【第二十章】 壮絶なる半生
予期せぬ再会を果たした虎の人ことラルフ兄妹と共に引き続き研究所の中を進んでいく。
探索の手間が省けただけでもとてもありがたいし、一人じゃないというのも不安さや心細さがなくなる分だけ随分と気持ちも楽になっていた。
年下の女の子にそんなことを伝えるのはあまりにも格好悪いので口には出さないけど、色んな意味で実は大助かりといった感じだ。
ラルフに続いて奥へ奥へと施設内を歩き、一番奥の小部屋の前まで進んだところでラルフが「この部屋だにゃ」と立ち止まる。
外から見れば一階建ての平らで広い建物ではあるが、その分あちこちに扉やら小部屋があったので一人で探していれば相当に時間が掛かっただろう。
中に入って行くと室内の床の一部に扉になっている部分があって、更にはダイヤル式の鍵が付いていることが一目で分かる不自然さしかない箇所がある。
本来は大きな棚が上に乗せられて塞がれているらしいのだが、サミュエルさんが通った後ということもあって棚は乱暴に倒されており、鍵も開いていてそれが扉だと気付きさえすれば簡単に通れる状態だった。
「この下にそのバズールっていうのがいるんだよね?」
この建物に入ろうとしていた時よりも遙かに尋常じゃない不吉な空気が溢れ出してくる扉の奥に覗く階段を眺めながら、僕は思わず呟いていた。
「そうなるにゃ。一応心の準備だけはしておくことをオススメするにゃ」
「化け物だの悪魔だの究極だの言われるぐらいだから、恐ろしく強いってことだよね……やっぱり」
「強くはあるんにゃろうけど、究極と呼ばれる程ではないという話だにゃ。所詮は失敗作ということらしいからにゃ。とはいえ、凶暴さで言えば結局は化け物クラスなんにゃけど」
「よく考えたらさ、そんなのが地下にいる状態でよく放置しておけるね。いくら町から隔離されているっていっても万が一にも外に出てきちゃったら大変なことになるんじゃないの?」
「それはにゃい、というよりも不可能にゃ。地下には強力な結界が張ってあって、バズールはここからは出られないようになっているのにゃ」
「ああ……そういうこと」
「勿論ただ強い奴を封印する魔術にゃんて魔族であってもそうそう使えるもんじゃないのにゃ。どうやらアレを作った連中は最初からそういう仕込みをしていたようだにゃ。バズールにのみ効力を発揮する結界を作用させるための何かを埋め込むことによってご主人の言う万が一の時の備えとしていた、という話だにゃ。全部又聞きにゃから誰がその結界を張ったのかまでは知らにゃいけど」
「なるほど……さっき聞いた話も含め、興味本位や悪のりでやっているわけじゃなくしっかりとした計画の上で実験や研究をしていたってことは分かったよ。だからといって許されることでは絶対にないけど」
所謂兵器開発のように、明確に他者や他国を蹂躙するための武力を生み出す目的を持っていた、ということなのだろう。
歴史を辿っても、言い換えれば僕が生きてきた世界の過去を辿っても、人体実験という言葉は少なからず記されている話だ。
しっかりと、と言っても最終的には失敗した挙げ句に潰されているんにゃけどにゃ。と、ラルフは言って地下へ続く階段へと足を進める。
すぐに後に続き、カツカツという足音を僅かに響かせながら長めの階段を歩くと特に何事もなく地下へと到達した。
一階と違って荒れ果てた様子は一切なく、明かりも随分と増えていて遠くまでしっかりと見渡せるようになっている。
かといって普通の建物、という感じは全くといっていいほどになくて、部屋も扉も一つもない通路が無機質な風景として真っ直ぐに続いているだけだ。
入り組んでいるわけでもなく、外周に沿っていることが分かる真っ直ぐな通路が一本あるだけで、地下研究施設という名に相応しい殺風景は綺麗さが逆に不気味さを増長させている。
ラルフの話では少し行った先にこの壁の中に繋がる入り口があって、その空間にバズールがいるのだという。
音も衝撃も外に漏れない仕様だと言うが、そのせいで中がどういう状況なのかが分からないとくれば一刻も早く向かわなければないということだ。
サミュエルさんがどうなっているのかが分からない、ということなのだから。
「……あ」
それをラルフに伝えようとした時、思い掛けず足が止まる。
角を曲がったその先にサミュエルさんの姿が飛び込んできていた。
僕と同じか一つ上の歳の割にそうは見えない童顔でありながらも整った顔立ち。
短めの赤茶色い髪にベビードールの様なデザインの黒い戦装束を着ていて、肩も背中も腹も太腿から下の足も全部露わになっている格好でいて両肘と両膝にだけ鉄製の防具を着けているという特徴的な格好。
