【第十五章】 二度目の生還
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ふと、意識が混濁の渦より徐々に引き上げられる感覚に見舞われたかと思うと、少しずつ脳が機能を取り戻し始める。
まるで深い眠りに就いていたような重たい頭と肉体にどうにか制御下に戻そうと全身に力を込め強く脳内で言い聞かせてようやく僕は目を開くことが出来た。
目の前にあるのは木目のある天井、ここがどこであるかは正直に言って全く予想も付かない。
背中や四肢から伝わる感覚的にベッドの上にいるということは理解出来るのだが……。
「んん……」
何度か瞼を開閉し、起き上がろうとすることで漏れた無意識の声。
その瞬間、すぐ傍でガタガタっという激しい音がする。
「コウヘイ様っ!!」
かと思うと、身体を起こしその方向に目を向けると同時に誰かが飛び付いてきていた。
普通にビクっとなってしまったが、声や格好からするにそれがマリアーニさんであることを遅れて理解する。
そのまま抱き付いてきたマリアーニさんを受け止めることも出来ず、女性と密着していることとは無関係に驚きによる鼓動の高速化を感じつつも状況を把握しようと室内を見渡してみると、ベッドの脇にはウェハスールさんやエルも居ることが分かったが……ではここは一体どこなんだろうか。
というか僕は確かクロンヴァールさんに刺されて……ああ、前にもこんなことがあったな。
「よかった……目をお覚ましになられて、本当によかった」
マリアーニさんは僕の胸で涙を流している。
また、僕はこの人に命を救ってもらったのか。
「ご心配をお掛けしたようで……マリアーニさんに命を救っていただいたのは二度目になりますね。毎度ながら助けに来た僕が命を救われていては何のことやら分からなくなりますけど、何がどうあれ感謝します。そしてご迷惑をお掛けしました」
ようやく頭も冴えていく。
僕は確かにクロンヴァールさんに刺された。覚えているのはそこまでだ。
時間を稼いでこの人達を逃がすはずが、まず間違いなく引き返させてしまったのだろう。でなければここでこうして同じ場所にいるはずがない。
ウェハスールさんに反対される中で勝手に飛び出したとはいえ、本当にこれでは何のために僕が来たのやら分かりゃしない。
そう思えば思うほど情けなくなってくるが、本人はどう感じているのかマリアーニさんは震える声を返すだけだ。
「どうしてなのですか…………どうして……どうして貴方はいつもご自分の危険も省みずにそうやって……」
「はは、確かに格好付けて囮になっても戦うことも出来ない僕じゃ大して時間稼ぎも出来ないですもんね」
「そういうことではありませんっ」
一転、マリアーニさんは声を荒げる。
正面にある胸元から離れた顔はどこか怒りを孕んでいて、頬を伝う涙にどこか心が痛んだ。
「貴方は、貴方様とわたくしは過去に一度会っただけの関係でしかない。なのにどうして貴方はわたくしなどを守るために平気で命を投げ出すのですか」
「んー、どうしてでしょう。僕としてもはっきりとこうだからという理由があるわけではないんですよね。ただ、理由はどうあれ僕はあの日あなたに命を救ってもらった、それは事実です。そして何よりも、僕はあなたに死んで欲しくないんです。理由が必要なら、それが理由ということにしておいてください」
始めてこの世界に来たときから、ずっとそうだった。
戦って、殺し合いをして、誰かが死んで解決なんて方法は間違っていると当事者の一人になって初めて感じるようになった。
何も知らない僕だからこその平和な考えなのだろう。
例えそうだとしても、サントゥアリオでの戦争の時も、シェルムちゃんとの戦いの時も、誰が相手であってもその気持ちだけは周囲に流されて受け入れたりはしないと自分自身に誓ったのだ。
「コウヘイ様……」
その気持ちを理解してもらえたのか、マリアーニさんは泣きやみ若干惚けた表情で僕を見ている。
また不毛な押し付け合いにならずに済んだのはよかったが、それでいて僕の頭には疑問がまだまだ残っていることに変化はない。
「あの、それでですね、ここはどこなんですか?」
「ここはコウちゃんと別れた場所から少し離れた位置にある村の宿ですよ~。思ったより早くコウちゃんのしたことがバレてしまいまして~、姫様が戻ると言って聞かないものですからわたし達もうっかり賛同してしまいまして」
