを聞いてくれると言った以上はそれを信じる以外に僕に出来ることはない、か。
「何をアホ面下げて突っ立っている」
「はい?」
「貴様は先に行け、ユノ王と合流するのが第一の目的なのだろう。命令通り連中は追い払ってやる、貴様如きに心配される理由などなければここに残られても邪魔なだけだ。港はそう遠くない。すぐに追い付いてやる、貴様は貴様のやるべきことをやっていろ」
「わ、分かりました……エーデルバッハさんも、必ずやご無事で」
「二度言わすな、貴様に心配される筋合いはない」
「ノワールさんも、キースさんも、シロも……足止めが優先なので無理はしないでくださいね」
「大丈夫だよ~、私達は坊やが思っているよりずっと強いから♪」
「いいからさっさと行けって。ミュウやオルガの言う通り、素人に心配される程ヤワじゃねえっての」
「……コーヘ、シロも頑張る」
三者三様の返答を受け、少しの逡巡ののち僕は背を向けマリアーニさん達が向かった先に走り出す。
エーデルバッハさんの言ったように上空から見た限り港までの距離はもうほとんどない。
マリアーニさん達の無事を確認し、クロンヴァールさん達を足止め出来たということは僕が託された役目は最低限果たせたと言ってもいいはずだ。
だけど広い視野で見れば一時を凌いだに過ぎず、根本は何も解決していないことも事実。
サントゥアリオのコルト君たちも心配だ。
セミリアさんだって必死に抗っているはず。
僕が生きてやるべきことが残っているのなら、それはきっとマリアーニさん達の傍にいることでしか成し遂げることは出来ないことなのだと思う。
だったら見届けようじゃないか、最後の最後まで。
足掻き続けた先にある結末を、自分の目で。
それが足を踏み入れると決めた、僕の果たすべき責任だ。