見間違うはずもない。グランフェルト王国のもう一人の勇者、或いは【撃滅の双剣乱舞】と呼ばれている若き少女、サミュエル・セリムスである。
そんなサミュエルさんは壁にもたれ掛かり、愛用の武器である二本の大きなククリ刀を脇に置いて血の流れている左腕に布みたいな物を巻いていた。
どうやら怪我の処置をしている最中のようだ。
怪我をしている時点で最悪ではあるが、取り敢えず無事でいたことに安堵する。
が、サミュエルさんは足音か気配かによって僕達に気付いたらしく声を掛けるよりも先に、ほとんど角を曲がった瞬間には脇に置いてある武器を手に立ち上がっていた。
必然、容赦のない殺意が籠もった目が向けられる。
が、そこでようやく僕を認識したらしく、僅かな間を挟んで表情は緩み、そして小さく僕の名を口にする。
「……コウ?」
「サミュエルさん……よかった、無事で」
近付いていくと、サミュエルさんは武器を地面に放り再び腰を下ろす。
そして不機嫌そうな顔で今度は僕をギロリと睨んだ
「何でアンタがここにいんのよ」
「サミュエルさんが危ないからって、マクネア王に聞いて」
「ちっ、あの髭。余計なことを」
本当に気に食わなそうな舌打ちである。
少なからず付き合いがある間柄だからこその悪態だとは思うが、この人の場合そうでなくとも礼節など知ったことかと思っている節があるので何とも言えない。
「怪我、しているみたいですけど……」
「別に、こんなの大したことないわよ。ていうか、後ろの猫はなに?」
「ああ、この子はラルフって言って、昔一緒に旅をした虎の人って覚えてますよね? シェルムちゃんと戦った時の。あの人と同体にされたあの人の妹なんです」
この姿のラルフを猫と呼ぶのだからあの頃と何も変わっていないな……まあ、当時はみんなも虎扱いしていたからこの人に限った話じゃないのかもしれないけど。
セミリアさんですら『虎殿』とか呼んでたし。
「同体? ああ、ここで作られた一人ってわけ」
その説明で概ね理解したらしく、サミュエルさんはすぐにラルフから目を離した。
「よろしくにゃ、性悪娘」
「よろしくする理由も必要もないわね。猫は猫らしくその辺で魚でも捕ってなさい。ていうか、誰が性悪娘よ!」
「魚は好物にゃ。貰えるなら貰ってやるにゃ」
「煩い黙れ。それからアンタも、何がシェルムちゃんよ馬鹿じゃないの」
それでいて特にラルフの異質さや存在に興味もないらしく暴言が別の理由に変わっていた。
この程度の悪態は慣れっこというか、むしろ相当軽い部類なので今更気になりもしない。
「それはさておきですね、今どういう状況なんですか?」
「何が」
「いや、バズールと戦ってたんですよね? それはもう終わったんですか?」
見たところ左の肩口以外に傷を負っている様子はない。
傷が無いイコール怪我をしていないということにはならないのだろうが、それでも無事に終えたなら今は万々歳だ。
しかし、そう都合良く事が運ぶものではないようで、その問いはすぐにサミュエルさんに否定された。
「そう簡単にいくかっての。さすがに体力も消耗したからちょっと息を整えに外に出ただけ。アイツはここまでは追って来れないから」
「なるほど……ではもう一つ、どうしてバズールを倒すことに拘るんですか?」
「それを聞いて、私が親切に答えてくれるとでも思ってるわけ?」
「答えてくれました。少なくとも、これまでは」
「そんなのその時々の単なる気まぐれでしょ。個人的な事情をわざわざ他人に話して聞かせる趣味なんか無いわ」
「今回の騒動とは無関係に、最初からずっとサミュエルさんが強さに固執するのはバズールを倒すためだとマクネア王から聞かされました」
「よし、決めたわ。ここから無事に帰ったら真っ先にあの髭面を一発ブン殴る」
「それは、まあ、好きにしていただいたらいいんですけど」
「踏み入るなって、ハッキリ言わないと分からないなら痛い目見るわよ」
心底うんざりした表情でそう言うと、サミュエルさんは僕の頬を下からガチッと掴んだ。
そう言われるのは予想通り過ぎる程に予想通りなので何を言い返すでもなく、ただジッとその瞳を見たまま無言を貫き通す。
頬に添えられた指にそこまで力は込められていないとはいえ、いつ逆鱗に触れて痛みが伴い始めるのかと気が気ではないが、引き下がってはサミュエルさんは何も教えてくれない。
逆に言えば、こういう手段には弱いのか過去何度もこうして渋々ながらも話を聞かせてくれたりお願いを聞いてくれたりしてきたのだ。