にこりと笑うウェハスールさんの声は普段以上に優しい。
ということは結局あの後そう時間を置かずに戻って来たのか……最悪な結果じゃないか。
「さすがに回り込んでしまうとシルクレアの方々に見つかってしまう可能性が高いのでそのまま引き返して、エルに人気が無いことを確認した上で運んでもらったというわけです~」
「それでは逃げる時間を僕が潰してしまったようなものじゃないですか、それを姉さんが止めてくれると思ってお願いしたのに……」
助けて貰った立場で言えることでもないが、僕は見捨てて行ってくれるものだと信じていた。
そうなると僕は死んでいたのかもしれないけど、僕が生きていても逃げ場を失ってはその被害が僕だけに留まらなくなる可能性がある。
「それが出来る人なんてわたし達の中にはいなかったということですね~。とはいえ、これが自分達の首を絞めることになったかと言えばそうでもないんですよ~」
「へ?」
「どうにも、わたし達の目的地がバレてしまったようで、コウちゃんをここに運んだ後エルに偵察に出てもらったんですけど、完全に先回りの動きに出ているようなんですよ~。さすがに馬車と馬では速度に差がありますし、仕方ないといえば仕方がないんですけどね~」
「目的地、ですか」
それも聞かなければいけないことの一つではある。
「なのでコウちゃんは自分を責めてはいけません、これはお姉ちゃん命令です。気付かないままでいれば、或いはコウちゃんを犠牲にして先に進めば、わたし達自身がそうしなければならなかったんですから」
「それは……まあ」
確かに、その通りかもしれない。
逆の立場なら僕は絶対後悔で押し潰される。
「だから、ごめんなさいではなくありがとうとだけ言っていればいいんです。分かりましたか~?」
「はい……ありがとう、ございます。エルも、ありがとうね」
そこで初めてエルに視線を向ける。が、
「許さないっ!!」
「えぇぇ……」
この流れで?
「あたし今日は死んで来いなんて言ってないもん。姫を思ってのことだから今日だけは許すけど」
「…………」
許してくれるのか。
さっきの一言はなんだったんだろう。
「次やったら本気でグーパンチだかんね」
「うん、もうしないから。今日だけは許してよ」
言うと、エルは「なら良し!」と腕を組んでうんうんと満足げに頷いている。
そんなことはさておき、引き続き疑問を解消しなければ。
「それで、えーっと……次の質問なんですけど、今回も前の時と同じくマリアーニさんが治してくださったんですよね」
念のためお腹を手でなぞってみるが、やはり刺された傷なんてどこにもない。
そして悲しきかな前回と同じく着ていた服も元の物とは違っている。誰が着替えさせてくれたのかはもう聞くまい。どういう答えが返ってきても恥ずかしい思いをするだけなのは分かっている。
「は、はい。それは勿論」
すぐにマリアーニさんの肯定が返る。
「あの時は敢えて口にしませんでしたけど、それは所謂回復魔法の類で、ということになるんですか?」
そんなレベルの回復魔法はあり得ない。
確かにジャックがそう言っていたのを覚えている。ならば一体どういう能力なのだろうか。
「いえ、これは回復魔法ではありません。かといって特別な能力というわけでもなく、この指輪の力なのです」
差し出された右手、その中指には確かにキラリと紫色の宝石が光る銀色の綺麗なリングがある。
出会った当初から認識はしていたが、純粋に身を飾るための物だと思って気にしたことはなかった。
「それはもしかして……門、ですか?」
「はい。これは天界の神の一人であるクロノス様から授かった物でして、名を【掌中回癒】という門です」
「クロノス……」
今回の騒動も然り、こうも神の存在を明確に示されるのも凄い話だ。
天鳳ことジェスタシアさんと話をした時にも思ったことだけれども。
「その門はその、どんな傷でも治すことが出来るという類の能力を持っていると」
「死んでさえいなければ大抵の傷は元通りにすることが出来ます。残念ながら傷を負ってからの時間に制限があるので万能というわけではないのですが……」
「そういう物だったんですか、では僕は運が良かったみたいですね」
「正式な名称はリベリオン・トゥ・プロビデンスと言うのだと聞きました。聡明なコウヘイ様ならばそれだけで察してしまうかもしれませんね」
「プロビデンス……リベリオン」
すなわち、摂理への反乱? 反逆?
直訳するとそういう意味になるのか?