今回も過去の事例に漏れることはなかったらしく、数秒の視線をぶつけ合う間を挟んで諦めた様な呆れた様な面倒臭そうな溜息を吐き、そこで僕の顔は圧迫感から解放される。
「いつまで経ってもムカツク奴……何だってそう毎度毎度平気で踏み込んでくるのよウザったいわね」
「ウザったくても、怒られても殴られても、それで引き下がらないのを知ってますよね」
その言葉にサミュエルさんは舌打ちを返し、そして視線を別方向へと向けてボソリと呟くように二つめの問いの答えを口にした。
「バズールは、どうしても私が始末しないといけないからよ。それが私のけじめだから」
「けじめ、というのは?」
「あれは……私の父親なのよ。正確には一部が、だけど」
「え……」
言葉を失う僕や首を傾げるラルフを気に留めることなく正面の壁を見たまま、サミュエルさんは自分の過去を語り始めた。
まるで己の抱いた誓いや戒めを再確認するかの如く、自分に言い聞かせるために敢えて言葉にしていこうとするかの様に。
○
私の父親はかつて、この施設で働いていたのよ。
勿論、研究やら実験やらをするための人員としてね。
だからって別にアルヴィーラの人間ってわけじゃないわ。私も父親も、正真正銘生まれも育ちもこの国なのは間違いない。
母親は物心付く前に死んだらしいから知らないけど、当時のこの建物にはそんなのが何人も居たらしいわ。
はあ? その猫は関係無いっつーの。
私の父親がやってたのはあくまで究極生物を生み出す研究だけ。
そう、そのバロンテイカーの指揮の下で。
だけど合成獣を作り出すのとは訳が違って中々上手くいかなかったらしいわ。
そりゃ無数の化け物を無理矢理くっつけて良いとこ取りしようってんだから当然と言えば当然なんだろうけど、どうあれ研究は失敗と頓挫を繰り返していたんだってさ。
生命を維持してはいるもののピクリとも動かない化け物。
ひたすらに自傷を続けるだけの化け物。
野獣の如く目に入る生物を食らおうとするだけの化け物。
そんな失敗作が何体も破棄された所で連中は一つの結論に達した。
強度、パワー、戦闘に必要な能力やら性能は備えている。
だったら逆に何が足りないか。
それは知性と理性だということに気が付いたってところね。
それを補う要素を加えようと考えた時、手段を選ばない前提で考えるなら最も相応しいのは人間ってことになるでしょ。
そこで選ばれたのが私の父親だったってわけ。
そんなわけないでしょ、どこの馬鹿が自分からそれを望むのよ。半強制的にそうされたに決まってるじゃない。
詳しくは知らないけど何か失態をしたらしくて、責任を取らされる形でそうなったって話だけは聞いたわ。
そうなるとガキ一人残すことになるわけだから、隠しようもないしね。
止めようとしたに決まってんでしょ、自分の父親が化け物の一部にされるってんだから。その頃の私は少なくとも今よりはまともな人間だったもの。
だからって簡単に止められる問題でもないんだけど。
そこで私は研究所の責任者に自分が代わりになると申し出た。
違うわよ、その頃にはバロンテイカーはここに頻繁に来ることもなくなってたし。私が隠れて会いに行ったのは代わりに仕切るようになっていた見るからに下劣な薄汚いおっさんだったわ。
そりゃ十二、三の子供が何を言ったところで最初は相手にされなかったけど、こっちも必死だったから意地でも引き下がらなかったわよ。
当時の心情で言えば、お父さんがいなくなっちゃう、お父さんが化け物にされちゃう、ってことだけは理解していたんだから無理もないってところかしら。
それで、ほとんど一日中付きまとってようやく腐れジジイは私の話に耳を傾けたってわけ。
で、最終的には条件を出されて、それを成し遂げられたなら言う通りにしてやろうってなことを言われたのよ。
ガキで、その上に女の私じゃ究極生物のベースになんてなれるわけがないって正論のような暴論のようなことを偉そうにね。
相応の強さを手に入れた上で代わりを務めるなら父親は助けてやる、それが条件。
迷わず私はその条件を呑んだ。
そうなるためのプログラムを言われるがまま受け入れた。
一段階目は力の強化と称して鉄の塊を両手両足に括り付けられたまま山を往復させられた。
朝出発して、頂上まで登って日が暮れるまでに帰ってくる。
それが達成出来なければ次の日も同じ事をやる。出来るまで、毎日毎日。
何十回上り下りしたかも分からないぐらい繰り返し繰り返し、それだけをやらされ続けたわ。
ようやく次に進んだかと思えば二段階目でより酷い苦痛を味わうことになるんだけど。
……何よその顔は、アンタがしつこいから話してあげてんでしょ。
嫌なら止めるけど?
だったら黙って聞いてろっての、私だって好きでやってんじゃないんだから。
それで、何だったかしら。
ああ、二つめのプログラムね。
痛みに耐えるための訓練とか言って、ほとんど拷問を受けてただけってふざけた話よ。
熱湯に放り込まれたり、体中に何十本と細い針を刺されたり、両足を縛られた状態で馬に引き摺り回されたり、そんなの毎日を黙って耐え続けた。
止めたいとも言えず、痛いと泣くことも許されず、逃げることも封じられ、生きることを諦め、全てを受け入れてただ一日が終わるのを待つだけの毎日を過ごした。
だけどそれも長くは続かなかったわ。
全部で五段階あるらしいプログラムの中で私が知ってるのは次が最後。なぜなら私の挑戦はそこで終わったから。
反射神経や察知能力、或いは回避能力の極限を身に着けるためだとかって、振り子になった馬鹿デカイ斧が四方八方に行き交う部屋に放り込まれた。
そういえばその辺は前に話したんだったわね。その通り、その時に私は右腕を切断したってわけ。肩口からスッパリね。
そこからは早かったわ。
私がやろうとしていたことが父親に知られてしまった。
どうにか隠していたつもりだったけど、急に計画が延期されたらおかしいと思うのも当然よね。ま、それ以前に娘が腕一本無くなってりゃ誰でも気付くって話なんだけど。
それで私の父親はブチ切れちゃってね。
無理矢理国の外に出されたわ。持てる力を全部使って。
アンタも知ってるだろうけど、この国から他国に渡るのは簡単じゃない。
どうやって無理を通したのかなんて聞いてないけど、大方被験体になることを受け入れる見返りにとでも言ったんじゃないの。
私とアンタが出会ってる以上は簡単なことだけど、文句を言う間もなく乗せられた船の行き先はグランフェルトだった。
なぜグランフェルトを選んだかというと、単に一番暮らしやすいだろうってだけの理由よ。
国のことも自分のことも全部忘れて人生をやり直して欲しい。それが父が私に残した最後の言葉だった。
他所と戦争する程の力もなく、魔王軍と目立った抗争もない国。それでいて大国ゆえに無法や貧困に脅かされる心配も少ない。そういう理屈。
その後たまたまノスルクのジジイと知り合って、これも前に言ったけど腕を作ってもらった。
忘れろなんて言われたって正直私は何一つ諦めてなかったから僥倖だったわ。
自力で強くなって帰ればいいだけのこと、そう決めて異国の地でひたすらに強さを求めた。
だけどグランフェルトには相手にする価値のある奴なんていなかった。当時は勇者なんていなかったし、これは今もだけど軍隊もゴミクズみたいなレベルだったしね。
そこで私はリベル王国に渡ることにした。
フローレシアからも近いし、アルヴィーラの傘下みたいな状態になっていたから喧嘩売る奴もいるかと思ったってだけだけど。
それからは色々あって、オズだのエルだのとつるむようになったり、ある男に師事するようになったって話も前にしたでしょ。
間違っても修行に費やす毎日って感じじゃなかったけど、馬鹿やりながらでも日々を強くなるために過ごした。
一年と少しのそんな時間も最終的にはシヴァは死んで、リベルって国もなくなって、私も右目を失って全部終わったわけだけど、それは関係無いから今はどうでもいいわ
で、行く当ての無くなった私は仕方なくまたグランフェルトに戻った。
見えなくなった目をジジイに作ってもらって、その後は今度こそ一人で強くなるために強者を求め続けた。
より強い奴を叩き潰すことで自分が強くなるために。
そんなことをしながらサンダードラゴンを倒したり魔族共を片っ端から掃除している内に私まで勇者と呼ばれるようになってたわ。
別にそんな肩書きに興味はなかったけど、食い扶持は必要だから放置してたらいつの間にか定着してたって感じね。
それから少しして私はこの国に戻った。最初に国を出てから二年ほどが経ってたかしらね。
既にバズールが完成していたということを、その時初めて知ったわ。
そう、私は結局間に合わなかったってわけ。
しかも知性を兼ね備えてはいても誰にも御しきれない化け物が出来ただけだった。つまりは父は失敗作の一部になっただけに終わったってことね。
それだけじゃない。
父は、バズールは地下に封印されて、いつの間にか計画自体が無くなってたんだから道化もいいところよ。