それだけでは全然意味するところは分からないが、少なくともその口振りを踏まえて言える確かなことは、
「つまり、単純に傷を治しているわけではない?」
「その通りです。この門の本質は謂わば局部的な時間の逆行、つまり傷を治しているのではなく傷を負う前の状態に戻しているというのが正しい解釈なのです」
「時間を……逆行。またとんでもない物があったもんですね」
ノスルクさんが作った物も大概だが、その中でも群を抜いてぶっ飛んでいる気がする。
神云々より余程非現実な能力に途方に暮れていると、なぜか後ろでウェハスールさんがにこにこしていた。
「姫様の門はわたしやエルの持つVIGと違ってオリジナルですからね~。能力の性能も段違いです」
「ビッグ?」
聞いたままを繰り返す。
これまた僕の知らない響きだ。
「コウちゃんは知らないんでしたか~。まあ門の存在自体本来そう知る者は居ないはずなので仕方がありませんね~」
そう言いつつ、ウェハスールさんはベッドの傍に歩み寄るとマリアーニさんの横、すなわちベッドに腰掛け片眼鏡を外した。
「本来、門というのは遙か昔に神々が生み出した物なんですね~。ですが、十年近く前に一個人が門を作り出すことに成功したわけです。これも外部に知られているはずのない話なのでコウちゃんは知らないかもしれませんが、それこそが【千年知能】と呼ばれたかのアルヴィーラ神国の鬼才ゼロス・ヴィッカーズ仙女なんですよ~。ヴィッカーズ仙女は九十九の門を生み出し、あの英雄や神童と並んで衰退しつつあったアルヴィーラを再び天界と同等の力を持つ国へと押し上げた功労者であるとされているのですが、そんな理由から元来の門はオリジナルと呼ばれるようになり、逆にヴィッカーズ仙女が作り出した門はその名前を取ってヴィッカーズ・アイディール・ゲート、略してVIGと呼ばれるようになったんです。わたしの門を見てみてください~」
ウェハスールさんは外した方眼鏡を差し出した。
それを手に取ると、縁の一部に指を当てる。
「ここにNo.が掘られているのが分かりますか~?」
「はい、確かに見えますね」
枠の部分には確かにNo.81 【心眼の輪】と読める字が掘られている。
「この通りVIGにはそれと分かるようにそれぞれ数字と名称が記されているんですよ~。大雑把な説明ですけど、お解りになりましたか~?」
「はい、なんとなくですけど」
元あった物とは別に一個人が作り出したのがVIGだということだけは分かった。
それ以外はあまり理解出来ていないけど。
「あの……コ、コウヘイ様」
そこでようやく話の一段落を迎え、そのタイミングを待っていたのかマリアーニさんが割って入った。
相変わらず枕の隣に腰を下ろしており、距離が近い。
向こうも同じ照れ臭さを感じたのか、目が合った瞬間ハッとした表情を浮かべ慌てて視線を下に逸らされていた。
「わたくし達がこの国に来た目的についてなのですけれど」
「あ、そういえば途中で終わったままでしたっけ。是非お聞かせ願いたいです」
「はい、実はとある人物に会うため、というのがそれにあたるのです」
「とある人物?」
「本名はわたくしも存じ上げないのですが、犬の誓い? だとかと呼ばれている人物のようです」
「犬の誓い……なんですかそれ」
どんな人物ならそう呼ばれるんだろう。
「分かっているのは魔術師ということだけで、通名であるらしいその名前も以前マクネア王が世間話の最中に口にしていたのを思い出したというだけで詳しいことはほとんど分からないのです。どうやらマクネア王の個人的な知り合いであるらしいのですが、この国に会いに行かなければならない、と。そして彼以上の結界術の使い手はいないだろう、とも仰っておられました。【人柱の呪い】も魔法陣を利用して破滅をもたらすだけの魔術を発動する。だとすればその方ならば何か無効化する方法や術を消し去る方法を知っているのではないかと、奇跡に縋る思いでわたくし達はこの国に参ったのです」
「……なるほど」
「居場所も知らないままこの国にやってきたのですが、港の近くにある離れ小島で暮らす人物がそうではないかという情報を得ました。そのため港に向かおうとしていた途中だったのです」
「そういうことだったんですか。事情は分かりました、僕はもう大丈夫なのですぐに出発しましょう。時間が掛かった分だけ先回りしようとするあの人達に都合がよくなってしまう」
率直に言えば、青天の霹靂だった。
マリアーニさんを守るためにこの国に来たはずが、現実味はどうあれまさかもう一つの不可避の難題である【人柱の呪い】をどうにかする手段まで同時に追求出来るとは。
「急がねばならないのはごもっともなのですが、恐らくシルクレア軍と接触せずに辿り着くのは至難の業となるでしょう。クロンヴァール王までが加わっているとなれば戦って勝つという目算もそう簡単に立つはずもなく。そこでケイトと話し合って、一つコウヘイ様にお願いしたい事があるのです」
「僕に出来ることなら何だって言ってください」
「そう言っていただけると助かります。コウヘイ様に頼るばかりとなってしまい申し訳なく思うのですが……一旦コウヘイ様は別行動を取っていただきたいのです」
申し訳ない、というよりもどこか辛そうにそう言ったマリアーニさんの口から続いて出てきたのは希望と絶望、どちらにも転がってもおかしくない一つの賭けとも言える提案だった。
10/25 誤字修正