バロンテイカーは究極生物を諦め、無から人間を生み出すための研究に移行したらしいわ。
それもその後すぐにここがぶっ壊されてどうなったかって話なんだけど、誰がやったんだか。
……だから何なのよその顔は、いちいち鬱陶しいわね。
とにかく、それから私は何度もバズールに挑んできた。
代わりになれないとしても、クソ親父を救うにはアレを終わらせるしかないから。
父の身代わりになるために強さを求めていた私が、今度は父を殺すために強さを求めるようになった。
人柱云々なんてどうでもいい。
この役目は他の誰にもさせない、それが私のけじめだから。
お世辞にも褒められるはずもない仕事を続けてきた報いだと言えばその通りだけど、だからといって看過出来ることじゃないの。少なくともこの世でただ一人、私にとってはね。
だからせめて私の手で終わらせる。
化け物の一部として無様に死に損なっている父親をいつまでも放っておくわけにはいかない。
○
「私がバズールに固執するのはそういう理由よ」
「…………」
ほとんど一人で過去の片鱗を語り続けたサミュエルさんの話がそこで締め括られた。
僕はどういうリアクションを取ればいいのかも分からず、返す言葉を探す沈黙を返すことしか出来ない。
ただただ凄い話を聞いたという印象だけが頭を占めている。
もはやどの部分に同情や心配を向ければいいのかも分からないぐらいに壮絶なる過去で、安っぽいワードを並び立てることを躊躇せざるを得ない。そんな感想だ。
サミュエルさんに言わせれば結局はそれも筋違いなんだろうけど。
「さ、話はこれで終わりよ。ついでに私の休憩も終わり」
黙ったままでいる僕を気にする様子もなく、サミュエルさんは一人で立ち上がる。
一人で、と言ってもそもそも腰を下ろしていたのは彼女一人なのだが……そう言われては僕のするべきことは一つだ。
「分かりました、では行きましょう」
言うと、ピクリと眉根が釣り上がる。
ククリ刀を拾おうと伸ばした手が止まり、その手がそのまま僕の頭を鷲掴みにした。
「私の聞き間違いかしら? アンタはこのままUターンすんのよ、口答えしたらいい加減殴るから」
「形や手段は変わってしまったとしても、サミュエルさん自身の手でお父さんを救う。それは分かりました。でも、だからこそ一人であることだけに固執するべきじゃないでしょう。これまではそうするのが義務だとサミュエルさんが思っていたのだとしても、今のこの世界はそれを許してくれる状態じゃないんです。もしも失敗してしまったら、そうじゃなくても時間を要してしまったら、サミュエルさんの意志とは無関係にクロンヴァールさんを始めとした強行派の国や人が問答無用にこの国に攻め込んできてしまうんです。バズールの命を奪いにやってくるんですよ。それこそ何よりも避けたいことですよね? 何を言われても、いつだって無理矢理にでも付いていったんです。邪魔はしませんから今ばかりは受け入れてください。他ならぬサミュエルさん自身とお父さんのために」
これぞ必殺の対サミュエルさんに唯一にして最大に有効な正論攻撃である。
意外と理屈で説き伏せることの出来る人なのが末恐ろしい性格と人間性の中にある唯一の救いといった感じか。
これが通用しない時は本当に手が付けられないんだけど……。
そんな少し卑怯な言い草に対し、サミュエルさんはギリっと歯ぎしりをして、それから僕の頭を使う手に力を込め、最後にその手を離しながら大きな舌打ちをした。
「……勝手にしなさい。言っとくけど、いちいちアンタを守ってあげるつもりも余裕もないわよ。ヤバかろうが死のうが放置するからそのつもりでいることね」
「ご主人はにゃーが守るから安心するにゃ」
そこで僕の横で黙って聞いていたラルフがそんなことを言ってくれた。
若干謎の忠誠心に思えてならないが、虎の人の時から仲間のことは積極的に守ろうとする良い人であるのは変わらないようだ。
「心配なんかしてないっつーの、馬鹿猫」
吐き捨てる様に最後に言い残して、サミュエルさんは黙って背を向け歩き出した。
ラルフと目を見合わせ同時に頷くと僕達もその後に続く。
世界のために。
或いはマリアーニさん達を守るために。
そしてサミュエルさんとお父さんのために。
バズールと呼ばれる姿形も想像出来ない化け物と相対するべく、闇に包まれた研究所の最後の扉を開いた。